どうしてだろう。 たった一言言うだけなのに。 言えないのはどうしてだろう。 そんな事を心の中で考えながら。 とりあえず自分の状況を再確認する。 私は今ベッドに座っていて。 壁にもたれていたら背中が痛くなってきたから、枕をひっぱってクッション代わりに引いていて。 ベッドの横の小さな机に、しおりの挟まれた本を見つけて。 あぁそういえば読む途中だったな、と手に取った。 ここまでは、ごく普通の日常。 いつもと違うのは。 視線を下にやる。 金色と黒の、多分エリクール中探しても他にはいないような珍しい色彩の、少し固めの髪。 そしてその下に隠れている、間の抜けた寝顔。 間抜けな寝顔は見事に私の腿の上にあって。 規則的に呼吸を続けている。 もちろんその寝顔は間抜けであろうがなかろうが、本を読むためには邪魔以外の何者でもなくて。 だったら蹴飛ばすなりどかすなり起こすなり、行動を起こそうと思っているのだけど。 …どうしてだろう。 "邪魔だよ"と怒鳴って、跳ね除けてしまえばいいのに。 言えないのはどうしてなんだろう。 邪魔だよ。 なんでこんな状況になったのかと言うと。 本でも読もうとベッドに座った時、真昼間だと言うのにとろんとした目をしたあいつが来て。 あぁそういえば昨日男共は飲みに行っていたから眠いんだろうな、と推測する。 「どうかしたかい?」 声をかけたら、ぬぼーっとした顔を向けられる。 紅い瞳が閉じられたかと思ったら、そのままその馬鹿は床にばたんと倒れた。 「は!?」 慌ててベッドから降りてその馬鹿の近くに駆け寄る。 まるで毒でも盛られたかのような倒れ方だったが、その馬鹿は間抜けな顔ですーすー寝ていた。 思い切り倒れたのに痛がりもせず眠りこけている彼を見下ろしながら、こいつの痛覚はどうなっているんだとため息をつく。 「…こんなとこで寝るんじゃないよ」 「…嫌だ」 小さな、寝ぼけ半分のせいで舌っ足らずな声が聞こえる。 あぁ手遅れだ、今のこいつはもう自力で移動することすら億劫に違いない。 今までの経験上からそう思って、しょうがなくベッドに引き上げることにした。 片手を掴んでずるずる床を移動する。 引きずる過程でテーブルにあいつの足がぶつかったのは気にしないことにする。 だってどうせぶつかっても引きずっても起きないし。 なんとかベッドまで引っ張ってきて、一息つく。 細身だがそれでもやはり長身の彼だから、それなりに重い。 ずるずる引っ張り、やっとで上半身をベッドに載せることに成功。 「よっ、と」 ここまでくれば後は楽なもので、同じくらいの力で引っ張ったら簡単にベッドの上に引き上げることができた。 が。 「…まくら…ふとん……」 先ほどまで何も反応のなかった彼から、何やら聞こえてきた。 「はいはい、しょうがないからしばらく提供してやるよ」 シーツを引っ張って彼の体に羽織らせてやり、背中の後ろの枕を取ろうと思ったら。 「んぅ」 唸るような小さい声が聞こえて。彼の手がもぞもぞ動いた。 何かを探すように何もない所をもぞもぞやっている彼の手は、枕を捜し求めているようで。 苦笑して、背中の枕を引き抜いて渡してやろうとした。 なのに。 ぽむ。 もぞもぞやっていた彼の手が偶然(かどうか怪しいが)私の足に触れた。 特に気にせずにいたのだが、何を思ったか彼はそのままずるずるベッドの上を這うように移動して。 「ぅわ!」 私の腿に頭を乗せて何もなかったかのようにくーすか眠りだした。 さらに腿を抱え込むように抱きしめられて、身動きも取れなくなる。 そして冒頭に繋がるわけなんだけど。 隠密になってから、よく自分の感情を押し殺す性格だと言われるようになった。 昔は幼馴染の銀髪の彼女に、ちょっと前は青髪の彼に、金髪の彼に、そして今は金と黒のみょうちくりんな髪のあいつに。 銀髪の彼女には、 「もっと自分の事も考えなさいよ?」 とたしなめられる事が多かった。 青髪の少年には、 「自分を犠牲にするのが、この国の正義なんですか!?」 と、叱られた事があった。 金髪の青年には、 「そういう生き方もあるって事は知ってるつもりだったが、お前は特にそうだな」 とどこか達観した目で言われた事があった。 そして妙な髪のあいつには、 「…俺に対しては遠慮や配慮のカケラもなくどつく癖に、どうしてお前は肝心なところで自分の感情を押し殺す?」 と真っ直ぐな目で訊かれた事もあった。 そういえばあいつに会ってから自分の本性というか、地の性格に大分戻ったように思っていたけど。 まだまだ、隠密になってから無理やりに変えた性格は、完全には戻っていないようだ。 …いやいや、今はそんな事どうでもいい。 とどのつまり自問自答したいのは、私がたった今置かれている状況について。 地の、言いたい事は普通にはっきりと言って、自分の感情をさらけ出す性格に、少しは戻ったと思っていたのに。 どうしてだろう。 やっぱり、言えない。 というかこの体勢って、…俗に言う、ひざまくらってやつですか? 考えたとたんに気恥ずかしくなって。 とりあえずどかす前に起こそうと思って、肩を掴んで揺さぶった。 「ちょっと、起きなよ」 「………」 「私の膝は枕じゃないんだよ」 「…ん―――――」 「枕が欲しいんなら貸してやるから」 「………」 沈黙。 「…寝やがったね」 一度寝たら星の船の襲撃が来ても起きないこいつを起こすのは至難の業だ。 さっきは寝ぼけ半分だったから、なんとか会話になっていたけど。 しょうがないから、…"こいつが起きないから"しょうがなく枕を提供してやることにする。 何故か自分自身に言い訳をしていて、気づいて顔が赤くなった。 読んでいた本にしおり代わりの紐をはさんで、ベッドのサイドボードに置く。 どうせ枕代わりにされるのなら仕返しに観察してやろう、とすぅすぅ寝息を立てている彼を見下ろした。 左側を横にして眠っている彼の顔は髪に隠れてあまり見えなかった。 ぼさぼさで、手入れなんてろくにしていないくせに痛んでいない金色と黒の入り混じった髪を、手櫛で梳くように触る。 さらさらと音を立てて指の間から髪がすり抜ける。やはり痛んだ感触はない。 硬い髪質の筈なのに手触りが妙によいその髪をしばらくいじっていたが、不快に思ったのか突然彼がもぞもぞと動いた。 起きたか、と一瞬思うが、いやこんなことでこいつが起きるわけない絶対に、と一瞬で思い直す。 その後、やはり彼は少し蠢いた後また大人しくなって安らかな寝息をたて始めた。 私の腿を抱きしめている腕以外の、力の抜かれた細く長い手足がシーツの上に伸びている。 無防備な寝顔がよく見えて、苦笑をひとつもらす。 「…気の抜けた顔して…」 普段の、他人を撥ね付けるような刺々しい雰囲気からは想像もつかないほど。 今の彼は無防備で。 それ故か、妙に幼く見える寝顔が、幼い少年のようにすら思える。 いつもこうだったら歪のアルベルなどという通り名をつけられることもなかっただろうに。 ふとそう思うが、こいつ自身が他人との関わりを避けていたのだから、無理な話だったのだろう。 実際。"大人"になってから初めて会った時のこいつは、野獣か猛獣のような奴だった。 他人を見下して跳ね除けて接触を断とうとしている。 仲間になってからも、最初はどうしてもそんな印象を拭えず打ち解けることができなかったのをよく憶えている。 そんな彼が今ここにいて私の膝を枕代わりにして無防備に眠りこけているなんて、一体誰が想像できただろう。 こいつも変わったものだ。 そう思って、少し嬉しくなった。 …どうしてだろう、と自問自答するも、納得のいく答えは自分では出せない。 そういえば。 こいつが仲間になってしばらくは、居眠りしている彼を起こそうとしたフェイトは、起きるなり喉に刀をつきつけられた、と言っていたような。 あの頃の彼は、きっとまだ私達を信用してはいなかったんだろう。 でも、今は――― 今は…。 そっと、眠っている彼を見下ろす。 無防備に眠っている顔がそこにある。 あの頃見ていた、眠っている時ですら警戒を怠っていない張り詰めた表情とは、まったく違う安らかな表情。 猛獣と言うよりは、お腹がいっぱいになって満足そうに眠っている猫のような。 そんな、緩んだ顔。 きっと。 今の彼はあの頃の、触れたら誰彼かまわず振り払い傷つけるような、警戒心のカタマリのような彼ではないのだろう。 本当につくづく、変わったものだと思う。 前、その事をパーティの皆の前で話題にしたことがあった。 返ってきた反応は。 「えーそんなに変わりましたかあいつ?」 「鈍いなぁフェイト、きっとネルさんだからだよ」 「そうよね、ネルが相手だからそれだけ無防備になってるのよ」 「まぁ、最初の頃に比べりゃ、こいつも丸くなったのは認めるがな」 「きっとネルさん相手だと気の緩み具合が違うんでしょうね」 …思い出して自分で気恥ずかしくなったので、そこで思い出すのを止めた。 でもまぁとりあえず。 彼のこの無防備な表情を見れるのは自分だけかもしれないと思うと、無性に嬉しくなる。 我知らず表情が緩んで、笑いがこぼれた。 まるで、誰にも懐かない凶暴な獣が自分にだけ懐いてくれたような。 自分だけ特別であると思えるような。 そう思うと胸の辺りがくすぐったくなった。 枕と勘違いされているのだろうけど大事そうに腿を抱きしめられていて、何故か嬉しかった。 無意識のうちに、くすくすと微笑を漏らしながら。 彼の髪をわしゃわしゃとかき混ぜるように撫でる。 元からぼさぼさのその髪がさらにぐしゃぐしゃになって。 その感覚が、眠っている彼にも伝わったのか、また彼がもぞもぞ動き始める。 彼はしばらくもぞもぞ動いた後、ごろんと体を九十度回転させて寝返りを打った。 眠っている彼の端整な顔が、見下ろす私の真正面に来る。 相変わらず無防備な彼の頭が、やっぱり私の膝の上にあって動かない。 …こいつが起きる頃には、足が痺れて動けなくなる事は必至だ。 うまく足に力が入らなくて立てなくなるのは目に見えていたけど。 それでもこいつを跳ね除ける選択肢が浮かんでこない。 まぁ、よく私もこいつの腕を枕代わりにして痺れさせているのだから、お相子かもしれない。 もう。 邪魔だと思う気持ちはどこかに消えうせていた。 むしろ、ずっとこのままでいたいとすら思っている自分を再確認して、苦笑した。 きっと自分にだけ。 こんな無防備な顔を見せてくれるような彼が。 気を許してくれる彼が。 …とても、 愛しくて。 すぐに下にある彼に、ゆっくりと自分の顔を近づける。 至近距離に迫った彼の顔は相変わらず無防備で。 それが嬉しくてくすくすと笑う。 彼の頭の後ろに、ゆっくりと手を差し入れて。 軽く持ち上げながら、自分の顔を近づける。 一瞬だけ。 彼の唇を掠めるように口付けて。 すぐに顔を離した。 すっかりくつろいだ様子の彼を起こしてしまうのは忍びない。 だから、触れるだけ。 さて、こいつが起きるまでどう時間をつぶそうか。 いっそ顔に落書きでもしてやろうか。 でも動けなくて筆や墨を取りにいけないから無理だ、残念。 枕代わりに足を提供してやったお返しはどう請求してやろうか。 自然に起きなかったらどう起こしてやろうか。 そんなことを散漫に思いつくまま考える。 こんななんでもないことで、 あぁ幸せだなぁと思える自分が。 そして。 今ここで、彼のことを邪魔だと思いつつ結局邪険にできずにいる自分が一番変わったのではないだろうかと思いながら。 彼の髪を撫でた。 |