穏やかで暖かい春の一日。 朝から窓を開けても寒いと感じることのない程度に丁度良い気温のその日の昼食後の昼下がり。 とある街のとある屋敷のとある部屋で、小さな可愛らしい寝息が二人分と、困ったようなため息が一人分聞こえていた。 それからため息の主は口を開いて何事かを言って、近くにいたもう一人が返事をして立ち上がった。 Someday,Someplace 〜幸せのかたち〜 「お母さーん。クラとリィ、寝ちゃった」 小さな声が聞こえてかちゃりとドアが開く。 "お母さん"と呼ばれた彼女はおや、と目を見開いて振り向いた。 長く伸ばした黒髪をリボンでくるくると縛っている少女がリビングの扉からひょこりと顔を出している。 「おや、困ったね。三時のおやつにってクッキー作ってたのに」 「うん、それまでは寝るなーってお父さんも言ってたんだけど、やっぱり寝ちゃった」 黒髪の少女の言葉に彼女は苦笑して、後は焼くだけで完成だったクッキーのタネを見遣った。 「そう、じゃあしょうがないね、クッキーはまた今度にしようか。冷めたクッキーは美味しくないからね」 「クッキー焼いたら、いいにおいで起きないかなぁ」 「お父さんなら起きたと思うけどね」 「わたしも思うー」 二人でくすくす笑って、彼女の作った食べ物に関してのみ食い意地の張った誰かさんを思い浮かべる。 そこで黒髪の少女がふと気づく。 「あ、忘れてた。お父さんがね、ブランケット持って来いって」 「お父さんが?ラナにわざわざ頼むなんて、相変わらず面倒くさがりやなんだから」 彼女の言葉に、ラナと呼ばれた少女がふるふると首を横に振った。 「ううん、お父さん今動けないから。わたしがかわりに来たの」 「動けない?」 「うん、クラとリィ、お父さんに乗っかって寝ちゃったの。寝入りばなに動くと起こしちゃうからって」 「あぁ、なるほどね。じゃあ、お母さんがブランケット持って行くから。ラナは戻っていいよ、本読んでる途中だったんだろう?」 「あ、うん。じゃあよろしくね、お母さん」 そう言ってまたリビングへと戻るラナを見送って、彼女はクッキーのタネが入ったボウルに視線を戻す。 とりあえず埃が入らないように布をかぶせてテーブルの脇に置いて、彼女は立ち上がった。 キッチンを出て二階へと上がり、適当な大きさのブランケットを持ってリビングへと向かう。 リビングへ入ると、困り顔をしたラナが立っていた。 「ラナ?どうかしたかい?」 「あ、お母さん…」 やはり困り顔のままのラナの視線の先を彼女が辿る。 そこには赤毛の少年と同じく赤毛の少女と、そしてもう一人――― 「クラとリィだけじゃなくて、お父さんも寝ちゃった」 ラナがぽつりと呟いた通り、リビングの床に敷かれたラグの上には赤毛の双子に乗っかられたまま目を閉じている彼。 ラグの上に彼の不思議な色の長い髪が散らばって、陽の光を綺麗に反射していた。 彼女がまた苦笑する。 「あーぁ…。ま、最近疲れてたみたいだしね。たまの休みだし、寝かせておいてあげようか」 言いながら、彼女は寝転がっている彼の腹あたりをまくらにしてくーすか眠っている赤毛の少年を抱き上げた。 眠っている子供特有のずっしりとした重みを腕に感じながら、取りあえず彼の隣に寝かせる。 続いて、彼の腕をまくらにしてすやすや眠っている赤毛の少女も同じように寝かせようとして、 「あ。ねぇお母さん、ちょっと待って」 「え?」 赤毛の少女を抱きかかえたまま彼女が訊き返した。 ラナはにこにこ笑いながら口を開く。 「ちょっとだけ、リィ抱っこしててくれる?」 「いいけど…どうかしたかい?」 ラナはにっこり笑って、寝転がっている彼と彼の向かいで寝ている、クラと呼ばれた赤毛の少年―――クラスターの間にころんと寝転がった。 「じゃーん、"三人川の字"ー!」 得意そうにラナが笑って、彼女も納得したように微笑んだ。 確かに、四歳のクラスターと七歳のラナ、そして父親である彼が横に並ぶと、彼が多少長いものの丁度良い長さで。 「ふふ、本当だね」 彼女は微笑んだまま、クラスターの隣にリィと呼ばれた赤毛の少女―――リコリスを寝かせた。 「ついでだし、ラナも昼寝するかい?」 「えっ?」 起き上がろうとしていたラナは、少し驚いて彼女を見た。 「こんな陽気だし、眠たくないかと思ってね。みんなで昼寝するのもたまには良いかなって」 「みんな?じゃあお母さんもお昼寝?」 「ん?…あぁそうか…そうだね、うん」 「みんなでお昼寝だね!」 ラナが楽しそうに言って、またころりと寝転んだ。 彼女は微笑しながら頷いて、持ってきたブランケットを眠っている三人とラナにふわりとかける。 大きめの物を持ってきていたので、四人にかけてもまだ十分余裕があった。 ブランケットをかけられたラナは、ふわふわとした心地よい重みに思わずあくびを漏らす。 「ふわぁ…。みんなが思わず寝ちゃったのもしょうがないね。こんなにぽかぽかいいお天気なんだもん」 彼女は眠っている皆が眩しくないようにとレースの薄いカーテンをひいて少し陽の光を遮る。 「そうだね。お昼ご飯の後だし、昼寝には丁度良い暖かい日だものね」 言いながら彼女はリコリスの隣、一番端に寝転がってブランケットの余りを自分にかけた。 五人が寝転がっているのを寝そべりながら見回して、ラナがまたつぶやく。 「もう一人いたら、"六人州の字"ができたのにね」 「あぁ、そうだね。よく知ってるじゃないか」 「えへへ、前フェイトお兄ちゃんに聞いたんだ。ラナにもう一人妹か弟がいたら、州の字できるんだなーって」 「へぇ…フェイトがね…」 微妙な顔をしている彼女に、ラナはさらに口を開いた。 「そのあとね、ラナのお父さんとお母さんはとっても仲良しだからそのうち弟か妹がもう一人できるかもって言われたよ」 「ぶっ」 何か飲み物を口に入れている訳でもないのに彼女が吹き出して、ラナが首をかしげた。 「どうしたの?お母さん」 「、い、いや、なんでもないよ」 「? そう?」 やはり不思議そうにしているラナに、彼女がどう答えようかと逡巡していると、 「ふぁあ…」 またラナがあくびをして、目をこすった。 「…、さ、もう寝ようか。おしゃべりしてるとみんなが起きちまうかもしれないしね」 「あ、そうだね。じゃあおやすみなさい、お母さん」 「うん、お休みラナ」 ラナは目を閉じてブランケットにもぐりこむ。 数分も経たないうちに、寝息が一人分増えた。 「…六人州の字、ねぇ…」 ぽつりと彼女が呟いて。 視線を上げて、三人の子供の向こうにいる彼を見る。 彼の顔など何度も何度も何度も見て見慣れているはずなのに何故か気恥ずかしくなって、彼女は視線を外して横を向いていた体をごろりと正面、つまり天井の方へと向けた。 そのままなんとなく天井を見てぼんやりとしていた彼女の耳に、 「…欲しいのか?四人目」 寝ていたはずの彼の低い声が響いた。 「へ?」 思わず間の抜けた声を出してしまった彼女が首を横に向けると、薄く目を開けて彼女を見ている彼。 「あんた…起きてたのかい」 「最初から寝てなかったんだが。ただ目を閉じてうとうとしてただけで」 「…ならそう言えばいいのに」 「どうせ動けなかったし、眠かったのも事実だしな」 くぁ、とあくび混じりに彼が呟く。 目じりに浮かんだ涙を手で払いながら、彼が彼女を見た。 「お前も眠かったのか?」 「ん?…まぁ、こんな天気だしね。眠くなかったと言えば嘘になるけど」 「…お前、休日までせかせか動いてんだから当然だろうが」 「せかせか、って…。別に普通だろう?」 苦笑する彼女に、 「たまの休日くらい、…今みたいにのんびりすりゃいんだよ」 「…。まぁ、そうだね」 彼女がくす、と笑って。 また彼があくびを漏らした。 そのまま、しばらく沈黙が流れて。 開けられた窓から僅かに吹く風が、カーテンを揺らす音だけがリビングに響く。 「…なぁ、ネル」 ぽつりと彼が口を開いた。 「なんだい?」 目を閉じていた彼女が薄目を開けて彼を見た。 彼は頭の下で手を組んで正面を見上げたまま、呟く。 「…ガラにもねぇこと言っていいか?」 「…は?」 彼女が怪訝そうに声を漏らす。 「あんたがそんな事言うなんて本当に珍しいね」 「…まぁな」 「おや、自覚あったんだ」 「だからわざわざ訊いたんじゃねぇか」 「そう。…で?なんだい?」 ごろり、と彼の顔が見える体勢になるよう寝返りを打った彼女が促して。 彼は彼女を見ないまま、天井を見上げて口を開いた。 「や、なんつぅか…な」 「? なんだい、歯切れ悪いね」 珍しく、言葉を捜すように意味を為さない台詞を呟く彼に、彼女が不思議そうな顔をした。 上を向いていた彼はふいにゆっくりと視線をずらして、彼の隣に寝ているラナ、その隣にいるクラスター、またその隣のリコリス、最後に一番端の彼女を見て。 ぽつりと、呟く。 「…幸せっつうのは、こういう時のこういう気分のことなのか、と」 「…は?」 「…そう、思っただけだ」 照れくさいのか、言い終わってすぐに顔を正面へ戻してしまった彼の顔をずっと見ていた彼女は。 「…ふ、っくくく…」 思わずこみ上げてきた笑いを抑えようと口を抑えていた。 「…笑うな」 「だ、だって…、真面目な顔して何言うかと思えば…ふ、ふふふっ」 「だからガラにもねーこと言うっつったろが」 やはり照れくさかったのか、彼が顔を背けたままそう言い返した。 そんな彼を、やっと笑いを収めた彼女が微笑しながら見る。 そして視線を少し逸らして、彼女と彼の間で幸せそうな顔をして寝ている子供達を見て。 「…そうだね」 ぽつり、と呟いた。 「天気は良くて、陽射しは暖かくて、昼寝日和で、お腹はいっぱいで、珍しく仕事も一段落して丁度良いくらいに暇で…」 「………」 「…隣に、この子達がいて、その隣にはあんたもいて…」 「………」 「幸せだよねぇ……」 口に出してその言葉をかみしめるように、彼女が呟いた。 「…そうだな」 彼も小さく頷いた。 「…でもさ」 「…あ?」 微妙に不機嫌そうな彼女の声に、少しうとうとしていた彼が小さく聞き返す。 「あんたさ、今までずっと一緒に過ごしてきたってのに、一度も幸せだって思ったことなかったわけ?」 「は?」 思わず彼が彼女を見る。 彼女は心持ち不機嫌そうな顔で彼を見ていた。 「だってそうだろ?あんたの口から幸せだなんて言葉が出てくる事なんて今までほとんどなかったじゃないか」 「……そうだったか?」 「そうだよ」 彼女はぷい、と顔を背ける。 「…確かに、この子達は可愛いし、生活も充実してると思うし、そりゃ私といた時より楽しいだろうけどさ…」 不機嫌というより拗ねているような声音でそう言われて。 「…あぁ…なんだそんなことか」 「そんなこと、って。そりゃあんたにとっちゃそんなことだろうけど」 「別にお前と二人きりだった時が楽しくないなんて言ってねぇだろうがよ」 「でも。あんたの口から幸せなんて聞いたことなかった気がするんだけど?」 「お前といた時は、いつもそんな気分だったからな」 「………」 彼女の表情がぴたりと固まった。 「当然過ぎて、わざわざ口に出すまでもなかっただけだ」 「………」 固まったままの彼女の顔が赤く染まった。 それを隠すように彼女はブランケットをずらして顔を覆って、彼を上目遣いで見上げた。 「…なんか、これだけ一緒に暮らしてるってのに…あんたのその天然殺し文句の吐きっぷりにはまったく慣れないよ…」 「はぁ?」 「…たぶん、一生慣れないかな、この分じゃ」 相変わらずブランケットに顔をうずめたまま、彼女が呟いた。 彼女の台詞に彼が笑って。 「…一生いりゃ、わかるだろ」 「ん?」 「慣れるか慣れないか。一生、一緒にいりゃわかるだろう?」 「………」 彼女がくすりと笑う。 「…そうだね。一生一緒にいようか」 「言われずともそのつもりだったがな」 「ふふ。言ってくれるじゃないか」 彼女が笑って、とても幸せそうに笑って。 彼も笑った。 穏やかで暖かい春の一日。 朝から窓を開けても寒いと感じることのない程度に丁度良い気温のその日の昼下がり。 とある街のとある屋敷のとある部屋で、小さな可愛らしい寝息が三人分と、幸せそうな寝息が二人分聞こえていた。 |