「…?」 タルトの生地に入れるカスタードを混ぜていたネルは、隣の部屋から聞こえてきた大きな物音に不思議そうな顔をして手を止めた。 「…何だ、今の音」 ネルの傍で白玉粉の入ったボウルに水を混ぜていたアルベルも、同じように不思議そうな顔をして手を止めていた。 「さぁ…。何かが倒れる音に聞こえたけど」 「大方、ガキ共が何か倒したか落としたかしたんだろ」 興味なさ気にアルベルが作業に戻る。ネルも少し気になりながらも、作業に戻ろうと視線を元に戻す。 混ぜていたカスタードに、慎重に砂糖を加え何度か味見をする。 そして何事かを考えた後、スプーンで少しだけカスタードをすくって、 「ねぇ」 「あ? …、んむ」 振り向いたアルベルの口に突っ込む。 「…カスタードクリームか」 ネルがスプーンをひっこめると、アルベルは口の中のクリームを飲み込んでそう呟く。 「うん。甘さ、このくらいでいいと思うかい? 苺のタルト用に作ったカスタードなんだけど」 見上げながら訊いてくるネルに、アルベルはあぁ、と頷いて。 「いいんじゃねぇの、そんくらいで」 「そう。なら、甘さ調節はこのくらいでいいね」 味見に使っていたスプーンを脇に置いて、ネルは安心したようにカスタードをタルト生地に流し込もうとして、 「あれ?」 視界に入った、アルベルの手元を見て目を軽く見張る。 「あ?」 白玉粉と水を慣れた手つきで混ぜ合わせているアルベルが怪訝そうな顔をする。 「あんた、さっきまでフルーツゼリー作ってなかったっけ?」 「作っていたが?」 「何で白玉粉なんて混ぜてるのさ?」 「…冷やす間暇だからな」 アルベルが答えて、ネルが少し驚いてまた目を見張る。 「二品目作る気かい?」 「悪いか?」 「いや、悪くないけど、面倒くさがりやのあんたがわざわざ二品も作るなんて珍しいなと思って」 「…一品目が簡単すぎたからな。手抜きだの楽しただの言われたかねぇし」 「誰もそんな事言わないと思うけど…。あ、確かにあんた、お菓子作りにかけてはパーティで一、二を争う腕だもんね。冷やして固めるだけのフルーツゼリーじゃ手抜きって思われてもしょうがないか」 納得したようにネルが苦笑して、アルベルは小さく鼻を鳴らしてまた作業に戻る。 表情に乏しい反応しか返さないアルベルにすっかり慣れてしまっているので、特に気にせずにネルは作業に戻りつつ、会話を続ける。 「何作るんだい?」 「白玉いちごパフェ」 低い声で告げられた可愛らしいお菓子の名前に、ネルが思わず微苦笑を漏らす。 「…あんたに合ってるのか合ってないのか…。相変わらず判断がつかないよ」 顔にまったく似合わず甘党でさらにお菓子作りが意外に上手い彼は、たまに女の子しか作らない(作れない)ような可愛らしいお菓子を真顔で作ってしまう事があるのだけど。 未だにそのギャップの激しさに慣れないネルはその度に苦笑を漏らしていた。 そんな風に苦笑されるのにももう慣れたのか、アルベルは表情を変えないままに答える。 「ほっとけ。作る側に合おうが合うまいが、味には変化ねぇだろ」 「そうだけど。でもさ、ティータイム用のお菓子を作ってくれって言われたのに和風のお菓子作って大丈夫なのかい?」 「別に悪くはねぇだろ」 ネルの素朴な疑問にも、彼は素っ気無く答えた。 「それはそうだけど。でも白玉苺パフェ? に紅茶って合うのかなって思ってさ」 「………」 「名前にパフェってついてるくらいだから洋風よりのお菓子かもしれないけど、白玉団子って和風だろう? 洋菓子なんてあんたいくらでもレパートリーあるのに、なんでまた和菓子を選んだのさ?」 カスタードを流し入れた生地をオーブンに入れながらネルがそう言うと、アルベルは不機嫌そうに押し黙った。 「…? どうしたんだい」 沈黙したままのアルベルにネルが声をかけると、アルベルはむすっとした表情でぼそりと呟く。 「…和風の菓子も食べたいっつったのはお前だろうが…」 「…え?」 小さな呟きが耳に入って、ネルが驚いて振り向く。 アルベルはやはりむすっとしたまま、そっぽを向いている。 「さっき、女共と茶菓子の作り方載ってる本を大量に持ってきて何作るかって話し合ってた時、嫌いじゃないけど洋菓子ばかりだねっつって残念そうな顔してたのは誰だよ」 ネルに視線を合わせないままにアルベルがそう言って。 ぽかんとしたまま、ネルはぱちくりと何度か瞬いた。 「…私が食べたいって言ったから、作ってくれたのかい?」 「………」 返ってきたのは無言だったけれど。 むすっとしながらもどこか照れくさそうにそっぽを向いているアルベルの態度が、肯定を表している事をよく知っているネルは。 くす、と微笑んで、照れくさそうに笑う。 「…タルトの甘さ調節、頑張って良かった」 ぽつりと、本当に小さな声でネルが呟く。 「あ? 今何つった」 「ううん、なんでもない。…さ、早く作業終わらせようか」 そう言って、楽しそうにタルトに載せるホイップクリームの材料をボウルに入れ始めるネルを見て。 「…あぁ」 ぽつりとそう返事して、アルベルも作業に戻った。 しばらく穏やかな沈黙が流れ、二人とも各自自分の作業を進めていたが。 「…おい」 その沈黙を破ったのは珍しくアルベルの一声だった。 「なんだい?」 オーブンの中のタルトの様子を伺いつつ、ホイップクリームをかき混ぜていたネルが振り向いて訊き返す。 アルベルは答えずに、すっとネルの顔に手を伸ばして、頬にかかった赤毛を指でゆっくりと耳にかけ、 「、…何してるのさ」 ネルの耳たぶをふにふにとつまんだ。 「白玉粉は耳たぶ程度の柔らかさに練らなきゃならんのだとよ」 「ふーん…。なら、自分の耳でやればいいじゃないか?」 「気にするな」 もっともらしいネルの台詞を軽く流して、アルベルは右手でしばらくネルの耳とボウルの中の白玉粉を触り比べて、ふむ、と唸る。 「…水が少ないな」 「…あぁそう」 一旦アルベルの指が離れたので、ネルはまた自分の作業に戻る。 ネルがホイップクリームをかしゃかしゃと混ぜ合わせているとまたアルベルの指が伸びてきて耳をつままれるが、別に邪魔にはならないのでもう気にせずにネルは自分の作業を続けていた。 少し経ってからアルベルの指が離れ、もう調整は終わったのかなとネルが思った一瞬後。 ぱく。 耳たぶに何かが軽く噛み付いてきて、ネルはびたりと硬直した。 体と共に止まった思考をなんとか動かして、ネルはようやく視線をそちらへ向ける。 少し離れた場所にいたアルベルが、いつの間にかすぐ傍まで来てネルの耳を甘噛みしていた。 「………!?」 声にならない声を上げた直後、アルベルの舌が動いてネルはびくんと肩を竦めた。 「ちょっ、な…、何するんだいこの馬鹿!」 「ぐッ!」 何とか硬直をといたネルの蹴りが、思い切りアルベルの脛にヒットした。 同時に真っ赤になったネルが慌ててアルベルから離れ、落とさずに済んだボウルと泡だて器を一旦テーブルの上に置いてから、噛まれた耳を押さえながらアルベルを睨みつけた。 「いきなり何するんだい、このセクハラ男!」 「何って、ただ柔らかさ測っただけじゃねーか」 「さっきまで指で測ってたじゃないか! 何で噛み付く必要があるんだい!」 「舌ってのは人間の体の中で二番目に感度が良い場所らしいから測りやすいと思ったんだよ」 「だ、だからって、」 依然として真っ赤のままに睨みつけてくるネルに、アルベルは不機嫌そうに言い返す。 「ったく、急に蹴ってきやがるから感触忘れたじゃねぇか、もう一回測らせろ」 「は? もう一回って―――」 ネルが台詞を言い終える前に、肩を掴まれてまた耳に熱いものが触れて、 「―――いい加減にしなこの馬鹿ッ!!!」 今度こそ容赦無しのネルの拳が綺麗に鳩尾にめり込んで、アルベルがやっぱり天国を見るのは数秒後。 ―――さぁ 始めましょう 青い青い空と穏やかに輝く太陽の下で 華やかな声が飛び交う楽しいティータイム 晴天快晴に加えて涼しい風と優雅な木漏れ日 可愛らしいティーセット お洒落なテーブルとチェア 皆で作った美味しいお菓子と丁寧に淹れたお茶も揃って 楽しい楽しいティータイムの始まりよ 時間に急きたてられる忙しい毎日の事なんて 今日くらい忘れて穏やかな時間を過ごしましょう 大切な仲間と笑い合って さぁ素敵なティータイムを楽しみましょう 「―――もー、フェイトってば。いっつも私をからかってくるんですよ、ひどいですよね」 「まだいいじゃないの、クリフみたいにオーブン爆破したりはしないんだし」 「…そうですね、まったくあの人は不器用な事を省みず勘で動くから困り者です」 「ほんとほんと、お陰でせっかくのマフィンもダメになっちゃったしっ」 「いや、天然でセクハラしてくる馬鹿よりはずっとマシだと思うよ」 工房の隣、小さいながらも丁寧に手入れされている庭の中。 真っ白なテーブルクロスのかけられたお洒落なティーテーブルを囲んで、女性陣が愚痴りながらも楽しそうに談笑していた。 テーブルの上には各自で作ったお菓子が良い匂いを漂わせている。 空はどこまでも青く、風は降り注ぐ太陽の光とうまく調和して心地よい気温を保っていた。 もしも天国があるとするならば きっとこんな感じなのでしょうねと考えてしまうような こんなに素敵な日くらい 穏やかに時を過ごしましょう だって空がこんなに青いのよ 太陽の光がはこんなに心地よくて 吹き抜ける風はこんなに穏やかで あぁ、なんて素敵な昼下がり! 「…どこがステキな昼下がりだよ…僕素で天国見たよ…」 「同じく…」 「同感じゃんよ…」 「………」 工房の中、度の過ぎたからかいのお仕置きやらオーブン爆破の後始末やら不可思議マフィンでばたんきゅー状態やらセクハラの罰やらでティータイム出席不可を言い渡された(or余儀なくされた)男共の呟きは、優雅にティータイムを楽しんでいる女性陣にはもちろん届いていなかった。 |