あなたは初恋を憶えていますか?






ハツコイ。





それは暖かい日のことだった。
暖かかったのだから、極寒の地アーリグリフではないと思う。が、カルサアでもなかった気がする。
あの地特有の、乾いた風は吹いていなかったから。
その時何歳だったのかは、実はよく憶えていない。
"あのアーリグリフでの出来事"のかなり前だから、逆算すると多分五、六歳くらいだとは思うが。
そんな細かい事は気にしなかったし、本当を言うとどうでも良かった。
自分がこんな話を思い出そうとは、思っていなかったから。
どうしてその町にいたかも憶えてはいない。その町がどこかすら忘れてしまったから、当然だ。



見知らぬ町。見知らぬ人。見知らぬ景色。
迷子になったと自覚したのは、その中にぽつんといる自分の状況に気づいた時だった。
とりあえずきょろきょろと辺りを見回す。
さっきまで一緒にいたはずの母親は、いない。
道の真ん中でぼけっと突っ立っている自分を不思議に思ったのか、過ぎ去る人々の中にはこちらを伺うように見てくる人もいた。
その視線や道の真ん中にいることに居心地の悪さを感じて、とりあえす歩き出した。
どこに行こうかはよく考えていなかった。
見渡す限り見知らぬ土地で、どこへ行っても変わらなかったから当たり前のことかもしれない。
迷子になるのは、不覚だが珍しいことではなかった。
どうやら自分は人より方向感覚が乏しいようで(その時は意味がわからなかったが、誰かが"方向音痴"と言っていた)、初めて来た町ではかなりの確率で迷っていた。自慢できることでもないが。
好奇心旺盛だったことも手伝ってあちこち歩き回っていたのも原因の一つだろう。
そんな例に漏れず、見知らぬこの地でもやっぱり迷った。
とりあえず、いつものように周りを軽く見回しながら人通りの多い道を離れる。
人が多くては、見つける者も見つけられないし、見つけられる者も然りだろうから。
悲しいかなその年で迷うことにすっかり慣れてしまった自分は、泣く事も喚くこともなくただ楽観的に事を構えていた。
とりあえず、人の多いその場所から動こうとして、歩き出した。
なかなか人垣を抜けられなくてあちこちしている時、誰かにぶつかった。



「わ!」
相手が驚いて声を出して、ぶつかった反動でとすんと座り込んでしまう。
「あ、ごめん」
気づいて慌てて声をかけた。いくらなんでも子供の頃はそれくらいの配慮はあった。
相手は小さな少女だった。自分と同い年くらい。
長い紅い髪が自分の生まれた町では珍しい色で、印象的だった。
紅い髪の少女は、声をかけても座って俯いたままだった。
やばい、もしかして怪我させたのかと思って、しゃがみこむ。
「どうした?どっか痛い?ケガしたのか?」
そうやって訊くと、相手は慌てて顔を上げて首を横に振る。
「あ、えっと、ごめんなさい、そうじゃないの」
そう言って立ち上がる。ふわりと紅い髪が舞った。
とりあえず怪我をさせていないことに安堵して、自分も立ち上がった。
「そっか。ぶつかってごめんな」
そう一言言って、少女とすれ違うようにして歩き出した。
人ごみを抜け切る寸前、ちらりと後ろを振り向くと、少女はどこか頼りない瞳でまだその場に立っていた。



どうにか人の多い道を抜けて(人が多かったということは、ペターニあたりだったのかもしれない)一息ついた。
迷った時にする事は一つ。できるだけ目立つ、見つけてもらいやすい場所にじっとしていることだ。
自分から相手を探しに行く時は話が別だが、今は道も何も知らない場所だ。
悔しいし情けないが、見つけてもらったほうが効率がいい。
下手に動き回ると入れ違いやすれ違いの悪循環が生まれそうだったからだ。
少し疲れたので、適当に辺りを見回して見つけたベンチに座った。
よく見ると、オープンカフェの前に設えられたベンチだった。
その時、かなりの喉の渇きを感じて、そういえば自分はお金を持っていたのだと思い出す。
たまにあるのだ。迷ってうろうろして、昼食や夕食の時間を過ぎても見つからなかったことが。
そんな時のために、父親から落とすなよ失くすなよと念を押されながら渡されていた物だった。
子供の一食分位の額はある。
飲み物でも買おうかと思ったが、すぐに母親が見つかると思ってやめておいた。
少し休憩して、さてどうしようかと考えた。
迷ったと気づいた時はすでにあの人ごみにいた。
ということは、あの中ではぐれたのかもしれない。
確か自分は母親に手を引かれて歩いていて、気づいたらはぐれていた。
いつはぐれたのかはわからない。
ついさっきのことかもしれないし、かなり前の事だったのかもしれない。
とりあえず、人ごみに目を凝らして母親を探してみる。
陽の光を返して輝く金髪だから、目立つし見つけられるかもしれないと思ったからだった。
じっと見ていると、鮮やかな紅が目に留まる。
…さっきのあいつだ。
そう思って、視線を戻す。案の定、ぶつかった少女がさっきとそう変わらない位置に立っていた。
今思うと、立ちすくんでいたという表現の方が正しいのかもしれない。
人が少女の前を横切るのでたまに見えなくなるが、少女はきょろきょろと辺りを見回して誰かを探しているように見えた。
まさか。
その様子を見ていて、一つの考えに行き当たる。
迷子?
だとしたら、さっきの頼りなげな瞳の理由も説明がつく。
自分は慣れているから平気だが、普通は迷ったら不安でどうしようかとおろおろするだろう。
何故か放って置けなくて、仕方なく人ごみの中に戻った。



「おい」
そう言うと、少女はびくりと肩を震わせてこちらを恐る恐る振り返った。
こっちが何か悪い事をしたようだったが、気にせず続ける。
「もしかしてお前、迷子か?」
少女は一瞬驚いて、そしてすぐにこくこくと頷く。
「あの、…お母さんといっしょに、さっきまでいたんだけどね、なんかいなくなっちゃってて、どっかいっちゃって…」
少しうろたえながら、時折意味の繋がっていない言葉を少女がぽつりぽつりと話す。
やっぱり迷子だったのか、と苦笑する。
「こっち来い」
とりあえずこんな人ごみの中にいては埒があかないと判断して、少女の腕を掴んで引っ張ってさっきの場所へ戻った。
何とか抜けて振り向くと、少女は戸惑うような怯えるような表情をしていた。
「あの、あなたも、お母さんとはぐれたの?」
そういえば、何も言わずに連れてきてしまったな、と気づいて、答える。
「…あぁ」
「そうなんだ…」
少女はそこで初めて笑みを見せた。
同じような境遇の自分がいると知って、安心したようだった。
「どこではぐれた?」
「よく、わかんない」
と言うことは自分と似たような状況か。
そう思って、やはりじっとしていたほうがいいなと考える。
「あなたもなの?」
「うん」
「じゃあ、さがしに行かなきゃ」
そう言う少女に、首を横に振って口を開く。
「迷った時は、じっとしてたほうがいいんだ。そのうちあっちがみつけてくれる」
「え?…でも、早く見つけないと…今日は、お父さんとお母さんの大切なおともだちに会うって、お父さん言ってたから」
今にでも探しに行くために駆け出して行きそうな少女の腕を掴んだまま、説得するように言った。
「お前がうろうろしてたら、探す方も大変だろ。早く見つけてほしいんならじっとしてろ」
「…ごめんなさい」
しゅんとなって謝る少女を見ていると、少し後ろめたくなった。
「いいよ。…大丈夫、絶対見つかるって」
そう言って、少女の頭をぽんぽんと叩く。
「だから心配するな」
そう言うと、僅かに強張っていた少女の顔が少し和らいだ。





さてこれからどうするかと考える。
喉も渇いたし自分の親もこいつの親も見つけなければならないし。
目立つところ。見つけてもらいやすいところ。かつ、何か飲むものを買えるところ。
さっきのオープンカフェでいいか、と、少女に声をかけて歩き出した。
「おなかすいたの?何か食べたいの?」
オープンカフェに行こうと言って第一声、少女はそう言ってきた。
「喉渇いたから。お前もなんか飲む?」
事も無げにそう答えると、少女は困ったように首を横に振った。
「わたしお金持ってないから」
「…買ってやろうか?」
「え?」
さすがにその発言には驚いたようで、丸い大きな瞳を大きく見開いていた。
「いいよいいよ、そんな」
「いいって。どーせ親父のお金だし」
そう言いながらさっき見つけた店に入る。
ドアを押し開けると鈴の音がして、店員が声をかけてきた。
声をかけてきた店員は、子供が入ってきた事に驚いたのか目を丸くしている。
ちょうど良く見つけた小さな椅子に座ると、先ほど驚いていた店員が注文を採りにきた。
「アイスココアください」
そう言って、前に座っている少女を見る。
少女は慌てた様子で、
「本当にいいの?」
と確認して来た。
「いいって。ほらはやくお前も頼めよ」
「…あ、えっと、じゃあイチゴミルクください」
少女がそう言ったのを確認して、忘れないように先に代金を払っておいた。
見知らぬ地だったが、読める字で助かった。
店員は差し出した代金を受け取り、かしこまりましたーと言って戻って行った。
すぐに二つの飲み物が同時に運ばれてくる。
飲み始めると、少女も手渡されたストローを指して、すぐにこくこくと飲み始めた。
半分くらいを一気に飲み干す。やはり喉が渇いていたんだな、と思った。
「おいしー」
そう言いながら笑う少女がとても嬉しそうで、つられて自分も笑った。
「そか。よかった」
そう言った時、オープンカフェのドアが開く音と、それに合わせて鈴の音がした。
思わず振り向くと、そこにいたのは見慣れた金髪の女。
「あ」
「アルベル!」
自分の名前を呼んだのは、俺の母親だった。
「やっぱり。小さな子供がオープンカフェに入って行ったって聞いたから、もしかしてと思ったんだ」
そう言いながらこちらに近づいてくる。怒っているような安心しているような顔をしていた。
「どこ行ってたの!もー、心配したんだから」
そう言って近づいてきた母さんは、俺の向かいに座る少女を見て驚く。
「お?」
「あ、こいつ、迷子だってさ」
視線を向けられて困っている少女の代わりに説明すると、母さんは腰をかがめて少女と目を合わせて、訊く。
「もしかして、あなたネルちゃん?…リーゼルの、娘さん?」
「!」
途端、少女がこくこくと頷いた。
事態が飲み込めなくて俺はただ驚くばかりだった。
「やっぱり。目がそっくりだもの、すぐにわかったよ」
「母さん?こいつ知ってんの」
「うん。この子が、今日母さん達が会う予定だった、お友達のお嬢さんだよ」
「え」
こんな偶然あるんだろうか。そう思ってぽかんとなる。
…まぁ、信じられないほど運のいい母さんなら、こういうこともアリなのかもしれない。
そう思って適当に流した。
「さぁ、お母さんとお父さんが待ってるよ。それ飲んだら、行こうね」
少女はさっきまで戸惑った様子だったが、母さんが笑ってそう言うと表情を明るくさせて大きく頷いた。
「…アルベルもやるね。この年で女の子ナンパするなんて、将来が楽しみかな」
ちらりと見られて、そう呟かれる。
その時はナンパとか言われてもピンとこなかったが、今思うとムカつく発言をされていた気がする。





「ネル!」
母さんに連れられて行った先には、紅い髪の男と銀色の長い髪の女、そして親父がいた。
少女の名前(だと思う)を読んだのは紅い髪の男だった。多分、少女の父親。
「…心配したんだぞ」
「う…、ごめんなさい」
ほっとしたような少女が父親と話しているのを見て、母さんが親父に向き直った。
「任務完了です、団長!二人の子供の身柄は無事確保いたしましたー」
母さんがわざとらしく敬礼して親父に言う。親父は笑いながら、
「はいはいご苦労さん。ったく、ほんっとにお前は昔から運だけはいいよな。要領は悪いけど」
「あっなに今の発言」
「本当の事だろバーカ」
「うわムカつく」
いつも通りの親に、少女の母親らしき女がくすくす笑う。
「お前らも相変わらずで面白いな」
「リーゼルの男らしさも相変わらずだね」
「黙りな小娘」
「そっちこそだよ俺女」
「はいはいはいそこまでにしときなねーお二人さん」
笑顔のまま辛辣な応酬を始めた二人に、親父が割って入った。
正直怖かったので助かった。
「冗談だ。…ところで、あのボサボサ頭がお前らの息子?」
少女の母親らしい女が、こちらを見ながら親父に訊いた。
「あぁ」
「へぇ。グラオによく似てるな。はじめましてアルベル、俺はリーゼル・ゼルファー。よろしくな」
片膝を立ててもう片方の膝を付き、視線を合わせるようにしゃがみこんで、少女の母親がそう言ってきた。
そこでようやく、男らしいと言っていた母さんの発言に合点が行った。
口調も一人称も確かに男っぽい。
少女を見ると、俺の親が同じようにしゃがみこんで自己紹介をしていた。
「うん。よろしく」
そう言って軽く頭を下げると、頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。
顔を上げると、さっき少女と話していた少女の父親がこちらを柔らかい表情で見ていた。
「初めまして。俺はネーベル・ゼルファー。ネルが世話になったみたいだね。ありがとう」
そう言って神妙に礼をしてきたので、何と言っていいかわからず少し困った。
「お礼するよ。何か食べたい物はないかな?」
そう言ってふわりと笑う。少女と同じ紅い髪が揺れた。
「そだな。ちょっと早いけど、おやつにするか」
「あっ、いいねいいね!じゃああたしが宿屋の厨房借りて久々に腕を奮」
「「「「奮わなくていいから」」」」
俺と、親父と、少女の親二人、計四人が同時に突っ込んだ。
この反応を見ると、少女の親も母さんの超絶料理音痴をよく知っているらしい。
「そぉ?ザンネンだなー」
残念と言われようが、もう母さんの手料理は食いたくない。命が懸かっている。
「…じゃぁ、どっかの喫茶店でも行くか。ネルちゃんも腹減ったろ?」
「あ、えっと、」
困っている様子の少女を見て、少女の母親が付け足すように答えた。
「腹減ったって言っとけって。今日はおやつたくさん食べても何も言わないから」
「えと、じゃあ。はい」
「決まり、だな。なら広場の真ん中のオープンカフェに行こうか?」
「あ、ほんと!わーい一回あそこでまったりしたかったんだー」
いつの間にか話が進んで、言われるがままに付いて行く。
途中で少女と目が合って、
「あなたのお母さんとお父さん、たのしい人だね」
微笑んでそう言われたので。
「お前の親も面白いな」
そう答えた。





着いた先は、さっき俺達がいた所とは違う場所のカフェだった。
「イチゴのタルトと紅茶のパンナコッタとチョコレートスフレとあとちょっとお腹すいちゃったからカルツォーネのフリットとゴルゴンゾーラチーズパンでしょそれにトマトとバジルのサラダにミルクティーお願いしまーす」
息継ぎもせずに一息で母さんが言った。小柄な体に似合わず、よく食べる。
「…本当に相変わらずだな、貴女は」
呆れたように少女の父親が言った。少女もぽかんとしていた。
「太るぞー」
「運動するから平気だよー」
「…ったく、なんでそんだけ食って太らないんだか」
「スタイル良すぎのリーゼルに言われたくないってば」
「俺はちゃんと気ィ遣ってるの。太って体重くなったらいざって時の立ち回りができないだろ」
注文した物が運ばれてくるのを待つ間、両親達の話に花が咲いていた。
「あなたのお母さん、やっぱりおもしろい人だね!」
「こっちは振り回されて大変だけどな」
話についていけてない俺達は最初に運ばれてきた水を飲みながらそんな風に話していた。
しばらくして大量の食べ物(半分以上は母さんの分。恐ろしい量だ)が運ばれてきて、俺や少女の前にも置かれる。
「いただきまーす」
皆で揃ってそう言って手を合わせる。
少女が食べ始めたのは、苺が乗った四角い小さなケーキだった。
そういえばさっき飲んでたのも苺のヤツだったような。
そう思ったので訊いてみた。
「お前、苺好きなの?」
「ん?」
少女はスプーンを咥えたままそれだけ言って、もぐもぐと噛んで飲み込んでから答えた。
「うん。だって甘くてすごくおいしいでしょ?あなたも食べる?」
「いや、いいよ」
自分が頼んだ、果物の載ったフルーツケーキをざくざくやりながらそう答えた。
ケーキの上にちょうどよく苺が載っていたので、
「これもいる?」
「え?いいよいいよ。あなたが食べて。…あれ、もしかしていちご、きらい?」
「いいや。果物は結構好き」
言いながら、少女がいいと言った苺をぱくりと食べる。
「そっか。わたしも大好きだよ、くだもの」
特にいちごはね、と付け足す少女は、また一口ケーキを美味しそうに頬張る。





"いーかアルベル。どんな人でも、ご飯を美味しそうに食べる奴はいい奴だ。お前も将来結婚することになったら、ちゃんとそういうとこも見て選べよ"





前に親父が言っていたことを、なんとなく思い出した。





「…あぁ、だから親父は母さんが好きになったのか…」
おやつにしてはあり得ない量をぱくぱくと美味しそうに平らげている母さんをちらりと見て、つぶやく。
「え、何か言った?」
「いいや」
「そっか」
言って、また幸せそうにケーキを口に入れる少女を見て。
結婚とかそういうのとかは関係ないけど、いい奴そうだな。
そう思った。








その出来事は正直よく憶えていない。
後から親に聞かされた記憶とごちゃ混ぜになっている所為もあるかもしれない。
でも、頼りなさ気に揺れる瞳と、幸せそうな笑顔と、夕陽の色を閉じ込めたような紅い髪だけは、憶えている。
赤は自分の、子供の頃から嫌いな色だったけど。
嫌いな色を綺麗だと思ったのは、その時初めてだった。





今思えば。
それが初恋というやつだったのかもしれない。








「…初恋?」
「そうです。初恋」
聞き返したのはネルで、答えたのはソフィアだった。
周りにいるのは興味津々と言った様子の仲間達。
「なんで急にそんな話になったんだい?」
「まぁいいじゃない。で、ネルの初恋っていつ?」
マリアまで便乗して問いかける。
「…うーん。ごめん、よく憶えてない」
「そうですか…」
少し残念そうにソフィアが言って。
ぼぉっとしながら関係ない話だと思って聞き流していたアルベルと、ばっちり目が合った。
すぐさまえらい勢いで目を逸らすアルベルに、にこぉりとソフィアは笑う。
後から聞いた話だと、この時の彼女の目は獲物を見つけた猫のようだったらしい。
「初恋憶えてますか、アルベルさん♪」
やっぱり。
矛先を向けられたアルベルは当然無視した。
しかし。
「初恋憶えてますか、アルベルさん?」
どこから取り出したのか、ひ弱な鉄パイプ(実際はひ弱どころの話ではないほど凶化されている)を片手にもう一度ソフィアが訊いた。
台詞はまったく同じだが、声のトーンがかなり変わっている。
「…さぁな」
とりあえずそう答えるが、それで誤魔化されてくれる彼女達ではなかった。
「あっ、その顔は憶えてるって顔でしょ」
「わーほんとですか!すっごく興味あります!」
「僕も聞きたいなー。アルベルが惚れるような人なんてネルさん以外思いつかないしー」
「…ちょっとフェイト、今なんて…」
「まぁまぁ、本当の事じゃねぇか」
ニヤリと笑うマリア、ぱぁっと表情を明るくさせるソフィア、くく、と少し邪悪に笑うフェイト、怒るネル、なだめるクリフ。
そんな仲間達をうざったそうに見やったアルベルは、
「阿呆かお前らは。何でんなこと言わなきゃならねぇんだ」
「「「気になるから」」」
見事に三人の声がユニゾンで響く。
アルベルははぁ、とため息をついて嫌そうに視線を上げる。
「誰が言うか」
「えー!じゃあいつだったかだけでも教えてくださいよー」
「どんな人だったかとかも気になるんだけどー」
「…どうしたんだよお前ら、今日はやけにアルベルに絡むじゃねぇか」
「だって気になるだろ、この物騒で凶暴で短絡的で色恋沙汰に興味薄そうな奴の恋話なんて!」
「そうそう、この際根掘り葉掘り聞きだそうと思って」
「………」
「あっ無視しないでよ。それじゃ質問変えるけど、今まで何回位恋した事あるの?」
「そうそう、何人に恋したかだけ教えてよー」





恋をした回数は、二回。
でも、恋をしたのは、一人。





「…誰が言うか、阿呆」
「えー気になる気になる気になる」
「ほらほら、ネルさんも気になってるって顔してますよ!」
「…っちょ、ちょっと何言い出すんだいソフィア!」
「顔赤いわよ、ネル」
「マリアまで…からかうんじゃないよ」
「な、ネルさんも気になるらしいよ。だから初恋がどんな人だったのか教えてってば」



アルベルはまた深いため息をついて、その場から立ち上がる。
あ逃げる気だーと回りが非難の声を上げる中、アルベルは気にせず歩き出して、ネルの前を横切って―――





ぽんぽん。





軽く、ネルの紅色の頭を叩いて、そのまま歩いて行った。





「…え?」
「何今の」
「もしかして…」
「今のヒントなんじゃない?」
「はぁ?もしかしてあいつ初恋ネルか?」
「…う、わー!そうだとしたらアルベル、二十四歳まで恋した事なかったの!?」
「えー!そんな、まったくセイシュン時代を楽しんでないってことですかー!?」
「興味なさそうとは思ってたけど、…ねぇ」
「………」





わーわー好き勝手憶測している仲間達の言葉は、ネルの耳には届いていなかった。
先ほど軽く撫でられた頭に手をやる。
朧げだが、懐かしい感触だった。





小さい頃。本当に、子供だった頃。
ペターニで迷子になって心配したと、親から聞いた事が会った気がする。
迷子になったのを助けてくれた、小さい男の子。
よくは憶えていないけど、心配するなと言って頭を撫でてくれたような、覚えがある。





あの時と、同じ感覚。








まさか。
…まさか、ね。





もしもそうだとしたら、自分の初恋はあのアルベルになるわけなんだけど。





「そんなわけ、ないよね」





ネルはそう呟いて、頭にやっていた手を下ろした。
そんなわけないと口では言いながらも、どこか穏やかな表情で。





勘違いでもいい。
でも、そうであったのなら。





あの時と同じ。
変わらないままの気持ちで。





―――最初で最後の恋をしよう。