「ごめんね、待った?」
「ううん、今来たところよ」
嘘つけ、15分くらい前からそこにいたくせに、と、僕は他人が繰り広げる目の前の在り来たりだけどよくあるやりとりに心の中で突っ込みを入れた。



098:待ち合わせ5分前



内心突っ込んだものの、こういう害のない優しい嘘は人間社会において必要不可欠であると思う。人間のつく嘘がこういうかわいらしいものばかりだったらこの世は平和になるんだろうなぁと偉そうな事を考えながら、目の前のすっかりぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。
「そっか。でも良かった、間に合って」
「ふふ、さすがよね。待ち合わせ時間ぴったりだったわよ」
至って穏やかに続けられる目の前のやりとりを眺めている僕も、実は15分どころか20分前くらいから恋人との待ち合わせ場所の目と鼻の先であるこの喫茶店にいるのだから、人の事をとやかく言えた義理ではないのだが。
いつもならどれだけ早くてもせいぜい10分前に待ち合わせ場所に着く僕が珍しく20分も前から───今まだ待ち合わせ時間になっていないのだから、待ち合わせ時間からと考えれば40分も前に約束の場所に来ている理由は、妙に早く起きてしまったから、というなんとも面白みもないものなのだけれど。
それにいつもわざわざ待ち合わせてデート気分を盛り上げたがる可愛い幼馴染、兼恋人は大抵いつも僕より先に待ち合わせ場所に来ているから、たまには一番乗りの気分を味わってみたかった、という子供じみた考えも少しあった。
だからと言ってさすがに少し早く着きすぎてしまった僕は、観葉植物を挟んだ隣の席に座っていたいかにも待ち合わせ中ですと言った雰囲気をかもしだしていたそこそこ美人な女性を失礼にならない程度に観察して暇をつぶしていたわけだ。
明らかに髪型やら服装やら化粧やらに気合を入れたであろうその女性は、前の席に座って適当な飲み物を注文してからずっとそわそわと落ち着きのない様子だった。時計を見たり、携帯を覗き込んだり、喫茶店と外を隔てるガラス越しに雑踏を眺めて恐らく待ち合わせの相手を探してみたり。
時間が経つにつれて服の襟や裾がおかしくないか気にしてみたり、髪を撫で付けて整えたりと、その女性のそわそわっぷりは別に観察するつもりがなくとも自然に目に付いた。いや、実際に軽く観察はしてたけどさ。
そして今、待ち合わせの相手と共に笑顔で喫茶店から出て行った女性を横目に見ながら、ソフィアは僕を待ってる時どんな感じなんだろうな、とふと思いつく。ついでに、ソフィアは僕が待ち合わせ時間ぴったりに来たらどういう反応を返すのだろう、とも。
大抵待ち合わせの時は時間に遅れてはいないけれど僕が後に着くから、ソフィアが僕を待っているところは何度か目にしている。が、僕に気づいて駆け寄ってきて、二言三言会話を交わしたらすぐ買い物やら映画やらアミューズメントパークやらへ向かうので今の女性のように待ち合わせ前をどんな風に過ごしているか、だなんて事は見た事もないからわからない。
せっかく早く待ち合わせ場所についたのだから、たまにはソフィアが僕を待っているところを時間ぎりぎりまでこっそり観察するのも面白いかもしれない、と小さな悪戯心を起こしてみることにした。ちょうど良いことにソフィアとの待ち合わせ場所である噴水広場と通りを挟んだ向かい側にあるこの喫茶店からなら、噴水広場前がよく見える。まぁ逆にあちらに気が付かれる可能性もあるがその時はその時だ。
携帯を取り出して時刻を確認すると、待ち合わせ時間の16分前。さすがにまだ来ていないな、と窓の外に目をやる。
数分後、見覚えのありすぎる茶髪が心持早足に噴水広場前にやってきた。きょろきょろと辺りを見回し、僕の姿がないことを少しだけ残念そうにしている姿に思わず立ち上がりかけたが、思いとどまって心の中でソフィアごめん、と謝る。だって滅多にない機会だし。
僕の姿が見えない事を確認したらしいソフィアは、まず噴水広場の時計を見て、それから携帯を取り出した。数秒眺めてからまた鞄に戻すのかと思いきや、ワンピースのポケットにしまっていた。あぁそうか、もしかしたら僕から遅れるとかもうすぐ着くとかのメールがあるかもしれないし、すぐ気づけるようにしてるのか。
噴水の端にあるベンチに服が汚れないかを確認してから座ったソフィアは、薄手のピンク色のストールに白のワンピース…えーと、ソフィアはニットワンピースって言ってたっけ? とにかく膝上のワンピースにブーツ姿だった。着ているニットと同じ色の、あ、あれ見たことないからこないだ買ったって言ってたやつだろう、ぼんぼん付きニット帽が良く似合っている。恋人であるというひいき目を除いても、ファッション誌が街角スナップとして載せても差し支えない可愛らしさだった。やばいほんとに可愛い。
そういえば女の子がデートの身支度にかける時間はかまって欲しいっていう気持ちに比例するって昔の偉人が言ってた気がするけど、ソフィアもそんな事を考えながら今日着る服を選んできたんだろうか。
ガラス越しに視線を送りながらそんな事を考えている僕にまったく気づいた様子もないソフィアは、ちらりとまた噴水広場に経っている時計を見た。これで三回目。
つられるように僕も携帯のディスプレイを見ると、ソフィアが来てから5分、つまり待ち合わせ時間まであと9分となっていた。
観察時間はあと10分弱か、と思いながらすっかり冷めたコーヒーを飲み干す。追加は頼まずにおいた。
ベンチに座ったままのソフィアは、よく手持ち無沙汰になった時の癖である髪をくるくるといじる動作を見せた後、思いついたように荷物から小さな鏡を取り出して手櫛で髪を整えていた。さっきの女性と同じ事するんだなぁと小さく感動する。もちろんそわそわしている姿は先ほどの女性よりソフィアの方が何倍も可愛らしいけど。
僕が時間ぴったりに現れたら、ソフィアは何と言うだろうか。今までの事から考えると、
「今日も私の方が早かったね」
「フェイトが時間ぎりぎりに来るなんて珍しいね、寝坊でもした?」
あたりかな。
付き合いたての初々しい状態をとうに通り越してしまっている僕らは、恐らく先程のカップルのようにベタなやりとりはしない、というかできないだろう。喜ぶべきか悲しむべきかはわからないけど。
少し前まで雑踏をゆっくり見回していたソフィアが再び時計を見たのを眺めながらぼんやりと五回目、とカウントを増やした。別に何かの統計取ってるわけでもなくて三回目まで数えたらなんとなく続けたくなっただけなんだけど。
しかし、傍目から見て明らかにわかる程ではないけれど、やっぱりソフィアもそれなりにそわそわしていた。よく待ち合わせの時に本を持ってきてのんびり読んでいたり携帯で天気予報やニュースを見ていたりする人を見るけど、ソフィアはそのどちらでもなくただ時計と携帯を交互に見たり、服や髪を気にしたりしていた。
待ち合わせをしているのだから時間を気にする気持ちはわかるけど、そんなに時計眺めても時の進む速さは変わらないぞー、と夢のないことを心の中で思いつつ、僕も携帯で時刻を確認した。正直僕を待ってそわそわしているソフィアを見ていたら、僕の小さな悪戯心から時間ぎりぎりまで待たせてしまっていることに少なからず罪悪感を覚え始めていたところだったが、ディスプレイに表示されている時刻は待ち合わせ時間まであと6分を指していた。
携帯をしまってまたソフィアに視線を戻す。ちょうどソフィアも時刻確認をしているようで携帯を眺めていた。
すぐにまたポケットへとしまうのかと思いきや、ソフィアはしばらく経っても携帯を持ったままじっとディスプレイを見つめていた。ボタンを操作している様子もないのでただ待ち受け画面、恐らく時計を見ているのだろう。
六回目の確認はやけに長いな、そんな眺めるほど待ち合わせ時間が待ち遠しいのか、と考えて、ふとソフィアが待ち遠しく思っているのは待ち合わせの時刻でなくここにいる僕自身だった、と今更ながらに気づいた。
当然の事なのに今の今までまったく考えつかなかった自分を馬鹿だなぁと笑うよりも先に、今まで観察していたソフィアの行動やそれについて分析していた自分自身が考えていた事が頭の中でフラッシュバックする。



ソフィアは何であんな気合いれてお洒落して来たんだ、僕に見てもらって可愛いって言ってもらいたかったんじゃないのか?
あんなにばっちり身支度してきていて、さらに髪や服を気にして整えていたのだって同じだろう?
何度も時計を見ていた、それは僕が来るのを今か今かと待っていたんじゃないのか?
時折雑踏を眺めていたじゃないか、それだって僕をいち早く見つける為だったんだろう?



そこまで考えてから、うわぁ僕愛されてんじゃん、と口元を抑えて軽く俯いた。
直後に結果的にソフィアを待たせてしまっている事を思い出し、罪悪感がじわじわこみ上げてくる。
あれだけそわそわしながら自分を待っていてくれた愛すべき恋人をこれ以上待たせないように、持っていた携帯をジャケットのポケットにねじ込んで立ち上がった。
小さな悪戯心を起こした自分を心の中で叱咤しながら会計を済ませる。もう観察だのどんな反応を返されるかだのを気にしていた仕様もない好奇心はどこかへ消えうせてしまっていた。



待ち合わせ場所に現れた僕にかけられる台詞が何だって構わないから、ソフィアに会ったらまず待たせた事を謝ろう。
ちっぽけな好奇心から起こした悪戯も、観察していた間どんな事を思っていたかも白状してしまおう。
待ってくれていた間の彼女がどれだけ可愛らしかったかと、自分が来るのをこんなに楽しみに待っていてくれていて嬉しいと思った事がめいいっぱい伝わるように。