拝啓 未来のヒルデガルダへ

久しぶりと書くべきなのだろうか。慣れない事をするものだと自分でも思う。
そういう気分だったと書く他ないのだが、心の整理も含めて書いているので、普段大魔王様宛てに書くように何度も推敲するようなことはしないでおく。
ゆえにまとまらない散文になると思うが、綺麗な文章として残しておくつもりは毛頭ないので、多少の読みづらさは大目に見てほしい。



未来の私は今何をしているのだろうか。今の私と同じく、坊ちゃまのお傍で坊ちゃまの為に生きているといいと思う。
それから、可能ならば病気も怪我もせず健康体であればいいと願う。
自分の体が動かない事自体はどうとも思わないが、坊ちゃまのお世話もできず、時には坊ちゃまのお傍にいることさえ敵わないというのは我慢がならない。
坊ちゃまの為にも、健康には十分気をつけてほしい。



ところで、男鹿辰巳という男のことを覚えているだろうか。坊ちゃまの人間界での父親であった、人間の男だ。
もしかしたらまだ現在進行形で父親をしているのかもしれないが、 いや、それはないだろうか。
恐らくこの手紙を未来の私が読む頃にはもうこの世にいないのではないかと思う。人間と悪魔の寿命の差はそう簡単に埋められるようなものではないのだから。
未来の私は、男鹿辰巳を忘れているだろうか? そうであったとしても、そうでなかったとしても。
この手紙を読んで、男鹿辰巳のこと、私が男鹿辰巳をどう思っていたかということを、思い出すことができればいいと思う。



今日で、男鹿辰巳から好きだと言われて一ヶ月程になる。
私が、恐らく同じ気持ちだと伝えて…10日ほどだろうか。あっという間であった気もするし、とてつもなく長かったようにも思える。
未来の私は、今の私の選択を馬鹿な事をしたと、心の中や頭の中がぐちゃぐちゃになるほど悩むなど無駄な時間だったと、笑うのかもしれない。
現在の私にとっての事実が、未来の私にとってどういう形で残っているのかはわからない。この手紙を無事に読んでいるかすらわからないが。
侍女悪魔失格とされて存在を抹消されているかもしれないし、運良く記憶の消去くらいで済んでいるかもしれない。
坊ちゃまにお仕えするという立場であるというのに、恋愛などということにうつつを抜かしてしまっているのだから、そうなっていても仕方ないと思う。
だからこそ、今の私が何を考えていたのかということを、この手紙で残すことにする。



私は男鹿辰巳という男が、 好き、というには軽いというか、可愛らしすぎるような気もする。だからと言って 愛している などという言葉は重々しい気もする。
ふとした時、触れたい、触れられたい、傍にいたい、声が聞きたい、辛い時に依りかかりたい、そういう気持ちを一言で表せる言葉を、私は知らない。
これが愛と呼ばれるものなのか、あれだけ悩んだ今でも正直よくわからない。だけど、あの男も似たようなものだと言っていたから、今はこれでいいと思う。
この気持ちを忘れずに年月を重ねていれば、いつかわかるのだろうか。



本当にこれで良かったのかと思う事もある。正直、今も迷いがないと言えば嘘になるだろう。
未来の私は、愚かな事をしたと一蹴するのかもしれない。
過去の私も、何を馬鹿な事をしているのだと思うだろう。
だから、今の私だけは、今の私が思う事を受け入れ、今を過ごすことを大切にしようと思う。
今の私だけは、私を否定することは言わないでおこうと思う。



出会った当初、足りないものが多すぎた男は、今だって強さ以外大魔王の親としては何一つ成長していない。
むしろ昔はあった凶暴さが今は鳴りをひそめている気すらする。
だけど、坊ちゃまはこやつを気に入っているし、私もこやつはこのままが一番いいと思っている。
こう思うことすら、大魔王様の意に反しているということも理解している。
だからこそ、この手紙を未来の私が目にする時には、もうこの居心地のいい生活は続いていないだろうと思う。



私は、男鹿辰巳の広い背中が好きだ。
武骨でいつもあらゆるものを雑に扱うくせに、時折どこまでも優しくなる、暖かい手のひらが好きだ。
たまに、本当にごくたまに真剣な事を言う時に聞く低い声が好きだ。
不器用で何も考えていなくて思った事は考えなしに即行動に移す、馬鹿で真っすぐなところが好きだ。
できるならば、もっともっと一緒に、



未来のヒルデガルダへ。
この手紙を読んだなら、どうか思い出して欲しい。
この手紙を書いた時、過去の私がどんな気持ちだったのかを。
馬鹿にしてもいい。ただ、知っていてほしい。
私が選んで、私が進んだ道を。















「覚えていらっしゃいますか? これは、坊ちゃまが初めて私にくださった小石です」
「ダブ…? ダッ!」
「こちらは坊ちゃまが綺麗だと仰っていた花を押し花にしたしおりです。坊ちゃまが美しいと思ってくださった姿のまま残しておけたら…とも思いましたが、枯れて朽ちてしまうよりはと思いまして」
「アウ」
「…何やってんの」
とある日の昼下がり、笑顔の彼女が幼い主の前にさまざまな品物を並べているのを見て、彼は珍しいものを見たとばかりに不思議そうな顔をした。
振り向いた彼女は、満面と言っても良い笑顔をさほど崩さないまま彼に声をかける。
「貴様もこちらへ来い、特別に私の宝物を見せてやろう」
「宝物? あー、あのいかにもダンジョンに置いてありそうなゴテゴテした箱の中身ってそれだったのか」
「大魔王様から頂いたジュエリーボックスだと何度言えばわかる。まぁ良い、まだまだあるから遠慮なく見るがいい」
「へーへー。ん、これ、石ころ? でもすべすべだしキレーな色してんな」
「そうだろう。坊ちゃまは昔から審美眼に優れていらっしゃったからな」
「ダーブッ」
「他にもあるぞ。坊ちゃまがお生まれになって初めて身につけられた産着、坊ちゃまが初めて電撃で仕留められた怪鳥の羽根、それから…」
「いやいやお前、そのちっこい箱からどんだけいろんなモン取り出してんだよ。四次元ポケットか」
もはや多少の事では動じなくなった彼だったが、それでも疑問に思うものは思うので。
大量の宝物を取り出して楽しそうに一つ一つ幼い主の前に並べている彼女を横眼で見遣りながら、彼は空っぽになった(と思われる)小さな宝箱をひょいっと持ち上げる。
箱を上げて逆さに振ってみても何も出てこない。どうやらあの質量保存の法則を無視した宝物達もさすがにもう出尽くしたらしい、と彼が少しだけつまらなそうな顔をした瞬間。
「ん?」
箱の底に敷いてあった、手触りの良い布で覆われた板がすこんと外れて、同時に一枚の封筒が中からひらりと舞い落ちた。
無地で何の模様もないシンプルな封筒だった。思わず無言で拾い上げて、彼は何の変哲もなさそうな封筒をまじまじと見つめる。
こんな封筒に入っているということは、幼い魔王がらみのものではないのだろう。先ほどこの箱から出てきた、幼い魔王が描いてくれたらしい似顔絵は大事そうに額縁に入れられていたし。
試しに封筒の口を開けてみれば、糊付けも何もされていない封筒は簡単に中身を覗かせた。
綺麗に折りたたまれている一枚の手紙を取り出して、彼はすぐ後ろにいる彼女をちらりと見遣る。
彼女は柔らかい笑みを浮かべて、幼い主に自分の宝物を見せ、思い出話に花を咲かせている。
自分から見せてやると言ったくせにいつも通りベル坊にべったりで、こっちのことは放置か。もー慣れたけど。
そんな事を思いながらもほんの少しだけ拗ねていた彼は、まぁいいか、遠慮なく見ろと言ったのはあっちだし、と折りたたまれた白い手紙を丁寧に開いた。


遥か遠い未来の、隣に彼のいない世界にいる自分へ宛てた、彼女の思い出を詰めた一枚の手紙は。
割と近い未来の、隣に彼女がいる世界にいる彼へ、たくさんの想いが詰まったラブレターとして届くことになる。



運命はきまぐれな郵便屋さん



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もだえてあぐら組んだままころんと横に倒れる男鹿。不思議に思うヒルダさんとベル坊。
これ以上ないくらい笑顔で手紙を見せる男鹿に、怒鳴ることも忘れて絶句するしかできないヒルダさん。
その日はきっと男鹿はこれ以上ないくらい優しくて、ヒルダさんはこれ以上ないくらい恥ずかしくてしょうがなくなってるといい。