枕は枕だ。
寝るときに頭の下に敷く、柔らかいが適度に硬いあれだ。
時には子供が修学旅行なんかで投げてぶつけてよけて怒られて遊んだり、ストレス解消のサンドバッグ代わりにもなるとても使える代物だ。
だか、それは―――本来の使用法は、実は時には他のもので代用も可能だったりする。
分厚い辞書とか、半分に折った座布団とか、―――誰かの腕とか、膝だとか。





まくらのきもち





「ねぇ。ちょっとここに座って」
「あ?」
気持ちよく清々しい、暖かいある春の日。
すばらしく外出日和のその日に、ベッドの上でぐーたら寝転がっていた彼は、急に隣の彼女にたたき起こされた。
何なんだ、と彼が彼女を見ると、彼が寝そべっても(多少体を丸めれば)なんとか納まるサイズのソファをぺしぺしと叩いていた。
「いいからいいから」
「何だよ」
「いいからいいから。ほら、早く早く」
「………」
彼は嫌そうに立ち上がり、彼女の隣に座る。
「…よし。」
「…なんなんだよお前」
「ちょっとじっとしてて」
そう言うが早いが、彼女は隣に座る彼の膝、というか腿のあたりをぺちぺちと叩き始めた。
「???」
「んー…」
唸りながら、こんどはむにむにと力を込めてほぐすように揉まれる。
「お前、何して…」
「ん。いや、気にしないで」
この状況で気にしないでいられるヤツはいないだろう阿呆。
彼は頭の上に疑問符を何個も浮かべながら、奇妙な行動をし始めた彼女を眺めていた。
しばらくすると彼女は急に手を止め、顔を上げて彼を見た。
「次は後ろ向いて」
「あぁ?」
「いいからいいから」
本日三度目のそのフレーズを繰り返されて、彼女が彼の両肩を掴んで体の向きを九十度回転させる。
「今日、夕食にシチュー作ってあげるから」
「………」
彼は途端に無言になる。負けたな。誰かがそう呟いた。
誰だとは訊いてはならない。誰かは誰かなのだ。
彼女は彼の背中を見て、すっと手を伸ばす。
さっきのようにぺたぺたぺしぺししばらく叩いた後、また感触を確かめるようにぐにぐに押される。
「いて」
「ああ、ごめん」
かすかに上がった彼の抗議の声も軽く流される。
程なくして、彼女の手が止まった。
「次は寝そべって」
「…もう驚く気も起きん」
「人生諦めと順応性が大事だよね、よくわかってるじゃないか」
「………」
彼は無言のままにソファにごろんと寝そべった。さすがにソファの上なので、彼女が座っている位置ギリギリに彼の頭がある。
今度は彼女は立ち上がり、ソファに寝転がる彼の前で床に膝立ちになって、
「…くすぐった、ぃっつうの阿呆!」
やはりまたぺたぺたぺちぺちむにむにぐにぐにを繰り返した。次は彼の(今日は露出していない)腹に。
「我慢」
「我慢て…」
いっそ逆セクハラだと言って撥ね退けてやろうか、彼はそんな事をぼんやり思う。
そんな彼に構わず、彼女は一旦ぺたぺたぺちぺち(ryしていた手を止めて、またソファに座りなおして、
「よし、次最後」
「まだあんのか」
「うん。じゃ、起き上がって腕こっちに出して」
なんとなく展開が読めたが、彼はあえて言われたとおり起き上がってゆるゆると腕を上げる。
彼女は彼の二の腕あたりを同じように触ったりつまんだり揉んだりしていた。
少しして、
「…ふぅ」
彼女のため息が聞こえた。



「…で?」
「で、って?」
「今の意味不明な行動の説明はないのか、と言わんきゃわからんか阿呆」
「あー…。それね」
彼女は再びため息をついた。





「あんた、硬い」
「は?」
「硬い。カタいかたい硬すぎる」
「何のはなしか」
「…フェイトがさ」
「あ?」
「枕が無い時は人枕が一番良いんですよねーって」
「………」
「だからあんたの体ん中で枕に出来そうな部分を探してたんだけど」
「…つか、それって、女限定では」
「かーたーい。あんたの体、どこもかしこもカタ過ぎる」
「女のやわやわした体と同じにすんじゃねぇよ阿呆。っつか、フェイトのその発言はソフィア限定だっつぅこと気づけ」
「やわやわした体、ねぇ…確かに肌や体の硬さは男女差あるけどさ」
「当たり前だ。だから俺の体で枕にできそうなとこ探したって無駄なんだよ」
「………。いいな」
「は?」
「枕にはできないけど、筋肉あって。無駄な肉なくて。体締まってて。…隠密に向いてる体してるよあんた」
「…どう反応していいのかさっぱりだ」





「私も」
「あ?」
「男に生まれればよかったのに」





「阿呆か。仮定の話は無意味だろ」
「そうだけどさ」
「それに―――」



彼が俯き加減の彼女の顔に手を伸ばす。
頬に手が触れて、ゆるりと顔の向きを変えた。
「ん、」
彼女が何か声を上げようとして、そしてそれは声にならなかった。
彼女の唇に、定位置のように自然に彼の唇が重なる。
「お前が男だったらこういうことできねぇだろ」
離れてすぐ、彼がにやりと笑って言った。





「…あんたが女ならいいんだろ」
「あのな…」
「それに私、あんたなら男同士でも女同士でも別に」
「………」
「なんだい」
「今ものすごいこと言われた気がするが気の所為か?」
「さぁ」





「まぁ―――」
そう言って彼はおもむろにごろりと横になって。
「……」
隣に座る彼女の腿の上に頭を乗せた。
「こーいうポジションで満足しとけ」
「…我慢しとけ、じゃないんだね」
「不満が無ければ我慢なんぞしねぇだろ」
「はいはい…」





やっぱり今日も枕になってしまった彼女は。
今夜絶対こいつの腕に仕返しして枕にしてやる、と硬く決意を決めるのだった。





彼の腕が痺れて感覚すらなくなって動かなくなるのは、次の日の朝のこと。