すぅ、とわずかに細められ、うんざりした印象を受ける、紅い瞳。 ああ、機嫌悪いみたいだね。 クリエイションで失敗でもしたのかな。 半眼になって、気だるそうにこちらを見てくる、紅い瞳。 あ、呆れてる。ため息までついてるよ。 人の顔見てため息つくなんて、失礼なヤツだね。 伏せ目がちで、どこか悲しげな様子の、紅い瞳。 …珍しいね、淋しがってる。 昔の夢でも見たんだろうね。しょうがない、構いに行ってやるか。 少し雰囲気が柔らかくなって、楽しげな光を宿している、紅い瞳。 おや、機嫌いいみたいだね。 なにか良いことでもあったのかい? 意外にも、あんたは瞳を見れば今どんな気分なのかすぐにわかる。 無表情で仏頂面のくせに単純だからね。 でも、そんな、感情をそのまま映し出すような、紅い瞳は。 至近距離でよく見ると結構綺麗な、その紅い瞳は。 いつもその長ったらしい前髪に隠れて、私からはよく見えない。 瞳 「ねぇ」 宿屋の一室、アルベルが使っている部屋。 ベッドに座って本を読んでいたネルは、部屋の中央にあるソファーに座って刀の手入れをしていたアルベルに言った。 「なんだ」 アルベルは刀から視線を外さずに、答える。 ネルはアルベルの方を見ながら言った。 「あんたの前髪、ちょっと長すぎるんじゃないかい?視界も悪くなるし、視力が落ちるかもしれないじゃないか。なのにどうして伸ばしっぱなしにしてるのさ」 アルベルはネルの唐突な質問に少し驚き、数秒の間考えてから口を開く。 「…別に…。切るのが面倒だっただけだ」 アルベルはつまらなさそうな顔で答えた。視線は相変わらず刀に向いたままだ。 「面倒、ねぇ。毎朝毎朝そんな髪型にするほうが面倒だと思うけど」 ネルは本にしおりを挟んで横に置き、ベッドから立ち上がった。 少し歩いてアルベルの背後に回り、腕を伸ばしてアルベルの後ろ髪を掴む。 軽く引っ張ると、痛っ、と小さくアルベルがつぶやく。 その反応が面白かったのか、もう一度ネルが引っ張ると、アルベルから不機嫌そうな声が返ってくる。 「引っ張るな」 「引っ張ったってほどけないさ。私がやってあげたんだからね」 「…そういう問題じゃねぇだろうが」 アルベルが低く呟く。どこか呆れたようなため息をつきながら。 ネルはアルベルの隣に座りながら、こう言った。 「それにしても、なんでそんなに伸ばしっぱなしにしてるんだか。長い前髪に思い入れでもあるのかい?」 アルベルはネルの呟きを聞いて、一瞬黙って、口を開いた。 「…別に。お前こそ、なんで俺の前髪なんぞにこだわるんだよ」 「え、だってさ。あんたの瞳が見えないじゃないか」 「…は?」 アルベルの口から声が滑り出る。 「だから、その長い前髪のおかげであんたの瞳が見えないだろう?」 それが嫌だからだよ。ネルはそう答えた。 その答えに、アルベルは心底不思議そうな顔で口を開く。 「…なんで俺の目なんか見たいんだよ」 「え?だってさ、あんたの目見てると、あんたの思ってることがわかって面白いからね。それに…」 ネルはそこで一旦言葉を止めて、アルベルの紅い瞳を覗き込む。 紅色の瞳がふたつ、ネルを見ていた。 その双眸を見据えながら、言う。 「あんたの瞳、綺麗だからね」 その台詞に、アルベルは少しの間黙ってから言った。 「…俺は、こんな瞳嫌いだがな」 「どうしてだい?いいじゃないか、綺麗な紅色で」 「綺麗ねぇ…この色が、か?」 そう問いかけてくるアルベルの瞳は、少しだけ寂しげな様子で。 それに気づいたネルは何かを言おうとするが、先にアルベルが口を開いた。 「俺はそうとは思わねぇな」 「…どうしてだい」 ネルが再度問いかける。 「赤って嫌な色じゃねぇか」 「何で?」 思わず聞き返したネルに、アルベルは少し何かを考えて、答える。 「炎の色だろ。この火傷もあるし、熱いの嫌いなんだよ。だから炎も好きじゃねぇ」 アルベルはそう言って、今は義手をつけていない左手をひらひらと振った。 その腕は二の腕から掌まで包帯が巻かれている。 念入りに巻かれた包帯の下には、赤く焼けただれた火傷がある。 それを知っていて、尚且つ見たこともあるネルは、少し視線を落としてつぶやく。 「…それはそうだろうけど」 「あと、血の色。血を見るのは慣れてるが、あれは何度見ても好きにはなれねぇだろ」 ネルは軽く頷いて口を開く。 「それはそうだね。私も血は嫌いだよ」 「だろ?だから俺はこの色が好きじゃねぇ。それだけだ」 「…ふぅん」 ネルは曖昧に頷いた。 どうしてか、寂しくなる。 何故だろう。アルベルに、この色を嫌いだと言って欲しくなかった。 ネルは少し沈黙して、口を開いた。 「でもさ、赤ってそんなに嫌な色でもないと思わないかい?」 ネルはソファーに深く座って凭れながら、天井を見て言う。 「あー?」 アルベルは半分どうでも良さそうな生返事をする。 ネルはアルベルの好きそうな物を考えて、口を開く。 「例えばさ、林檎とかも赤だろ?」 「まぁな」 「他にも、苺も赤いじゃないか」 「そうだな」 「あとは…さくらんぼとか」 「…なんで食い物ばっかなんだよ」 しかも、果物ばかりじゃねぇか。そう言ったアルベルに、 「…だって、あんたの好きな物を考えてたら、それが最初に思い浮かんだんだよ」 とネルは答える。 「確かに果物は嫌いじゃねぇが…」 「だろ?ほら、赤は嫌な物ばかりってわけじゃないじゃないか」 ネルはにこりと笑んでそう言う。 アルベルは無言のままネルを見ていた。 ネルはまた少し考え、口を開く。 「あとは…そうだね、夕陽とか」 「…」 「…あ、そうだ、スタールビーも紅かったよね」 「…」 「他には…うーん、何かあるかな」 ネルは真剣に考え込む。 そこで、何故自分がこんなに真剣になって考えていたのか、と唐突に思った。 そうだ。別に、アルベルが紅い色が嫌いだからといって、自分がどうこう言う必要もないはずだ。 なのに、何故だろう。アルベルに、紅い色を嫌いだとは言って欲しくない。 …何故だろう。 自問自答してみても、納得のいく答えは出てこなかった。 口元に手を当てて、真面目な顔で赤、赤、あか…と呟いている彼女に、アルベルは苦笑しながら言った。 「あー、わかったわかった。紅いモノも、悪くはねぇかもな」 「なんだいそのどうでも良さそうな言い方は」 「別にんなことはねぇけど」 「そう聞こえたよ」 こっちは結構真剣に考えたのに。ネルはそう思って少しむくれる。 「…拗ねんじゃねぇよ、ガキかお前は」 「別に拗ねてなんかないよ」 そう言いながらネルはソファーから立ち上がる。 「どうした?」 「あんたの相手するのも飽きたからね…さっきの本の続きでも読もうかと思ってさ」 問いかけるアルベルにそう答えて、ネルはアルベルの前を横切ってまたベッドに向かった。 が、アルベルに後ろから思い切り手を引かれ、それを阻まれる。 進行方向とまったく逆に手を引かれて、ネルはバランスを崩す。 「ぅわっ!」 傾いだネルの体は重力に従って後ろに倒れた。 どさり、と倒れた先はアルベルの腕の中だった。そのまま首の辺りにゆるく腕を回される。 「いきなり…」 なにするんだい、と言おうとしたネルは、思わず動きを止めた。 ―――自分の後ろ髪に、何かが触れた。 掠めるように触れたそれは、柔らかく、馴染みのある感触。 それがアルベルの唇だとわかるのに、そう時間はかからなかった。 「なっ…」 ネルは思わず声をあげる。 顔に血が集まって火照っているのが自分でもわかる。 後ろからネルを抱きしめているアルベルには彼女の顔が見えなかったが、その赤くなっている耳が見えて、小さく笑う。 そして耳元に口を寄せて、前に一度言ったことのある台詞を呟いた。 「…紅いモノも、悪くはねぇかもな」 アルベルはネルの髪を一房取って、また口付ける。 ネルの、さらさらとしたその紅い髪に。 髪の毛に神経が通っているわけはないから、触れられてもそんなに感触があるわけではないのに。 なのにその様子がリアルに感じられて、ネルはさらに顔を赤くする。 その顔を見られたくなくて、首に回されたアルベルの腕に顔を埋めた。 「…あんた、意外と気障だったんだね。驚いたよ」 照れ隠しに呟いた。 「言っとけ」 アルベルは少し楽しそうに言った。 あぁ、今のこいつは楽しそうに意地悪そうに笑ってるんだろうな。 その赤い瞳は、いつもの鋭さを無くして柔らかくなってるんだろうな。 …こいつが優しげな瞳をしているのは珍しいから、その瞳が見たいかもしれない。 ネルがそんなことを考えていると、ようやく顔の赤みもとれてきた。 それに少なからず安堵しながら、体の力を抜いてアルベルの肩の辺りにもたれた。 ゆっくりと、アルベルの紅い瞳を見上げる。 思ったとおり、いや思った以上に、アルベルの瞳は柔らかい光をたたえてこちらを見ていた。 そんな瞳を見ながら、ネルはつぶやく。 「…やっぱり綺麗だね、あんたの瞳」 「なんだよ急に」 「いいじゃないか。…言いたかったんだよ」 「…ふぅん」 ああ、そうか。 私があれだけ真剣に、こいつの好きそうな紅いものを考えていたのは。 紅いものを嫌いだなんていって欲しくなかったのは。 私自身が、この色を好きだからだ。 こいつの瞳と同じ、綺麗な紅い色を。 「私は、あんたの瞳が嫌いじゃないよ」 ネルがアルベルの瞳を見つめながら、微笑んで言った。 「俺も、お前の髪は嫌いではないな」 アルベルはネルの髪を梳くように触りながら、楽しそうに言った。 「…髪の毛だけかい?」 ネルが言って、アルベルは一瞬驚く。 またネルの首に腕を回して、答えた。 「…さぁ、どうだろうな」 その答えを知っているのは、紅い瞳の彼と、紅い髪の彼女だけ。 |