ブレアからの連絡待ちで、することがなくなってしまった故に生まれた休日に。
たまにしかない休日を、彼と彼女は宿屋で宛がわれた部屋で二人でのんびり過ごしていた。
短剣や刀等の武器だけを手元に置いてはいるが、装備を外していつもに比べれば軽装な格好で二人でのんびりしている、珍しい時。
ソファに腰掛ている彼女が、ぽつりと彼に問いかけた。



「ねぇ、アーリグリフってさ、主君に忠誠を誓う時や、主君の祝福を祈る時に何か特別にすること、とかあるかい?」





100:君じゃなきゃ





彼と出会ってから、彼と仲間になってから、そして彼と恋人と呼べる関係になってから。
彼女は彼の国の事を、暇な時間によく調べるようになった。
歴史や風土や慣習や、まだ知らない事はもちろん既に知っている事も。
それでもわからなかったことや、文献だけでは把握しきれない事は、彼自身に尋ねたり。
そうやって彼の国に歩み寄ろうとささやかな努力をしている彼女に、彼は顔には出さないが嬉しく思いつつ質問に答えてやるのが常だった。
そして今日も、彼の国についての彼女の質問が投げかけられ。
「別に、特別な事なんかしねぇよ。アルゼイは特に堅苦しい事が好きじゃねぇから余計にな」
ベッドに腰掛けている彼はいつも通り、自分の知る範囲の答えを返す。
「本当に? 何にも?」
「ねぇな。…強いて言うなら、膝を付いて頭を垂れるとか、恭しく頭下げるとか、そのくらいだろ。昔貴族がのさばってた頃は、もっと色々あったけどな」
「ふぅん…」
彼のぶっきらぼうな答えに、彼女はとりあえず納得したようで。
「割と簡素なんだね」
「シーハーツも変わらんだろうが」
「まぁ、そうだけど」
「何でまた急にそんなこと訊いてきたんだよ? そのくらいなら、お前も知識として知ってんじゃねぇのか」
「あぁ、ちょっとね」
そう呟いた彼女は、この唐突な質問をしようとした経緯を話し始めた。



「さっきね、宿屋に来る前に陛下に謁見しに行ったんだ」
「…相変わらず律儀な奴だな」
「何言ってんだい、ずっと仕事を投げ出してるんだから当然だろう? …本当なら今日ここでのんびりしてる時間だってないのに」
愚痴るようにぼやく彼女に、は、と彼が笑う。
「お前な。どうせ長旅で疲れてるだろうからゆっくり休めってあの女…クレア・ラーズバードに城から追い出された事もう忘れたのか?」
「…覚えてるよ」
苦々しく彼女が呟く。
「なら言われた通り、仕事の事なんざ忘れることだな」
「…。まぁ、とりあえずは…ね」
渋りながらも彼女が頷いて。
「…それで、本題に戻るんだけど。その後何気なく白磁の庭園に行ったら、フェイトとソフィアがいてさ。声をかけようかと思ったら、急にフェイトがソフィアに跪いてね」
「…あいつならやりかねねぇな」
微妙な表情をして答える彼に、彼女が苦笑して。
「…それで、とりあえずその場は退散して、後から、あれもチキュウの風習か何かなのかって訊いたんだ。そしたら、昔のチキュウで主君や姫君とかにする忠誠の誓いみたいなものなんだって教えてくれてね」
「…ほぉ。地球もこっちとさほど変わりねぇんだな」
彼が素直に感想を述べると、彼女がうん、と首を縦に振って続ける。
「そうみたいだね。で、そこでソフィアがなんていうか、勢いに乗ったみたいに目をキラキラさせていろいろなこと教えてくれてね」
苦笑する彼女は、夢見るオトメモードに入った茶髪の少女の話を、律儀にきちんと聞いていたようだ。
目を輝かせながら嬉々として語る茶髪の少女と、その話を苦笑を交えつつちゃんと聞いている彼女の姿が目に浮かぶようで。
彼は思わずふ、と笑う。
「なるほどな。それで、地球の風習を聞いて、アーリグリフにも似たようなものがあるかどうか気になった、と」
「うん。…でもやっぱり、アーリグリフもシーハーツとさほど変わりないみたいで、良かったよ」
嬉しそうに彼女が微笑んで。
「…。…そうだな」
ちょっとした不意打ちの笑顔に彼が一瞬固まり、そして僅かに目をそらした。



「でも、昔のチキュウの風習? はやっぱりここやあんたの国とも一風違っててさ。聞いててなかなか楽しかったよ。ソフィアの性格のお陰か、何故かキスするっていう風習の話ばかりだったけどね」
苦笑しながら呟く彼女に、彼が逸らした視線を僅かに戻しながら問い返す。
「ほぉ?例えば」
「地域や時代によって違いはあるらしいけど、フェイトがやってたのみたいに跪いて手の甲にキス、とか、頬にキスするのが挨拶になってる国もあるんだって。それぞれ意味があって、祝福を祈ったり、忠誠を誓ったり、愛情表現だったり、色々あるらしいよ。中でも驚いたのは、大切な祖国の大地にキスとか、忠誠を誓う相手の膝とか手とかの体の一部にキスする、とか。今はもうなくなった風習らしいけど、昔のチキュウの人たちは変わってたんだねぇ」
「…まったくだな。絶対んな場所に生まれたかねぇ」
「あはは、そうだよね。あんたがそんなことしてるの想像つかないよ」
そう言ってくすくす笑う彼女から見えない位置で彼がにやり、と笑い。
「…想像つかねぇんだったら目の前で実践してやろうか?」
彼女の向かいにいた彼は、すっと静かに立ち上がって。
「はっ? 何言って…」
怪訝そうに声をあげる彼女の目の前、彼女が座っているソファのすぐ傍に膝を付いて、



「なっ…」
―――彼女の膝裏を掴んで軽く持ち上げて、膝頭に唇を落とす。



「…何してるのさ、ちょっと」
頬を染めながら彼女が呟いて、彼は唇を僅かに離して口を開く。
「実践してやるっつったろ?」
くくく、と悪戯っ子のように笑う彼は、彼女の膝裏を持ち上げている右手はそのままに左手をソファの端につく。
そのまま軽く身を乗り出して彼女の太腿の方へ唇を滑らせると、彼女の足がぴくりと小さく跳ねる。
「…っ、ちょ、っと!」
慌てて彼女が彼に手を伸ばして頭を押さえようとするが、伸ばした手を逆に彼に掴まれる。
彼は彼女の手首を引き寄せて、顔を上げて次は指先に唇を落とす。
「っ…」
彼女の手が一瞬竦むが、彼はまったく気にせずに、次は手の甲に、その次は手のひらに。
ゆっくりと唇を落として触れさせていく。
「あ、あんた、私が手弱いの知っててからかってるんだろう!」
やはり頬が赤いままの彼女がようやくそれだけ言うと、彼は平然とした顔のままで答える。
「なら手じゃなきゃいいんだな」
「そんなこと言ってな…ぃ、」
彼女の抗議の声は、もう一度指先に落とされた彼の唇の感触に驚いて喉に引っ込む。
彼はソファに片膝を乗せて次は彼女の、装備を脱いで楽な格好をしている故にむき出しになっている細い肩に唇を落とす。
そのまままた唇を滑らせて、首元に、鎖骨に。
ゆっくりと唇を落としていく。
「ふっ…」
その感触がくすぐったくて体を竦ませた彼女の反応に気を良くしたのか、くく、と笑いながら彼がさらに唇を下にずらして、
「ちょ、っと!」
胸元の、服に覆われていない肌が見える位置ギリギリまで唇を滑らせた時、彼女がさすがに制止の声をあげた。
彼は気にした風もなく、また唇を滑らせる。今度は、上へ。
また鎖骨に、首筋に、うなじに。
順番にゆっくりと口付けを落とす。
「ねぇ、ちょっと、くすぐったいってば」
「そうか」
「そうかって…」
会話になっていない短い会話を少しだけ交わして。
いつの間にかソファの上、彼女のすぐ隣を陣取って、彼は一旦顔を上げてから、また彼女の肌に唇を滑らせる。
背中に回した腕で彼女の体を引き寄せながら、次は髪に、耳元に、頬に、
「…っ」
彼の顔が近づいた事で反射的に閉じられた瞼の上に、そしてこめかみに、額に。
そして最後に、
「んっ…」
唇に。
ゆっくりと重ねられたそれは、他の場所とは違ってしばらく離れなかった。





しばらくして、彼がようやく彼女から離れると。
彼女は顔をかなり赤く染めたまま、彼を睨んでいた。
彼が面白げに、なんだよ、と視線で問いかけると、彼女は頬を染めたままに彼を睨みつけて口を開く。
「…こ、の、変態っ」
赤いままの顔で言われてもまったく覇気はなかったが、それでも言われた内容に彼がむ、と反応する。
「あぁ? どこがだよ」
「今あんたがした行動、全部がだよっ!」
「どこが変態だ、キスしただけだろうが」
「十分変態行為じゃないか!」
「せっかく我慢してやったのにその言い草はねぇだろうが」
「は? どこが我慢してたっていうのさ!好き勝手しておいて!」
「吸わなかったし跡つけなかったし舐めなかったし、何より服で隠れてる部分にはしなかったじゃねーか」
「あ、当たり前だろうこの馬鹿っ! そもそも服で隠れてない部分にだってしなくていいんだよ!」
「実践してやるって言っただろうが」
「しなくていいよ恥ずかしい奴だねあんたは!」
相変わらず赤い顔のままに彼女が言って、彼が不機嫌そうに言い返す。
「したかったんだよ悪いか」
「はぁ? 昔のチキュウの風習とやらの真似事をかい?」
「…そうなるな」
「そんな事言って、ただ私の反応を見て楽しんでただけじゃないか。からかってるだけだろう?」
「からかってねぇっての」
「じゃあ何さ、まさかチキュウの風習よろしく私に忠誠でも誓ってたのかい?」
「違ぇよ、他にも意味あんだろが」
「は?」
「"愛情表現"」
ぎゃいぎゃいとじゃれ合うような言い合いは、彼のその言葉でぴたりと止まった。
「は…」
「何だよ、お前が言ったことだろうが、もう忘れたのか?」
あっけらかんとした表情で彼が言って。
また彼女の頬が赤く染まる。
「な、何言って…」
彼女がまた顔に血液を大集合させた状態で、ようやくそれだけ言った。
彼はやはり平然とした顔で、くくく、と笑いながら口を開く。
「…お前、かなり面白い事になってんぞ」
「な、なにが」
「耳まで赤い」
「………! だ、だってあんたが急にあんな事するから」
「あんな事?」
「だ、だから、あんたがそんな事するなんて思いもしなかったし…」
「…俺だって自分がこんな事するなんて思いもしなかったよ」
「は? じゃあなんで…」
「お前だからな」



「…え、」
「お前じゃなきゃ、こんな事しない」



「お前だからしたんだ」





「………」
「顔赤いぞ」
「…わ、わかってるよ…!」
彼女は文字通り真っ赤になって、顔どころか耳や首元まで真っ赤にして。
「なんであんたはそういつもいつもとんでもないことさらりと言うんだいまったくもうこっちの心臓がもたないよ…」
悔しそうにもごもごと小さく口の中だけでつぶやく。
「あー? 聞こえねぇな」
それを楽しそうに眺めながら彼がまた笑い、彼女は赤い顔のまま彼を睨みつけて、とりあえず話題を変えようと口を開く。
「あ、愛情表現とか言うけどさ、体中にしなくてもいいだろう!」
「…そうか?」
「そうだよ!」
言い放たれて、彼は一瞬何かを考えた後。
にやりと笑って、口を開く。
「…その分伝わっただろ?」
「は?」
「"愛情"」
「〜〜〜っ」
その彼の台詞に、また彼女の顔が真っ赤になって。
また彼が笑った。



「なんだよ、不満か?」
「ふ、不満なわけじゃ…一応…ないけど…」
「なんだそりゃ。…あぁそうか、まだ足りなかったか?」
「は!?」
「そうかそうか、なら今度は服の下の、さっきしなかったところにもしてやるよ」
「なっ、し、しなくていいったら! あんたちょっといいかげん、に…ぅあっ」



真っ赤になってじたばたしている彼女を見下ろしながら、彼は思う。



言葉には出さないけれど。
自分が彼女のすべてを大切だと愛しいと思っていることは、事実だから。
そう、言葉に出すのは、たやすいけれど。
声に乗せてそう伝えても、薄っぺらく感じてしまうだろうから。



「ちょっ、と、も、やめなったら…!」
「別にいいじゃねぇか。お前も大して悪く思ってねぇだろ?」
「なっ…なんで」
「抵抗が弱い」
「………」
「台詞の語気が弱い」
「………」
「一度も"嫌だ"っつぅ台詞は言っていない」
「………」
「いいかげんに降参したらどうだ?」
「…もう」



呆れたようにため息をついて、彼女が体から力を抜く。
しょうがないねぇと言わんばかりに苦笑している彼女を見下ろしながら、彼がまた楽しそうに唇を落とす。





―――彼女のすべてを大切だと愛しいと思っていることは、紛れもない、事実だから。



彼女を彩り形づくる、全てのものに。
惜しみない愛情と、祝福を。