「アルベル、左手から血でてるよ」 何気ないネルの一言に、アルベルはゆっくりと視線を動かした。 指摘されたとおり、彼の今は義手の付けられていない左手の甲から、血がだらだらと流れている。 「…あぁ…気づかなかったな」 「気づかなかった、じゃないですよ。それだけ酷い量の出血で」 呆れたように言うソフィアに、アルベルが首を緩く振った。 「火傷で神経やられてっから、痛覚も感覚もほとんどねぇんだ。だからわからん」 「あ…ご、ごめんなさい…そうとは知らなくて」 それを聞いて、申し訳無さそうに謝るソフィア。 アルベルは別に、と一言つぶやいて、包帯を取りにその場を離れた。 やさしいてのひら 「…大火傷って大変なんですね…それほど驚かなかったってことは、ネルさんはご存知だったんですか?」 「あぁ、まぁね…。それにしても神経や握力までやられるなんて、どれだけ悲惨だったんだろう」 「ですよね。まさか神経まで麻痺しちゃうなんて、想像もしてなかったです…悪い事言っちゃったな」 「うーん…。あいつ普段ほとんどそんな素振り見せないし、気づかなくて当然だよ。気にする事ないさ」 「そうでしょうか…」 「うん、あいつもそんなに気にしてないからさ。手が使えなくて困ってるところ見られても、そう動じないし」 「…あ。そういえば、前アルベルさんの右手が荷物で塞がってる時、握って回すタイプのドアノブの前で仏頂面してた気がします。その時は何でかって思ったけど、今思えば握力低下のせいでノブ回せなかったんだろうなぁ」 「あぁ、ノブも握れないくらい神経やられちゃってるらしいからね」 「そうでしょうね…。…でも神経と握力が無きに等しいって、相当不便ですよね…これからちょっとは気遣わないと」 「あ、やめた方がいいよ。あいつプライド高いから、気遣われてるって知ったら怒ると思う」 「あーそれもそうですね…じゃ、気づかれない程度に、ってことで」 「そうだね、気づかれたらきっと子供みたいに拗ねちゃうだろうから」 「あはは、確かにそうかもしれませんね。でもやっぱり知ったからにはさりげない気遣いをしないと…」 「…そこまで気にしなくてもいいと思うよ?日常生活にはなんら支障ないみたいだし」 「でも、片手でものが握れない、って絶対不便ですよ?前、フェイトが右手の骨にヒビ入って一週間くらいギプスしてたんですけど、そりゃーもー不便そうで不便そうで」 「ぎぷす?」 「あぁ、怪我した場所を固定するモノなんです。それのおかげでフェイトったら日常生活もままならなくて、ちゃんと治るまでフェイトも私も大変だったんですよぉ」 「へぇ…」 「例えばご飯の時とか、文字をタイピングする時とか、両手で抱えなきゃ持てない荷物がある時とか…あと、」 「…いつも、帰宅時間が重なるときは、学校から一緒に歩いて家まで帰ってたんですけど、片手で鞄持たなきゃいけないから必然的に空いてる左手は鞄に占領されちゃって、」 「―――手、繋げなかったり、とか」 ぴくり、と反応したのは、茶髪の彼女と話していた赤毛の彼女と、そして、 …部屋の扉の向こう、包帯が見つからず場所を尋ねに戻ってきて、今まさにドアを開けようとノブに手を伸ばした、彼。 「普段はいつも手繋いで帰ってたのかい?」 「あ、えっと、はい、大体は…」 「そっか…確かにそれは寂しいかもしれないね」 「ですよねですよね!」 「…でも、家に帰ってからは荷物なくなるから、手、繋げたんだろ?」 「あ、はい。…でもほら、通学路でろまんちっくなムードの中手をつないで帰る、ってステキじゃないですか!」 そんな風に、部屋の中の彼女達は彼に気づかないまま会話を続け。 彼は無言でその場を立ち去り、しばらくしてから感覚のない自分の左手を、見つめた。 「包帯、あったかい?」 その後彼の部屋にひょっこり彼女が尋ねてきて。 血は止まったものの、傷口に薬も塗られず包帯も巻かれず放置されている彼の左手を見て、表情を歪める。 「なんで手当てしてないのさ、早くしないと悪化しちまうじゃないか」 「………」 彼は無言のまま、ソファにあぐらをかいて座り込んでいる。 「どうしたのさ」 彼の様子がいつもと違う事に気づいて彼女が声をかける。 彼はやっぱり無言のまま、す、と右手を伸ばして、 「―――え」 彼女の、左手を。 指を絡めるようにして、きゅ、としっかり握った。 「アルベル…?」 不思議そうな顔をする彼女に、彼は視線をそらしたまま、 「…右手なら、繋げる」 小さな声でつぶやいた。 「あんた、さっきの話聞いて…」 「聞こえた、んだ」 「……それで、気にして?」 「………」 いつもより覇気のない仏頂面がまた黙り込んで。 彼女は、握られた左手を見て、表情を綻ばせた。 彼女の表情を見て、照れくさくなってきたのか彼がぱっと手を離す。 そんな彼を見て、彼女が僅かに笑う。 優しげな表情のまま、今度は彼女が右手を伸ばして、 「―――」 彼の、感覚も握力もない左手を。 指を絡めるように、包み込むように、大事そうに、きゅ、としっかり握った。 「…左手でも、繋げるよ。私が、あんたの分まで、手が離れないように、握ればいい」 驚いた顔をしている彼に、彼女がそう言って微笑んだ。 やがて彼も、表情を緩めて。 「―――そうだな」 そうつぶやいて、絡められた左手をそのままに、彼女に口付けた。 感覚も握力もないはずの彼の左手を握っている彼女の右手が、わずかに握り返された気がした。 |