自覚はなかったが浮かれていた、のかもしれない。 人間がひっきりなしに行きかう、利用者人数がこの日本という国で上から数えて10位には入るらしい大型の駅の中。 正直、"駅"というものは電車の乗り降りの為に存在するものだと思っていたが、その辺のショッピングセンター顔負けの施設が並んでおり、物珍しさもあり辺りを観察しながら歩いていた、ということも、否定はできない。 ふと足を止めて気になった店の中を眺めただけのつもりが、振り返って見れば坊ちゃまを肩に載せて前を歩いていたはずの男鹿の姿は、どこにも見えなかった。 迷子の迷子の悪魔さん 「あ、これ友達に貰ったんだけどさ、すっごい美味しいからヒルダちゃんも食べてみてよ」 いつも行列ができているらしい有名店の焼き菓子をお義姉様から頂いたのは、数日前の事だった。 礼を言って頂いてみると確かに絶品で、坊ちゃまも目を輝かせてぱくぱくとお召し上がりになられていた。 これだけ喜んで頂けるならばまた買いに行ってみよう、とお義姉様に店の名前と場所を尋ねると。 「快速で三駅行ったとこの駅にあるけど、ヒルダちゃん行ったことないんでしょ? 一人で行かせるの心配だし…あ、そだ、ちょっとー、たつみー! あんた土曜ヒマでしょ、ヒルダちゃんとデートしてきなさい」 突然のお義姉様の提案に当然男鹿は反発したが、また焼き菓子が食べられるとわくわくされておられる坊ちゃまと、普段から頭の上がらないお義姉様に逆らえるわけもなく、最終的には渋々三人で出かける事を了承した。 いつの間にかデートということになっていて、張りきって私の服装を考え始めるお義姉様に遠慮していると、ため息交じりに男鹿が口を開く。 「しゃーねーなー、ついてってやるからオレの買い物にもつきあえよ。ゲームの売り場んとこ行けばベル坊も退屈しねーだろ」 そもそも現地に着いたら別行動を取ればいいだろう、と返すと、男鹿は一瞬納得しかけて、だが少し何かを考える素振りを見せて。 「お前さ、なんの為にオレがついてくと思ってんだよ。かなり人多いし、迷子になっても知らねーぞ」 呆れたように言われたのが心外で、なるわけなかろう、とその時は言い返してしまったが。 男鹿が歩いて行った方向に早足で向かってみるも、二人の姿は見つからない。 目的地に到達する前に案内役とはぐれてしまった私は、認めるのも悔しいがどう見ても立派な迷子だった。数秒とはいえ坊ちゃまから目を離してしまった事が心底悔やまれる。 正直、ここまで人が多く行きかっているとは思わなかった。声もかけずに足を止めればこうなることは予想できたものを、と数分前の自分の判断に歯噛みしながら、とりあえず立ち止まって壁側に寄る。 勝手のわからない自分があちこち移動するよりも、もしかしたら男鹿が気づいて引き返してくるかもしれない、と考えての行動だったが、あの男がそんな殊勝な行動を取るだろうか、と懸念が浮かぶ。 「…目的の駅までは着いたのだし、これでお役御免とばかりに自分の用を済ませに行くかもしれんな…」 存分に有り得る可能性に、我知らず苦笑する。 坊ちゃまを探し出す事も大切だが、坊ちゃまが美味しいと言って喜んでくださったあの焼き菓子を購入する事も、今の私にとっては重要だ。男鹿と坊ちゃまを連れだしてまで買いにきたのに、当初の目的が達成できなくては元も子もない。 はぐれた時は焦ったが、今の坊ちゃまは男鹿の元にいる事は確かだ。ゲーム屋へ行くと言っていたのだから、私がお傍にいなくとも初めて来る駅を楽しんでいらっしゃるかもしれない。…そう考えると少しさみしいが。 しばらく待ってみて、それでも見つからなければ駅の案内図を頼りに焼き菓子店を探しに行った方がよいのかもしれない。 男鹿も携帯電話を持っているし、一言メールでもしておけば別行動を了承するだろう、と考えて、ちらりと時計を見る。 あと5分だけここで待っていよう、と鞄の中から通信機を取りだす。大体の場所を知らせ、合流する事が可能ならばここに来てほしい旨と、難しいなら別行動の方が効率的だろうから探さなくていい、とメールを送信し、壁に凭れた。 「ダッ、ダブ」 「そんな面白れーか? 確かにこんないっぱい人いるとこってお前来たことなかったよな」 「ダ」 「勝手にどっか行くなよ、っつっても15m離れたらすぐわかるからいーけど…あれ」 肩に乗せたベル坊とどーでもいい会話をしながら歩いていると、気づけば斜め後ろにいたはずの女がどこにもいなかった。 「は? おいおいマジでか、迷子なんてなるわけないとか言ってたのどこの誰だよ」 数分前まで傍いたのはわかっているので、少し待てば追い付いてくるだろう、と近くの丸い柱に凭れてしばらく待ってみることにする。 「アー」 「待ってりゃすぐ追いついてくるだろ」 ベル坊にもそう言って1分ほど待ってみる。 金髪ゴスロリなんて普段の生活圏内では絶対目立つというのに、人のごった返す今では金髪もゴスロリもちらほら見える。ああ面倒くさい。 そこまで考えて、そういえば今日は黒ずくめゴスロリ服ではなくて、本当にふつーの、その辺にいそうな女の格好をしていたのだと思いだす。姉きの見立てらしいが、ああも印象が変わるとは思わなかった。 服装は変わったものの、歩き方や雰囲気で遠目から見てもすぐにわかるはずの金髪の女の姿は、一向に視界に入らない。 まさか勝手に離れてふらふらとどこかに行ったんじゃ、と思うと同時に少し腹が立ってきた。 確かに駅まで案内しろとは言われたが、到着したらオレの役目終了かよ。いや、あいつがベル坊に声かけずにどっか行くとかねーだろうから、やっぱはぐれただけか。 「ダブー…」 「わーってるよ、どーせなんか珍しいもん見つけてぼーっと見てんじゃね? 戻れば見つかるだろ」 はぐれたのはあちらでも、どうせ自分は放っておくことなんてできやしないのだ。 ため息をついて元来た道をゆっくりと戻る。周囲に視線を配りながら歩いていると、肩の上のベル坊もきょろきょろと辺りを見回し始めた。 「ま、お前背負って歩いてりゃ目立つし、すぐ見つかるだろ。ヒルダ見つけたらすぐに言えよ」 「ダッ!」 そもそも、ベル坊成分に飢えているらしいあいつが、オレはともかくベル坊とはぐれたとなれば慌ててこちらを探すだろう。戻ればすぐ見つかるはず。いざとなったら携帯もあるし。 そう楽観的に事を構えていた彼は、ポケットに入れてある自分の携帯の電池が完全に切れている事も、たったいま通り過ぎた地点の壁際で解けたブーツの紐を結ぶ為にかがんでいた金髪の女性の存在も気づくことなく、元来た道をゆっくりと戻って行った。 5分。 はぐれたと気づき、しばらく待ってみようと決めてから、丁度5分が経過した。 待つ間も周りを行きかう人を注意深く見ていたが、あの男が戻ってくる気配はない。メールの返事も返って来なかった。 連れとはぐれた時、迷子になった時、目立つ場所にじっとして動かないようにしていた方がいい、と言う事は知っている。 だが、それは連れがはぐれた事を良しとせず、こちらを気にかけてくれる場合にのみ当てはまるのだろう。 はぐれたと気づき、合流するつもりがあるのなら携帯くらい見るだろうし、返事がないということは既に男鹿の目当ての店に到着してゲームを品定めしているのかもしれない。 それならばここにいても意味がないな、と壁際から離れ、目に停まった駅構内の地図を眺める。 行列のできるという焼き菓子の店の名前は知っているし、大体の場所は男鹿がインターネットで調べていた(調べさせられていた)。 目星をつけて捜すと、目当ての店名がすぐに見つかった。少し複雑な場所にあるが、有名店らしいし案内板と地図を頼りにすれば辿りつけるだろう。 そういえば、男鹿はその店まで案内してくれようとしていたのだから、先に到着して私を待っているかもしれない。 そんな可能性にも気付かなかったとは、と自分自身に呆れる。思っていた以上に、自分は焦っていたようだ。 坊ちゃまと合流できる可能性が増えた事に安堵しながら、案内板を頭に入れて方向を間違えぬように歩き出す。既にゲームを物色している可能性も大いにあるが、ここでじっとしているよりは、第一の目的地である洋菓子店へ向かった方が見つかる確率は高いだろう。 「いたかー?」 「ニョ…」 「…いねーよな」 元来た道を、ヒルダとはぐれたと思わしき場所辺りまで戻ってみる。だがあの存在感のある金髪の女の姿はどこにもなかった。 すぐに見つかるだろうと思っていたのに予想が外れて、これは連絡取った方が早えーな、と携帯を取り出す。 「…ん?」 電源ボタンを押しても、画面が真っ暗のままだった。何度か長押しを続けても一向に変わらない。 え、何これ嘘、電池切れかよおい。これがあったからあいつとはぐれてもどうにでもなると思ってたのに。 「アウ…?」 「あー、いや、なんでもねーよ。歩いてたら見つかんだろ」 ここで泣かれては堪らない。テロとか思われたらやだし。 そう思って適当になだめたが、よく考えたら電撃放って軽く騒ぎになればあいつはすっとんでくるんじゃないだろーか。 少しだけ実行してみようかと思ったが、さすがにオレへのダメージがでかすぎる。そこまでしなくとも本当に歩いているうちに見つかるかもしれん。 あの女の事だから、ベル坊とはぐれたことは気にしているだろうが、迷子になったところでおろおろするようなことはないだろうし。 「…ん」 辺りを見回しながら歩いていると、ヒルダとはぐれたと思われる辺りで、通路のすぐ傍にベビー用品の店があることに気づく。 もしかしてここにいるんじゃ、と足を止める。そういえば、そろそろ坊ちゃまの新しいおしゃぶりを買わなければ、とか前に言ってたような。 勝手に違う店に入って行くことは正直ねーだろ、と思わないでもなかったが、でも多分これを見て足を止めてはぐれたんだろうな、ということは予想がついた。 「ダッ!」 頭の上のベル坊がベビー用品店を指差した。あの中へ行け、と言ってるらしい。 「…ま、可能性はあるよな」 「アイ」 一回りしてヒルダがいなかったらすぐ出よう、と決めて、人生の中でまったく関わりのなかった分野の店へ足を踏み入れた。 案内板を頼りに歩いていると、目当ての洋菓子店の看板が目に入った。遠目から見てもわかる程度に行列ができており、近づくと焼き菓子のいい匂いがした。 行列に並んでいる客や、店の周りにいる人間の中からボサボサ頭と坊ちゃまを捜すが、見あたらない。 予想が外れて落胆しつつも、次に取るべき行動を考える。 はぐれてから20分程経っている。男鹿も私がいないことに気づいているだろうと思うが、それならばメールも気づくであろうに。 一向に返事がないということは、やはりまだ気づいていないか、それとも気づいているが迷子になる方が悪いとばかりに自分の用事を優先させているのか。 「…それも当然か」 確かに、不慣れな地でよそ見をしていたのは私だ。呆れて放置されても文句は言えない。 そもそも、男鹿は元々乗り気ではなかったのに坊ちゃまの為にと無理やり同行させたのは私だ。実行したのはお義姉様だが、お義姉様が言わなければきっと私が首根っこを引っ掴んでいた。 あの男に何かをさせることなど、最初は何とも思わなかったのに。むしろ坊ちゃまの為当然の事だとすら思っていたというのに。 今の私は、男鹿を怒らせたり困らせたりするのは、…ほんの、少しだけ、嫌だと思うようになっていた。 「…」 考えがどんどん暗い方向へ行っている事に気づき、頭の中から嫌な予想を振り払うように首を横に振る。 こうして悪い方向へ考えていても仕方ない。坊ちゃまと合流する方法を考えねば。 メールの返事がないということは、気づいていないほど何かに夢中になっているか、気づいていても放置する程度に優先させるべきものがあるということだろう。 ということは目当ての家電量販店へ到着して、ゲームやらを見ている可能性が高い。 先ほど見た案内図を思い出す。はぐれる直前、男鹿が向かっていた方向に大型の家電量販店があったはずだ。 「なんでいねーんだよあいつ」 「アウ…」 店内を一周しても、いなくなった金髪の女の姿は見つけ出す事ができなかった。 そう大きくない店の中、客もまばらであるから店内にはいないのだろう。 ああ厄介なことになった、こんなことになるなら万一はぐれた時の集合場所とか決めとくんだった。 まさか携帯の電池が切れるとは思いもしなかった。もしヒルダから連絡が来ていてもこれではわからない。 はぐれたのは、…たぶんヒルダの所為だが、携帯の電池を確認しなかったのは自分だ。 がしがしと頭を掻きながら、画面が暗いままの携帯を見る。 もしあいつがはぐれたら他にどこへ行くだろーか、と考えてみる。まず浮かんだのは、休日に駅まで引っ張り出される原因になった洋菓子の店だった。 「ベル坊、あいつって方向音痴とかじゃねーよな」 「ダ? アウ…アイっ」 「だよなー、ならもしかして自力で焼き菓子買いに行ってんじゃね?」 以前は坊ちゃま坊ちゃまうるさかったというのに、たまに自分の用事がある時には平気で何日もベル坊をオレに押しつけて、いや任せてくるあいつのことだ。はぐれても焦ってベル坊を探すのではなく、当初の目的の焼き菓子とやらを買っているのかもしれない。 他に可能性を一応考えてみるが、あの女が行きそうなところなど他に思い当らなかった。 「よし、行ってみっか」 「ダブ!」 はぐれてからそこそこ時間が経っていることに気づいて、少しだけ焦りながら店を出た。 地図で見て予想した以上に道のりが長く、少し迷ってしまった事もあり、目当ての家電量販店に辿りついた時はうっすらと汗が滲んでいた。 手持ちの人間界の紙幣で自動販売機からペットボトルに入った緑茶を一本購入する。一口飲んでふぅ、と息をついた。 家電量販店は駅と同じの建物の中ではなく、駅から出て道路を挟んだところにあった。 一度駅の外に出てしまうのは、もしかしたらまだ駅内に男鹿がいるかもしれないという可能性を考えると躊躇いがあったが、男鹿が行きそうな場所で思い当る所がここしかなかった。 どうせあちらは私の事など捜してはいないだろう。未だに連絡はないし。 ならば、こちらから思い当る場所へ向かって捜すしかない。 横断歩道を渡り、先ほどの駅の中に負けず劣らず人が多い家電量販店の中へ入る。案内を見てゲームソフトがあるフロアへと向かった。 ここでも見つからなかったら、他の方法を考えなければならない。 時計を見る。男鹿とはぐれて、40分が経とうとしていた。 見知らぬ地で一人でいることはなんとも思わないが、隣にいるはずだった坊ちゃまとあの男がいないというだけで、ここまで気分が落ち着かないとは。 「…弱くなったものだな、私も」 そう独り言を呟きながら、ゲームソフトが売られているフロアへと向かった。 「…いねーな」 「アブー…」 早足で向かった洋菓子店の周りにも、金髪の女は見あたらない。 本気でどこ行きやがったあいつ、と怒鳴りたいところを押さえて舌打ちする。 「なぁ、ここの店に金髪の女がマドレーヌ買いに来なかったか?」 行列から少し外れたところに立っていると、並んでいる客にサービスで水の入った小さな紙コップを配っている店員がいたので捕まえて訊いてみる。 「え? えーと、金髪のお客様ですか? マドレーヌを購入された方の中には…いらっしゃいませんでしたねぇ」 「…そっか」 どーも、と一声かけて店から離れる。ここにも来ていないなら、一体どこへ行ったというのだあの悪魔は。 「なぁベル坊、お前が食べたがったのって、この店の菓子であってんだよな?」 「アイ! ダッ、アーブ」 店を間違えたかと一応ベル坊に確認を取ってみるが、ベル坊はこくこくと頷いて、メニューに載っている写真を指差した。 姉きが持ってきた菓子のパッケージと同じような写真が載っていたので、たぶん間違いないんだろうなと思う。 「本当にどこ行きやがったんだあいつ…」 これだけ歩き回ってもいないとなると、一度こちらから待ってみるべきか、と考えが浮かぶ。 あいつが向かう場所と言ったらここくらいしか思いつかないし、もしかしたらあいつ、ここに来ようとして迷ってんのかもしれねーし。 ただじっとして待つというのは性に合わないというか正直落ち着かないが、お互いが捜し回っていたとしたらどこかですれ違った可能性もあるし。 「ちっ…」 5分、いや10分ここで待ってみて来なかったら、本気でベル坊の電撃でも出してみるか、とか考えながら、壁に凭れた。 「…」 ゲームソフトのフロアを二周ほどしてみたが、男鹿と坊ちゃまは見つからなかった。 もしかして、別の場所にゲームソフトを取り扱う店舗があったのに見逃していたのだろうか。それとも、まだ駅内にいるのか。 不安事項ばかりが浮かぶが、一度落ち着こう、と店を出て再び駅の方へと向かう。 駅の前は広場のようになっていて、中央にある噴水の周りには待ち合わせの最中と思しき人間が何人もいる。 ちょうど空いているベンチがあったので、一息つこうと腰掛ける。 もしかしたら、待ち合わせに使われるような目立つ場所にいた方がいいのだろうか、と考えていると。 「ねぇおねーさん、誰かと待ち合わせ?」 聞き覚えのない男の声が聞こえて、顔を上げる。恐らく男鹿や古市と年格好の変わらない、見知らぬ男がこちらを笑顔で見下ろしていた。 「…さぁ、どうだろうな」 「えー、違うの? あ、もしかして約束すっぽかされたとか?」 男はその場の雰囲気を明るくしようとしたつもりなのかもしれないが、からかうように言われる筋合いはなかったので自然と相手を睨みつけるような表情になる。 それを肯定と取ったのか、男は一瞬驚いて、だがへらへらと笑いながら距離を縮めてくる。 「ごめんごめん、怒んないでよ。じゃあ、暇つぶしに俺とちょっと話さない?」 「断る」 「は? いやいや、そんなつれないこと言わないで―――」 慣れ慣れしくも肩に手を回そうとしてきたので、軽く振り払う。軽く、のつもりが、焦りと不安の所為で機嫌が悪かった事もあって、男は簡単に吹っ飛んで近くの噴水に派手に突っ込んだ。水飛沫と共に、周りにいた人間から小さな悲鳴や驚きの声が上がる。 一瞬呆然とした男は、すぐに我に返ってこちらを睨みつけてきた。が、自分が吹っ飛んだ距離と、軽く振り払われただけでここまで飛ばされたという事に気づいたらしく。 「え、ちょ、あー、す、すんませんでした!」 びしょぬれのままどこかへ逃げて行った男を見てふん、と鼻を鳴らす。 あのような暇人もいるが、待ち合わせかと聞かれたということはやはりここは待ち合わせに適した場所なのだろう。 ここならば、駅の出入り口も家電量販店の出入り口も見える。 しばらくここで待ってみよう、と決めて、念のため通信機を確認する。 やはり返信はきていない。 「…」 先ほどのメールから一時間以上経っているが、今の位置を知らせるべきかと考えて、結局何もせずに鞄へしまった。 10分待って、一向に現れないので動きたいのを我慢しつつしばらく待っていたが、15分を過ぎたところで音を上げた。 「あー…、マジでどこ行きやがったあいつ」 「ウー…」 今日何度目かわからない台詞を呟くと、頭の上のベル坊が心細げに声を上げたのが聞こえて慌てて顔を上げる。 「あいつなら大丈夫だって」 「アウ…」 そうだ、あいつのことだから「今までどこに行っていた馬鹿者が」とかしれっと言いながらひょっこり出てくるかもしれない。 いつもは腹の立つあの毒舌でいいから早く聞きたいと思っている事に気づいて、自分の思考にうわー…と顔を顰める。 そもそも魔力の気配辿るとかできねーのかよあいつは、ベル坊の魔力がすげーんならどこにいるかくらいわかるもんじゃねーのか、とか考えていると、ふと、まさかなにか面倒事に巻き込まれてねーだろうな、と考えがよぎる。 考えた瞬間言いようもない焦りと苛立ちが生まれてきたが、いやいやそれはねーわ、とすぐさま自分で否定する。いやだって、あいつつえーし、もしなんかあっても一人でどーにかするだろうし。 いやでもあいつ人間界の常識とかめっちゃ偏ってるし、赤ん坊ならこっちにいたからついてきなよ、とか言われたら簡単についていきそうな。 「…」 ああこんなことになるなら電池の確認くらいしていれば良かった、と役立たずの携帯を睨む。時計機能も当然死んでいるので店の中にある時計を見ると、はぐれてからもう一時間以上経っていた。 携帯にベル坊の電撃食らわせたら動かねーかな、とか考えていると、ふと以前どこかで、携帯ショップに行けば無料で充電させてもらえると聞いたことがあるのを思い出す。 「おー、そーだそーだ、連絡取れりゃ一発で見つかるじゃねーか!」 「ダッ!」 確か、朝この駅についてからはぐれるまでの道に携帯ショップがあったはず。 携帯さえ復帰したらなんとでもなるだろう、と、人を避けながら早足で携帯ショップへと向かった。 いつも鬱陶しく感じる人ごみを今日はさらにうっとうしく思いつつ進む。休日いっつもこうなんだよなー休日しかこねーけど、と思いながら人にぶつからないように歩いていると、 「―――本当だって、ピンクの可愛い日傘持ったお嬢っぽい子なのにさー、ナンパしてきた男思いっきり吹っ飛ばしてたんだって。ギャグマンガみたいに吹っ飛んだよそいつ」 たったいま追い抜いた、携帯で話しながら歩いている女の声が、耳に入った。 「あたしにもしつこく声かけてきたチャラい感じの男だったから、正直すっきりしたよー。あの金髪のおねーさん空手とかなんかやってたのかな」 足を止めて振り向く。気付いたのか、携帯で話していた女が一瞬戸惑うような顔をしてこちらを見た。 「なぁ! その金髪女って、どこで見たんだ」 「きゃっ!? え、えっと、噴水広場でだけど…」 「それ、いつの話だ!?」 「つ、ついさっき」 それを聞いてすぐ、くるりとUターンして走り出していた。 「さんきゅ!」 聞こえたかわからないが一応そう言って、人にぶつかりそうになりながら通路を走り抜ける。 頭の中では、あの人騒がせな悪魔を見つけたらなんと言ってやろうか、それだけがぐるぐる回っていた。 「あ、キャバクラのバイトとかそういうの興味ありません? 君なら多分かなり稼げると―――」 「あいにく興味がない。他を当たれ」 「そ、そうですか、すみません」 すごすごと去って行った男の事を1秒で頭から追い出して、少し強くなってきた陽射しを遮るように傘を差しながら、これからの行動について考える。 坊ちゃまを見つけ出すに当たって、合流できる可能性の高い場所はすべて回った。これで見つからないとすると、もしかしてどこかですれ違ったのだろうか。 はぐれた時、私が立ち止まっていたのは数秒だった。…いや、もしかして十数秒立ち止まっていたかもしれないが、どちらにせよそこまで遠い距離離れたわけではなかったのだろう。 もし、このまま合流できなかったとしたら。 男鹿の家の電話番号は通信機に登録してある。最悪、男鹿が先に帰っていてくれさえすれば、それを確認して私は飛ぶなりアクババを呼ぶなりして帰ればいい。 一度空に出てしまえば、大体の方角さえ分かれば帰宅できるだろう。 そう考えると少しだけ安堵したが、今日の予定が滅茶苦茶になってしまったことは変わらない。無意識にため息が漏れた。 ほんの少し気を抜いただけで、ここまで時間を浪費してしまうとは。 もしかしたら男鹿を見かけるかもしれない、と辺りに廻らせていたはずの視線がいつの間にか下へと落ちて来ていて、慌てて顔を上げる。 「…」 今日何度目かわからないため息が漏れた。 「ため息つくと幸せ逃げるよ?」 不意に話しかけられる。やはりというか、見知らぬ男が笑顔で傍に立っていた。 待ち合わせに適した場所だと思っていたが、暇人も多いのか。ここに来てからまだ十分も経っていないというのに、これで何人目だ。 「彼氏と待ち合わせ? 何時に待ち合わせてんの?」 とりあえず、話しかけられているだけだというのに吹き飛ばすわけにはいかないだろう、と自制しながら、適当に答える。 「さぁな。来るのかすらわからない」 「ええー、何それひどいね」 「用が済んだなら去れ」 「うわーキッツイね。いや、なんか寂しそうに見えたからさ。声かけたくなっっちゃって」 さみしそうに見えただと? 思わず顔を上げると、声をかけてきた男は少し驚いたような顔をして、そしてへらっと笑う。 「いつ来るかわかんないんでしょ? そりゃ心細くもなるよねー」 「…別に」 一瞬、心を見透かされたような気がして、顔を背ける。 さみしいと、思っていたのだろうか。私は。 確かに坊ちゃまのお傍から離れてしまった事については、さみしい、と思っている。ここでこうやってじっとしていることが歯痒い、とも。 だが、心細いとは違うはずだ。確かに坊ちゃまがどうしているか不安ではあるが。 「…」 我知らず、視線が下がる。それをどう思ったのか、いつの間にか隣に腰かけていた男が、ぽん、と頭に手を載せてきた。 いつも髪が乱れると言ってもやめずに笑いながら頭を撫でてくる、男鹿の大きな手のひらが、頭をよぎった。 ぱしん。 気づけば、男の手を振り払っていた。 乾いた音を立てて振り払われた手を見て驚いた顔をしている男を睨みながら、口を開く。 「触るな」 「…え、何それ、元気づけようとしてやったのに、それはないんじゃないの」 「余計な世話だ」 睨みつけながら言うと、男の表情が険しくなる。 さて、これで何か余計な事をされれば吹っ飛ばす口実ができるな、と、思った瞬間。 「ヒルダ!」 名前を呼ばれて、弾かれるように振り向いた。 はぐれてからずっと捜していた相手が、こちらに向かって走ってくる姿が目に入った。 彼女が振り向いたと同時に、彼女に声をかけていた男も反射的にそちらを向いた。 が、駅の出入り口から全力疾走してくる彼の剣幕を見て、ひくっと口元をひきつらせる。 「あ、あー、なんだ、待ち合わせの相手、来たじゃん。よ、良かったね」 早口で何とかそう言って、男は慌てて彼女の隣から立ち上がり、そそくさとその場から離れて行った。 横目でそれを確認して、彼女もベンチから立ち上がる。 彼はすぐに彼女の目の前まで来て、荒い息を整えながら、先ほど男が立ち去った方向を睨みつけて。 「…今の、誰」 不機嫌丸出しの声で彼女に問いかける。 「知らん。声をかけられたから適当にあしらっていただけだ」 「…ふーん」 「ダッ!」 全力疾走したらしい彼に振り落とされることもなく背中にしがみついていた幼い魔王が、ひょこりと顔を出す。 「坊ちゃま! 申し訳ありません、ヒルダの不注意のせいで坊ちゃまから離れてしまうような事になってしまい…」 「ダブ、ダッ」 一瞬表情を輝かせて、だがすぐにしゅんと申し訳なさそうな顔をする彼女に、幼い魔王が気にするな、とでも言いたげに首を横に振ってから声を上げる。 彼はいつも通りのやりとりをしている彼女と幼い魔王を見て、何か言おうと口を開く。何を言おうか数秒迷ってから出たのは、ため息交じりにの小さなぼやきだった。 「…ったく、なんでこんなとこまで来てんだよ」 「貴様はゲームソフトを見に来たのだろう? ならばここにいるかと思ってな」 そう言って彼女は視線を横へ向けて家電量販店を見る。彼女の視線を辿った彼は、少し考えてからはぁ、と息を吐いて、額に浮かんでいた汗を手の甲で乱暴にぬぐった。 「迷子になった癖にこんなとこまで来てんじゃねーよ。どんだけ捜したと思ってんだ」 「…。捜していたのか…」 「はぁ? 当たり前だろ、はぐれたんだから」 当然そうに言う彼を見ながら、彼女は鞄の中からハンカチを取りだして、彼の額の汗を拭う。 「メールを送っても反応がなかったからな。私の事など気にせずに、自分の用事を優先させたのだとばかり思っていた」 「あー…、わり、携帯の電池切れてた。やっぱ連絡取ろうとしてたんだよな、悪かった」 「いや、はぐれた私が悪い。すまなかったな」 彼女はそう言いながら甲斐甲斐しく彼の汗を拭いた後、ハンカチを鞄にしまってから中身が3分の2ほど残ったペットボトルを取り出す。 「飲むか?」 「飲む」 喉が渇いていたのだろう、彼はすぐさま受け取って蓋を取り、あっという間にごっきゅごっきゅと飲み干した。ぷは、と息を吐いてから、彼は妙に世話を焼いてくる彼女を不思議そうに見る。 「なんだよ、やけに親切じゃん」 「はぐれたのは私の不注意が原因だ。貴様に余計な時間を取らせた」 「…別にいーけど、見つかったから」 妙にしおらしい彼女がらしくなくて、どことなく居心地の悪そうに彼が答える。 そんな彼を見て、彼女は彼に対しては珍しく、ふ、と柔らかい笑みを浮かべてみせる。 「そうだな。無事に合流できて、正直ほっとしている」 しおらしいと思ったら今度は妙に素直な彼女の笑顔に、彼は一瞬ぽかんと目を見開いて。 「…おう」 彼はそれだけ言ってから、空になったペットボトルを受け取って鞄にしまい終えた彼女の右手に左手を伸ばした。 「?」 「これでもう、はぐれねーだろ」 突然手を掴まれてきょとんとしている彼女に、彼はいつも通りの、不機嫌そうな顔で口を開く。 彼女は彼の顔を見て、それから握られたままの自分の右手を見て。 (以後気をつけると言っただろう、こんなことをしなくとも、もう貴様の傍からはぐれたりなどしない) そんな台詞が頭に浮かんだが、彼女は口にする事はしなかった。 「…そうだな」 代わりに出てきた肯定の言葉と同時に、骨ばった彼の大きな手を彼女がきゅっと握り返す。 彼の背中の幼い魔王が、繋がれた手を見て嬉しそうにはしゃいだ。 それから、買いそびれていた焼き菓子を買いに行こうとする彼を、彼女が止める。 先にゲームソフトを見に行った方が効率的だろう、と提案した彼女に、なるほど、と彼が同意した。 そのまますぐそこの家電量販店へ向かって、一通り回って彼の欲しかった新発売のゲームソフトと、幼い魔王が喜ぶからと魔王が勇者を倒すゲームソフトを彼女がそれぞれ購入して、店を出る。 ようやく当初の目的であった焼き菓子を買う為に行列に並び、無事購入できた焼きたてのマドレーヌを併設のカフェで美味しそうにもぐもぐと食べる幼い魔王を、彼女はにこにこと嬉しそうにして眺め、彼はそんな二人を見ながらむぐむぐと同じく焼き菓子を頬張っていた。 それぞれ満足そうに帰路に着き、朝に乗った電車とは逆方向の電車に乗って、無事に最寄り駅まで到着する。 電車に乗っている間に満腹で眠ってしまった幼い魔王を彼が抱っこして、彼女はお土産として買った焼き菓子の紙袋を下げて、自宅までの道をのんびり歩いた。 馴染みのある町に着き、人もまばらで、もうはぐれる心配もないはずだったが。 やがて彼の家について、二人で揃ってただいま、ただいま戻りました、とあいさつしながら家に入るまで、二人の手はしっかりと繋がれたままだった。 ----------------------------------------------------------------------------- 相互リンク記念で「自惚れ」の鳩田さんに捧げます! 「迷子になってお互い必死に捜しあう男鹿ヒル」でしたが…ちゃ、ちゃんとリクエストに添えていたか心配ですドッキドキドン ともあれリクエストありがとうございました! 書いていてとっても楽しかったです!(´∀`*) |