「………ア、ソフィア」
「…、あ、えっ?」
がばり。
窓からの陽射しの作り出した暖かい陽だまりの下。
うとうとと宙を漕いでいた茶髪の彼女は、自分を呼ぶ声に気づいてはっと目を覚ました。





005:言葉





「起きた?」
寝起き直後のぼやけた視界に、青髪の少年が映る。
「あ…フェイト」
「おはよ」
にこりと笑ってそう声をかけてくる彼に、彼女は慌てて周りを見回す。
そこは今日、彼女に割り当てられている宿屋の一室で。
彼女の膝の上には紋章術について書かれた分厚い本が開かれた状態で載っていて。
自分はそれを読んでいる間に、窓から差し込む陽射しが心地よくてうたたねをしていたのだと気づいて。
ついでに、自分は買い出し当番で本来ならば買い物に行かなければいけない時刻になっていることを、思い出して。
「…嘘っ、もうこんな時間!? 大変、お買い物行かなきゃいけないのに!」
慌てて本を閉じ勢い良く立ち上がった彼女に、彼が穏やかに笑ってなだめるように言う。
「あはは、大丈夫だよ、そんなに慌てなくても」
「慌てるよ! 早く行かないと夕ご飯の時間に間に合わなくなっちゃう!」
急いで支度をしようとする彼女に、彼が落ち着いて、と手の平で空中を押すようなジェスチャーをして見せて。
「大丈夫だって。買出しならネルさんとアルベルがついでにって引き受けてくれたから」
「…え?」
彼女の表情と動きが同時にぴたりと同時に止まる。
その様子を見て苦笑しながら、彼がさらに続けた。
「ちょっと前に、テレグラフで良い武器が発売されたってウェルチさんから連絡あっただろ? それを見に行きたいってアルベルがうずうずしてたらしくて。で、ネルさんもちょうど武器屋に用があるからってこの街に来たら二人で武器屋行く予定だったんだって。で、そのついでに買出しも済ませてくれるって」
「…で、でも、私が当番の日だったのに…」
「大丈夫だよ、たまには代わってもらうのもいいって」
「…」
「それに、ソフィア家事は得意だからって、他の皆より当番になる日多くしてもらってただろ? 確かにソフィアは料理上手だけどさ、さすがにそれじゃ大変だろ。たまには休むのもいいんじゃないか?」
明るく言う彼とは対称に、彼女は段々と暗い表情になりながら俯く。
「…ソフィア?」
気づいた彼が声をかけると、彼女は数秒押し黙った後、小さな声で答えた。
「…私…。やっぱり、みんなの役に立てないのかなぁ…」
「え?」
その声が今にも泣き出しそうに沈んでいる事に気づいて、彼が驚いて目を瞬く。
彼女は俯いたまま、やはり泣き出しそうな声でぽつりぽつりと呟いた。
「…私、まだ仲間になって間もないし、戦闘も苦手だし、いつも足手まといになっちゃってるから…。だから、せめて自分の得意分野くらいは、みんなの役に立とうって、そう思って私なりに頑張ってるつもりだったのに…」
「………、」
「なのに、結局それすらもこなせないなんて…。やっぱり、私みたいな中途半端な子、何もみんなの役に、たてないのかな…」
とても小さな、すぐ傍にいる彼でさえ聞き取れるかどうかわからないような小さな声で。
「頑張っても、やっぱり、何も役にたてないのかなぁ…」
彼女はそう呟いて、ぐす、と小さく鼻をすすった。



彼はそんな彼女を見て、困ったように苦笑して。
「…ソフィア」
彼は俯いたままの彼女の頬に、ゆっくりと手を伸ばす。
「ソフィアは、十分頑張ってるよ」
「…。でも、結局何の役にも立ててないんじゃ…」
「そんなことない」
優しげな口調で、だがしっかりと断言した彼の声が思いの他力強く聞こえて。
彼女はゆっくりと顔を上げて、彼を見る。
口調と同じ優しい表情で、彼の碧の瞳が彼女を見ていた。
「ソフィアが頑張って努力してるの、みんな知ってるよ。せめて自分の得意分野では役に立とうって買出しや食事当番の日を多めにしてもらってるのもそうだし、それに、ソフィアがうたた寝しちゃうくらい寝不足なのは、夜遅くまで紋章術の本読んで勉強してたからだろ?」
「…、」
気づかれていたことに驚いたのか、口元に手を当てて目を見開いた彼女に、彼がふわりと笑って続ける。
「ソフィアは全然役に立ててないって思ってるかもしれないけど。お前が仲間に入ってくれて、本当に助かってるんだぞ。料理上手な人が増えて一人一人の食事当番の負担が減ったのもあるし、まだ修行中とは言え紋章術でサポートしてくれる人がパーティにいるだけで、戦闘中とても心強くなったんだから」
真っ直ぐに彼女の瞳を見て、彼がさらに続ける。
「…ソフィアは十分頑張ってるよ。それに、十分役に立ってる」
「で、でも…」
不安そうに口を開く彼女の声を遮るようにして、彼が言った。
「ソフィア自身信じられないなら、僕が保障するからさ」
「…」



無言のまま、彼を見つめる彼女に。
彼が思いついたように口を開く。
「…頑張るって言う言葉はさ、頑なに、張りつめる、って書くんだよ」
「…え?」
急に少し逸れた話題を持ち出した彼に、彼女が小さく訊きかえす。
「今のソフィアの状態、そのもの」
「う…」
からかうように言われ、彼女は言い返せずに口ごもる。
そんな彼女に、彼はふわりと笑って、続ける。
「頑張る、って、すごい事だと思う。誰かの役に立つ為に、誰かの為に、頑張れる事って、すごい事だと思うよ。…でも、頑張りすぎてソフィアが倒れたりしたら、その"誰か"はきっと悲しむ」
「…」
「だから、」
彼は彼女の頭の上に、ぽん、と手を置いて。
「たまには、休めよ。そんなんじゃ、ソフィアの方が参っちゃうだろ?」
「………」
彼女は、しばらくの間不安そうに彼を見上げていたが。
やがて表情が緩んでいって、いつも通りとまではいかないものの、ふわ、と笑う。
「…うん」
そう呟いて小さく頷いた彼女に、彼も安心したように笑った。



「そうだね。私が無茶しすぎて倒れちゃったりしたら、 他の皆にも迷惑かけちゃうよね」
ようやく表情に笑みを取り戻した彼女が、困ったように笑う。
彼は軽く肩をすくめて見せて、口を開く。
「かけるのは迷惑というより心配、だな多分。だからお前、気ぃ張ってばかりいないでもーちょっと自分を大事にしろって」
「あはは、そうだね。気を張り詰め過ぎたり、頑なになりすぎちゃ、だめだよね」
先程彼が言った台詞を借りるように彼女が言って。
「お、さっきの言葉遊びの引用?」
彼が楽しそうに反応して、彼女がえへへ、と笑う。
「でも、頑張る、って、そう考えると言い得て妙だね。言葉遊びってフェイトは言ったけど、言葉、ってちゃんとした意味を持ってるんだね」
「んー、僕が言ったのは半分言葉遊びだったけど。まぁ、そうだな」
感心している彼女に反論して水を差すのは悪いと思ったのか、彼は一応同意する。
「ふふ、そう考えると、普段何気なく使ってる言葉って、結構面白いね。他にも何かないかなぁ」
先程までの暗い雰囲気はどこへやら、楽しそうにあれこれと言葉遊びを考えている彼女を見て、彼がふ、と微笑ましげに笑う。
「うーん、謝意を感じる? あ、でもこれだとなんだか謝ってるみたいだし、うーん」
「あ、それってもしかして、"感謝"?」
「うん、そう。フェイトは私に関することで言葉遊びしてたから、私もフェイトに関する事とかフェイトに言いたい事とかで考えてみようと思って。だから感謝してることを言葉遊びで伝えたかったんだけど、"感謝"は上手く言葉遊びできないなぁ」
「うーん、じゃあいっそ漢字の部首で分けてみるとか」
「えー…、じゃあ感謝は、…心が或る、言う射る?」
「…ごめん無理だね」
「あはは、でも部首で分けてみるってのもいいかもね。"感謝"は分けれなかったけど」
残念そうにそう言って、また次の言葉を捜している彼女を彼は微笑ましそうに見て。



「…言葉遊びもなかなかいいもんだな」
何せ、彼女が元気を取り戻すきっかけになってくれたのだから。



ぽつりと呟いた彼には気づかず、彼女はえーととかうーんととか呟きながら頭を捻っている。





「えーと…大きな女の子? えーそれはさすがになぁ…っていうかフェイト女の子じゃないし…うーん…」
「…は?」
「あ…。き、聞こえたの?」
「断片的にだけど」
「じゃ、じゃあ気にしないでっ」
どことなく焦った風に彼女がそう言って。
彼が不思議そうな顔をして、先程彼女が言っていた言葉遊びの内容を思い出してみる。
「(大きな、女の子?)」
なんだそれ、少なくとも熟語じゃないよな、と彼は考え。
ならば部首で分けたか、と思いついて、
「………」
部首と思しき漢字を組み合わせて思い当たった言葉に、思わず彼は動きを止めた。
「…なぁ、ソフィア」
「なっ、なに?」
声をかけると、彼女は明らかに動揺した動作でぎくしゃくと返事をする。
その頬は、心なしか赤い。
「………」
彼女の表情を見て、彼は自分の考え付いた"言葉遊びの答え"がどうやら間違いではなさそうだと判断して。
ふ、と微笑んで。
「…言葉遊びも、なかなかいいもんだな。本当」
先程呟いた台詞を、もう一度繰り返し呟いた。