「ベル坊、これあげるよ。今日ハロウィンだしね」
「ダ? ダブっ!」
「あー。今日ハロウィンだったか」
「だったか、じゃないわよ。今までスルーしてきたのはいいけど、今年はベル坊がいるんだからちゃんとイベント事にも感心持ちなさいよね」
「ええーめんど…いででででっ!」
「面倒、じゃない! ハロウィンは子供が主役のイベントなんだし、ベル坊にちゃんと教えて楽しませてあげるのもあんたの役目でしょーが!」
「痛てーっつの! あーはいはい、わーったよ!」
去年までハロウィンだからと言って特に何をするでもなく過ごしてきたというのに(ハロウィン限定の菓子が増えたくらいの認識はあったが)、無茶な事を言うな、と言い返せば三倍で返ってくると確信して、彼はとりあえずおざなりに肯定を返した。



trick and treat!



とは言っても、本気でハロウィンについて幼い魔王に教えるつもりなどカケラもなかった彼だったが。
姉が彼女に、「ハロウィンについてたつみが何か言ってた?」と確認をしに行ったら面倒な事になりそうなので、彼は渋々幼い魔王と彼女にハロウィンについて教授することにした。
「ベル坊、ハロウィンっつーのはな、ガキがお化けのかっこして菓子よこせー、って菓子をゆする行事だ」
「ダ?」
「んーと、確か本当は、菓子よこせ、じゃなきゃ悪戯すんぞ、って言って菓子もらう日なんだけど、日本だとあんま普及してねーんだよ。だから適当に菓子買って食ってりゃいーんだ」
「アー…、ダ!」
かなりすっとばした自己解釈の説明だったが、幼い魔王は首を傾げながらも納得したようだった。
よし、と彼が満足そうな顔をした直後、夕飯の後片付けを手伝っていた彼女が彼の部屋のドアを開けた。
「おや坊ちゃま、綺麗な装飾のお菓子ですね」
「ダッ!」
きれいな包装紙をばりばりと容赦なく破きながらお菓子を取りだし、美味しそうに食べ始める幼い主を、彼女はにこにこと笑って眺めている。
「なあ、ヒルダ」
「なんだ。私は今坊ちゃまの幸せそうなお顔を眺めるのに忙しいのだ。くだらん用事なら後にしろ」
横目でちらりと視線をよこしたものの、先ほどの慈愛に満ちた声音とは真逆の愛想もない口調で切り捨てられ、こっちはわざわざ教えてやろうとしてんのに、と彼は眉根を寄せた。
いつも主や自分の家族(自分は当然含まれていない)以外に対しては無表情か不機嫌そうな顔しかしない彼女の仏頂面をどうにか崩してやれないものか、と考えていた彼の中に、ふと悪戯心が湧きあがった。
「おいヒルダ」
「だからなんだと言っておるだろう」
「トリックオアトリート」
「…む?」
耳慣れないであろう言葉に彼女が振り向いた。そのきょとん、とした顔も十分珍しかったが、彼はにやりと笑ってもう一度同じ言葉を口にする。
「だから、トリックオアトリート。今日はハロウィンだろ、菓子よこさなきゃ悪戯すんぞ」
どうせこの悪魔はハロウィンについて何も知らないだろう。当然菓子も持っていないだろうから、結果として悪戯しか選択肢はないはず。
人がせっかく教えてやろうとしてんのに厚意を無碍にした罰だ、さあ何をしてやろうかなと楽しそうに笑う彼の前で、彼女は数秒の沈黙の後、ふ、と笑う。
「仕方がないな、そこまで言うのならば菓子をくれてやってもよいぞ」
「は…?」
「ただし坊ちゃまが先だ。坊ちゃま、今日は何の日でしたっけ?」
ぽかんとする彼を尻目に彼女はくるりと後ろを向き、美咲から貰ったお菓子をむぐむぐ食べている幼い主へ笑顔で話しかける。
「ダ? ダブウィー!」
「そうです、ハロウィンですね。さすが坊ちゃま。では、お菓子が欲しい時は何と言うのでしたっけ?」
「アー…? ダーダ、ダブ?」
「ええ、お菓子をよこせ、さもなくば悪戯だ!ですね。悪戯されては困りますから、お菓子を差し上げます。はい、どうぞ」
どこからともなく取りだされた、カラフルな包み紙のお菓子の詰め合わせを見て、幼い魔王が再び目をきらきら輝かせて体全体で喜びを表現している。
「…んだよ、知ってたのかよ」
「魔界の子供が、唯一自由に人間界に遊びに行くことができる日だからな。坊ちゃまにはまだ早いと思ってお教えしていなかったが、こうして人間側のハロウィンを楽しんで頂く事も良い経験になるだろう」
当然そうに答えた彼女は、彼が妙に不機嫌そうな、ふてくされた顔をしている事に気づいて不思議そうな顔をする。
「なんだ、何を拗ねておる。貴様にも菓子を用意してあると言っておろう、少しくらい待てぬのか」
「別に拗ねてねーし。つか別に菓子が欲しくて言ったわけじゃねーけど」
持っていない事を前提に訊いたのに、ばっちり準備されていたとは。合法的にからかえるいいチャンスだと思ったのに、と拗ねていないといいつつしっかり拗ねていた彼だったが。
何気なく返した憎まれ口に返答がない事に気づき、そっぽを向いていた顔を彼女に向ける。
彼女は不満そうな顔をして手元にある菓子の詰め合わせを見ていた。
「…ならば、これは不要ということだな」
彼の分だったであろう菓子の詰め合わせを手に取り、幼い主の方を向いた彼女の肩を、後ろから彼の手ががしりと掴む。
「いらねーとは言ってねーだろ」
「今まさに欲しくないと言ったではないか」
「違うっての、菓子がいらねーんじゃなくて…、あーもー、いーからよこせ!」
悪戯の方をしたかったと言うと本当に菓子をひっこめられそうだと気づき、だが他に良い言い方も思い浮かばなかったので、彼は半ば強引に彼女からお菓子の詰め合わせをひったくった。
抵抗もなくあっさりと彼の手に渡ったお菓子の詰め合わせを見て、今更ながらにそこそこの量があることに気づく。もちろん幼い魔王の分よりかは一回りほど小さかったが。
「あれ、これよく見たら市販のじゃねーよな? もしかして、お前が作ったのか」
「…そうだと言ったら?」
何気なく訊いた彼は、彼女にしては珍しいオウム返しの質問を不思議に思いながらも即答する。
「お前が作ろうが市販だろうが、貰えるもんは食うけど」
言いながら綺麗にラッピングされた包みを、幼い魔王ほどではないが豪快に開けて中身を取り出す彼を見て、彼女は少しの間を置いてから口を開く。
「そうか。ならば遠慮なく食べるがいい」
「ん」
ご丁寧に一つ一つきらびやかな袋と可愛らしいリボン、ワンポイントのシールなど厳重な個包装がされていて、少し面倒に思いつつわざわざよくやるよな、と感想を持ちながら包装紙を解いていた彼は、彼女がほっとしたような顔をしていたことには気づかなかった。
中身を取り出し、見た目普通だけど中身タバスコ入ってたりしねーよな、と一応の覚悟はしておいて、彼はこんがりときつね色に焼けたクッキーをぱくりと口に入れた。
「ん、…え、これ中身あんこ? クッキーにあんことか斬新すぎんだろ」
「お義姉様は新鮮で美味しいといってくださったぞ」
「いや確かに美味いけど。カントリーマァムの中身があんこになった感じ?」
意外にイケるかも、とむぐむぐ口を動かしている彼が、一つ食べきらないうちに次の包みに手を伸ばすのを見て、彼女は安心した様に僅かに微笑んだ。
「え、…ちょ、これ、…お前、まさかコロッケの中身入れたのか?」
「坊ちゃまの好物だからな。必要ならばソースを持ってきてやるが」
「いやいやクッキーにソースとかかけねーから! …お、次はチョコ? うん、これはまともだな」
「一言余計だ。それは先ほど坊ちゃまも召し上がって下さっていたが、美味しそうに食べて頂けたぞ」
「ダブ!」
「そりゃそーだろふつーにまともな中身だし、て、痛っ! やっぱ来ると思ったんだよタバスコ味!」
「違うぞ、一味だ。以前、お義姉様が大学のご学友にお土産で頂いたという、キットカット一味味を参考にしてみたのだが」
「あれはいろいろ加工されてるからアリなんだろーが!」
騒ぎながらも一つまた二つとクッキーを消費していく彼は、今まで食べた味に重複が一つもないことに気づき、ふと手を止める。
「なあ、まさかこれ、全部違う味なのか?」
「そうだが」
美咲にもらった分も食べていた為、彼女が用意したクッキーは一つだけしか食べられなかった幼い魔王が、先ほど豪快に破いた袋を彼がまじまじと見る。
「ベル坊のは倍くらいあるよな? お前、どんだけ作ったんだよ」
「坊ちゃまの分はあんこ味とチョコ味、それとバニラ味のみだ。…貴様が食べているものは坊ちゃまに食べていただく味の試作と、形が悪く坊ちゃまに差し上げるには不適合となった残り物だからな」
「…あっそ」
自分と幼い魔王の扱いの差に軽く不満を持ちつつも、納得してしまえる自分が少し嫌になりながら、彼は次のクッキーを口に入れた。
喜怒哀楽を見せながら次々とクッキーを消費していく彼を見て、彼女は満足気な顔をしながら自分の主に向き直った。
「坊ちゃま、明日のおやつには、一風変わった、かつ美味しいお菓子をご用意いたしますね」
「ダ、アー、ウイー!」
「ふふ、今日はもうダメですよ。食べ過ぎてお腹を壊してしまってはいけませんから。さあ、お風呂に入りましょうね」
にっこりと笑顔を浮かべた彼女は、幼い主を抱き上げて立ち上がり、まだクッキーを食べ続けている彼の方へと顔を向ける。
「もう少し反応を見て分析しようと思っていたが、坊ちゃまを放置してしまっては本末転倒だ。まだ食べるようなら後で感想を訊くから、忘れぬように食べるのだぞ」
振り向いた時にはいつもの仏頂面になった彼女を彼はちらりと見上げて、へーへー、といつも通りの適当な返事をした。



入浴を終え、程良く満腹になっていた幼い魔王がすやすやと寝付いたのを確認してから、彼女は満足そうに主の寝顔を眺める。
「あれ、ベル坊もう寝たのかよ」
彼女と幼い魔王が上がると同時に入れ換わりで風呂に向かった彼が部屋に戻ってきたのを見て、彼女は幼い主が今の物音で起きなかった事を確認してから、床に直に正座していた足を崩し、座ったまま彼を見上げた。
「先ほどの事だが。お義姉様のお口添えがあったとはいえ、貴様が坊ちゃまにハロウィンについて自主的に説明しようとするとは思わなかったぞ」
「あ?」
「しかも、範を示す為に決まり文句を言って菓子をねだるところまで実践するとは思っていなかった。貴様にしては上出来だ」
機嫌の良さそうな彼女を見て、ああ、さっきのトリックオアトリートの事か、と彼は少し考えてから思い当る。
彼女の口から褒め言葉が出るとは珍しい、と意外そうな顔をしつつ、彼は正直に答える。
「別に、ベル坊に手本見せる為に言ったんじゃねーし」
「…? 菓子が欲しかったわけではないのだろう。ならばあの台詞を言う理由など、坊ちゃまに手本をお見せする以外に何があるというのだ」
幼い主の事を第一に生きてきた彼女らしい発想だとは思ったが、あいにく彼の思考回路にはこれっぽっちも当てはまらない。
きょとんとしながら首を傾げている彼女を見て、彼は一度口を開きかけたが。
「…」
「おい?」
不思議そうな顔をしている彼女を見て、彼は少しの間を置いてからくく、と面白そうに笑う。
「あー。どーせお前はハロウィンの事知らねーだろうと思ってたし。菓子なんか持ってねーだろうから、何か悪戯してやろうと思って」
「は?」
「だから、トリックオアトリートって言った理由。お前いつも俺には不機嫌そうな顔しかしねーから、悪戯でもして慌てたり焦ったりした顔見てやろうと思ったんだけど」
「…」
途端に呆れたような顔になった彼女が目を細めて彼を睨む。
「…貴様に期待をかけた私が馬鹿だったか」
ち、とわざとらしく舌打ちしながら彼女が言い捨てる。だが彼はその彼女の表情の変化すらも面白そうに見ながら笑う。
「でも、もーいいや。もういろいろ見れたし」
「はぁ?」
「さっきお前、笑ってただろ」
ぱちりと目を見開き、彼女が反射的に自分の口元を隠すように手で覆った。
そうしたところで、彼がクッキーを食べているのを見て彼女が嬉しそうに微笑んでいた事実を消せるわけもないのだけれど。
「…坊ちゃまに差し上げる為のクッキーの評価の、いい判断材料が手に入ったと思っただけだ」
「あ、笑った事は否定しねーのな」
「…」
口をつぐんだ彼女が彼を悔しそうに睨みつける。
「ま、何かしてやろーと思ってたけど、お前結構いろんな顔してたもんな。菓子ももらったし、悪戯はなしにしといてやるよ」
彼女が悔しそうな顔のまま自分を見上げているのを見て、彼は勝ち誇ったかのような表情をして笑う。
別に意図したわけでもなく偶然だが、自分が今立って彼女を見降ろしていて、彼女が座って自分を見上げている事にすら勝ったような気分になって、機嫌良さそうに肩に引っかけたバスタオルで頭を拭いている彼を見て、彼女がばそりと呟いた。
「…私が、ベッドに蛇がいたり靴の中にミミズがいるくらいで慌てるわけないだろうが、馬鹿め」
「は? なに気色悪いこと言ってんだお前」
「違うのか? ハロウィンの悪戯の定番だろう。あとは風呂場にナメクジをいっぱいに放したり」
「違うっつの! 定番じゃねーよなんだその気色悪い悪戯! 想像したら寒気したわ!」
「これくらいで何を腑抜けた事を。そんな事で私を脅かそうとしていたのか」
少しいつものペースを取り戻した彼女がふ、と笑う。
「脅かすっつーか、驚かす、の方だろうな。多分。ベル坊の目の前でキスとかしたらお前絶対驚くし慌てるだろ」
だが次に続いた言葉に、少し戻ってきた余裕も忘れて一瞬固まった彼女を見て、彼はおかしそうに笑う。
「ほらな、今想像しただけで固まってんじゃん」
「…戯けが」
ぼそりと呟かれた言葉も、顔をそむけるようにそっぽを向いた仕草も照れ隠しにしか見えないので、彼は隠す気もないままくくく、と笑い声を漏らした。
彼の笑い声が聞こえて、顔をそむけたまま悔しそうにしていた彼女が、ふと何かに気づいて彼へと顔を向けた。
「おい」
「あー?」
「trick or treat」
「へ?」
突然、彼女の口から達者な発音で紡がれた言葉に、彼はにやにや笑いも収めてきょとん、と目を見開いた。
「"お菓子をよこせ、さもなければ悪戯するぞ"? そういえば、私はまだ言っておらんかったな」
言って、すっと音もなく立ち上がった彼女の、洗練された動作すら何か恐ろしいものに見えてきて、彼はとりあえず何か言おうと口を開く。
「…いや、別にお互い言わなきゃならねーってことねーだろ」
「片方だけしか言ってはいけないという決まりがあるわけでもないだろう。まぁ、当然貴様は用意などしておらぬだろうな」
にやり、と本場の悪魔の笑みを浮かべて、やはり音もなく近づいてくる彼女を見て、彼は立場が逆転したことに気づく余裕もなく一歩後ずさった。
「おいお前、ベッドのヘビはベル坊がいるからねーだろうけど、靴の中ミミズはマジでやめろよ。学校の怪談の水道ミミズの所為でミミズがうじゃうじゃしてんのトラウマんなってんだよ」
「そんな手間のかかる事はせん」
あっという間に彼の目の前に来た彼女が、逃がさないとでも言うように彼の肩を掴んだ。
どっかにナメクジ隠し持ってんじゃねーだろーな、と一瞬身を固くした彼の視界に、彼女の顔が映った。
「―――…、」
唇に柔らかいものが触れて、少しの間を置いてから離れる。
ぽかんとなって絶句した彼を見て、彼女はおかしそうにくすくすと笑い声を上げてから、勝ち誇ったように笑う。
「これであいこだな」
「…は?」
「貴様の間抜けな顔が見られたからな。悪戯成功、というわけだ。これで引き分けだな」
にやりと彼女が笑う。
先ほどの、身の危険を感じずにはいられない悪魔の笑みではなく、悪戯に成功した子供のような誇らしげな笑顔だった。
「…や、ぜってーにオレの方が勝ってるし」
彼女の無邪気な笑顔なんて、珍しいどころではない、本気で見たことのないレベルなのだから、それを見られた自分の方が絶対に勝ってる。
内心そう思いながら、ようやく呆然とした表情から少し回復した彼の言葉に。
「今の顔も十分間抜けだぞ。やはり私の勝ちだな」
余裕を持って言い返している得意げな笑顔を見て、ああやっぱりぜってーオレが勝ったなこれ、と彼は思った。