※見る人によっては痛い系です。






御伽噺なんて痛々しいものだ。





痛々しい





昔々、ある所に。
とても仲の良い、姉妹がおりました。
二人はお父さんとお母さんを事故で亡くしていましたが、お姉さんはとても優しく、妹さんはとても明るい、みんなに好かれる姉妹でした。
二人は仲良く暮らしていましたが、突然事件は起きました。
近くの山に果物や木の実を採りに行ったお姉さんが、そこに住んでいる悪い魔物に襲われ、怪我をしてしまったのです。
お姉さんは一命を取り留めましたが、強力な毒を受けて病気になってしまいました。
その病気は、その魔物の血から作った特別な薬がないと治らない特殊なものでした。
魔物は強くて、普通の人ではまったく歯が立ちません。
日に日に衰弱していくお姉さんに、妹さんは泣き続けるばかり。他の人も、どうすることもできません。
そんな時、その町に一人の旅人さんがやってきました。
腰に剣を刺した、なんだか強そうな旅人さんでした。
旅人さんは、泣いている妹さんに訊きました。
「どうしたの?何で泣いているの?」
妹さんは、病気のお姉さんがいること、そのお姉さんが今にも死んでしまいそうなこと、その病気を治すには魔物の血が必要なこと、でも魔物は強くて倒しに行くなんて無理なことを、泣きながら説明しました。
旅人さんは、その話を聞いて、そして言いました。
「よし。僕がその魔物を退治してきてあげよう!」



旅人さんは、とある山の中にいました。
あの後、泣きながらお礼を言ってくる妹さんに場所や魔物の特徴を聞いて、すぐに出発した旅人さんは。
「急がなきゃ。あの子のお姉さんには時間がないんだ」
そう言いながら、急ぎ足で魔物を探していました。
旅人さんは、当然今まで旅をしていましたから、魔物と戦ったことももちろんあります。
ですから、多少、腕に自信はありました。
それに、困っている人を放っておけない人でした。
そんな旅人さんが、注意深く歩き回っていると。
とつぜん、茂みから何かが飛び出してきました。
旅人さんが身構えます。
目の前にいるのは、ちょうど旅人さんが探していた、あの子のお姉さんを襲った悪い魔物でした。
大きな狐のような魔物です。
旅人さんはすぐに反応して、腰の剣を抜きました。飛び掛ってくる魔物に狙いを定めて、斬りかかります。
魔物はひらりと身を翻して、旅人さんの腕に噛み付いてきました。
旅人さんは急いで腕に噛み付いてくる魔物を振り払い、剣で魔物をもう一度斬りました。
魔物はぎりぎりでかわします。が、旅人さんの正確な剣さばきを見て、少し悔しそうに逃げていきました。
「逃がすか!」
旅人さんはそう言って追いかけようとしましたが、体が思うように動きません。
さっき噛み付かれた時に、毒を食らってしまったのです。
旅人さんはその場にうずくまり、腕の手当てをしようとしました。
しかし、毒がいよいよ体中にまわってきたようで、手当てをする前に倒れてしまいました。





「ねぇ。大丈夫?」
倒れていた旅人さんは、その声に反応して目を開けました。
見ると、倒れている自分の目の前に、小さな女の子がちょこんと座って、こちらを見下ろしていました。
旅人さんは少し驚いて、訊きました。
「君は?どうしてこんなところにいるんだい?」
小さな女の子は答えます。
「わたしはこの山にご飯を採りにきたんだよ。そしたら、あなたが倒れてたから」
「ご飯?」
旅人さんは驚いて聞き返します。
「うん。わたしのお兄ちゃんが少し前に死んじゃったから、わたし一人でご飯を作らなきゃいけないんだ」
女の子は悲しそうに言いました。
「…お母さんやお父さんはいないの?」
「うん。私が生まれてすぐ、死んじゃったんだ」
旅人さんは、寂しそうに話をするその子のことをとても可哀想に思いました。
そして、この山には悪い魔物がいることははっと思い出します。
「そうだ。この山には危ない魔物がいるんだよ。だから早く逃げたほうがいい」
「えっ?じゃああなたも早く逃げなきゃいけないじゃない。なのにどうしてここにいるの?」
「それは…」
旅人さんはその女の子に、この近くに病気のお姉さんがいること、その人の病気を治すためには魔物の血がいること、そして自分はその魔物を倒しに来たことを、手短に話しました。
「…そうなんだ…。だったら、わたしも手伝ってあげるよ!」
「えぇっ!ダメだよ、その魔物は本当に怖いんだよ」
「だいじょうぶ、だってあなたがいるじゃない。わたしこの山にはちょっと詳しいから、道案内くらいはできるよ」
張り切って言う女の子に、旅人さんはもう一度言いました。
「ダメだよ。危ないから―――」
「だって、わたしそのお姉さんが死んじゃうの嫌だもん!だって、お姉さんが死んだらその妹さんが悲しむでしょ!」
女の子はそう大声で言って、そして俯きました。
「わたしもお兄ちゃんが死んじゃった時、悲しかったもん。だから、だから…」
そう、泣きそうな声で言う女の子に、旅人さんは困ったような顔をします。
「…。わかったよ。じゃあ、道案内お願いできるかな?」
女の子は顔を上げて、嬉しそうに言いました。
「うん!まかせて!」



二人はしばらく歩いて、どんどん山の奥へ入っていきます。
さっきまで動けなかった旅人さんも、今はずいぶん楽になって、普通に歩けるようになりました。
「でも、さっきの妹さんの話だと、毒を受けたすぐは動けたり動けなくなったりするらしいから、早く魔物を見つけないとね」
旅人さんが言って、女の子が頷きました。
「その魔物がよく出るのはこっちだよ。山の一番奥によく出るんだ」
軽い足取りで歩いていく女の子に、旅人さんは不思議に思って聞きました。
「ねぇ。なんで魔物が一番奥に出るって知ってるんだい?」
「…。死んだお兄ちゃんが教えてくれたんだ」
「そっか…」
そんな会話をしながら、二人はさらに山奥に入って行きます。
「ねぇ。なんであなたはそのお姉さんを助けたいの?」
女の子の二つ目の質問に、旅人さんは苦笑いをして答えました。
「実はね。僕も小さい頃、姉さんを亡くしたんだ。…君と同じでね」
「…そうなんだ…」
「すごく悲しかった。だから、あの妹さんにもそんな思いをさせたくなかったんだよ」
そう呟いた旅人さんが、突然足を止めました。
「どうしたの?」
女の子が訊きます。
「…う…。また、毒がまわってきたみたいだ」
旅人さんはまたうずくまり、うめく様に言いました。
そのまま、旅人さんは地面に倒れてしまいます。
「ねぇ!しっかりしてよ!」
女の子の声だけが、旅人さんの耳に届きます。
「ねぇ!」
女の子は、倒れた旅人さんの体を揺すります。
旅人さんはぴくりとも動きませんでした。
「………」
女の子は黙って、そしてしばらく経ってから呟きました。
「この辺ならいいかな」
女の子は旅人さんの腰の剣をすらりと抜き、にやりと笑いました。
そして旅人さんに剣を向けます。





「…、…!?」
旅人さんは、自分に向けられる殺気に気づいて無理やりに意識を覚醒させ、目を開けました。とっさに飛び起きます。
一瞬前まで旅人さんが倒れていたところに、ざくりと剣が突き刺さります。
「あーあ、惜しい」
剣を突き刺した張本人の女の子が、ちぇ、と舌打ちしながら言いました。
「な…」
旅人さんは驚いて、剣を持った女の子を見ました。
「何するんだよ!」
旅人さんがそう怒鳴ると、女の子はこう言いました。
「もちろんあなたを殺そうとしたんだよ。あなたを殺して食べるために」
「…まさか、君は…」
女の子は笑います。
「そう。わたしが、あなたを襲った魔物だよ」



絶句する旅人さんに、女の子は笑います。
「言ったでしょ?この山には、"ご飯を取りに来た"って。果物や木の実の事だなんて一言も言ってないよ」
「じゃあ、なんでさっき僕が倒れていた時に殺さなかった?」
「だってあそこは山の入り口からそんなに離れてなかったもん。少し前に仕留め損ねた"お姉さん"の時と同じように、誰かが助けにきたら困るから」
「…だから、僕を騙して山の奥まで連れてきたのか」
「そういうこと。まんまと嘘にひっかかってくれて楽だったよ、おバカさん」
笑いながら言う女の子を、旅人さんは睨みます。
「じゃあ、お兄さんが死んだとか、だから妹さんを同じ理由で悲しませたくないとかも、嘘だったのか!?」
「さーぁね、どうだかねー。お兄ちゃんここで死んじゃうんだから教えても意味ないでしょ」
女の子はそう言って、どろんと姿を変えました。さっき自分に噛み付いてきた魔物です。
旅人さんは鋭い目で睨みつけ、素早く剣を拾い上げました。





「…はぁ、はぁ…」
しばらくして。
旅人さんは、やっとのことで魔物を倒しました。
さすがに毒の回った状態では大変だったのか、旅人さんは肩で息をしています。
旅人さんは目の前に倒れている魔物の亡骸から、用意していた注射器を使って血を抜き取りました。
さっき戦った時に大分流れてしまっていて、採れた血はほんのわずかでした。
旅人さんは、その血をしばらく眺め、そして荷物の中に仕舞いました。
「さぁ。急がなきゃ」
そう呟き、急いで山を降りて女の子の待つ街へと向かいました。





その街にたどり着いた時、もう夜は明けていました。
旅人さんは急いで妹さんの家を捜します。
やっと見つけた妹さんの家では、泣きじゃくる妹さんと、険しい顔のお医者さんと、今にも死んでしまいそうな様子の苦しそうなお姉さんがいました。
旅人さんはボロボロの格好のまま、妹さんの隣にいるお医者さんに採ってきた血を渡しました。
お医者さんは急いで薬を作り始めます。そのまま飲ませても効果はあるにはあるのですが、本当に少量だったのできちんと薬を作らなければ確実に効くとは言えなかったからです。
妹さんは感激しながらお礼を言って、旅人さんは薄っすらと笑います。
薬はすぐに出来上がりました。
でも、旅人さんが採って来た血はほんの少しだったので、その薬はせいぜい一人分しかありませんでした。
お医者さんは、一目で旅人さんも同じ毒を受けていることを見抜きました。
しかも、ここまで走ってきたおかげで、苦しんでいるお姉さん並みに毒が体中にまわっているはずです。
困っているお医者さんに、旅人さんは言いました。
「僕はいいんです。そのお姉さんに薬をあげてください」





お医者さんは一瞬悲しそうな顔をして、そしてお姉さんに薬を飲ませました。
昏睡状態が続いていて、この薬が間に合っても助からないかもしれない状態だったお姉さんの顔色は、すっと良くなっていきました。
しぃん、と静かな状態の部屋の中、周りのみんなが心配そうに見ている中で、お姉さんはゆっくりと目を覚ましました。
「お姉ちゃん!」
妹さんが泣きながら駆け寄って、お医者さんも一息ついて安心そうな顔をしました。
薬はなんとか間に合ったのです。
旅人さんも安心したように微笑み、そして―――
ふら、と体が傾ぎ、そのまま床に倒れました。



「!? お兄ちゃん?お兄ちゃん!しっかりしてよ!」



妹さんが何度呼んでも、旅人さんは二度と目を覚ましませんでした。








「―――そして、その旅人はその町で手厚く葬られ、英雄として名を残したのでした。…おしまい」
雪の降りしきる街の宿屋の一室で、赤毛の女性がそう呟いた。
「…いい話だったね」
「うん、いい話だったわ…。でも、ちょっと悲しいお話だったわね」
青い髪の少年と同じく青い髪の女性が言った。



この話を、赤毛の女性が話すことになったきっかけは些細なことだった。
暇つぶしに、それぞれの星にある御伽噺や昔話などを話し合おうということになって。
彼女に順番が回ってきた。それだけだった。





「その旅人さんは、自分を犠牲にしてそのお姉さんを助けたんですね…すごい人だなぁ」
茶髪の少女が悲しそうに言った。
「…そうだね。すごい、人だよね」
赤毛の女性が答えた。





「それにしても、ネルちゃん達の星には、悲しいお話があるんだね…」
ネルと呼ばれた赤毛の女性は、そうだね、と答える。
「スフレ姉ちゃんの星にはどんなお話があるんだよ?」
「うーん…楽しいお話かな。っていうか、面白いお話が多いかな?」
「例えば?」
「えーと、"勇者すっとこどっこいくん"とか、"ポッペケと十五人のパシリ達"とか」
「…タイトルからしてすげぇな、そりゃ」
「じゃあ次はあたしが話すね!むかしむかしー…」
しんみりとした空気が一気に明るくなって、次の御伽噺が始まった。
そんな様子を見ながら、ネルがぽつりと呟く。
「あんたは参加しないのかい?アルベル」
その呟きに、ネルの後ろにいた黒と金の髪の青年が鼻を鳴らす。
「参加?ただの作られた御伽噺の出し合いじゃねぇか。くだらねぇな」
「…ま、あんたならそう言うと思ったけどね」
アルベルと呼ばれた青年が、そう言うことを予想していたのか、ネルがそう答える。
「あんた御伽噺とか知らなさそうだしね」
「は?」
「そういう類の事に興味ないだろう?」
「まぁな」
「だったら知らないかと思って」
「…」
アルベルが黙り、ネルがやっぱりね、と呟く。
「確かにんな話には興味ねぇが…」
「ん?」
「…さっきお前の話した御伽噺の"裏話"くらいなら知ってるぜ」
「え…?」
ネルが呟き、アルベルを見る。
アルベルは腕組みをしながら壁にもたれた体勢のまま、笑う。



「教えてやろうか?あの話の裏話を」
アルベルが呟く。
ネルが何かを言おうとした時、
「…はい、めでたしめでたし!これであたしの話はお終いだよっ!」
「じゃあ、そろそろお開きにしましょうか。もうご飯の時間ですし」
「今日の当番は私とネルと…ロジャー?だったかしら」
「あぁ、じゃあよろしく」
「…ネルはともかく、なんでロジャーを食事当番に組み込んだんだよフェイト」
「大トロが食べたかったからだよ」
「…やすいさしみが出来たらどうするのフェイトちゃん」
「まぁその時はその時で」
そんな会話が聞こえてきた。
「…だ、そうだ。とっとと料理当番行ってこい」
「…」
ネルが不満げにアルベルを見返す。
そしてため息をついて、背を向けてマリアのいる方へ向かう。
「ま、たいした話じゃねぇよ。気にすんな」
ネルの背中に、アルベルがそう声をかけた。





「…なんて言われたら、聞きたくなるに決まってるじゃないか」
夕食が終わり、各自風呂に入り終えた頃。
例に漏れず風呂に入ってきたアルベルは、部屋の前で待っていたらしいネルにいきなりそう言われて面食らった。
「…大した話じゃねぇって言っただろうが」
「なら教えてくれたっていいじゃないか」
「…」
アルベルは無言でドアを開け、部屋に入る。
「ねぇ?教えてくれるのかい?」
「…しょうがねぇから教えてやる」
渋々アルベルが頷く。
ネルが部屋に入って、近くにあった椅子を引いて座った。
アルベルは向かいにあるソファにどかりと腰掛ける。
「最初に言っておくが、今から話すのは決して幸せな結末を迎えるような話じゃねぇ」
アルベルが言って、ネルは気にした様子もなく膝で頬杖をつく。
「それでも聞くのか?」
「あぁ。別に私は幸せに終わる話を期待していたわけじゃないよ」
ネルが頷く。
アルベルはふぅ、とひとつため息をついて。
「…途中までは同じだ。旅人が、病気の姉がいるって話を聞いて、魔物を倒しに行く。そして、小さなガキに会う」
口を開いた。
「じゃあ、どこからが違うんだい」
ネルが訊いた。
「…小さなガキに会って、倒れたところから、だな」
アルベルは答える。





「…う…。また、毒がまわってきたみたいだ」
旅人はまたうずくまり、うめく様に言った。
そのまま、旅人は地面に倒れる。
「ねぇ!しっかりしてよ!」
少女の声だけが、旅人の耳に届いた。
「ねぇ!」
少女は、倒れた旅人の体を揺する。
旅人はぴくりとも動かなかった。
「………」
少女は黙って、そしてしばらく経ってから旅人の腰の剣をすらりと抜いた。
陽の光を返して鋭く光る刃を、無感動な目で見つめる。





「それから、どうなったと思う?」
そこまではネルとほぼ同じ話をして、アルベルが訊いた。
ネルは特に深く考えず、率直に答える。
「女の子は実は魔物で、その旅人を殺そうとしたんだろう?…私の知ってる話ではそうだったけど」
「あぁ。確かにそうだ。そのガキは魔物で、そいつを殺して食べようとしていた」
「…"していた"?過去形なんだね」
「…」





倒れていた旅人は、嫌な感覚を覚えて薄っすらと目を覚ました。
嫌な感覚の正体を知る前に、何やら嫌な匂いが鼻につく。
何だ?と考える前に、口の中に妙な異物感を覚えてむせ込んだ。
何度か堰を繰り返し、やっと落ち着いた旅人は、むせた所為で涙の浮かんだ目を開ける。
目の前に座っている少女を見て、目を見開いた。



少女の手首から、紅いものが流れていた。
そしてそれは、先ほど旅人が感じた口の中の異物感と、嫌な匂いの正体だった。





「そのガキは、その剣で旅人を殺そうとしたんじゃなく、自分の手首を掻き切ったんだよ」
「…どう、して」





「…なっ」
旅人は、自分を見下ろしている少女を見て、掠れた声を出す。
少女はにこりと笑った。
「気分はどう?体が痺れたり、頭がぼんやりするなんてことは、ない?」
「…そんなことより、その手首の傷は―――」
旅人はそこまで言って、自分の口元に何かべっとりとしたものが付着しているのに気づく。
手で拭って、そして手についたものを見てびくりと動きを止める。
それはまさに、少女の手首から今も流れ続けている、紅い血だった。
「…だって魔物の血を飲めば、毒は消えるんでしょ?」





「そのガキが自分で自分の手首を切ったのは、」
「………」
「その旅人を、助ける為だよ」





「…、まさか君は…」
旅人が呆然としながら訊いた。
「うん。わたしがさっき、あなたを毒にした魔物だよ」
「…」
「どうして、って訊きたそうな顔してるね。…人間はむやみやたらに物事に理由を求めるって本当だったんだ」
少女が言う。相変わらず血が流れ続ける手首をまったく気にした様子もなかった。
旅人は持ってきた荷物の中から、布を取り出して少女の手首にぐるぐるに巻きつけた。
「…そんなことしたって無駄なのになぁ」
「どうしてだい」
「だってもうとっくに、私達魔物にとっての致死量の血が流れてるもん。わたしはもうすぐ死ぬよ」
少女が事も無げに言って、旅人が表情を堅くした。
少女の座っている場所と、自分が寝ていた場所に広がる血だまりを見やる。
やるせないような表情で、首を左右に振った。
「まぁいいや、説明を続けるよ」
少女がまたにこりと笑って、口を開いた。
旅人は少女の前に片膝を立てて座ったまま、無言で聞く。
「まず、わたしが魔物だってことはもう理解してるよね」
少女が言った。旅人は小さく頷く。
「そして、君はさっき僕を殺そうとした。噛み付いて毒にしたっていうことは、そういうことだろう。…違うかい?」
旅人が質問して、少女が曖昧な表情で頷いた。
「うん。違わないよ」
「だったら、どうして今僕を助けた?」
少女は微笑む。幼い彼女にはとことん似つかわしくない、自嘲するような笑みだった。
「…わたしは魔物だよ。人間じゃない。人間と同じような感情や、そういった類のものを持ってるのかはわからない。けれど―――」
「けれど?」
「…肉親を亡くして、悲しむ気持ちっていうものだけは…理解できるんだよ」


「―――痛々しいくらいに、ね」





深い山の中、一人の少女と一人の旅人がいた。
夕日の差し込む山の中、紅い夕日に負けないくらいの血がその場に流れていた。
「わたし、さっき言ったよね。お兄ちゃんを亡くしたって」
「…あぁ」
「あれは嘘でもなんでもないんだ。そしてその時、わたしはとても悲しかった」
少女が変わらぬ表情のまま続ける。
旅人も変わらぬ表情のまま聞き続ける。
「その時、思ったんだ。今までわたしが食べ続けてきた、殺し続けてきた人間達も、誰かの肉親で、誰かの友達で、誰かの大切な人だったんじゃないかなぁって」
「…」
「わたしだって生きるためには何か食べなきゃいけないんだ。そしてそれが人間だったってだけ。…でも、」
少女はそこまで話して、ふぅ、と息をつく。一気に喋った所為で少し乾いた喉を軽く咳払いして、続けた。
「もう、誰かが死んで誰かが悲しむのは嫌だな、って思ったんだ。…あなただってそうでしょう?そう思ってたから、あのお姉さんを助けようとしてるんでしょ?自分を、犠牲にしてまで」



「…あぁ」
「だったら私が説明しなくても、わかってくれるんじゃないかな?」
「…じゃあ、僕を襲ったのは?」
旅人が訊いて、少女は軽く俯いた。
「普通の、ただの旅人だと思ったんだよ。ただの旅人だったら、死んで悲しむ人もいないかなぁって思って。…最近のわたしは、身寄りのなさそうな旅人ばかり狙ってたからね。そのお姉さんとやらを襲ったのは随分前の話だから別だけど」
「………」
「でも、…ダメだったね。あなたが死んだら、その女の子のお姉さんも死ぬ。そしたら、女の子が悲しむ」
「だからって…こんな、自分を犠牲にしてまで、僕を助けることなんてなかっただろう」
旅人がうめくように言って、少女が意外そうに眉を跳ね上げる。
「…? あなた、何か勘違いしてない?」
「勘違い?」
鸚鵡返しに旅人が聞いて、少女が言う。
「わたしは自己犠牲なんてこれっぽっちもしてないよ。これはただの、自己防衛」
「自己防衛?自分を傷つけて、死に追いやるようなことが?」
「そうだよ。これはただの自己防衛」
少女はもう一度言った。
「僕から見れば、それは完璧な自己犠牲だよ」
「そう。でも、わたしからしたらこれは完璧な自己防衛だよ」



「わたしは、わたしの所為で悲しむ人を見たくない。わたしの所為で悲しむような人が出るようなことをしたくない」
「………」
「だって、そんなことしたらわたしが悲しいから」
「………」
「だからわたしはあなたを助けた。それだけだよ」





「…ねぇ」
「なぁに?」
「…今から…僕にできる事で、君を助ける為に何かやれることは…」
「ないよ」
きっぱり、と音が聞こえてきそうなくらい、少女がはっきりと答えた。
「さっきも言ったよね。致死量の血が流れたって。わたし達魔物は元々体に流れる血の量が少ないんだ。それに肝心なこと忘れてない?あなたはわたしの血を持ち帰ってそのお姉さんに飲ませてあげないといけないでしょう?」
「………」
「ましてやあなたは医者でも魔法使いでも、神様でもない。普通の人間でしょう?だったら何もできることはないよ。それでいい」
「………」





「馬鹿じゃないのか、君は…」
旅人が言った。
「さぁ。わたしにはわからないよ」
少女が答えた。





「まぁ、馬鹿でもなんでもいいよ。ところで最期にお願いがあるんだ。命の恩人のお願い、聞いてくれない?」
少女が白くなった顔で言った。
「…何?」
「わたし、さっきから手首が痛いの我慢してるんだ。それになんか頭もぼーっとして喋るのもぼぉっとしてるのも辛い」
「………」
「痛いのも辛いのも嫌いだからさ。いっそのこと終わらせてくれないかな?」
少女が言った。
初めて旅人に逢ったときと変わらぬ、子供らしい笑みだった。
「…いいよ」
旅人が言った。
初めて少女に逢ったときと変わらぬ、悲しそうな笑みだった。
悲しそうな笑みのまま、剣を握る。
少女が満足げに笑った。








「…それからは、お前が知ってる話と一緒だ。旅人はガキ…魔物を殺して、街へ戻る。まぁ、殺した理由はまったく違うがな」
話し終えたアルベルが、ネルを見た。
ネルは軽く俯いて、言った。
「…痛々しいね」
「御伽噺なんて痛々しいものだ。実際に伝わっているものはどうあれ、な」
アルベルはふ、と息だけで笑って答える。



「お前のしていることも変わらねぇだろう?」
「え?」
ネルが顔を上げた。
「違うか?"私は他人を犠牲にしてまで、生き残るつもりなんてない"んだろう?」
「………」
「それは立派な自己犠牲なんじゃねぇのか?少なくとも、俺はそう思うがな」





「さっきお前は言ってたよな。自己犠牲をした旅人を"すごい"と」
「…あぁ」
「なら、俺の話を聞いた今でも、そう言えるのか?自己犠牲はすごいことだってな」
アルベルが言って、ネルは黙った。
「俺は馬鹿だと思うぜ。自己犠牲も、自己防衛もな」



「どちらも―――馬鹿で痛々しい、ただの我侭な行動に過ぎない。…だろう?」





ネルが一度俯き、目を閉じた。
何かを考えて、押し黙る。
アルベルは返事を待つようにネルを見ていた。





「わからないよ」
ネルが顔を上げて、答えた。
「わからない?」
アルベルが反復して、ネルが頷く。
「あぁ。私にはわからないよ。自己犠牲がすごいことなのか、馬鹿なことなのか。正しいのか、間違っているのか。…そして、私はそれをこれからも続けるべきなのか、そうではないのか」
アルベルはその答えに満足したのかしていないのか、読み取れない表情で言った。
「そうか。そうだろうな」
「あぁ」
ネルが呟いた。





「…長い話をしてくれて、ありがとう。私はもう戻るよ」
ネルが椅子から立ち上がる。
「まったくだ。長話させやがって」
相変わらずなアルベルに、ネルは苦笑する。
「ねぇ…。もしも―――」
立ち上がったネルが、アルベルに何かを言いかけた。そして途中で口をつぐむ。
「何だ」
アルベルが訊いて、ネルが首を振った。
「…いいや、なんでもないよ。―――お休み」
そのままネルは背を向けて歩き、部屋を出る。





アルベルは閉まったドアから視線を外し、立ち上がる。
ベッドまで歩いて、どさりと背中から寝転がる。ベッドのスプリングが軋んで、彼の体が僅かに跳ねた。
「"それをこれからも続けるべきなのか、そうではないのか"―――か」
そう一言つぶやいて、目を閉じた。
数分もしないうちに、眠りにつく。





ネルは自分に割り当てられた部屋へ行って、静かにベッドまで歩いた。
浅く座り、座っている場所より奥に両手をついて上を見上げる。
そして思う。





…自己犠牲が正しいことかはわからないけど…。
もしもあいつと私、どちらかが絶対に死んでしまうとしたら、私は迷わず自分が死ぬことを選ぶだろうね。
これは自己犠牲なのかな?それとも自己防衛?
…どちらにせよ、私は私がそうしたいからそうするんだ。
あいつはどうするだろうね。こんな私の考えを馬鹿と思うかな?



ネルはぼんやりしながら目を閉じる。答えるものは当然いない。





話をしていた間にすっかり乾いてしまった髪を、首にかけていたタオルで一度拭いて、ネルはタオルを首からとった。
軽く畳んで椅子の背にかけ、ネルはひとつ欠伸をする。
腰掛けていたベッドにゆっくりと体を横たえ、シーツを引っ張って体の上にかけた。
ベッドの脇にある小さな灯りを消し、部屋の中が闇に染まる。





「馬鹿でも何でも…私はあんたに生きていて欲しいんだよ」





本当に小さな微かな声でそう呟き、ネルは目を閉じた。