「…あっつぅぅぅいっ!」 ペターニの工房から、小さな女の子のものと思われる甲高い声が響いた。 そしてすぐに、がしゃーんという何かが割れる音が聞こえ、 「うっぎゃぁぁぁ!熱い熱いあつい―――!!」 小さな男の子特有の、変声期前の高い声が先ほどの声の二倍くらいの大きさで響く。 その声を聞いて。 「…はぁ、また何かやらかしたみたいね…」 手に持った大きめのポットから、お湯をティーポットに注いでいるマリアがため息をついた。 「どうしたんでしょうね?」 キルシュトルテを人数分にケーキナイフで切り分けながら、ソフィアがのんびりと言った。 「しょうがないね…様子を見てくるよ」 手に持ったトレイ(ちなみに載っているのはティーカップ)をテーブルに置いて、後は頼むよ、と言いながらネルが工房へと入っていった。 三人がいるのは工房の裏にあるちょっとした庭で、先ほどからしている作業はティーパーティの準備。 ペターニの宿屋で優雅にお茶を飲んでいるカップルを見たスフレがやってみたいと言い出して始まったのだが、甘い物好きな女性陣はなかなか楽しんでいるようだ。 そしてそして。先ほど大声をあげたスフレとロジャーは、その手伝いをすると言って聞かなくて。 じゃあ、お茶菓子になるようなものを何か作ってくれる?とソフィアが頼んで、二人とも元気よく返事して工房へ入っていって。 しばらくして。 聞こえてきたのが冒頭の叫び声だった。 火傷 工房に入っていったネルは、大騒ぎしているスフレとロジャーを見つけて思わずぽかんとなった。 ロジャーは熱い熱い言いながら涙目になっているし、スフレはそれを見ながらおろおろしている。 一体何がどうしたのか。ネルは思うが、とりあえず二人を落ち着かせようと声をかける。 「どうしたんだい、二人とも」 「あっ、ネルちゃん!た、大変なの、熱い洋ナシのカケラが割れて飛んでってロジャーちゃんが真っ赤な火傷になっちゃってるの!」 「へ?」 一瞬、ネルはわけがわからなくてきょとりとする。 が、とりあえずロジャーが火傷したらしいことはなんとなく察知できたので、慌ててロジャーに駆け寄った。 珍しく涙目になっているロジャーのしっぽには、四角い形の火傷ができていた。 ネルが見てみると、ロジャーの近くには何か陶器のような物の破片が落ちている。 …そのすぐ近くに、蛍光の緑色をした、形や見た目だけはタルトのような"何か"が落ちていたのだが、ネルは見なかったことにした。 「これ、…グラタン皿の破片、かな?」 「う、うん。ごめんなさい、洋ナシのタルト作るのにいい器がなかったからそれ使ったんだけど、落として割っちゃった…」 しゅんとなってスフレが言う。 ああなるほどな、とネルは思う。 たぶん洋ナシのタルトを作ろうとして、焼きあがったタルトをオーブンから出そうとした時、熱くて思わず落としてしまって。 グラタン皿が割れて、熱くなっている破片がロジャーのしっぽに直撃して火傷した、ということだろう。 なんとなく事の経緯が読めたネルは苦笑して言った。 「気にしないでいいよ。それより、スフレは火傷しなかったかい?」 「え、えと…ちょびっと、手が痛い、かな」 「そう…じゃあ、一緒に手当てしないとね」 ネルはそう言って、救急箱を取りにいった。 どこにあったか、と工房の奥へ行くと、鍛冶をしていた男性陣と鉢合わせする。 「ネルさん?さっきの叫び声はなんだったんですか?」 ハンマーを片手にフェイトが訊いてくる。ネルは目で救急箱を探しながら答えた。 「ロジャーとスフレが料理中に火傷しちまったみたいでね。今救急箱探してるのさ」 「ヒーリングすりゃいいじゃねぇか」 フェイトの持っているハンマーよりも当社比二倍程の大きさのハンマーを両手で持っているクリフが会話に入ってきた。 ネルは首を横に振って答える。 「あまり紋章術に頼りすぎると、人間本来の治癒能力が衰えちまうんだよ。だから、酷い怪我以外は普通に手当てしようと思って」 「そうか。ならしゃーねぇな」 クリフは納得してうんうんと頷く。 ただ一人会話に入ってこなかったアルベルは、何事かを考えていたが誰も気付かない。 ネルもやっぱり気付かずに、工房の棚を上から順に見て、救急箱を捜していた。 しばらくして。 救急箱をようやく見つけたネルがスフレとロジャーのところに戻ると。 「うぁ冷てっ!!」 「我慢しろ阿呆」 ロジャーの火傷したしっぽをひっつかみ、水を張った洗面器につけてやっているアルベルがいた。 その横を見ると、スフレが水道水を出しっぱなしにして火傷していたらしい右手を流水で冷やしている。 その光景がなんとも珍しくて、ネルは思わず目をぱちくりと瞬かせた。 「…アルベル?さっきまでフェイト達と一緒に鍛冶やってたんじゃ…」 「あ?お前か。このガキ共が火傷したっていうから見に来ただけだ」 何でもなさそうにそう言われて、ネルはますますきょとりとする。 …こいつって、こんなに親切だっけ? さりげに失礼なことを考えながら、ネルは持っていた救急箱をテーブルの上に置いた。 「ねーねーアルベルちゃん。火傷した時は味噌を塗ると治るって聞いたんだけど、味噌ってどこにあるの?」 「え、オイラは油を塗ったほうがいいって聞いたぜ?」 まだ手を流水で冷やしているスフレと、しっぽを水に浸しているロジャーが聞いた。 アルベルは眉根を寄せながら口を開く。 「は?おいおい、んなもん塗ったら逆効果だ。誰に聞いたかは知らねぇがやんじゃねぇぞ」 「えーっ!?嘘〜、バジルちゃんの嘘つきぃぃぃ〜」 「レザードの野郎…大嘘教えやがって…」 むくれている二人を見ながら、ネルはなんでこいつこんなに詳しいんだ?とか思いながら、救急箱から消毒液を取り出した。 それを出してガーゼにつけようとして、 「おい…言っておくが、消毒液も駄目だぞ」 最初の一滴がガーゼに落ちる寸前に、アルベルに止められた。 「えっ、どうしてだい?」 慌てて傾けていた消毒液の瓶を戻し、ネルが驚いた顔で訊いた。 「消毒薬とか、そういう類の物をつける必要はねぇんだよ。強い殺菌力のある薬は逆に治りを遅くして悪化させることもあるからな。最初は水につけて、後は放っとくのが一番良いんだよ。ヘタに消毒しねぇほうがいい」 アルベルはロジャーがしっぽをつけている洗面器の中に、ひょいひょいと氷を入れながら答えた。 その答えが妙に説得力があって、その場にいる三人は思わず納得する。 「へぇぇそうなの?すごーい、アルベルちゃんてばお医者さんみたい!」 ぱちぱち、と手を叩いて言うスフレに、アルベルは、 「まだ冷やしとけ、痛みが残るぞ」 と釘を刺す。 慌てて手を水につけ直すスフレを眺めながら、ネルはつぶやくように問いかけた。 「あんた、なんでそんなに詳しいんだい?」 いつもは自分が怪我をしても軽症なら完璧に放っておく適当で大雑把なアルベルが、なんでこんなに火傷の応急処置に詳しいのか。 そう思ってそのまま疑問を口にすると、アルベルはガントレットと義手をつけている左手をひらひらと振りながら、 「慣れてんだよ。俺も昔大火傷してるからな」 事も無げにそう言った。 言われてネルははっとなる。 いつもは義手をつけていてわからないが、彼の左手には念入りに包帯が巻かれていて、その下には赤黒い火傷の痕がある。 痕は消えないとしても、悪化しない程度の処置は必要だったろうし、アルベル自身もその方法を理解していなければならないだろう。 それなら、火傷の事について詳しいのも納得できる。 ネルはそう言われればそうだ、と思い、そして同時に少し後悔した。 アルベルにとって、左手の火傷は忌まわしい過去の事件の名残だろう。 もしかして、嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。 そう思ってアルベルの顔を伺うように見る。 いつも通りの無表情で、何を思っているかはわからなかったが、気にしている様子はなかった。 「……」 ネルは何かを言おうとして、一度口を開く。 が、自分が何を言おうとしているのか、何を言いたいのかよくわからなくなって、また口を閉じた。 軽くかぶりを振って、そして床に散らばったままの皿の破片と、…その近くに落ちている蛍光緑の何かを片付けようと、大きめの破片の一つに手を伸ばす。 さっきからかなり時間も経っているし、もう冷めているだろうとネルは素手で掴もうとした。 「……つっ」 が、その皿はまだまったく冷めておらず熱を持っていて、掴もうとしたネルは慌てて手を引っ込める。 …嘘。 ネルは心の中でつぶやいた。軽い火傷をした痛みよりも、疑問がまず頭をよぎる。 この皿が割れてから、何分経ってるんだ。 少なくとも十分は経っているだろう。 なのにまだ懲りずに熱を持っているこの皿は一体どういう作りをしているのか。 それとも、あの二人はこの皿がいまだに熱を持つほど、ずっとこの…見た目だけはタルトな何かを、オーブンで熱し続けていたのだろうか。 …可能性があるから余計に怖い。 ネルはこれからスフレとロジャーが料理をするときはよほどのことがない限り目を離さないようにしようと誓いながら、今度は厚い布を持ってきて熱が伝わらないようにして大きな破片を片付ける。 小さな破片を片付けようと掃除用具を持ちにいこうとすると、 「あっ!オイラがやるですよおねいさま!」 ロジャーがてこてこと駆け寄ってきてそう言った。 「あ、あたしもやる!あたしが落としたんだもん、後始末くらいちゃんとやらなきゃ!」 スフレも言う。 「お前ら、火傷の痛みは?」 「もう大丈夫!」 「もう平気じゃんよ!」 アルベルが訊くと、二人は同時に元気な声で返事をする。 「そうか」 「うん!手当てしてくれてありがとねアルベルちゃん!」 「サンキューな!助かったぜ!」 二人はそれぞれにお礼を言って、ほうきとちりとりを取りにぱたぱたと走っていった。 ネルはそれを見送って、アルベルに向き直る。 「あんた、意外に親切だったんだね」 「…ふん」 アルベルは顔を背け、また鍛冶の続きをやるつもりなのか、工房の奥へ戻っていった。 それが照れ隠しだとわかっているネルは、ふふ、と微笑をもらす。 その頃には、ネルは自分が火傷したことをきれいさっぱり忘れていた。 それからしばらく経ちスフレとロジャーが片付け終わるころ、準備していたティーパーティの用意ができたとソフィアが告げに来た。 「…あぁ〜あ、本当ならこのテーブルに、あたしとロジャーちゃん特製のタルトが並ぶはずだったのにな〜…」 優しい木漏れ日が差し込む裏庭の真ん中に、ででんと置かれた白い丸いテーブルを見ながらスフレがむくれた表情で言う。 そこに並べられているのは、ソフィア特製のキルシュトルテ、ネル特製のモンブラン、マリアが淹れた紅茶。 どれもこれも美味しそうな香りがする。 その中に自分が作ったものがないのが悔しいようで、スフレがはふぅとため息をつく。 「スフレ姉ちゃんが落としちまったんだろー」 ロジャーがソフィア特製その二のクッキーをぱりぱりと齧りながら言った。 「…うぅ…。ごめんなさぁい…」 しゅんとなるスフレを見ながら、丁度向かいの席に座ったフェイトが声をかける。 「まぁまぁ、また今度の機会に作ればいいだろ?今は気にせずに楽しもうよ」 「そうそう。早く食べないと、お茶もケーキも冷めちゃうよ?」 隣にいるソフィアも同意した。 「そーだね、今はくよくよしずに楽しもうっと!」 「ふふ、切り替えが早いのはスフレの長所ね」 途端に明るくなったスフレを見ながら、優雅な所作で紅茶を飲んでいたマリアが言う。 「そうだね」 ネルも同意して、そして自分のすぐ傍に置いてあるティーポットから自分のカップに紅茶をいれようとした。 が、ティーポットに触った途端に先ほどの火傷が痛み、ネルはわずかに顔を歪める。 …忘れていた。 火傷をしていたのに、不覚にもそのまま熱いものに触ってしまった自分に少し呆れながらネルは改めて左手でポットを掴んで紅茶をいれる。 誰かに気付かれていないかと、回りを見る。幸いにも、誰も気付いていないようだった。 ネルは良かったと胸を撫で下ろす。 せっかく皆で楽しく談笑しているのに、気を遣わせてしまうのは嫌だ。 そんなことを思いながら、左手でカップを持って紅茶を飲んだ。 がたん。 誰かが椅子を引いて立ち上がる音がして、ネルはカップを置きながらそちらに目をやる。 すると、マリアを挟んで二つ隣に座っていたアルベルがこちらを見ながら立ち上がっていた。 不思議に思いながら見ていると、アルベルはつかつかと歩み寄ってきて、ネルの右手をぐい、と掴む。 「え?ちょっ…」 「…来い」 驚くネルに、アルベルは有無を言わさずに手を引く。 どうしたのかとアルベルの顔を見ると、彼の表情は心なしか怒っているように見えて。 一瞬ぎくりとなる。 「どうしたんだよアルベル?」 一連の成り行きを見ていたフェイトが不思議そうに問いかけた。 アルベルの行動に驚いたのは、ネルだけではなかったようだ。 「…こいつに用がある」 アルベルはそう一言言って、椅子を引いて立ち上がったネルの腕を引いて工房へ向かった。 「…ねぇ」 自分の腕を無言で引っ張っていくアルベルに声をかける。 が、返事はない。 「…」 工房の中、キッチンのある場所まできたアルベルは、ようやく立ち止まって振り向きネルを睨むようにして見た。 その表情はやっぱり怒っているようで。 ネルは何故怒っているのか見当もつかなくて、首を傾げる。 そんなネルにアルベルははぁ、とため息をつき、そして掴んでいるネルの右手をおもむろに引っ張る。 「…っ!」 火傷していることを見抜かれたくなくてネルが手を引こうとする。 アルベルは構わずに抵抗するネルの手を自分の目の前まで引っ張り、 「…やっぱり、火傷してんじゃねぇか」 赤くなっている指先を見て言った。 「やっぱり、って…。気付いてたのかい」 「わざわざ左手で紅茶飲んでただろうが。気付かねぇわけねぇだろこの阿呆」 「…」 ネルはアルベルに掴まれている右手を一度見て、そして観念したように手から力を抜いた。 「…まだ痛むのか」 「…うん、ちょっと」 アルベルは一旦手を離して、ネルに向かって、 「座っとけ」 と有無を言わせぬ口調で言った。 ネルが言われるままに手近にあった椅子に腰掛けると、アルベルは洗面器に水を入れに水道へ向かった。 そこで初めて、アルベルが何故自分を工房の中まで連れてきたのかが分かって、ネルは少し無言になる。 …ということは、ここに来る前からこの男は私が火傷していることを見抜いていたのだろうか。 ネルはふぅ、と息をつき、そして思う。 どうしてこの男には、隠し事ができないのだろう。 いつも、そうだ。 怪我をしていたら目聡く見つけてくるし、体調が悪い時もすぐに見抜かれる。 よりにもよって仲間の中で一番鈍感そうな、こいつだけに。 しかも、それを不思議だと思う反面、嫌とは思っていない自分自身も心のどこかにいる。 …どうしてだろう。 元は敵国の、こいつに。 どうしてそんなことを思うのだろう? 「…なんで、あんたはいつも気付いちまうのさ…」 ぽつりとつぶやいたその言葉は。 「お前のことを俺が一番よく見てるからだろ」 当然そうに、さらりと返された。 「…は?」 意味の取り方によってはなんだかとてつもなく恥ずかしいような台詞をさらりと言われ、ネルは面食らう。 俺が一番よく見てる? 私の事を? それって。どういう。 アルベルは面食らっているネルに気付いているのかいないのか、背を向けたまま言う。 「お前は自分を大切にしねぇ阿呆だからな。注意して見てねぇと危なっかしいんだよ」 「あ、あぁ、そういう意味」 なんだ。普通に、仲間に対しての心配か。 ネルはそう解釈する。 「…お前はどんな意味で取ったんだ?」 そんなネルを見ながら、アルベルはにやりと笑って言った。 「…。さぁね」 「言え」 「嫌だ」 「ほぅ…」 会話なのか言い合いなのか微妙なかけ合いをしながら、アルベルは蛇口を閉めて水が溜まった洗面器をネルの前まで持ってくる。 テーブルにどかりと置いて、火傷しているネルの右手を掴んで水に沈めた。 指先の火傷が水にしみて少し痛かったが、我慢する。 「言えねぇ様なこと考えてたのか」 「…そういうわけじゃ」 「なら言え」 「っ……」 この二人は、基本的にネルのほうが口喧嘩や言い合いに強い。 が、ネルは一度形成が逆転すると完全にアルベルのペースにはまってしまう。 今まさに言い返せないでいるネルは、しばらく黙って。 しばらく経って、水がわずかにぬるくなる頃ようやく口を開いた。 「…あんたはどうせ、他の皆も私と同じように見てるんだろう?」 「は?」 「そのままの意味だよ。さっき俺が一番よく見てるって言ってたけど、他の皆のことだって注意して見てるんじゃないのかい」 「…さぁ、どうだか」 アルベルは曖昧に答える。 「ほらやっぱり」 それを肯定と解釈して、ネルは言った。 まったく。 急に変なことを言い出したり、曖昧なことを言ったり。 気まぐれな奴だ。 「…で?結局お前はどう解釈したんだ」 「あんたが変な言い方したから、どういう意味かちょっと気になっただけだよ」 「ほぅ。…の割には妙に焦ってたじゃねぇか」 「…別に。他の意味でとったわけじゃないさ」 「そうか。…もう痛みはひいたか」 話題を変えるように、アルベルが言った。 ネルは急に言われて、少し驚きながらも答える。 「え?あぁ」 水につけていたお陰か、大分痛みも消えてきていた。 水から指を出して目で確認してみると、少し赤みもひいていた。 「とりあえず、礼を言うよ。ありがとう」 そう言えば手当てをしてもらったお礼を言っていなかったと気づき、ネルは素直に礼を口にした。 「このくらいのことで気にすんなよ」 ネルの隣の椅子に座りながら、面倒くさそうにアルベルは答える。 「このくらいのこと、ってねぇ。手当てしてもらったんだからお礼言うのは当然だろう?スフレやロジャーだって、ちゃんとお礼言ってたじゃないか」 「…律儀な奴らだ」 「それが普通。あんたが無礼すぎるんだよ」 「言っとけ」 「…あんたは相変わらずだね。あ、でもさ」 ネルはもう一度指を水につけながら、思い出したように言う。 「あ?」 「さっき、あの子達の手当てを進んでやってたのには驚いたね。見直したよ」 「…別に…気が向いただけだ」 テーブルに肘を着いて手の上に顎を乗せ、どうでもよさそうな表情でアルベルは答える。 ネルは手持ち無沙汰気に指で水をくるくるとかき混ぜながら、言う。 「あんた、ほんっとに素直じゃないね。心配だったんならそうだって言えばいいのに」 「…」 無言になるアルベルに、ネルはくすりと笑いながら言う。 「…まったく。仲間を心配するのは、すごく良いことだと思うけど?何をそんなに意地張ってるのさ」 まぁ確かにこいつが仲間の心配をするというのも、柄じゃなくて少し笑えるけど。 ネルはそんなことを思いながら、そっぽを向いてしまったアルベルを眺めていた。 アルベルはネルから顔を背けていたが、不意に何を思ったか、振り向く。 「おい。そろそろいいんじゃねぇか」 ネルは何のことだい?と目線で問いかける。 アルベルはネルの、まだ水につけたままの指を顎で指す。 …気のせいか、悪戯を思いついたような顔をして。 「あぁ、そうだね。もう痛みも消えたし」 そう言って指を水から引き上げる。 「見せてみろ」 アルベルがそう言ってネルの右手を引く。 さっきスフレやロジャーの手当てをしていた時、妙に治療法に詳しい様子だったので、ネルは特に何も考えずに引かれるままに指を見せる。 「…大分赤みが消えたな」 「あぁ、水につけてたのが効い―――」 効いたみたいだね、と言おうとしたネルの言葉は、中途半端なところでぴたりと止まった。 固まっているネルの目線の先には、彼女の火傷した指先をぱくりと咥えている、アルベル。 え。 こいつ、何をして。 「ちょ、何して…」 「消毒」 ネルの指を咥えているため、少し不明瞭な発音でアルベルはそれだけ言う。 「そんなことしなくたって―――ひぁっ!」 言葉を言っている最中に口の中で指を舐められ、甲高い声が出る。 思いもよらない声が飛び出た口を左手で押さえながら真っ赤になっているネルを見て、アルベルはにやりと笑う。 ネルの指を離して、また意地悪く笑う。 「なぁ。確かに俺は注意して見てねぇと危なっかしいとはいったが、お前をただの仲間とは一言も言ってねぇし、今はそう思ってもいない。それに俺はただの"仲間"が火傷したとき、水につけてやったりはするが、こうやって"消毒"してやったりはしねぇ。…ここまで言えば、鈍いお前でも判るだろ?」 「な、何が」 「俺がどういう意味で、"一番よく見てる"と言ったのか、だ」 …は? それって。 つまり。 「…それって」 「理解したか?」 混乱する頭をどうにかなだめて、ネルは考える。 それはつまり。 ただの仲間として見ていたわけではないということで。 それは、つまり。 真っ赤になったまま考えていると、アルベルがひょいと目を合わせてきた。 真っすぐに見てくる紅い目に射抜かれて、ネルは思わず固まる。 「え…っと」 何かを言おうとして、ネルは口を開く。 が、上手く言葉が出てこずに、また口を閉じる。 アルベルはそんなネルを面白そうに眺めながら、彼女の頬に手を添えて自分のほうを向かせ。 顔を近づける。 「え、あ、ちょっ…」 いつになく慌てた様子のネルを見て。 「嫌だったら抵抗していいんだぜ。俺は別に無理にしたいわけじゃない」 至近距離でそう言われ、ネルは返答に困る。 正直な話。 …嫌では、なかった。 あぁそうか。 私はこいつが嫌いでは、ないみたいだ。 むしろ―――。 「…。…嫌じゃ、ないよ」 ネルは本当に小さな声で、ぽつりとつぶやいた。 アルベルはにやりと笑って、 「なら遠慮は無用だな」 とつぶやき。 そのまま唇を重ねてきた。 「ただの火傷を治療するだけだったのに、なんでこんなことになったのかねぇ…」 唇が離れた後、呆れているような、困っているような、そんな風にネルはつぶやく。 「さぁな」 アルベルは相変わらず意地悪そうに笑いながら、どこか楽しそうに言った。 「そういえば、さぁ…」 途中だったネルの火傷の治療をするために彼女の指にくるくると包帯を巻いているアルベルに、ネルは思い出したように言う。 「あ?」 「さっき、あんたがスフレ達の治療してた時…下手に消毒しないほうがいいって言ってなかったっけ?」 「あぁ、確かに言ったな」 包帯を巻く手は止めずにアルベルが答える。 「…だったら、さっきあんたが私の指にした事は…」 少し口ごもりながら言うネルに、アルベルはあっさりと、 「口実」 と言ってのけた。 「…はぁっ?」 ネルが素っ頓狂な声をあげると、アルベルはくく、と喉で笑って、 「火傷だろうがなんだろうが、利用できる物は利用しねぇとな。お前ただでさえ無防備だし」 悪びれもなく言った。 「……………」 ネルはたっぷり十秒ほど押し黙り、なんとも言えないような表情で深いふかぁいため息をついた。 「もうあんたには、火傷の手当てはしてもらわないよ…」 何されるか、わかったもんじゃない。 でも。 包帯を巻いてもらっている指先を見ながら、ネルは思う。 この火傷のお陰で、今までの関係が変わったのだから。 感謝しても、いいかもしれない。 「おらよ」 巻いた包帯を軽く結んで、アルベルがネルの指を離す。 ネルは綺麗に巻かれた包帯を眺める。 「…ありがとう」 小さくつぶやいた。 そして、裏庭に戻ろうとした二人の耳に届いたのは。 はい!お湯沸かしてきたよ…ってきゃー!スフレちゃん!?あ、危ないクリフばしゃーん…うぉーっあっちー!!きゃーごめんごめんごめんクリフちゃん!うわーミカエルだー!おんなじ声だからハマッてますね!…何を言ってるのあなた達あー気にしないでーそんなことよりえーっと、確か火傷の時は早く冷やさなきゃなんねぇんだよなそっか、冷やせばいいんだね!いくよっ、フローズン・ダガー!よぉし、加減して…ディープフリーズ!加勢するよ!アイシクル・エッジ!おっしゃ、オイラも!アイスニードル!ぴきーんあれやっばー、クリフちゃん凍結しちゃったよ!あ、ラベンダー持ってこなきゃ…ん?なんかクリフが重力に従って傾いてるような…って、倒れる倒れる!がしゃーんキャ――――――! 慌てふためく皆の声と、何やら技を繰り出す不吉な音と、そして大きな何かが割れたような音。 「「……………」」 二人は同時に押し黙って。 「…ねぇ。あの応急処置はどう思う?」 ネルが訊いて、 「…俺に訊くな」 アルベルが答えた。 今日の教訓。 火傷には気をつけよう。 …特に、無防備で鈍い誰かさんと、苦労人で幸薄いマッチョさんは。 |