今まで敵だと思っていた相手が、急に仲間になるだなんて。
思いもしなかったし予想もつかなかった。
殺すべき"敵"が、共に肩を並べて戦う"味方"になるなんて。
考えられなかった。





…でも。
今、私はあいつと肩を並べて、共通の敵を倒すために"協力"している。



少し遠くにいる敵に照準を定め、攻撃呪文を詠唱しながら、ネルは思う。



私は、まだあの男を"味方"だとは思えない。
あちらがどう思っているかは知らないが、少なくとも私はまだあいつを仲間としては見れない。



…でも。





「ネル!」



マリアの声にはっとなる。



気を抜いたつもりはなかった。
が、呪文の詠唱に集中していて、注意力が散漫になっていたのかもしれない。
ネルが背後ににじりよる殺気に気付いたのは、もうすでにその殺気を肌で感じ取れるくらい近づかれた後で。
「!」
気付いて振り向いた時には、もうすぐ傍まで危機は迫っていた。
背後にいたのは、小さな、だが凶暴そうな獣の姿の、敵。



ネルは、ち、と舌打ちして、後ろに跳び退ろうとする。
が、相手の動きの方が早かった。
すでにこちらに跳びかかろうと、姿勢を低くして構えている。
―――間に合わない。
そう悟り、反射的に身構えた。
その時。



「空破斬!」



剣圧による衝撃波が目の前の敵を襲った。
敵は一瞬怯み、体勢を崩す。
それを逃さず、ネルは手にした短刀で敵を横に薙ぎ払うように斬りつけた。
怯んだ相手に間髪入れずに、喉笛を狙ってもう一度斬りつける。
小さな獣は、耳障りな断末魔の悲鳴を残して息絶えた。





ふぅ、と一息ついて、周りを見回す。周りの敵はあらかた片付いたようだった。
確認して、先ほど衝撃波が飛んできた後ろを振り返る。
刀を右手に持った男が立っていた。
少し前仲間になった、元は敵だった、―――歪のアルベルが。
感情の読めない表情で、ネルを見ていた。
が、すぐに視線を逸らし、また新たな敵を仕留めにいってしまった。
ネルは礼を言おうとしたが、とりあえず後回しにして自分もまだ残っている敵を倒すことだけに集中した。





…偶然かどうかは知らないが、あいつはたまに私を助ける。
あいつの本意はどうあれ、そのお陰で私が危機から脱したこともあった。
…今のように。





私は、やっぱりまだあいつを味方としては見れない。
でも…。



"敵か味方か?"と訊かれたら…。



…どう答えていいのか、わからない。





敵? 味方?





戦闘も終了し、少し休憩を入れようとフェイトが提案した。
皆も疲れていたのか、すぐに承諾してその場に座り込む。
近くにあった岩にもたれて昼寝の体勢に入るクリフや、それを見て緊急事態になったらどうするのよ、と注意するマリア、それを見ながらこんなバカチンがいなくても大丈夫じゃねぇの?と言っているロジャー、そんな光景を見ながら苦笑して、だが周囲に敵がいないか警戒しているフェイト。
ネルは仲間達を一瞥し、仲間達の輪の中にアルベルがいないことに気付く。
まぁ、あいつが仲間達と仲良く談笑できるわけもないな、と思いながら、アルベルを目で探す。
少し離れた、木がまばらに立っているところにアルベルは座っていた。
木に隠され、こちらからは姿がほとんど見えない。
むしろ、それを意識して木の裏にいるのだろうか。
ネルはそんなことを思いながら、アルベルに近づいた。
…彼には、一言言っておきたいことがあったから。



道から外れた小さな木陰に木を背にして腰を下ろしていたアルベルは、近づいてくるネルに気付いて視線を上げた。
木によって地面に落とされた影の中に座っているアルベルを見下ろしながら、ネルは近づく。
ネルはアルベルから少し離れたところで立ち止まり、そして口を開いた。
「さっきは…悪かったね。助かったよ」
ネルはアルベルの目を覗き込みながらそうつぶやく。
なんとも複雑そうな表情で。
アルベルは、ネルがそう言うだろうことを予想していたのか、さして驚くこともなく答える。
「俺の標的に、偶然お前が狙われていただけだ。別にお前を助けたつもりはねぇよ」
アルベルはそう答え、ネルから視線を逸らした。
ネルはその言い様に一瞬眉を顰める。
「…でも、私があんたに助けられたのは事実だよ。だから一応礼くらいは言っておこうと思ってね」
アルベルはネルに見下ろされているのが気に食わないのか、ゆっくりと立ち上がり、木にもたれる。
「生真面目な奴だ」
ネルはアルベルを見上げて口を開く。少し険しい目つきで。
「悪いかい」
「別にそうとは言ってねぇだろう。…だがな」
アルベルはネルを見下ろしたまま、にやりと笑んで言った。
「戦闘中、考え事をしていて注意力散漫になるのは、どうかと思うがな」
アルベルが言った言葉に、ネルはぴくりと反応して視線を逸らした。



確かに、さっき助けられた時自分が詠唱をしながら考え事をしていたのは本当だ。
…まさか、見抜かれていたなんて。



ネルは内心舌打ちしながら、でも表情には出さずに口を開く。
「…それは悪かったよ」
「まったくだ。そんなんでクリムゾンブレイドが勤まるなんて、シーハーツも大したことねぇな」
今までバツの悪そうに視線を逸らしていたネルは、アルベルの台詞に反応してきっ、と視線を上げた。
アルベルの紅い瞳を睨みつけながら言う。
「私を貶すのは構わない。けど、私の国を馬鹿にするな」
静かな、だが威圧感のある声音だった。
並みの人間ならおそらく竦んでしまうような、怒りの感情がこもっている。
アルベルはそんな視線を受けながら、動じずに口を開く。
「別に馬鹿にしてはいないがな」
「あんたはそんなつもりがなくても、私にはそう聞こえたんだよ」
「…へぇ」
アルベルは木にもたれたまま腕を組み、そして続ける。
「理解できねぇな。そこまで自国を気にするお前の考え方が」
それを聞いて、ネルはわずかに目を細める。
睨みつけたままに、言う。
「…他人とか、国とかそういうことに興味がなさそうなあんたには、私の考え方は馬鹿らしく思えるかもしれない」
強い意思の宿った菫色の瞳で見上げながらネルは続ける。
「でも。私は、私の国が好きだ。とても大切で、かけがえのない存在なんだ」
「…」
アルベルは何も言わない。
ネルはふ、と息を吐いて、どこか冷めた表情を作る。
「…例え、世界中の人が私を愚かだと罵っても構わない。本当にそうかどうかを決めるのは、誰でもない私自身だから」
「そうかよ」
短く言われた言葉に、ネルは軽く頷いて見せる。



「…自国がそんなに大切なら、その国を侵略しようとした国の俺のことはさぞ憎いんだろうな」
面白げに笑っているアルベルが口にした言葉に、ネルは意外そうな表情をした。
「え…」
「なに驚いてんだ」
アルベルは風に揺れる長い前髪を鬱陶しそうにしながら、ネルを見下ろしている。
そして言った。





「お前も俺が憎いだろう?」





―――憎い?





そうだ。
私はこの男が憎いはずだ。



今までさんざん自分達の仲間を傷つけてきたこいつを、憎んでいるはずだ。
自分が大切に思っている国を侵略しようとした国の、団長であるこいつを。
憎んでいる、はずだ。



…でも。



何故か、"そうだ"と即答することはできなかった。





「…あぁ」
ネルは小さくつぶやいた。
「憎いよ…私はあんたを憎んでる」
その声音は、アルベルに向けてというよりも、自分に言い聞かせているようだった。
それに気付いたアルベルは、表情を変えないままに口を開く。



「ほぅ…そうだろうな。当たり前の返答だ」
「…当然だろう?」
ネルはそう答えるが、視線がどことなく泳いでいる。
「…なら、」
が、次にアルベルが言った言葉に、ネルは泳がせていた目を見開くことになる。
「何故迷う?」





「…え」



「さっきお前は言ったよな。俺のことを"憎い"と」



「…あぁ」



「何故躊躇った」



「…」



「…何故即答しなかった?」



「それは…」





ネルは返答に困って口ごもる。
アルベルは腕を組んだまま、返事を待つように視線をやった。
ネルは軽く俯いて、地面をぼんやりと見ながらなんと言っていいのか悩んでいた。



しばらく、沈黙が流れる。
木の枝に止まる鳥の声や、葉擦れの音がやけに大きく感じた。





「…わからない、んだ」
「…なんだと?」
ネルのつぶやいた台詞に、アルベルは半眼になって聞き返す。
「確かに、私はあんたを憎んでる。…でも、」
ネルはどこか茫洋とした、困ったような悲しんでいるような表情をつくる。
「わからないんだ」
「…何が、だ」
アルベルは半眼のまま、低い声で言う。
ネルは苦笑いをして、言った。
「憎いはずの、あんたを。敵としても味方としても見れないんだ。どちらなのか…わからないんだよ」



最初、私がこの男に対して抱いていた感情は、まさしく、"憎しみ"だった。
仲間になった当初は、そうとしか思えなかったはずだ。
表面上は味方のように振舞っていたが、心のどこかではこの男をまだ敵と見ていた気がする。



だけど。
今は。



バール山脈で実験台にされていた無残な竜の死骸を見て。
―――自分達も同じことをしているだろう、と真っすぐな瞳で言われた時。
それは完全な正論で。はっとなった。



あの耳の長い亜人の家で、なにやら間抜けな返答をされた時。
…わざと言ってるのか?と少し呆れた。



そして、



さっき、戦闘で助けてくれた時。
本意はどうあれ、悪い奴ではないかもしれないな、と。
ほんの少し、思った。



少しの間だけど一緒に旅をして、この男のいろいろな一面を見てきた、今は。



抱いている感情は、憎しみだけではなくなってきている。
それが信頼なのか、仲間意識なのか、それとも他の何かなのかは、まだわからないけど。
でも、やっぱりまだシーハーツを侵略しようとしたアーリグリフが憎いと思う感情は拭い去れなくて。
新しい感情と板ばさみになって、どちらが本心なのかが分からなくて。





敵とも味方とも見れなかった。





「はぁ?」
アルベルはかなり間の抜けた表情をして聞き返した。
ネルは相変わらず苦笑を浮かべながら、アルベルの反応を見ていた。
「あんたは…どう思ってるんだい?私を、まだ敵と見てるのかい?」
ネルは口にしてから、馬鹿な質問をしたな、と少し後悔した。
この男にそれを訊ねて、一体自分はどうしたいのか。
何を期待して、訊ねているのだろう。
そう思っていると、
「…俺も、お前をまだ敵とも味方とも見てねぇよ」
思いもよらない返事が返ってきて、驚いた。



「え?…どういう意味だい」
「言ったままの意味だ。俺も、お前を敵とも味方とも見てねぇんだよ」
「…だったら…なんなのさ」
ネルは呆然と問いかける。
アルベルは少し逡巡して、そして口を開いた。
「…そうだな。例えば、さっきのように、お前を"偶然助ける"こともあるかもしれねぇし―――」



次の瞬間、
アルベルの言葉を聞いていたネルの首元に、白い刃が当てられた。



「…こうやって、お前を殺そうとするかもしれねぇ」



刃が触れるか触れないかの、ギリギリの距離を保って。
アルベルが腰に佩いていた刀を一瞬で抜いて、ネルの喉元に突きつけていた。



ネルは驚きはしたが、怯えはしなかった。
変わらない表情で、アルベルを見ている。



「…そんなものだろう?」



アルベルはどこか皮肉げに笑いながら、刀を鞘に仕舞い。
当然のように言い放った。



「休戦協定中の、元敵同士、なんてのは」





…そんな、ものなのだろうか。





「…じゃあ」
「あ?」
「…アーリグリフと…シーハーツが…いつか、本当に協力しあえる日まで」



ネルはどこか揺れる瞳で、アルベルを見ながら言った。



「私達は…ずっとこんな曖昧な関係の、ままなのかな」



「………」



「敵でもなくて…味方にもなれない、こんな状態のまま」



「………」





「変わりは…しないのかな」





まるで迷子になった子供のように。
ネルは不安そうな面持ちでアルベルを見上げた。
アルベルはそんな表情のネルを見て、何故だか嫌な気分になる。我知らず、気遣わしげな表情になる。
どうしてかはわからないが、ネルをこんな表情にはさせたくなかった。





…さっきまで、鋭い双眸でこちらを睨みつけていたあいつはどこに行ったんだ。
アルベルはそんなことを思う。



…さっきまで、皮肉げに笑っていたこいつはどこに行ったんだろうね。
ネルはそんなことを思う。





その沈黙を破ったのは、アルベルだった。



「…だったら」



「…え?」



「変えれば、いいじゃねぇか」





「変える?」
途端にきょとんとした表情になりながら、ネルは小さく首を傾げる。
さっきまでの表情が消えた様子を見て、何故かほっとしながらアルベルは口を開く。
「国がどうだとか、本当は関係ねぇだろうが。変えたいのなら変えればいい」
「…どう、やって?」
「簡単なことだ。"敵"か"味方"か。好きなほうを選べばいい」
「それができないから困ってるんじゃないか」
「ほぅ?お前はさっき俺が憎いといっただろうが。だったら、俺は敵じゃないのか」
「…休戦協定中の国の人間を、敵だなんて言えないさ」
「それは表面上の建前だろう。お前自身はどうなんだ」
「………」



私自身は?
どう思ってるんだろう。



国とか、立場とか、建前とか。
そんなことは気にせずに、この男を見たら。



どう思うのだろう。



…私、は。





しばらくして。
ネルはぽつりと口を開いた。



「…答え、って」
「あ?」
「今、はっきりと出さなきゃいけないかな」



「…お前が何を勘違いしてるかは知らねぇが、別に俺は答えを強要してるわけじゃねぇぞ」
アルベルは少し呆れたように言った。
「答えを急かしてるわけでもねぇ」
「そうだね。…だったら、さ」



ネルはアルベルを見上げた。
さっきまであった不安な色は見えない、彼女本来の意思の強い瞳で。



「これから。あんたの性格とか、人間性とか…いろいろ知っていくと思う。まだまだ旅は終わらないんだから」
「それで?」
「それで…味方になってもいいと思ったら、仲間として気兼ねなく接する。やっぱり敵だと思ったら、少し距離を置く」
「少し距離を置く、程度でいいのかよ」
「あぁ。だって、その後から味方と思えるようになるかもしれないだろう?私だって、敵を増やすより味方を増やすほうがいいから」
「そりゃそうだろうな」
「だから…ゆっくり、考えていこうと思う」
「ほぅ」



アルベルは何を思うでもなく、淡々と答えている。
ネルはそんなアルベルを見上げ、



「…なんか、すっきりしたな」
そう言って軽く微笑んだ。
「そうかよ」
アルベルはどうでもよさそうに返事をする。





「ところで、さ」
「あ?」
「あんたは?」
「は?」
言われた言葉が意外で、アルベルは目を丸くする。
「あんたは私を敵と扱うのか味方と扱うのか、どっちなんだい?」
別に、答えを出さなくても構わないけどさ。
ネルはそう付け足しながら、言った。
「…」
「ねぇ」
「…俺だって、わざわざ敵を増やそうとは思わねぇからな。とりあえず、味方ということにしておいてやるよ」
「なんだいそれ。別に、無理に味方と思ってくれなくたっていいけど」
ネルはむっとなって言い返す。
「無理に思ってるわけでも、ねぇけどな…」
ぽつりとつぶやいたアルベルの台詞に、ネルはえ、と呟く。
どうやらその呟きは無意識だったようで、アルベルはバツの悪そうな表情をする。
「無理に思ってるわけでもない?」
「…まぁな。別に俺はお前を憎んじゃいねぇし、敵だと思う理由もねぇ。…敵だったのはもう前の話だしな」
「そうかい」
「…あぁ。それに、」



アルベルは一旦そこで言葉を止めて、にやりと笑いながら、言った。



「くだらねぇことで戦闘中悩んでる阿呆なんかを、敵に回しても面白くねぇしな」





それを聞いて。ネルはばつの悪そうに顔を歪める。



「…失礼だね、あんた」
「本当のことを言ったまでだろうが」
「…まぁね。だったら…」



ネルは手を腰にやってアルベルを見上げ、挑むように軽く睨みながら、言った。



「私も、とりあえず今のところは、"味方"ということにしておいてあげるよ」
「あ?」



「"くだらないことで戦闘中悩んでる阿呆"をわざわざ助けてくれたお人好しを敵に回すのも、面白くないしね?」





それを聞いて。アルベルもばつの悪そうに顔を歪める。



「あれは…偶然だって言っただろうが」
「まぁ偶然でもなんでもいいさ。私は現に助かったんだから」
「ふん…勝手に勘違いしとけ」
「あぁ、そうするよ」



そんな小さなやりとりも、少し前と比べて空気が和やかになっていて。
考え方や見方を変えるだけで、これだけ場の雰囲気が違うのか、とネルは感心する。



「…でも。私も助けられてばっかりじゃないからね」
「は?」



アルベルが聞き返した、その時。





「ネルさーん!アルベルー!そろそろ出発だよー!」



休憩していたフェイトが、大きな声でそう呼びかけてきた。
見ると、少し離れたところで大きく手を振っている。



「…出発みたいだね」
「そうだな」
「まずいね、探させちまったみたいだ。急ごうか」



そう言ってくるりと振り返り、フェイト達が待っている方向へネルは駆け出す。
「おい、さっきの続きはなんなんだ」
アルベルは背中越しにネルに問いかける。



ネルは、少し行ったところでアルベルがいるほうへ振り向いた。



挑むような、楽しんでいるような。
そんな表情をして、アルベルを見据えて、



「次は、あんたが危ない時、私もあんたを助けるから」
「あぁ?」
「助けられてばかりじゃないって言っただろう?」



ネルはそう言って微笑んだ。





「お前に助けられるほど落ちぶれちゃいねぇよ」
「それでも、危険な時はあるだろう?だから、」





「さっきの借りを返して、さらにあんたに借りを山ほど作らせてやるからね。覚悟しときなよ、歪のアルベル」





ネルはそう言って、また踵を返してフェイト達のいるほうへ走っていった。
アルベルはその後姿をしばらく見て、そして、





「はん。…上等だ、赤毛のクリムゾンブレイド」



こちらも挑むような、楽しんでいるような表情をして、言った。