「―――それでさ、クレアが言うには私は働きすぎらしいんだけど、そんなことないよね。クレアだって彼女なりに大変だろうし、私と同じだけの仕事こなしてるのに」
「………」
「そりゃ確かに、今まで旅してた分の仕事を早く返上しなきゃっていつもよりも多めに仕事してる自覚はあるけどさ。でも今までずっとクレアに任せっきりだったんだから、それって当然だよね?」
「………」
「私がクレアに同じ事言うと、そんなことないわって窘められるんだ。あの子だって辛いはずなのにさ。逆にこっちが気遣われちゃって」
「………」
彼は無言のまま、テーブルに出された紅茶を一口すする。
彼の向かい側にテーブルを挟んで座っている彼女は、柔らかい口調のまま楽しそうに喋り続ける。



「でも、そのときクレアが―――」
「…クレアったら、いつも―――」
「だけどさ、クレアだって―――」



彼が相槌を打つかどうかは、もはや気にならないようだ。
ずっと無言のままの彼に、彼女はいつになく饒舌になって楽しそうに話し続ける。
彼女の幼馴染で親友である、銀髪の彼女の事を。



「クレアがね、」
「クレアは、」
「クレアに、」



「…はぁ」



彼女の口から"クレア"と言う名前が何回出たかわからなくなったあたりで。
彼は深くため息をついた。





素直じゃないね。





戦争が終わって、アーリグリフもシーハーツも自国の建て直しにてんやわんやな状況で、彼と彼女が一緒にいられる時間は少ない。
今は若干落ち着いてきたものの、一時は睡眠時間を削って書類と睨めっこしなければならない状況だった。
会いに行くどころか自国から、下手をすれば自室から一歩も出られないような状況の中、二人がゆっくりのんびりと一緒に過ごせる時間なんてものは、本当に僅かで。
今日だって会えたのは本当に久しぶりで。
彼女と一緒にいられるのは正直嬉しいし、無意識にくつろげるし、彼女の話を聞くのも嫌いではないのだけど。
「―――きっとクレアだって休みたいって思ってるはずなのに、私は息抜きが上手いから平気よ、なんて言うんだよ」
…だからと言ってなぜ他の人間の話を延々とされなきゃいかんのか。
彼はまたため息をつく。
当の彼女は彼の何回目かのため息も気づかない様子でまだ喋り続けている。
「でも、仕事量は同じで息抜きできる時間も私と同じで僅かだってのにさ。息抜きの上手さだなんてそんなに変わらないと思わないかい?」
「…あー」
うんざりしてきた彼は適当な相槌をうつ。
「…ちょっと、あんた人の話聞いてる?」
と、さすがに彼女が気づいて問い掛けてきた。
彼は仏頂面のまま答える。
「聞いてる、一応」
「一応、って何さ」
彼女はむっとなりながら彼を見る。
彼は相変わらず彼女から視線を外したままだ。
「………」
「何不機嫌になってるのさ」
「別に…」
「あんたの別に、は別に、なんてこれっぽっちも思ってないときに出る台詞だよ」
「………」
図星のようで。
彼はますます不機嫌面になって黙り込む。
彼女は不思議そうに不可解そうに、急に機嫌が悪くなった彼を見た。
「変なやつ」
一言で片付けられてしまって、彼は苛々しながら小さくため息をついた。








そんなことがあってから、数日後。
パシリ的扱いをされてアリアスまで出向かされた彼は、領主屋敷の広間に通されていた。
パシリ的扱いと言っても、ウォルターの少しは彼にも息抜きをさせようとするささやかな好意と大部分をしめる彼と彼女をくっつけようという目論見から来るお節介の産物なのだけど。
今回アリアスに赴いた任務だって、それこそ漆黒の一般兵でも事足りるような内容だった。
書簡を届ける事、そしてその返事を早急に書き上げてもらい持ち帰る事。
そんな子供のお使い的な任務を、いまやアーリグリフ最強となっている彼に任せるあたりウォルターの性格が窺い知れる。
そして結局彼は逆らわず(逆らえず)に大人しくアリアスまでやってきて書簡を渡した。
今は返事待ちの空き時間だ。
ただ待っているだけなら応接間にでも通せばよいのになぜ広間に通されたのか彼が不思議に思っていると、廊下を歩く足音と広間の扉の前に近づく気配。
こんこん、とノックがされて、続いて聞き覚えのある声が彼の耳に届く。
「アルベルさん、いらっしゃいますか?」
いらっしゃいますかもなにもお前がここに通したんだからいねぇはずねぇだろうに。
彼はそう思うが当然のように口には出さず、あぁ、とだけ答える。
それを聞いて扉の向こうの誰かさんは扉を空けた。
「失礼します」
部屋に入ってきたのは手に紅茶のカップを乗せたお盆を持っている銀髪黒装束の女性。
一見柔和だが実は真意の読めない笑顔を常にたたえている、銀髪のクレムゾンブレイド。
赤毛の彼女の相棒で、幼馴染で、親友で。
―――数日前も、彼女の口から出る話題の大部分を占めていた名前の、持ち主。
我知らず彼は表情を不機嫌そうに歪めていた。
「何か?」
クレアは相変わらず柔らかい笑みを浮かべている。
「…いや」
彼はとりあえずそう答えておいた。
クレアは笑って口を開く。
「ネルじゃなくてがっかりされましたか?」
「は?」
「でも大丈夫ですよ、今日ネルはシランドから報告書を取りに立ち寄る予定がありますから。しばらく待っていればじきに来ると思いますわ」
「………何故あいつに会う必要がある」
「照れなくても良いのですよ、今更じゃないですか」
「………」
何を言っても上手く言い返される。
彼はそう悟って、無言になる。
クレアは気にせずに彼の前に紅茶のカップを置く。
「どうぞ。…紅茶はストレートがお好き、でしたよね?」
「…あぁ」
続いてクレアは彼が座る椅子の、テーブルを挟んだ向かい側に座った。
「お待たせしていて申し訳ありません。書簡の返事はファリンに任せていますので、じきに仕上がると思います。あの娘、一見おっとりしてますけどデスクワークに関しては本当に有能ですから」
「いや、構わん。急かすつもりはない」
「そう仰ってくださると気が楽ですね。…では、書類が出来上がるまで少しお聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」
にこ、とクレアが微笑む。
「あ?」
「…数日前、ネルが貴方のところに来ましたよね」
伺うように問い掛けられて、彼が一瞬だけ僅かに目を見開いた。
「何故だ?」
「滅多にない休日にシーハーツを出るだなんて、アルベルさんに会いに行く以外思いつきませんから」
「………そうなのか」
「ええ。あの子は本当に根が真面目ですから。息抜きさせようとしてもまだ出来るまだ大丈夫、って強情に仕事しようとするんですよ」
クレアが優しげな笑みを浮かべる。
「ですから、アルベルさんには感謝しているんですよ。あの子が休みたいって思える理由を作ってくださってるんですから」
「………」
彼女が来たと断言していないのにすでに決め付けているあたり、確信犯なのかもしれない。
「そうでもしないとあの子、下手したらずっと不休のまま仕事し続けるんですもの。見ているこちらがはらはらします」
「だろうな」
「でしょう?本当にあの子ったら、自分を顧みない癖はいつからついたのかしら」
困った物です、と呟くクレアの表情には、本当に心から困っているといった様子は感じられない。
「昔からああなんですよ、ネルは。いつだって他人優先で自分は二の次三の次で」
「…ほぅ」
「アルベルさんもお心当たりがおありなのでしょう?否定しないということは」
「まぁな」
「やっぱり。もう、ネルったらアルベルさん達と旅を続ける間も相変わらずだったのでしょうね」
苦笑するクレアの台詞を聞いて、彼はふと気づく。
質問がある、と言って口を開いたはずのクレアの話題が何時の間にかすりかわっている。
さらに、クレアの口にする話題はよくよく思い返せばネルという名前が必ず出ている。
クレア、という名前を必ず話題に上らせていた彼女と、同じように。
「…お前もか」
無意識に彼の口が開いていた。
「何の事でしょう?」
クレアは表情を変えぬままに問い掛ける。
問い掛けられてから、言わなければ良かったと彼は眉を顰めた。
彼がクレアを見遣れば、彼の答えを待っている様子で。渋々彼は口を開く。
「…お前もあいつも変わらないな、と思っただけだ」
「?」
クレアクレアと連呼するように話題に出していた彼女を思い出して。
些か不機嫌そうな面持ちになりながら、彼は呟く。
「…。あいつも、口を開けばお前の名前ばかり話題に出しやがるからな」
「え?」
「そうなんだよ、あいつは。無意識なんだろうな、だから余計にタチ悪ぃんだよ」
…無意識に名前が出るからこそ、それだけクレアという存在が彼女の中で大きいと言うことで。
独占欲の強い彼が面白いはずがなかった。
もしクレアが男性だったら、不機嫌になるどころでは済まなかったかもしれない。
「お前もどうせあいつの話題ばかり話すのは無意識だろう?だから似ている、と言っただけだ」





誰がどう見ても不機嫌そうな顔で、拗ねたようにそんな事を言われて。
クレアは一瞬ぽかんとなって、次の瞬間くす、と表情を笑みに変えた。
彼がそんな顔をするだなんて思わなかった。
「ふふふっ、あ、アルベルさん、そのような事気にして不機嫌になってらっしゃったんですか、ふふっ」
笑われてさらに機嫌の悪そうに、彼は半眼になってクレアを睨む。
「誰が不機嫌だ」
「アルベルさんがですよ」
「別に不機嫌じゃねぇよ」
「…眉間に皺が」
「………」
図星を付かれたのか、彼はまたまた仏頂面になって黙り込む。
それを見てまたクレアが微笑む。
「笑うんじゃねぇよ」
「あ、ごめんなさい。…だってアルベルさん、ネルとそっくりなんですもの、ふふふっ」
ごめんなさいと言っておきながらまだ笑いをこらえ切れていないクレアの台詞に、彼はあ?とガラ悪く答える。
「そっくり?」
「はい」
「どこがだ」
「だってアルベルさん、ネルと同じような事おっしゃるから」
「は?」
クレアはくす、と笑って。



「ネルも、私と会っておしゃべりすると、"たまにアルベルと会って話すると、ウォルター老やアーリグリフ王のことばかり話してきてつまらない"って言うんですよ?」
「―――………」





彼はぽかんと目を丸くする。開いた口がふさがらないとはこのことか。
クレアはまた微笑んで、続ける。
「"一緒にいるのに他の人の事ばかり話すなんてつまらない"とも言っていました」
「………」
「ね?あなたにそっくりでしょう?考えている事は同じなんですから」
「………」
言い返せないということは、確かめてはいないが彼も本当にそう思っていたのだと確信して。
クレアは嬉しそうに楽しそうに微笑んだ。
「素直じゃありませんね、二人とも」
「うるせぇ…」
「否定しずにいるということは肯定とみなして良いのですよね」
「………」
「あぁ、無言は承諾とみなしますので」
何故か行動パターンを把握されていて、彼が気まずそうに問い掛ける。
「何で俺の癖っつうか会話の特徴知ってんだよ」
「ネルに聞きました」
「…そこまでして俺の行動先読みしたいのかよ」
「私が聞き出そうとしたわけではありませんよ?」
「あ?」
じゃあなんで。そんな疑問が彼の顔に出ていたのか、クレアが微笑む。
どこか悪戯っぽい、そんな笑顔で。



「こちらから聞かなくても、ネルが自分から楽しそうに話してくれるんです」



「…は?」
「あなたの癖や行動パターンや会話の時の特徴から何から何まで」
「………」
「趣味嗜好やあなたの何気ない行動言動でこんなことを思ったとかも事細かに。…あぁ、そういえば先ほどお出しした紅茶の加減も、あの子の言っていた事を参考に淹れました」
「………」
「きっと無意識なんでしょうね、だって意識して話題にしている様子はまったくないんですから」
「………」
「他の事を話していても、そういえばアルベルは、とか、アルベルならこう言うだろうね、とか。結局はあなたの話題に落ち着くんですよ」
「………」





クレアは押し黙る彼を見て、してやったりと言わんばかりの表情で。
「はっきり言ってしまうと。私と話すとき、ネルはいつもいつもいつも、貴方の事ばかり話すんですよ」
「………」
「貴方と会ったとき、ネルが私の事ばかり話すのと、同じように」
それはそれは楽しそうに。
そう付け加えると、彼はやはり無言のまま、視線を逸らした。
"――あいつはね、照れたりすると視線を逸らして話題を逸らそうとするんだ"
クレアは彼女が言っていたことを思い出す。
そのとおりだわ、と感心しながらクレアはさらに口を開く。
「あの子は素直じゃないですから。本人目の前にして貴方の話をするのは照れくさいんでしょうね」
「………」
視線を逸らしたまままた黙りこくってしまった彼に、クレアはバレないようにくすりと笑って。



「貴方は、ネルの中で私と言う存在が占める割合が大きいとお思いかもしれませんが」
「………」
クレアはぴ、と人差し指を彼に向ける。
「アルベルさんという存在が占める割合も、同じか、それ以上に。大きいと思いますよ」





「…同じであってたまるか」
相変わらず仏頂面のまま、久しぶりに彼が口を開く。
クレアはまたくす、と笑って。
「そうですね。では本人に訊いてみましょうか」
おもむろに広間の扉に視線を向ける。
「は?」
「いるんでしょう、ネル?入ってきたら?」
「…はぁ!?」
がたん、と彼が勢いよく立ち上がる。
彼の視線の先で、広間の扉が控えめに開いた。
扉の先には、クレアが言ったとおり。
「…なんでお前がいるんだよ」
「…報告書取りに来たんだよ」
彼女がいた。
「んなこと訊いてんじゃねぇよ。…いつからそこにいた」
「………」
彼女は気恥ずかしげに目をそらして黙り込む。
「"お前もあいつも変わらないな"、あたりからよね?」
黙秘を続ける彼女の代わりに、クレアが口を開いた。
うっ、と彼女が口ごもる。そのとおりだったようだ。
「なっ…」
彼の声が詰まる。
それはつまり、かなり前から二人の会話を聞いていたと言うことで。
彼が嫉妬して愚痴った言葉も、すべて聞いていたと言うことで。
苦虫を噛み潰したような顔をして、彼は気づいていながら知らないふりをしていたクレアを恨めしげに睨む。
クレアはそんなとげとげしい視線を軽くかわして、すっと音もなく椅子から立った。
「じゃ、私はこれで。ネル、たまには素直になりなさいよ?」
そう言いながら彼女の肩をぽん、と軽く叩いて、クレアは止める間もなく広間から出て行った。





「………」
「………」
残された二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
彼は椅子から立ち上がった体勢のまま、彼女は扉のすぐ傍に立ったまま、妙な距離のままお互い黙りこくっていた。
「…あの」
先に声を出したのは彼女だった。
「立ち聞きしてごめん。悪いとは思ったんだけど、声をかけようにもタイミングが掴めなくて」
「…いや、別に」
短い会話を交わして、また二人はお互い黙り込んだ。
「………」
「………」
沈黙がまた続いて。
「あんたも、さ」
「あ?」
「私と同じような事考えてたんだね」
「…何がだ」
「だから、その、…たまにしか会えないのに自分以外の人の話ばっかりしてつまらないって」
「………」
うっ、と彼が詰まる。
彼女も気まずげに、顔を逸らしたまま。
「………」
「………」
微妙な空気が流れて。
「あんたも…」
「…んだよ」
「…一緒に居るなら他の人の事ばかり話すのはやめて欲しいって、思ってた?」
「………あんたも、っつぅ事は、お前も思ってたのか?」
「………」
「………」
不意に、ふっ、と彼女が笑った。





「…素直じゃないね」
「あ?」
「あんたも、…私も」
「………」





「…そうだな」
彼も笑った。





「なら、」
彼女が彼に近づいて、手を伸ばせば触れられる距離で立ち止まる。
立ち止まって、彼を見上げた。
「たまには、素直になってみようか」
彼女が言って。
彼が一瞬驚いた表情を見せた。
が、すぐに口の端を上げて彼も表情を緩める。
彼女に手を伸ばし頬に触れて、口を開く。
「悪くないな」








「あのぉ、クレア様」
「あら、どうしたのファリン?」
「アルベル様に、返事の書簡渡そうと思ったんですけどぉ。応接間に行ってもいらっしゃらないんです」
「…」
「広間は何でかカギがかかってて入れないし、村の中を散策でもしてるんでしょうかねぇ?」
クレアは一瞬押し黙ってから、笑う。
「……ファリン」
「はい?」
「私が預かっておくわ。確かに手渡すから、あなたは仕事に戻ってちょうだい」
「え、いいんですか?」
「ええ」
「じゃあ、お願いしますぅ」
書類をクレアに手渡し、ファリンはぺこりと一礼してからその場を去った。



「さーて、どんなタイミングで渡しに行こうかしらね?」
楽しそうに笑って、クレアは手の中の書簡を見た。