「きゃああああ寒い寒い寒い〜っ!」 ディブロから転移してすぐ、吹き付ける木枯らしに悲鳴をあげたのはソフィアだ。 「うー、だから真冬のアーリグリフなんて来たくなかったんだよ〜…」 フェイトも顔をしかめながら呟く。 「しょうがないじゃない、ここにある地下水路にアイテムがたくさんあった、ってクリフが主張するんだから」 「おいおい、根拠もなしに言ってんじゃねぇって。きちんとこの目で見たんだっつの、バニッシュハンマーがなきゃ取れねぇ場所にある宝箱!」 「や、それはわかってんだけどさ、でもこの寒さはいつまでたっても慣れらんないよ」 「tempコントローラ持ってくるべきだったなぁ…。ううう、さむい〜…」 「悪いけど、私達を送ったらトランスポーターのメンテナンスする予定だったから、当分ディブロには戻れないわよ」 「事前に準備してくるべきだったよなぁ、マズったぜ」 雪すら舞い散るその場にそぐわぬ薄着のままに来てしまった皆が体を縮ませている中。 「そういえば、隠れ家に使ってた家にちょっとした防寒具くらいならあるけど、寄って行くかい?」 何気ない赤毛の彼女の提案に、皆の目がきらりと輝いた。 「わぁ、あったかーいv」 「これで随分マシになるな。本当助かります、ネルさん」 彼女が提案してしばらくも経たないうちに、パーティ一向は彼女の言う"隠れ家"に直行していた。 「いや、お安い御用だよ」 天の助けとばかりに喜ぶ面々に微笑を向けて、彼女はふと思いついてくるりと振り向いた。 振り向いた彼女の視線の先には、いつも仏頂面のプリン髪の彼。 「あんたも何か防寒具取りに寄って行けば? 城の中に自室あるんだろう」 「いい。城ん中戻れば仕事押し付けられるだけだ」 嫌そうな顔になりながらそう応える彼に、彼女はそう、と小さく相槌を打って。 「…でも、あんたが一番何か着るべきだと思うんだけどねぇ。せめてその腹だけでも隠せば?」 「余計な世話だ」 「あぁ、そうかい。じゃあ風邪ひかないように気をつけるんだね」 彼の素っ気無い返事に彼女は一応そうクギを刺す。彼は答えず、ふんと鼻を鳴らす。 そのやりとりを見ていたソフィアが、くすりと微笑んで口を開いた。 「ふふ、ネルさんって本当にお母さんみたいですね」 「え、そうかい? はは、そんなつもりはなかったんだけどね」 苦笑する彼女に、ソフィアも微笑んで。 「あ、でも、確かにアルベルさんも薄着ですけど、ネルさんも結構寒そうな格好してますよね? 私達が防寒具独占しちゃいましたけど、何か着ていった方がいいんじゃ…」 「あぁ、大丈夫だよ。私は戦闘中飛び回ってるから、軽装の方が都合いいんだ」 言われてソフィアは戦闘中身軽に動き回っている彼女を思い出す。 「でも、さすがにこの寒さですし…」 「平気だよ、動き回ればすぐに温まるしね」 「そうですか…」 微笑む彼女に、ソフィアがまだ少し心配そうにだが頷く。 「だーいじょうぶだってソフィア、ネルさんは隠密だよ? 寒さや暑さに対する訓練もしてるって」 「そーそー、俺らと初めて会った時もよ、この寒さン中寒そうな平然としてたもんなぁ。この星の人間は体のつくりが違うんじゃないかとまで思ったぜ」 「そうそう、僕らが寒い寒いって震えてる中でネルさんだけ普通にしてたしさ。この星じゃこれが普通なのかって驚いたもんな」 話題に入ってきたフェイトとクリフのやり取りを見て、ソフィアがにこりと笑って。 「…そうだね、ネルさんが寒そうにしてるの見たことないし、やっぱり鍛えてる人は違うんだなぁ」 しみじみと呟いたソフィアの台詞に、彼女がくすりと苦笑して。 「うーん、まぁね」 曖昧に笑ってそう答えた。 一連のやりとりを黙ったまま見ていた彼が、無言のままに彼女に視線を遣った。 苦笑したままの彼女を見て、彼は表情を変えないままにまた視線をそらした。 ついさっき"寒そうにしてるの見たことない"と言われたばかりの彼女が実はかなりの寒がりである事を知っているのは、この場にいる人間の中では彼だけだった。 009:体温 彼女が結構な寒がりだという事は、恐らくこのパーティの中ではほとんど知られていない。 知られていないどころか、正反対の"寒さに強い"というイメージが定着してしまっている。 「いい加減にバラしちまえよ、面倒くせぇな」 今回も例の如く彼女と同室となった彼が、半眼のまま呆れたように言った。 彼が呆れ顔で見遣る先には、施術で暖められた水晶を抱えてベッドにぺたんと座っている毛布のカタマリ、もとい赤毛の彼女。 「今更言うのも変じゃないか」 顔を上げた彼女が困ったように彼を見る。 暖炉の前で火種用の小枝や丸く絞った紙束に手馴れた様子で火をつけている彼は、そんな彼女にちらりと視線を向けてため息をついた。 彼女が寒がりであると彼が知ったのは、つい最近の事だ。 いつぞやのディブロで「恋人同士なんだからなんの問題もないでしょ」と言いくるめられて妥協してしまって以来、宿屋で一人一部屋取れなかった場合最終的に同室に押し込まれる事にすっかり慣れてしまった頃。 以前アーリグリフに立ち寄った時例によって彼と同室となった彼女は、皆と別れて部屋に入るや否や荷物を下ろすのもそこそこに暖炉の前に直行して積まれている薪とファイアボルトをぼんぼん放り込んだ。 いきなりの豪快な行動に思わず目を丸くした彼に、彼女は振り向きもしないままに早口でまくしたてる。 「暖炉に火をつけるときはまず燃えやすい物に火種を移してからだってことくらい知ってるよ。でも寒いものは寒いんだよいいじゃないか結果的に火がつけば」 「…俺はまだ何も言ってない」 「でも呆れてるだろう」 顔を見なくてもわかるくらい、拗ねた口調で彼女が呟いて。 「…みんなには言ってないけど、寒いの苦手なんだ」 ぽつりと続けられた一言に、彼がきょとんと目を見張った。 「シランド、こことは違って暖かかったから、正直寒いのにはそこまで耐性なくて。一応隠密だし、それなりにどんな環境にも対応できるようにはしてあるけど」 「…そうだな。寒そうな素振り見せてなかったしな」 「うん…。そしたらいつの間にか、寒さに強いって思われちゃったみたいで。多分みんなそう思ってる」 「そうだろうな。俺もそう思ってた」 火がついた暖炉の前から動こうとしない彼女から視線を外し、荷物を下ろしながら彼が呟く。 しかしそこでふと気づく。今日同室である彼に寒がりであると明かしているのだから、今まで同室になった女性陣はもうとっくに知っているのではなかろうか、と。 「女共も知らねぇのか? 今まで何度か同室になってんだろ」 「知らないよ、多分。いつも暖炉は彼女らに譲ってたし、急にそんな事言ったらあの娘達に気を遣わせちまうじゃないか」 「…ならなんで俺に言ったんだ」 何気ない彼の疑問に、彼女はちらりと首を振り向かせて。 「あんたに隠したってしょうがないだろう?」 やはりまだ拗ねたような表情のまま、そう一言答えた。 その時、俺には気ィ遣わねぇのかよ、とむっとなったはずが、どうしてだか彼女の台詞がなんとなく嬉しくて彼は結局何も言わなかった。 今思えばあれは、どんなかたちであれ特別扱いされたのが嬉しかったのだろうか、と彼がぼんやり考えていると。 「何笑ってるんだい」 不機嫌そうな顔の彼女が不機嫌そうな声で不機嫌そうに言った。 「…別に」 「笑いたければ笑いなよ、どうせ私は寒がりだよ、隠密のくせにさ」 「別にお前の寒がりがおかしくて笑ったんじゃねぇよ」 「どうだか」 ぷいとそっぽを向く彼女に彼が苦笑する。 「いいじゃねぇか、任務とかの寒がってる状況じゃねぇ時は平然としてられる程度には鍛えてんだろ」 「そうだけど…」 「なら問題ねぇだろ」 そう言って、ようやく薪に燃え移った火を落ち着かせてから彼は立ち上がった。 毛布のカタマリになっている彼女の隣に腰掛けて、くくっと意地悪く笑いながら口を開く。 「それに俺にとっても都合いいしな」 「…寒がり仲間が増えて嬉しいとか、便乗してコレで温まろうとかって思ってるのかい」 施術をかけた水晶を指しながら彼女が尋ねた。 「さぁな」 言いながら彼が毛布ごと彼女を引き寄せる。毛布を引っぺがさなかったのは、前同じことをして「寒いじゃないか!!」と彼女にえらい剣幕で怒られた経験があったからだ。 「…あー、暖けぇ」 「ちょっと、毛布越しだけどあんた冷たいよ。だからいつも厚着してその腹やら足やら隠せって言ってんのに」 「俺の体がお前より冷えてんのは、お前がその水晶抱えたまま縮こまって動かねぇからしょうがなく暖炉に火つけてやってたからじゃねぇか、感謝しろ」 「そ、それはありがたいと思うけど、あんたが冷えてるのはその奇天烈な恰好も原因の一つじゃないか」 「お前も人の事言えねぇだろうが」 「少なくとも私は腹なんか出してないけど。それに施術である程度防寒できるもの。コレだってそうだし」 言いながら、彼女は抱えたままの水晶を見下ろした。 例えるならセフィラと同じくらいの大きさの丸い水晶は、内部にめらめら燃える炎を宿したままに暖かい熱を発している。 「冷やせば暑い時にも使えるし、施術って結構いろんな事に応用できるんだよ」 「お前の部屋にあったヤツもこれと同じようなもんなのか?」 「ん? あぁ、そうだね。あれは室内専用だからこれよりも大きいしその分部屋全体の温度調節ができるんだけど、さすがに持ち運べるサイズじゃないからね」 だから今はこれ、と呟く彼女に、ほぉ、と彼が相槌を打って。 「…便利なもんだな」 「だろう? あんたも初歩の施術は使えるだろ、今度買ってみれば? シランドならどこでも売ってるよ」 「いや、いい」 彼はにやりと笑んで、彼女が包まっている毛布の隙間から手を入れて。 「ちょっ、冷たっ…」 「もっと効率よく温まるモノがあるからな」 言いながら彼はひょいと彼女から毛布を奪う。 言われた言葉に反応する前に、彼女がいきなり触れた外気の冷たさに体を竦ませた。 「…ちょ、ちょっと、何するんだい! 寒いって言ってるじゃないか毛布返しな!」 「安心しろ、部屋の鍵はかけた」 「誰もそんな事訊いてなっ…ちょっ、こら!」 「前から思ってたんだよな、寒いなら手っ取り早い方法があるじゃねぇかって。いつもこの街に来ると雪の中の強行軍で疲れただの明日も早いからもう寝たいだのでお預け食らうし」 「人の話聞いてんのかい、こ、の馬鹿!」 真っ赤になって水晶を抱えたままに抵抗する彼女と、面白そうに笑いながらそんな彼女を抱え込もうとする彼。 ふと、彼が邪魔な水晶を彼女から取り上げようと手を伸ばした。 慌てた彼女が座った体勢のままにベッドの上を後ずさって、 「あっ…」 ベッドの淵に来ていた事に気づかず後ろに下がってしまった所為で、いきなりがくんと彼女の体が傾いた。 「っと、」 彼が咄嗟に彼女の肩を掴んで、落下はなんとか免れた。 が。 がつっ! 彼女の腕をすり抜けて水晶が床に落ちた。鈍い音が響く。 「!」 彼女がぎょっと目を見開いて、体勢を整えるのもそこそこに慌てて床に転がる水晶を拾い上げる。 運悪く絨毯が敷かれていない場所に落下してしまった水晶には、大きなひびが入っていた。 「あぁっ! ちょっとあんたどうしてくれるのさ!」 「は? 割れてはねぇんだろ?」 「割れはしなかったけど、ひび入っちゃったじゃないか! これじゃ使えないし、今まで大切に使ってきたのに!」 う、と一瞬口ごもって、彼が視線を逸らしながら口を開く。 「…不良品じゃねぇのか? あのくらいでひび入るなんて」 「これは昔、クレアから貰った大切なものだったんだよ!」 眉を吊り上げて、彼女がひびの入った水晶を抱きしめながら言い放った。 「旅先で危険な目に遭わないようにって加護の呪文もかけてお守り代わりにくれた大事なものだったのに、これがあるだけで安心できたのに」 「………」 「古いから確かに脆くなってたかもしれないけど、それでも今まで大切に使ってたのに、代わりなんてどこにもないのに…!」 「………」 「…どうしてくれるんだい」 思わず無言になる彼を、彼女がきっと睨みつけた。 その視線の鋭さから、彼女の落ち込み様とそして怒りが存分に伝わってきて。 彼はしばらく押し黙っていたが、やがてぼそりと口を開いた。 「…どうして欲しいんだよ。それの代わりに暖めて欲しいのか?」 彼がぽつりと告げた言葉に、一瞬の間を置いて彼女の眦が釣りあがって。 「馬鹿じゃないのかいあんた!」 容赦ない蹴りが弁慶も泣く足の脛にヒットした。 何か理由をつけて部屋を出て行けば良かった、と彼は思ったらしいが、完全にタイミングを逃してしまいそれも叶わず。 それから彼女は一言も口を利かなくなり、夕食時になるまで部屋の中には重い重い空気が流れていた。 夕食後、足早に部屋へと戻って行く彼女の背中を見遣って。 ため息でもつけば周りの連中に何を言われるかわかったものではないので、彼は食後のお茶をゆっくりゆっくり啜りながら、何気ない動作を装って視線を外したが。 「アルベルー、今度は何したのさ」 ジト目のフェイトにそう尋ねられて、彼は小さく舌打ちを漏らす。 どうせため息をつこうがつかなかろうがバレるのだと開き直り、彼はため息をひとつ零してから答えた。 「別に」 「別に、じゃないだろ。またケンカしたのかよ、懲りないなぁ」 「………」 反論できない彼に、フェイトは呆れたような眼差しを向けて。 「お前とネルさんがケンカするとすぐわかるし。なんて言うかさ、流れる空気が違うもん。どーせお前が何かしてネルさん怒らせたんだろ、早く謝って仲直りしなよ」 「それができりゃ苦労しねぇよ」 「何、じゃあ結構深刻な事しでかして謝ろうにも謝れない状況って事?」 「………」 また無言になる彼に、本当わかりやすい奴、とフェイトが苦笑する。 「何したのさ、言ってみなよ。状況によってはアドバイスしてやるから」 彼はそのフェイトの申し出に一瞬顔を顰めたが、結局渋々と口を開いた。 「…。お前がもし、ソフィアの大切にしてた…そうだな、猫の置物あたりか? それをうっかり壊しちまったとしたら、どうする」 「は?」 フェイトはきょとんと目を見開いてから、少し考えて答える。 「そりゃまず誠心誠意謝って、できることなら直すか同じものを用意して渡すよ。さらにプラスアルファで何かプレゼントしたりするのもいいかもしれないけど、前に物で釣ろうとするなって怒られたことあるから、それはあまりしないかな」 「…そうか」 「そういえば、前ソフィアの宝物だったぬいぐるみの尻尾をうっかり千切っちゃった時は苦労したなー。お店の一点ものだったらしくて代わりの物なんてないし、直した後のしっぽの丸まり具合が違うってソフィアは拗ねちゃうし。あの時はプレゼント作戦も逆効果だったろうから物じゃ解決できなくて、何でもお願い事を十個聞くって事でようやく許してもらえたっけ」 「…何でまたぬいぐるみが千切れるような事したんだよ」 「わざとじゃなかったんだよ。部屋の模様替え手伝ってくれって言われてタンスを動かしたら、運悪くぬいぐるみの尻尾の上に乗っけちゃったみたいで。その後ぬいぐるみを動かそうと持ち上げたらぶちっと」 「…そうか」 「うん、結構大変だったんだよ? でもその時ばかりは僕も物じゃなくて自分のできることで解決したかったし…ってアルベル、聞いてる?」 いつの間にかお茶を飲み終わって椅子から立ち上がった彼に、フェイトが不満そうに尋ねるが。 「さぁな」 彼はそう一言返して、何か解決策を思いついたのかすたすたと足早に食堂を出て行った。 相変わらずの彼の態度にフェイトは苦笑してから、ぽつりと呟く。 「ほーんと、ネルさん絡みのことになると一生懸命だよなあいつ」 そんな素振り見せないけど、と呟いてから、フェイトが笑った。 夕食後しばらくしてからソフィアとマリアに誘われて風呂に入った彼女は、入浴を済ませて髪を乾かし終えた後もすぐ部屋に戻ろうとはしなかった。 「ネルさーん、気持ちはわかりますけど早く戻らないと湯冷めしちゃいますよ?」 フェイトと同じく、夕食時の彼女らの態度やら雰囲気やらで喧嘩したことに気づいていたのか、ソフィアが苦笑してそう声をかける。 「そうなんだけどさ…」 困ったように笑って曖昧に返事をする彼女に、ソフィアだけでなくマリアも苦笑する。 「せっかく温まったのに冷えちゃうわよ。…なんなら、私達の部屋に来る?」 マリアの申し出に、彼女は苦笑してゆっくりと首を横に振る。 「…ううん、戻るよ。悪いね、気を遣わせて」 腰掛けていた椅子から立ち上がる彼女に、ソフィアが心配そうに口を開く。 「いえ、それはいいですけど…。ええと、早く仲直りできるといいですね」 「あぁ、ありがとう」 やはり困ったように苦笑しながら、彼女がソフィアとマリアに手を振って背を向けた。 宿の廊下を歩きながら、暖房がない故に冷え切ったままの空気に彼女はふるりと肩を震わせた。 冬のアーリグリフ、しかも陽が地平線の下に沈んでしまった後の気温は当然の如く低い。 入浴後の、体の内からほかほかと暖まっている状態であるにも関わらず肌寒くて、彼女ははぁ、とため息をついた。 先ほどソフィアとマリアに言われた通り、すぐに暖炉のついた部屋へ戻れば良かったのだろうけど。 喧嘩したままの彼がいるであろう事を思うと、なんとなく気まずくて戻りたくなくなって。 結局湯冷めしかけた状態で彼女は部屋へと向かった。 冬の夜は、温暖なシランドでもそれなりに冷え込む。部屋を暖めても布団の中まできちんと暖まるはずもなく、風呂上りのぽかぽかした体も冷たい布団に入った瞬間に冷えてしまう。 それでもシランドならば、しばらくじっとしていれば体の内から熱が戻ってきて、すぐに眠気が襲ってくる。 だけどここアーリグリフの寒さではそれも期待できない。いつも部屋を暖めるのに使っていたあの水晶がないならなおさらだ。部屋にひとつしかない暖炉の熱だけでベッドの中まで暖まるはずもない。 こんな寒い夜はクレアからもらったあの水晶を暖めて抱えていればすぐに体も温まったのに。 もうただの丸い物体となってしまった水晶を思うと、彼女は再びため息をつかずにいられなかった。 憂鬱なまま彼女は部屋へ戻って、扉を開ける。 灯りはついていたので彼はまだ起きていると思っていたのだが、扉を開けた彼女の視界には彼の姿はない。 うっかり灯りをつけたままに寝てしまったのかと彼女が部屋の中を見回すと。 「…?」 姿の見えなかった彼はベッドの中にいた。しかも何故か彼女に割り当てられたはずのベッドに。 訝りながら彼女が布団をすっぽりとかぶったままの彼に視線をやる。 ベッドの上に置いてあった彼女の荷物は、ご丁寧にベッド下に置かれている。 つまりうっかり間違えてしまったというわけではなさそうで。 彼女は首をかしげながらも、間違えたのだとしてもどうせもう眠ってしまっているだろうし、と彼に声をかけることはせずに本来彼に割り当てられていたベッドへと足を向けたが。 「…おい」 「え?」 てっきりもう寝ていると思っていた彼から声がかかって、彼女は昼頃から無視を決め込んでいたことも忘れて振り向いた。 見ると彼はすっぽりかぶっていたシーツから顔だけ出して彼女を見上げている。 「お前のベッドこっちだろうが」 「…はぁ?」 今まさにそこに横になっておきながら何を言っているんだとばかりに彼女が怪訝そうな声をあげる。 彼は彼女の訝しげな表情を気にせず、もぞもぞとベッドから這い出て。 「よし、寝ろ」 そう一言告げてベッドを降りる。 「は?」 一体何がしたかったんだと不可解そうに眉を顰める彼女に、 「…悪かったな」 すれ違いざまに小さく一言だけ呟いて、彼は何もなかったかのように自分のベッドへと戻っていった。 「………??」 一連の彼の行動に疑問符しか浮かばない彼女がただただ不思議そうな顔をする。 戻ったら言おうかと思っていた文句も、タイミングを逃したまま言えずじまいだった。 まさか調子を狂わせて無視する余裕もなくなったその隙に謝ろうとしてあんな意味不明な事をしたのか、と彼女は考えるが、その疑問に答えるべき人間はもう自分のベッドへ戻ってシーツと毛布をかぶってしまっている。 不思議そうな顔のまま、彼女は灯りを消してベッドへと入った。 いつも風呂上りの温まった体を冷ましてしまうはずの冷たいベッドは、先ほどまで彼がいた名残で温まっていた。 彼女は無言のままにベッドへもぐりこむ。 眠気を吹き飛ばしてしまう冷たさはそこにはなかった。 「………」 もしかして、寒がりである自分に気を遣ってベッドを暖めていてくれたのだろうか。 謝るきっかけが欲しくて、でもただ謝っただけでは自分は納得しないだろうと考えて、わざわざ。 自分だって寒がりの癖に。 長身の彼が先ほどまでいたお陰か、いつもならば氷のように冷たい足先までほかほかと暖かいベッドの中で、彼女がふとそんな事を思った。 やはり無言のまま、彼女は彼へと視線を向ける。 灯りを消した室内は当然真っ暗だったが、夜目の利く彼女は彼のいるベッドの辺りまでぼんやりとだが見えていた。 しばらく彼女はそちらを見ていたが、やがてふ、と息だけで笑って。 「…しょうがないから、許してあげるよ」 ぽつりと呟いた。 返事は返ってこなかったが、小さく鼻を鳴らす音が聞こえた気がした。 彼女はそれに満足したのか、無意識に笑みを浮かべてシーツを毛布と一緒にかぶった。 ベッドに残った彼の体温が、いつもならば寒さで吹き飛んでしまう眠気を誘う。 小さく寝返りをうつと、ふわりと彼の匂いが鼻腔をくすぐった。 ふと、あるだけで安心できた水晶を抱えて暖かさを感じていた時よりも、どうしてだか気分が安らいでいる気がして。 ―――あんなに大切にしてた水晶よりも、ベッドに残るあんたの体温の方が落ち着けるだなんて絶対に言ってやるもんか。 彼女は心の中でだけそう呟いて、何も声に出すことなく瞳を閉じた。 それから何日か経ったある日。 「ようやく専門猟奇懐疑書の執筆に成功したんだ…!」と喜び勇んだフェイトの意向で、オースマンとの契約に再びアーリグリフに訪れた時の事。 泊まった宿屋でやはり彼と同室に押し込められ(アーリグリフの宿屋は大抵混んでいるので一人一部屋が確保できない)た彼女は、早々に入浴を済ませて今度は逆の事をしてやろうと彼のベッドに潜り込んで待っていた。 やがて風呂から上がった彼も部屋に戻ってきて、中途半端に乾かされた髪をぐしゃぐしゃと拭きながら扉を開けた。 「…何してんだお前」 本日自分の寝床となるはずだったベッドに彼女がいるのを見て、彼が怪訝そうに尋ねる。 「あ、お帰り。またちゃんと髪乾かさずに戻ってきたのかい? 風邪ひくじゃないか」 「人の質問に答えろよ」 「あぁ、これ? "お返し"」 首だけシーツの下から出して、子供のように笑いながら彼女が答える。 「ほぉ…」 「言っておくけど明日も早いし今日中にクリエイターと契約したいって雪が降る中強行軍でここまで来たんだから、その気はないからね」 「…ちっ」 先制攻撃でクギを刺した彼女に彼が拗ねたように舌打ちして。 そんな彼を見て彼女が笑った。 「ほら、早く髪乾かしなよ。あんたが寝る準備が出来るまで、私もここから出られないんだから」 「………」 彼は一応タオルで髪をわしゃわしゃやりながら、ふと考える。 この間、謝るついでに寒がりな彼女のベッドに潜り込んで暖めておいた日。 一度暖まった彼女のベッドから出て、冷たい自分のベッドへ戻った彼の体はそれなりに冷えてしまい、いつもよりも寝つきが随分悪かったあの日。 そして、その日の自分と同じ事をしようとしている彼女。 かなりの寒がりで、でもそんな素振りを自分以外に見せようとしない意地っ張りな彼女は、このベッドを暖め終えたらまた寒い外へ這い出て冷え切ったベッドへと入るのだろう。 そこまで考えて、彼は髪を拭く手を止めて無言のままに彼女が潜り込んでいるベッドへと足を向けた。 「ちょっと? 髪まだ乾ききってないだろう」 「あらかた乾いたからいんだよ」 「そうかい。じゃあ…」 私はあっち行くね、と起き上がろうとした彼女を、彼はやはり無言のままにシーツごと押さえつけた。 「は?」 「動くな、そのまま寝てろ」 ぽかんとする彼女にそう一言言って、彼女を押さえつけたままに彼はもぞもぞとシーツの下に潜り込んだ。 「ちょ、ちょっと! 今日はその気ないって…」 慌てて抵抗しようとした彼女を両腕で抱きしめて動きを封印して、彼はぼそりと呟いた。 「いいから聞け」 「何を…、」 「…しょうがねぇから今日は何もしない」 「………」 低く響いた彼の声に、彼女の抵抗が止まった。 「だからお前もここで寝ろ」 彼は動きの止まった彼女を抱きしめる腕を少しだけ緩めて。 「あんな冷たいとこに戻る気か、寒がりは大人しくしとけ」 ぶっきらぼうにそう呟いた。 「…でも、そういう風に言うって事は、あんたもこの間同じ事してくれた時、寒かったんだろう?」 抵抗は止まったが、まだ気の進まないのか彼女が至近距離から彼を見上げておずおずと口を開く。 「…さぁな」 彼は曖昧にそう答えるが、当然それで彼女が納得するはずもなく。 「じゃあ不公平じゃないか、あんただけが寒い思いするなんて」 「俺はお前よりかは寒さに慣れてるから、いいんだよ」 「そうは言ってもあんただって寒がりじゃないか、あんただけが…」 「いいっつってんだろ」 一度は緩められた彼の腕が、また彼女をぎゅうと抱きしめた。 まるで反論を許さないとでも言うように力が込められた彼の腕に、彼女は少しだけ間を置いてから苦笑して。 「…ずるいよ。あんただけが恰好つけたままだなんて」 「何とでも言え。別にんなつもりで言ってんじゃねぇよ」 「…もう」 彼女は苦笑を微笑に変えて、くすりと笑みを漏らした。 目を閉じて、観念したように彼に寄り添う。 彼も彼女を抱きしめていた腕から緩く力を抜いて、でもしっかりと彼女を抱えたままに目を閉じた。 数分も経たずに聞こえてきた彼の寝息を至近距離で聞きながら、彼女がぽつりと呟いた。 「…やっぱり、水晶よりも何よりも、あんた自身の体温が一番落ち着くんだよねぇ…」 すーすーと寝息を立てている彼が見ていたら固まっただろう、幸せそうな穏やかな笑顔を浮かべながらそう呟いて。 彼女もゆっくりと眠りに落ちていった。 |