ぽんっ、ぽんっ、ぽんっ。 そこまで大きくは無いがやけに体に響く、そんな音が聞こえて。 ソフィアは窓の外を見て、でも振り返ったその角度では青い空だけしか見えず窓枠に近寄って身を乗り出した。 窓から落ちない程度に乗り出して見た青空には、小さな白い煙が風に吹かれて薄く流れている。 その様子ににっこりと笑うと、ソフィアは部屋の中へと視線を戻して嬉しそうに口を開いた。 「今日の花火大会、ちゃんと開催されるみたい!」 良かった、と心底嬉しそうにはしゃぐソフィアに、 「そりゃ…。これだけ良い天気なんだし、合図を待たなくてもわかるだろ?」 苦笑しながら、でも台詞に反して割と嬉しそうに。 部屋の中から窓の外を見遣ったフェイトが応えた。 光の勇者と西の魔女 〜願い花火〜 夏らしい高い空の下、太陽の陽射しで一番地上が暖まる時間帯。 既に浴衣に着替え終えているソフィアは、まだ家を出るには早い時刻にも関わらずにこにことご機嫌そうに外を眺めている。 「ねぇ、ちょっと暑いけど、もう行かない? 出店ももう出てるみたいだし」 笑顔のままソフィアが提案して、フェイトが窓の外をちらりと見遣った。 青い絵の具を塗りたくり白い綿を置いたような空。 そしてさんさんと休みもなく光を振り撒き続ける太陽。 「…さすがに今は暑すぎるって。日射病か熱中症になるぞ?」 「その辺りは私の魔法でカバーできるよ?」 「余計ダメ。ソフィアの精神力が持たないだろ」 「むー」 ソフィアは少しだけ頬を膨らませる。 「…まぁ、日焼けしちゃうしね。もうちょっと待とっか」 が、本当にこの少々無茶なお願いが通るとはソフィアも思ってはいなかったようで、ころりと元の表情に戻る。 「だろ? 祭は逃げたりしないよ」 そもそも出発時刻は陽が傾きかける夕方なのに、とフェイトが苦笑するが、上機嫌なソフィアは大して気に留めなかった。 「まぁ、浮かれる気持ちもわかるけど」 「でしょ?」 フェイトの呟きに、ソフィアがふふ、と笑いながら答える。 「久々の休暇だもんな。ここ数日は忙しかったよ」 「忙しかったよね。…毎日毎日」 感慨深げに呟くソフィアは、決して事を大げさに言っているわけでもなく。 この夏、特にここ数日は、本当に二人とも忙しかった。 近くの海辺に魔物が大発生したとかで退治に行かされたり、いつもお世話になっている黒髪の彼女が出張だとかでその分の仕事が回ってきたり、季節ごとにあるギルドのランク認定試験の実技試験官に駆り出されたり。 なかなかにハードスケジュールだったが、それでももっとハードスケジュールであるギルドの最高権力者とそのメイドさんの事を考えるとフェイトもソフィアも文句は言えず。 二人そろって休日をとれたのは久しぶりだ。 「…でも、アルベルさんとネルさんは今日もお仕事なんだよね…。なんだか、悪いなぁ」 先ほどまで浮かれていたソフィアが表情を翳らせる。 フェイトはあぁ、と呟いて、笑いながら口を開いた。 「大丈夫だよ、二人とも今日はあまり仕事ないって言ってたし」 「え? でも、花火大会の当日だよ?」 「だからだよ。当日は準備や合図で昼から結構騒がしいだろ? 気が散るからって昨日までに目ぼしい仕事は終わらせたんだってさ」 そう言い終えてから、フェイトはああでも、とつぶやいて笑う。 「でもさ、…多分本当のところは、花火見たがってたネルさんの為なんだろうな」 あいつも優しいくせに不器用で素直じゃないんだから、と笑いながら呟くフェイトに。 「…フェイトだって、優しいじゃない」 ソフィアがぽつりと言った。 「は?」 「…知ってるんだよ。今日、私と同じ日に休暇入れる為に、フェイトいつもよりいっぱい依頼こなしてくれてたんでしょ。私が気づかないとでも思った?」 上目遣いで見られながらそう言われ、フェイトが思わず無言になった。 「…。やっぱり、バレてた?」 「わかるに決まってるじゃない。他でもないフェイトの事なんだからね」 もう、とむくれたように言いながら、でもどこか楽しそうにソフィアが呟いて。 フェイトが観念したように笑う。 「…敵わないな、ソフィアには」 フェイトの小さな呟きに、ソフィアは気づいたのか気づいていないのか判断のつかない微笑を浮かべる。 「じゃあ、フェイトが頑張ってもぎとってくれたお休みだもん、」 ソフィアがすっと立ち上がり、来ている浴衣の袖がふわりと舞い上がった。 「お祭り、めいいっぱい楽しもうね!」 言って、うきうきと巾着袋を持って玄関へ向かおうとするソフィアに。 「…って、ちょい待ち! だからさっきまだ早いって結論に達したばかりだろー!」 雰囲気に流されて危うく頷きかけたフェイトは、慌ててソフィアを止めに立ち上がった。 太陽はまだ空の真ん中で地上に熱と光を届けていた。 がやがやざわざわ。 お客さん安いよーたこ焼きいかがですかーお母さんあれ欲しいーお祭りなんて久しぶりだねー。 行きかう人々の話し声や足音、露天商の呼び込み、じゅうじゅうと何かの焼ける良い音、照明や食べ物を調理する為の機械の動力源となっているモーターの動く音。 あの後早く行きたいと急かすソフィアを宥めて数時間待ち、ようやく涼しいと思える気温になってから街へと繰り出したフェイトは。 さまざまな音がごった返す人ごみの中、着慣れない浴衣と履きなれない下駄の所為で動きにくそうなソフィアの手をひいて夕方のゆったりしているはずの時間をせわしなく歩いていた。 「予想はしてたけど、すごい人だね…」 後ろからソフィアの困ったような声が聞こえて、フェイトが歩みを僅かに遅めながら答える。 「そりゃ、ここの人達はみんなお祭り好きみたいだし」 フェイトは苦笑しながら、はぐれないようにソフィアが隣に来るまで待ってからまた歩く早さを元に戻す。 「ソフィア大丈夫か? 人混み苦手だろ?」 お祭り騒ぎは大好きなのに、実は昔から人の多い場所が苦手で酷い時は人酔いまでしていたソフィアに、フェイトが心配そうに声をかける。 「もう、大丈夫だよ。フェイト、その質問五分前にも同じ事答えたよ?」 くすくすと笑うソフィアに、フェイトはそうだっけ、と曖昧に答えた。 「ふふ、本当に大丈夫だから。すごく楽しみにしてたお祭りだし、私機嫌が良い時は人混みも割と平気だから」 隣に並びながら、ソフィアはにこにこと微笑みながら答える。 その顔色の良さから、嘘でもなんでもなく大丈夫だろうと判断して、フェイトもほっとしながら笑う。 ようやく日が落ちかけ、町の気温が少しずつ冷めていく頃。 二人が歩いている道は中々に広い道のはずが、両側を出店で埋め尽くされさらに大量の人が歩いているお陰で気をつけなければ誰かにぶつかってしまいそうなほどで。 気温は冷めていっても、まだまだ街の温度は冷めそうになかった。 「ソフィア、何か欲しいものあるか?」 「っと…、え?」 ルールを無視して道端に捨てられていた焼きそばの紙パックを避けながら、ソフィアがフェイトを見上げた。 「夕食にはちょっと早いけど、ちょっと遅いおやつ代わりになるものとか。あぁ、金魚すくいとか射的とかでもいいけどさ。せっかくこんな人ごみの中に来てるんだし、出店寄ってかないか?」 リーチの違いなどでどうしても遅れ気味になってしまうソフィアに視線を向けながら尋ねるフェイトに、ソフィアはそうだなぁ…と道端の出店をきょろきょろと見回して。 「じゃあ…。水風船釣り行っても良い?」 二人の進行方向右側にある出店を指差す。 「うん、いいよ。行こうか」 フェイトは右側に進路を取りながら、とことこと着いてくるソフィアにぽんと硬貨を二枚渡す。 「はい、おごり」 「えっ!? いいよいいよ、自分で出すよ!」 あわあわと手を振るソフィアに、フェイトは笑いながら有無を言わせぬ口調で一言。 「いいって。こんな時くらい、男がかっこつけたってバチは当たらないだろ?」 そう言って得意げに笑うフェイトに、くす、とソフィアが笑って。 「…じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな?」 手渡された硬貨を受け取って、ちょうど前にいた客が立ち上がった頃合を見計らって出店の前に向かう。 今度は逆の位置になってソフィアを後ろから追うフェイトの耳に、 「…でも、フェイトかっこつけたりしなくたって元から十分かっこいいのに」 小さな呟きが聞こえて。 フェイトは無言のままに目を見開き、ソフィアの後ろで気づかれないように口元を押さえ。 「…反則だろ」 ぽつりとつぶやいた。 それからまた何軒か射的やだるま落としの出店に寄って、フェイトの右手には戦利品の入ったビニール袋が提げられていた。 ソフィアの左手には最初に寄った出店で取ったオレンジ色に青と黄色とピンクの線の入った水風船が元気良く跳ねている。 「次、あれ行こう!」 履き慣れなかった下駄も慣れてきたようで、軽い足取りのソフィアがまた新たな出店を指差す。 フェイトが見遣ると、ソフィアが指した出店には、「わなげ」とポップな字で大きく書かれている。 いいよ、と言いかけて、ふと気づいてフェイトが止まる。 「そういえば、さっきから射的とか水風船釣りとか、景品もらえるものばっかりやってないか?」 「え?」 問われたソフィアがきょとんと目を瞬く。 人の波の妨げにならないように道の端に寄りながら立ち止まって、フェイトがまた尋ねた。 「そろそろ何か食べ物買って腹ごしらえしとかないと、花火の場所取り間に合わなくなるぞ?」 クォッドスキャナを取り出して時刻を確認しながらフェイトがソフィアを見ると、ソフィアはにっこりと微笑んで。 「それなら大丈夫。花火が始まる直前に食べるもの買いこんでから向かえばいいよ。花火見ながら食べるのも良さそうじゃない?」 「それだと良い場所とれなくなるぞ? これだけ人がいるんだし」 途切れることなく行きかう人波をちらりと見遣りフェイトが言うと、ソフィアはまたにこりと微笑む。 「大丈夫♪ 実はね、直前までナイショにしようと思ってたんだけど…。私の住んでる森の中にね、絶好の花火観覧スポットがあるの」 「へ、森の中に?」 考えもしなかった、と目を見開くフェイトに、ソフィアは得意そうに口を開く。 「ほら、花火大会がある川の向かい側に小さな崖、あるでしょ? あそこ、あの森から行けるんだよ」 「崖…? え、あのどう考えても川岸側じゃ上れなさそうな急なところ?」 「そうなの。私もネルさんに聞いて初めて知ったんだけどね」 「へー…」 感心したようにフェイトが呟く。 「だからね、場所取りの事は大丈夫。そうじゃなきゃ、いくらお祭り好きの私だってここまでのんびりできないよ」 「なるほど、ね。それにしても、そんな耳より情報、いつ聞いたのさ? 僕も事前に知っておけば場所取りの心配せずに済んだのに」 「えっ!?」 そう何気なく問いかけたフェイトに、ソフィアは何故か大げさに反応して。 フェイトが訝って首を傾げると、ソフィアは慌ててしどろもどろになりながら口を開く。 「あ、えっとね、そう、お買い物の時。三日くらい前に街にお買い物に来た時、偶然ネルさんと会ったの。その時話題が花火大会の事になって、その時こっそり教えてもらったんだ」 それだけだよ、と言ってソフィアは台詞を締める。 ならばどうしてそんなにうろたえてたんだよとフェイトは思うが、少しだけ何事かを考えた後、言わないでおいた方がいいだろうと口をつぐむ。 「ふーん…。それならしょうがないか」 「うん。…黙っててごめんね、でもフェイトのことびっくりさせたくて」 しゅんとなって困ったように視線を提げるソフィアの頭を、高く結い上げられた髪をぐしゃぐしゃにしてしまわないように気をつけながら、フェイトがぽんぽんと撫でる。 「別に、気にする事ないって。じゃ、時間に余裕あるって分かった事だし、ゆっくり行こうか」 苦笑してフェイトが言うと、ソフィアがようやく顔を上げて笑顔を見せる。 「…、うん!」 笑顔に戻ったソフィアに安心して、フェイトが話題を上手く変える。 「んじゃ、さっきソフィアが行こうとしてた輪投げ行こうか?」 「うん! よーしっ、今度も景品たくさん貰っちゃうよ!」 張り切って出店へと向かうソフィアの後姿を眺めながら、フェイトはどこか楽しげに笑いながら。 「よし、僕も負けないよ?」 ソフィアの隣に並んで、出店の前へと向かった。 夕日が完全に沈みきる直前、花火開始十分前の合図が鳴った。 買い込むべき食べ物を買いこんで森の中を移動中の二人の耳にその音ははっきりと響く。 「ソフィア、あとどれくらい?」 薄暗い坂道を歩きながらフェイトが尋ねる。 「あともうちょっと。大丈夫、間に合うよ」 ソフィアが答えて、そしてすぐに視界が開けた。 「わ…」 そこは小さな崖と言ってもなかなかの高さがあって、開けた視界の下側いっぱいに街の灯りが煌いていて。 「すごい眺め…」 「本当、いい眺めだな…」 思わず二人がそう漏らすほど、綺麗な景色が広がっていた。 町全体を見渡せるその場所は、確かに花火を見るには絶好の場所だろう。 「さすがネルさんだな、地元でもないのにこんなすごい場所知ってるなんて」 「うん、さすがだよね」 二人で揃って感心しながら、持ってきたシートを敷いて並んで座り、荷物を置く。 普段履かない下駄を履いていたソフィアは多少なりとも疲れていたらしく、腰を下ろしてからふう、と大きく息をつく。 フェイトは持ってきた袋から買い込んだ食べ物を出して、ソフィアと自分の間に並べて置く。 「…っと、そろそろかな?」 念のため一分前にセットしておいたクォッドスキャナのアラームが鳴って、ソフィアが視線を空に向ける。 「あ、そうみたいだな。ほら、川岸で何人か花火打つ準備してる」 薄暗い中目を細めて下を見るフェイトが、あ、と呟き。 ソフィアがどうしたの、と声をかけようとする直前、 「始まった」 フェイトが呟いて、直後にぴゅるるるる〜、と掠れた音が聞こえて、 「わぁっ!」 どーんと、という体に響く音と共に、夜空に大きな花火が連続で咲いた。 同時に、川の向こうからもわぁっ、という歓声が沸く。 「お待たせいたしました! 只今より、カルサア納涼花火大会を始めます!」 どこからかアナウンスが入り、また掠れた音の直後に色とりどりの花火が開いた。 「わ、すごいすごい! 私こんなに沢山大きな花火が打ち上げられる花火大会なんて、初めて!」 花火が打ちあがる度にソフィアが歓声をあげ、その様子をフェイトが楽しそうに眺める。 打ちあがってから色を変えたり、二発同時に打ち上げられたり、様々な工夫をされた花火がどんどんと音を立てながら打ち上がる。 「あ! 今の、土星のわっかみたいに重なって上がったね!」 「本当、よく工夫してあるな。お! 今弾けてからまた小さな光が飛び散った」 「ね! あ、あれだよ、マリアさんが前使ってたレディエーションデバイスに似てたよね♪」 「ぶっ、た、確かに似てたな。あ、また同じの出た…うわ、似てる似てる」 「でしょー? …あっ、次は何かの形みたい…えーと、文字かな?」 「っと…"た"かな? 平仮名の。…あ、次は"e"?」 「た、e? …あ、また文字みたい。えーと、"J"? あ、平仮名の"し"かな?」 「? あ、また来た。うーん、"ん”かな?」 「たeしん…。あっ、もしかしてさっきのってeじゃなくて"の"? で、"楽しんでね"とか?」 「あぁ、なるほど…。お、次は…"で"だね、なら楽しんでねで間違いないっぽいな」 「だね、花火って向きまで合わせるのはなかなか難しいから、文字だと大変だよね」 ほぼ絶え間なく咲いている花火を二人並んで見上げて、そうあれこれと感想を述べて。 一時間ほど経って、一旦休憩に入ったのかひっきりなしに打ちあがっていた花火が途切れた。 「これで一部は終了です。二部まで十分の休憩に入ります…」 また先ほどと同じ声のアナウンスが響き、川岸向こうの観客達が出店やトイレへと向かったのかぞろぞろと移動を始める。 空から目を離さずずっと眺めていた二人も、視線を空から下ろす。 「はー、すごかったね。私もうすごいすごいってはしゃぎっぱなしだったよ」 「や、でもそれくらいすごかったって。僕も結構驚いてたよ?」 一時的に静かになって、崖下からの喧騒が妙に遠く聞こえる。 そんな中、二人は思い出したようにシートの上の焼きそばやたこ焼きを食べ始めた。 「…冷めちゃってるね」 「そうだな、食べながら見ればよかったかもな」 中はともかく、表面はすっかり熱を失っているたこ焼きを頬張りながら、二人で苦笑する。 「それはちょっとお行儀悪くない?」 「えー、でも祭って言ったら立ち食い歩き食いもOKだろ?」 「…まぁ、確かにそうかも」 同じくすっかり湯気の衰えた焼きそばに手をつけようとした時、またアナウンスが流れて。 「あ、始まるね」 「そうだな、じゃあ今度は食べながら見るか」 「うん」 膝の上に焼きそばのパックを置いて、いつでも箸を口に運べるようにする。 その直後、また花火が打ちあがる。 何色もの大小さまざまな花火が絶え間なく打ち上がり、また二人は空に釘付けになるように見入っていた。 今度は、先ほどに比べて二人とも静かに。 「…わ、すごい、光のシャワーみたい」 「本当だな、こっちにまで振ってきそうだ」 そう交わして、沈黙が流れる。 しばらくして、 「お、すごい。今の何かの形じゃないか?」 「だよね、…あっ、星じゃない? ちょっと角度が違ってたけど」 「あぁ、なるほど…」 「あ、次はちゃんと星の形だね、きれー」 そう呟いたソフィアの声を最後に、また沈黙が流れる。 二人とも膝に置いた食べ物の存在も忘れたかのように、静かに空を眺めていた。 「…あっ、今の見た? 微妙な時間差で十発連続だったよ!」 「うん、すごかっ…お、もう一回来た! 今度は青いな」 「わぁ、すごーい! さっきの赤いのもすごかったけど、こっちも綺麗!」 「だなー、いいセンスしてるよこの街の花火職人」 次はフェイトの声を最後に、また沈黙が流れる。 どんどんどん、と花火が打ちあがる音だけが、その場を支配していた。 ソフィアは隣で空を見上げるフェイトをちらりと見遣る。 空から、そして花火から視線を逸らさないフェイトを見て。 ゆっくりとした動作で、できるだけフェイトに見ていたことを気づかれないようにまたすぐに視線を戻す。 そして花火を見ている振りをしながら(実際見ているのだが)、少し前の出来事を思い出す。 ―――フェイトと花火大会に行くんなら、良い事教えてあげるよ。…前、"七夕"のジンクス教えてもらったお礼に、ね。 カルサアの花火大会にまつわる、ちょっとしたジンクスらしいんだけど。 花火大会の最後に、一番大きな大玉の花火が空一面に広がるらしいんだ。その花火を打ち上げの瞬間から最後の光が消えるまでの間、大切な人と一緒に、手を繋ぎながら見ると、その二人は一生結ばれるんだってさ。 「わぁv いいですねそれ、やってみます!」 そう目を輝かせたソフィアに、黒髪の彼女は微笑ましげに笑う。 「ネルさん、よく知ってますね〜! シランドと共通のジンクスなんですか?」 尋ねると、彼女はまぁね、カルサアの花火大会は大きいからシランドの人達も大勢見に行くんだよね、と答える。 「じゃあ今年はネルさんも、アルベルさんと手繋いで見るんですねv」 …その、確信を持った問いには、彼女は言葉を濁したけれど。 照れくさそうに微笑む様子は、肯定としか取れなかった。 絶え間なく鳴り続ける花火の音と、夜空に咲き続ける花火を見ながら、ソフィアはぼんやり考える。 この二部が終われば、また休憩を挟んで最後の三部が始まる。 問題の最後の大玉は、あと一時間半後くらい。 …まだかなりの時間があるのに、何故か緊張してしまって。 ソフィアはやはり隣のフェイトに気づかれないよう、静かに深呼吸した。 それまでは花火を見ていようと、視線を夜空へ向ける。 ちょうど、同じ大きさの橙色の花火が空高く何十発も同時に上がり、低めのところに小さな緑色の花火が同じく数発上がったところで、ソフィアは思わず歓声を上げる。 「わぁ! すごいね、今の向日葵畑みたいだったね!」 隣のフェイトも同じような感想を持ったらしく、うんうん、と頷いて口を開く。 「うん、低いところの緑色の花火が葉っぱみたいだったよな」 「すごいね、本当に綺麗だね!」 気を取り直したようににこにこと楽しそうに花火に見入るソフィアに、フェイトはそうだな、と答えて。 しばらく隣のソフィアをどこか意味ありげに見つめてから、また視線を夜空へ戻した。 また何千発もの花火が打ち上げられ、二部が終了する。 結局二部中にはほとんど箸をつけなかった焼きそばを袋に戻して、氷の魔法で冷やしておいたカキ氷やチョコバナナを食べながら、ソフィアはクォッドスキャナをまた見た。 第三部開始、五分前。 あと一時間ほどで、クライマックスの大玉花火の打ち上げだ。 絶対にタイミングを逃さないようにしなきゃ、とソフィアが意気込んでいると、隣のフェイトがぽつりと口を開く。 「なぁ、ソフィア」 「ん? なぁにフェイト、フェイトもチョコバナナクレープ欲しいの?」 「あ、いやそうじゃなくて。この花火大会の、一番最後の目玉花火の事知ってる?」 一瞬ソフィアは、自分のの心臓がぎゅうっと縮んだ気がした。 が、それをなんとか顔に態度に出さずに、口を開く。 「うーん、と、一応知ってると思うよ。ここの場所聞いたときに、ネルさんに聞いたんだ。ものすっごく大きな花火なんでしょ?」 とりあえず怪しまれない程度に受け答えすると、フェイトはそうそう、と小さく頷く。 「それの事なんだけど、さすがに最後だからって大掛かりでさ。開始前にカウントダウンとして花火で数字を打ち上げるんだってさ」 「えっ? そうなの?」 それは紛れもなく初耳で、ソフィアが目を丸くする。 「うん。すごいよな、花火で数字作ってカウントダウンするなんて、そう見ないよ」 「そうだね、すごいよね。それなら最後の大きな花火が打ち上げられるタイミングが分かりやすいね♪」 なら直前にクォッドスキャナを慌てて見る必要もなさそう、とソフィアがほっと胸を撫で下ろす。 「あ、三部始まるよ」 フェイトの声に、ソフィアがぱっと顔を上げる。 掠れた長い音の後に、また大きな音が鳴って夜空を彩った。 「わ! すごいすごい、今の花火今までの中で一番大きかったね!」 大きな花火、 「お、すご、三色同時に同じ場所で上がったよ。すごいカラフルだったなー」 色とりどりの花火、 「あ、今ちょっと歪んでたけどハートだったよね! あっ、次はクローバーだ!」 工夫を凝らした花火、 「わー、すごい、橋の上から一斉に花火やってるよ。横に長い滝みたいだな、すごー」 趣向を違えた創作花火。 三部は最後の部とあって、今までの花火の良いところをすべて凝縮したかのような豪華なもので。 驚いたり歓声を上げているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。 何万発もの花火が上がって、そして急に静かになる。 「あれ? まさかもう終わりなんてことはないよね?」 「まさか。ほら、最後の準備が始まってる」 花火を打ち上げている川原を指差しながらフェイトが呟く。 「よーしっ」 あと少し、と意気込むソフィアに、フェイトが苦笑して、尋ねる。 「…何、ソフィアが意気込んでるのさ?」 「えっ? だ、だってほら、最後の花火だもん、目の網膜に焼き付けるくらいしっかり見ておこうと思って」 「あはは、確かに」 そう言って笑うフェイトの笑顔を見て、ソフィアはなんとか誤魔化せたかな、と安堵する。 そんなソフィアを、フェイトはやはりどこか意味ありげに見つめて、視線をまた空へと移す。 やがて数十秒後、 「あっ、始まったね!」 かすれた音と共に、10の花火が打ち上げられる。二人が見ている場所は観客席とは真逆の位置にあるため、01としか見えなかったが。 「逆にしか見えないのがちょっとツライな…」 9の花火が打ち上げられる。 「そうだね…。まぁしょうがないよ」 8の花火が、少しだけ歪んで∞にも見える角度で打ちあがった。 「でも、これだけ綺麗なんだから文句言えないよな」 7。これはこちらからでも綺麗に見えた。恐らく大多数の観客からは真裏に見えていただろう。 「そうだね。…あと少し、だね」 6。 「そうだな」 5。 「…よーしっ、頑張るぞっ」 4。 「…そうだな、タイミング逃したら見れなくなるもんな」 3。 「………」 2。 「………」 1。 「………」 ―――0。 その花火が打ち上げられてすぐに、ソフィアは一呼吸だけ間を置いて、隣にいるフェイトの手に自分の手を伸ばそうとした。 が、暗闇の中でフェイトの手を捜そうと視線をそちらへやった瞬間、 「、」 逆にフェイトの手が伸びてきて、ぎゅっと手を掴まれる。 驚いて目を見開くソフィアの手を、フェイトはそのまま引き寄せて、 「―――!?」 ―――次の瞬間。 ソフィアの目の前に、フェイトの顔があった。 自分の唇にフェイトのそれが重なっているとソフィアが気づくと同時に、視界の端で大きな音と共に花火が空一面に広がった。 「…!!」 ソフィアは驚いて硬直していた体をなんとか動かそうとするが、フェイトに手をつかまれさらに逆の手を後ろ頭に回されていて、もがくこともできずに。 「っ、あぁー!」 ようやくフェイトが力を緩める頃には、最後の大玉花火はもはや残像のように舞い落ちる火の粉しか残っていなかった。 「最後の大玉花火、終わっちゃった…」 呆然と呟いて、ソフィアがフェイトをきっと睨みつける。 「ん?」 にこり、と楽しそうに笑うフェイトに、ソフィアが畳み掛けるように口を開いた。 「フェイトのバカバカ! 最後の大玉花火見れなかったじゃない! 二人で見たかったのに! 二人で手繋いで見てジンクス叶えたかったのに―――!!」 涙目になりながらフェイトを睨みつけるソフィアに、フェイトはまぁまぁ、と宥めるように言う。 「…そのジンクスってさ、手繋いで最後の大玉花火見た二人は一生結ばれる、とかってやつだろ?」 「そうだよ! フェイトと一緒にジンクス叶えたかっ…、え…?」 一瞬、ソフィアがぽかんと目を見開く。 「…フェイト、知ってたの? このジンクス…」 「知ってたよ?」 相変わらずにこにこと答えるフェイトに、ソフィアはまた眉を吊り上げて。 「…じゃ、じゃあ、どうして最後にあんなことしたのよー! フェイトは私と幸せになりたくないのー!?」 ぽかぽかとまったく痛そうに見えないパンチを繰り返すソフィアをフェイトが手で押さえながら、また笑いながら口を開く。 「だってさ、なんだか手繋いで一緒に見るだけで幸せになれるなんて、ちょっと信用できなくないか?」 「でも、そういうジンクスだって…」 「うん、それは知ってるけどね。でもそれなら、花火の瞬間にキスしてた方がご利益あると思わない?」 「…何それ」 顔を赤くさせながらむくれるソフィアに、フェイトがまた笑う。 「なんだよ、ソフィアは嫌だったのか?」 「い…。嫌じゃ、ないけど…。で、でもっ! あのタイミングでキスする事ないじゃない! 最後の大玉花火見れなかったんだよ!」 また睨みつけられるが、フェイトはまったく気にした風もなく答える。 「来年があるだろ?」 「…。むー、まぁそうだけどさ…。じゃあ、来年の花火大会は邪魔しないでよ?」 「嫌だ」 「は!?」 ようやく機嫌が収まりそうだったのにまた何を言い出すの、と言わんばかりにソフィアがフェイトをまた睨み上げる。 「来年も最後の大玉のタイミングでキスするよ?」 「…フェイト、どこまで意地悪なの? じゃあまさか再来年もその後も、なんて言うんじゃないでしょうね?」 「その通りだけど?」 「えー!? じゃあいつまでもジンクス叶えられないじゃない! 最後の大玉花火も見れないよ!」 思い切り不満そうに言ったソフィアに、フェイトは笑って。 「ジンクスなんてもう必要ないじゃないか」 「どうして!?」 「毎年一緒に花火大会行って、一緒に最後まで花火見て、最後にはキスするって約束があれば、ジンクスなんかに頼らなくてももう結ばれてるだろ?」 「………」 先ほど上がっていた花火よりも真っ赤になって、思わず絶句するソフィアに。 「それじゃご不満?」 してやったり、と言わんばかりのにこにこ笑顔でフェイトが尋ねる。 「………ばか」 ソフィアが真っ赤なまま、でも微笑んで。 「…フェイトには、敵わないね」 呟いて、こてんと隣のフェイトの肩にもたれて体重を預けた。 「…でも、それなら毎年大玉花火見れないってのは変わらないんじゃないの?」 「え? んー…。まぁいいだろ」 「えー!? 来年は見たいのに!」 「なんだよ…ソフィアは僕と花火、どっちを取るんだよ?」 「フェイトだけど?」 「………」 「…あれだけ恥ずかしい事しといて、なんでそこで照れるの」 「…や、だって、不意打ちだろ…」 「お互い様でしょ?」 「…僕の方が、ソフィアに敵わないと思うんだけど?」 「…それこそお互い様だよ」 「…そう、だな」 |