小さい頃から、本当に物心つく頃から一緒にいて。
あなたのことなら知らないことなんてないと思ってた。
でも、あなたはもう私の知っているあなたじゃなくなってきてるわよね。
だったら―――――





おさななじみ





「お久しぶりです、クレアさん」
白い光が差し込む涼しい朝。
アリアスの中心にある領主屋敷一階にある広間の扉を開けた青い髪の青年は、中にいた銀髪の女性にそう言った。
クレアと呼ばれた、椅子に座って大量の書類に目を通していた銀髪の女性は、聞き覚えのある声に反応して振り向く。
「フェイトさん!」
扉を開けた青年の名前を、驚きと喜びが混じった声で呼ぶ。
クレアは椅子から立ち上がり、数歩歩いてフェイトと呼ばれた青年に歩み寄る。
「本当にお久しぶりですね。またお会いできて嬉しいです。どうぞゆっくりしていってくださいね」
「はい。今日はこの村で一泊する予定なので、そうさせてもらいます」
「気兼ねせずにくつろいでいってくださいね。ところで、ネルも来ているんですよね?」
確認を取るようにクレアは言う。
クレアのその台詞に、フェイトは少し困ったような顔をした。
「はい。でも、今は話しかけられるような状況じゃないんですよね」
困ったように、でもどこか楽しそうに言うフェイトに、クレアは不思議そうな顔をする。
どういう意味ですか?そう訊こうとしたクレアの耳に、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
その声は聞き覚えのある女性のもので、領主屋敷の外から聞こえてきて、誰か他の人間と言い争っているように聞こえた。
「…」
「見れば分かりますよ」
クレアはフェイトが言ったとおり、領主屋敷の扉を開けて外を見てみる。
すると。



「―――幼馴染に会うことを喜んじゃいけないってのかい!」
「そうとは言ってねぇだろ!」
「そう言ってるのと同じじゃないか!大体、あんたみたいな感情の変化に乏しいヤツに言われたくなんかないね!」
「なんだとこの阿呆女!」



そこにいたのは、やっぱり見覚えのある良く見知った女性。
…と、その女性と激しく言い合っている、元は敵だった男性。
クレアはその光景にただあっけにとられて、周りにいるフェイト達の仲間はもう見慣れたとばかりに普通に眺めていた。



「…ネル……?」
ぽかんとしながら、クレアは半分無意識で幼馴染の女性の名を呼んだ。
今まで激しい口喧嘩をしていた、ネルと呼ばれた女性は、そのつぶやきに反応してそちらを見る。
立っていたクレアに気付いて、嬉々とした表情を作る。
「クレア!久しぶりだね」
口喧嘩を一時中断してクレアに向き直り、言う。
「ええ、久しぶりねネル」
とりあえずクレアは唖然としていた表情を切り替え、ネルに微笑む。
「ネルさん、この方は…」
今まで、ネルともう一人の男性の口喧嘩を傍観していた、茶髪の少女がクレアを見ながら言った。
「あら、自己紹介が遅れましたね。私はクレア・ラーズバード。シーハーツ軍の総司令官をしています」
「あっ、ご丁寧にどうも」
ふわりと笑って自己紹介をしたクレアに、茶髪の少女もぺこりと頭を下げる。
そんな様子を見ながら、クレアの後ろからフェイトが声をかけた。
「クレアさん、ここにいる皆が今の僕らの仲間です。今日、泊めてもらっても大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ。休憩したかったら二階の客室を使ってくださいね」
「あ、すみません」
「いえいえ」
フェイトはクレアに一礼したあと、皆に聞こえるように言った。
「じゃ、これで解散しよう。夕食までにはこの領主屋敷に戻ってきてね」
りょーかい、とかわかったわ、とかそれぞれに了承の言葉を述べながら、仲間たちはバラバラに解散する。
先ほどまでネルと激しい言い争いをしていた男性も、もう言い争う気もうせたようでどこへともなく歩いていった。
「…立ち話もなんだし、中に入りましょうか」
クレアがネルに言って、ネルもそれを了承した。
二人で屋敷の中に入る。



「すまないね、仕事を押し付けたままで」
広間に入ってすぐに目に入ってきた大量の書類の山を見て、ネルが申し訳なさそうな顔をする。
クレアはゆっくりと首を振って答えた。
「いいのよ。あなたにはやるべきことがあるんでしょう?気にしてないわ」
「そう言ってくれると助かるよ。でも、今日くらいは手伝わないとね」
そう言って書類の山に向かおうとするネルを、クレアが引き止める。
「ネル、あなたは今日ここに仕事をしに来たわけではないでしょう?」
「でも、」
「今日くらいはゆっくりしましょうよ。積もる話もあるし」
何かを言おうとしたネルを、クレアはやんわりとした口調でさえぎる。
ネルはまだ何か言いたそうな顔をしたが、やがて気の抜けた表情になる。
「そうだね。今日くらいは、ゆっくりしようか」
「でしょ?じゃあ私、お茶でもいれてくるわね」
クレアはそう言って部屋を出て、しばらくして紅茶の入ったカップを二つ載せたトレイを運んできた。
「ありがとう」
そう言うネルにどういたしましてと返して、クレアはネルの向かいの席に座った。
書類の山を机の隅にまとめて場所を作り、トレイを置く。
淹れたての紅茶を飲みながら、他愛もない話をしばらくしていた。
話の内容はシーハーツの情勢とかネルがどこに行って何をしていたのかとか体調は大丈夫かとかありふれた話題だったが、そんなことを話しているとき、



「ねぇネル。あなた好きな人ができたんでしょう?」



唐突にクレアが言い、ネルは危うく持っていた紅茶のカップを落とすところだった。



「…え?」
「だって、あなたに会う人皆が、あなたが可愛くなった、どこかが変わったって言ってるわよ」
「…そう、見えるのかい?」
きょとんとしながらネルが答える。
実際、クレアの目から見てもネルはどこか変わっていた。
態度や口調は相変わらずだったが、どことなく、雰囲気が変わったように思う。
どこがどう変わったと訊かれたら困るけど。クレアはネルを見ながら思う。
「…ええ。あなた、やっぱりどこか変わったわ。私の目から見てもね。…で、本当のところ、どうなのかしら?」
大体想像はつくけど。
そう思いながらクレアは問うた。
「…さぁね」
ネルは曖昧にそう答えた。
「あら。幼馴染の私にも言えないことなの?」
「別にそういうわけじゃないけど…」
「じゃあいいじゃない。教えてよ」
クレアは机の上に両手で頬杖をつきながら言う。
ネルはそんなクレアを見て、内心少し焦っていた。
この一見穏やかに見える幼馴染は、外見によらずかなり押しが強い。
それは、昔からの付き合いであるネル自身一番よくわかっていた。
このまま誤魔化しきれるとは思えない。
…どうしたもんかね…。そんなことをネルが思っていると、
「…アルベルさんかしら?」
クレアはその可愛らしい声でそう言った。
「…なっ!?」
ネルは一瞬絶句して、そしてすぐに顔を赤くする。
「だって、さっき彼と喧嘩してたのを見たけど、あんなにムキになるネル、久しぶりに見たわよ」
「だ、だからって…」
「それに、さっき名前を出しただけであんなに反応したんだもの。なんとも思ってない、ってことはないでしょう?」
笑顔のまま言うクレアに、ネルは反論できずに押し黙る。
そんなネルを見ながら、クレアは小さくため息をついて、
「まぁ、言いづらいのなら無理に言わなくてもいいけど」
そう言ってその話題を終わらせてあげた。
ネルがほっとしたのが見て取れて、クレアは少し苦笑する。
…本当に、色恋沙汰に疎い子ね。
そんなことを思いながら、クレアは紅茶を一口飲んだ。



朝日が空の頂上に昇り、時刻が昼に変わる頃。
クレアは広間で大量の書類を相手にしていた。
なんだかんだと言っても仕事はあるしやらなければならない事はやらなければならない。
ネルが手伝うと言って聞かなかったのだが、あなたは今日お客様でしょう?とクレアがやんわりとたしなめて終わった。
今ネルはあてがわれた客室にいる。
確かに仕事が溜まっているのは本当だが、ただでさえ長旅帰りで疲れているだろうネルをこき使うわけにもいかない。
生真面目なネルが長い間国に帰らずにいるのだから、よほど大切な旅なのだろう。
せめて、アリアスに帰ってきたときくらいゆっくりしていってほしい。とクレアなりの配慮だった。
書類の細々とした字を読み続けたせいで痛くなってきた目を瞑りながら、クレアはぽつりとつぶやく。
「…あの子は自分よりも他人優先だものねぇ…こんなときくらい休ませてあげないと」
つぶやきながら、手に持った書類を一旦机に置いて、ふぅ、と息をつく。
…そういえばネルは、結局アルベルさんとはどうなってるのかしら?
クレアは唐突にそう思う。
見たところ喧嘩仲間にしか見えなかった。
しかも、周りの仲間達がなんでもないように傍観していたのだから、そんなに珍しいことでもないのだろう。
あの喧嘩を見た後、フェイトにあの二人の喧嘩はよくあるのかと聞いたところ、
「ええ、もう日常茶飯事ですよ?」
と何食わぬ顔で返されて少し驚いた。
その後、
「…でも、なんだかんだいって仲良いですよ、あの二人。もうどう考えても恋人同士にしか見えないです、ぶっちゃけ」
こう付け足されて、少し納得したようなそうでないような気分になった。
…だが、ネルのあの反応から見て、ただの仲間というわけでもないだろう。
フェイトの言うことは信用できるだろうし、本当にいがみ合っているのなら喧嘩すらしないだろうし。
でも…よりによって、元敵対国だったアーリグリフの人間と、だなんてね…。
あの自国最優先だったネルが。
…人は変われば変わるものね。
クレアまた書類をさばきながら考える。
でも、見たところあまり仲が良さそうには…
「…見えないわね」
きっぱりとクレアはつぶやいた。
フェイトが先ほどなんだかんだいって仲が良いと言っていたが、…とてもではないがそうは見えなかった。
あの恋愛に対して不器用で(少なくともクレアにはそう見える)そのテのことに鈍感なネルと、あの口が悪くて自分優先で(少なくともクレアにはこう見えた)まともな恋愛していなさそうなアルベルが、そう簡単に仲良くなれるはずもないだろう。
「どこまで進んでるかは知らないけど…進展遅そうね……」
あの子もたいがい鈍いから。
クレアははぁ、と仕事の疲れとは別の意味でため息をついた。





そうやって書類をさばいていると、クレアは少し空腹感を覚えてきた。
時計を見やる。もう時計の針は昼過ぎを示していた。
道理でお腹が空くわけだわ、とクレアは適当に区切りをつけてうーんとのびをした。
ずいぶ長い間座っていたため、関節が一、二ヵ所ぱき、と鳴った。
クレアは立ち上がり昼食を取りに厨房へ行こうとして、ふと思う。
…たまには、ネルと食事するのもいいわよね。
もしかして、すでに食事当番のヘタに家庭的で貧乏クジな女兵士の彼女がネルの分も食事を用意してくれているかもしれないし。
クレアは厨房に向かわずに、階段を登って二階へと上がった。
ネルに割り当てられた客室の扉の前に来て、ノックしようとする。
と。



「…あんたの髪って、本当に変な色してるねぇ」



部屋の中から、扉越しにネルの声が聞こえた。
クレアが、ネルの他に誰かいるのかしら?と思うと同時に、



「…うるせぇよ」



と、不機嫌な声がやっぱり部屋の中から聞こえてきた。
…この声は…。
アルベルさん?
クレアは多少の驚きと、多少の好奇心を覚えてついそのまま立ち聞きを続けてしまう。
部屋の中の二人はクレアに気付いた様子もなく、そのまま会話を続けている。



「これ、染めたのかい?それとも地毛…なんてことは、ないよね」
「さぁな…おい、引っ張るな」
「…あんたの髪見てると、引っ張るか掴むかしたくなるんだよね。…あ、ほどけた」
「………」
「わかったわかった、ちゃんと直すよ。…、……」
「…なんだ今の嫌な短い沈黙は」
「…いや?ちょっと、ね」
「はぁ?…おいお前なにしてやがる」
「ん?もう片方の髪も解いてるだけだけど?」
「…何で」
「ん〜、ちょっとあんたの髪をいじりたくなっただけさ」
「は!?何する気だ」
「あんたの妙ちくりんな髪型をちょっと可愛らしくしてあげようと思って」
「余計な世話だ阿呆!」
「あっ、動くんじゃないよ!大人しくしてな!」
「………」



部屋の中から聞こえてきた会話は。
声を聞いただけでも楽しげなネルと、少し困っているような、でも声の調子はずいぶんと柔らかいアルベルの。
仲間と呼ぶには少し違うけど、恋人と呼ぶにも少し遠い、



でも、とても、幸せそうな。
そんな、会話だった。





なんだ。
仲、良いじゃない?





少し安心して…そして、少しだけ悔しかった。
旅に出る前、よく私の髪を結ってくれてた時だって、そんなに楽しそうにしてなかったのに、な。





ずっと、小さい頃から一緒にいたから。
いつも一緒で、隣にあなたがいるのがすごく自然だった。
でも、あなたはもう違う人の隣にいるみたいね。
だったら、





「…ネル。いるかしら?」
そう呼びかけながら、クレアは扉を小さくノックした。
「クレアかい?入ってもいいよ」
すぐに返事が返ってくる。
その言葉を確認して、ノブを回して扉を開ける。
そこにはむすっとした表情で椅子に座っているアルベルと、その後ろに立ってアルベルの髪を束ねているネルがいた。
「…何をしているのかしら?」
クレアが訊くと、ネルはくすりと笑って、
「こいつの変な髪形を、もうちょっと可愛くしてやろうと思ってね」
そう言いながらアルベルの髪をまとめてリボンを巻いているネルは、楽しそうに作業を続けている。
アルベルはもう為されるがままになっていた。
「はい、出来た」
「…」
クレアは、普段とは違った、でもクレアやネルにとっては見慣れた髪形をしているアルベルを見て少し笑った。
アルベルはそんなクレアや、くすくすと笑っているネルを見て、料理クリエイションの失敗作を食べたような変な顔をする。
そんなアルベルに、ネルは微笑んだまま手近にあった手鏡を渡した。
「…ふざけんなお前!」
「あはははは!」
眉をつり上げて怒鳴ったアルベルを見ながら、こらえられずネルは笑い出した。
今のアルベルの髪形は、赤いリボンをまとめた髪にくるくると巻きつける、言うなればちょうどクレアのような。
なんとも可愛らしい、彼に似合っているのか似合っていないのか微妙な髪形になっていた。
「お似合いですよ、アルベルさん」
「黙れ阿呆!」
くすくすと微笑みながら言うクレアに、反射のようにアルベルは怒鳴り返す。
クレアはそんなアルベルに物怖じすることなく微笑んでいる。
「あー、笑った笑った。ところでクレア、どうしたんだい?」
ようやく笑い止んだネルが言う。
「あぁ、そうだったわ。ネル、久しぶりに一緒に昼食でも食べましょうよ」
クレアは思い出したように答えた。
「そうだね、もうそんな時間か」
「アルベルさんもご一緒にどうですか?」
「…いい」
そっけなく返した(髪型のことはもう突っ込む気にもなれないようだ)アルベルに、ネルは少し不満げな顔をする。
「付き合いの悪い男だね」
「ほっとけ」
「まぁまぁ。アルベルさんがいいって言うんだから、無理に誘うこともないわよ」
口喧嘩に発展しそうな言い合いを、クレアが穏やかな口調で収める。
「…まぁ、そうだね」
「じゃあ行きましょうか。多分、料理当番の子が作ってくれてるはずだわ」
「あ、私もたまには何か作るよ。このごろ、料理当番も任せっぱなしだしね…」
その料理当番は、いまやヘタに家庭的で貧乏クジな女兵士の彼女の分担になってしまっているのだが。(当番ではなく分担)
「そう?じゃあ、お願いしようかしら」
「あぁ、任せときな。じゃ、先に行ってるから。できたら呼ぶよ」
「お願いね」
あぁ、と頷いてネルは部屋を出て行く。
クレアはそれを横目で見て、そして部屋の真ん中のテーブルを囲うように置いてある椅子に座ってぶすくれた顔をしているアルベルに向き直った。
「…少し、お話があります。いいですか?」
クレアが伺うような口調でそう言うと、アルベルは少し肩を落としながら、
「…断ると言っても結局は話すんだろう」
とどうでもよさそうに言う。
クレアはふわりと微笑んで答える。
「よくおわかりになられましたね」
「当たり前だ。…わざわざあいつを追い出す理由作ったくらいだし、な」
クレアはわずかに目を見張る。
確かに、料理当番の彼女の話を出して、ネルに席を外させるよう仕向けたのは自分だ。
まさか見破られようとは思わなかった。
…この人、見た目ほど鈍くはないわね。
クレアは実は結構失礼なことを思いながら、でも顔には出さずに微笑む。



「で、話ってなんだ」
促すように言うアルベルに、クレアは変わらぬ微笑のまま。
「では、単刀直入に言いますね」
その言葉通り、率直に言い放った。
「ネルのこと。よろしくお願いしますね」



「は?」
一瞬の間を置いて、アルベルはなんとかそれだけ言った。
「そのままの意味です。ネルのこと頼みましたよ」
にこやかに微笑みながら、クレアは言う。
「なんで俺があんな女を」
「…だって」
クレアは先ほどと変わらない、だが少し憂えた表情で言った。



「ネルが、あんなに楽しそうに、幸せそうにしながら髪を構ってる人なんて、」





「世界中で、あなただけなんですよ?」





…私にだって、あんな顔しないから。





アルベルが目を見張る。
そして、先ほどネルに好き放題やられた髪に視線を移し、また少し嫌そうな顔をする。



「へぇ…。…光栄とはとても思えねぇがな」
「でもそれは本当ですよ。私が言うんですから間違いありません」
「………」
アルベルは怪訝そうに、いまや可愛らしくまとまっている自分の髪を摘んで眺めている。
そして、大きく一つため息をついた。
「気に入りませんか?…でも、その髪直されないんですね」
まだ可愛らしい髪型のまま、ほどこうとしないアルベルにクレアは不思議そうに問いかける。
「…あいつが後からうるせぇから…」
「ふふ、素直じゃないですね。ネルに髪を直してもらって嬉しいんでしょう?」
「…さぁ」
そっけなく、だがまんざらでもなさそうなアルベルを見て、クレアはまた微笑んだ。



「…それで。了承していただけるのですよね?」
訊く、というよりもほぼ確認のように言うクレアに、アルベルは半分投げやりになって口を開いた。
「…あぁ」
クレアはそれを聞いて、今度は本当に嬉しそうに微笑む。





コンコン。
小さなノックの音が聞こえて、
「クレア?ここにいるかい」
続いてネルの声が扉越しに聞こえてきた。
「ええ」
そう短く答えると、がちゃりと音がして扉が開けられる。
「食事の用意ができたよ。…って、」
ネルは椅子に座ったままのアルベルを見て、あからさまに不機嫌そうな顔をする。
「…あんた、まだいたのかい」
「悪いか」
「別に悪くないけど、…クレアに何かしてないだろうね」
「はぁ!?」
剣呑な目つきで睨んでくるネルの言葉に、アルベルは素っ頓狂な声をあげる。
「私の大切な幼馴染に手を出したりしたら許さないからね」
腕を組んだままそう言うネルを見ながら、



「…"私が"アルベルさんに何かされてないか心配なのか、それとも、"アルベルさんが"私に何かしてないか心配なのか…どっちなのかしらね」



クレアは小さくつぶやいた。



「? 何か言ったかい、クレア」
アルベルを睨んでいたネルは、首だけ動かしてクレアを見る。
クレアはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、何も?それと、アルベルさんとはただ話していただけだから」
「そう。ならいいんだけど」
ほっとしたようなネルに、クレアは微笑みながら口を開く。
「じゃあそろそろ行きましょうか」
「そうだね。…じゃ」
アルベルにそう言って、ネルは部屋を出た。
クレアもそれに続き、部屋を出る直前にくるりと振り返った。
視線の先にいるのは、いまや自分と同じ髪型のアルベル。
クレアはにこりと笑い、そしてすぐに振り返って部屋を出た。



「…そういえば、あいつと何を話してたんだい?」
厨房へ向かって廊下を歩いていたネルが、同じく厨房に向かって歩いているクレアにそう問いかけた。
「気になる?」
どこか含んだような口調のクレアに、ネルは少し眉をひそめる。
「…別に……」
「素直じゃないわねぇ」
「え」
「気になるならそうだって言えばいいのに」
「別に、そんなんじゃないよ」
「ほら。ムキになってる。気になるんでしょ?」
「だからそんなことないってば!」
思わず声を荒げて言い返すネルに、クレアはやっぱり微笑みながら、
「ねぇ、ネル」



「あなたは、アルベルさんと一緒にいて、楽しい?…それとも、つまらない?」



微笑んだまま、でもどことなく真剣に、からかいやひやかしは一切含まれていない真っ直ぐな視線でそう言われ。
ネルは少し驚き、そして少し考えた。





「…つまらない…こともあるけど…」



降り始めの雨のように、ぽつり、ぽつりと言葉をつむぎだす。
少し顔を赤くして、俯きながら言う様子は、普段の彼女からは考えられないくらい可愛らしくて。
やっぱり変わったわね、とクレアは思う。



「…でも…」
「でも?」



ネルは小さく、だがはっきりと言った。





「…嫌じゃ、ないかな」





そう言ったネルは、どことなく照れていて、…でも、とても穏やかで、幸せそうな顔をしていた。





「…そう」
小声で言われたネルの言葉をちゃんと聞き取って、クレアはまた微笑んだ。





「良かったわ」





本当に。





小さい頃から、本当に物心つく頃から一緒にいて。
あなたのことなら知らないことなんてないと思ってた。
でも、あなたはもう私の知っているあなたじゃなくなってきてるわよね。



ずっと、小さい頃から一緒にいたから。
いつも一緒で、隣にあなたがいるのがすごく自然だった。
でも、あなたはもう違う人の隣にいるみたいね。



だったら。



幼馴染として、親友として、



私に言えることは一つだけね。



ネル、





―――――絶対に、幸せになってね。