それは、何気ない会話だったと思う。 「ネルさん、ココアの粉ってどこですか?」 「そっちの、一番上の棚にないかい?」 「んーっと…、あ、ありました。すみません、自分でよく探しもせずに…」 「あぁ、いいよいいよ。分かりづらいところにあったしね」 寒い日、少しでも暖を取ろうと何か暖かい飲み物を淹れていて。 ネルさんと一緒に、キッチンで談笑しながら作業していたときのこと。 君だけに、君だけの。 「えーと、私とスフレちゃんとロジャーがココアで…」 「他の皆はコーヒーでいいかな」 「あ、はい。多分大丈夫だと思います」 「じゃ、コーヒー五人分だね」 コーヒーをネルさんに任せて、私はココアを淹れて。 入れる数も手間も私の方が少なかったから、すぐに終わった。 ちょうどその頃ネルさんはカップに熱いお湯を注いでいて、ふわりといい匂いがたちこめて。 注ぎ終えたコーヒーをかき混ぜて、出来上がり。 「わー、いい匂いv」 「うん、上手く淹れられたみたいだね」 「じゃあ、冷めないうちに持っていきましょうか」 私はそう言って、砂糖とミルクポットを載せたトレイにカップを載せようとした。 何気なく、手近にあったカップを載せようと手を伸ばしたら、 「あ、ちょっと待って」 「? どうかしましたか?」 「その一番端のカップだけ、残しておいてくれるかい?」 「えっ?」 見ると、ネルさんが真っ先に、でもとても丁寧にお湯を注いでいたカップだった。 何かなぁと思っていると、ネルさんは砂糖とミルクを手にとりながら、微笑む。 「これ、あいつ用だから。どうせ部屋にいるんだろうし、私が持っていくよ」 「あ、アルベルさんのですか?」 「あぁ、まぁね」 と曖昧に答えつつも、ネルさんの表情はひどく優しい。 …というか、"どうせ部屋にいる"って、もしかしてネルさんの部屋ってことですか? らぶらぶなんだなぁと微笑ましく思っていると、ネルさんは慣れた手つきで砂糖とミルクをカップに―――先ほどネルさんが、アルベルさんに持っていくと言っていたカップにどばどば入れていた。 「…ネルさん、なんだかコーヒーの色かなり薄くなってますけど…」 「あぁ、いいんだよ。あいつにはこのくらいがちょうどいいんだ」 「へぇ…。あぁ、そう言えばアルベルさん甘党、って前ネルさん言ってましたね」 「うん、前は甘いもの、ちょっと苦手だったみたいだけどね」 …お好みの分量、ご存知なんですね。 やっぱりコイビトなんだなぁ、と思いつつ、にこにこしながら口を開いてみた。 「んふふふー、やっぱりネルさんってアルベルさんのことお好きなんですね」 「え? どうしたんだい、急に」 「だってコーヒーのミルクと砂糖の量ちゃーんとわかってるみたいですし」 「あぁ…まぁ、慣れかな?」 「それに、アルベルさんのコーヒーを一番に、しかもすごーく丁寧に淹れてましたよね? なーんか亭主関白っていうか内助の功っていうか、やっぱり大切に思ってるんだなーって」 コイビト通り越して熟年夫婦みたいだなぁ、と羨ましく思いながらそう言うと。 ネルさんは苦笑して、手を横に振った。 「あぁ、違うよ。そんなんじゃなくてさ、あいつ猫舌だから。少しでも冷ました方がいいかと思ってね」 「へ? じゃあ、一番最初に淹れたのって、ただ単に一番早く冷めるから、ってことですか?」 「うん。まったくあいつの猫舌にも困ったもんだよ、冷まさないと食べないし、冷ましすぎると今度は冷たいって文句言うんだよ? 作ってもらっておいてその言い草はないよね」 困ったように苦笑して、でもどこか楽しそうに愚痴っているネルさんが。 なんだか今度はやんちゃな子供を持つお母さんみたいに見えて。 「…、ネルさん、なんだかお母さんみたいですねぇ」 「え、そうかな。でも確かに、あいつって子供みたいだよね」 「あはは、アルベルさんってネルさんから見るとそんな感じなんですか?」 「あぁ、子供っぽいところ挙げろって言われたら山ほど出てくるよ」 そう言ってネルさんはくすくすと笑って、あぁでも、と付け加えるように口を開いた。 「でもね―――普段あれだけ子供っぽいくせに、さ。たまに、物凄く達観した事言ったり、大人びた発言するもんだから面白いよね」 「大人びた、って…アルベルさん十分大人ですよ?」 「あんなヤツ子供でいいのさ」 「ふふ、多分アルベルさんの事そんな風に言える人って、ネルさんだけですねv」 「まぁね…ま、たまに、本当にたまーにだけど、まるで父さんみたいにきちんと間違いを叱ってくれたりする暖かいところもある子供、ってことで」 「わー、ネルさんそれ惚気ですか〜?」 「…ソフィアがそう言うんなら、そうなんじゃないかい?」 お父さんみたい、なんて、アルベルさんって実は包容力あったりするのかなー、となんだか意外で。 あ、そっかネルさん限定なんだなぁと納得。 そんな事を考えているうちに、ココアやコーヒーの湯気が微妙に衰えてきていて。 急がなきゃと思って慌ててトレイに乗せた。 「じゃあ、私はココアみんなに持っていきますね」 「あぁ、よろしくね。私はコーヒー渡してくるから」 「はい、お願いします」 そう言って、先ほどアルベルさんの分だと言っていたカップもトレイに載せて、ネルさんが先にキッチンを出た。 私もトレイを持ってそれに続いて、とりあえずロジャーの部屋へ向かう。 その後スフレちゃんの部屋に行ってココアを渡して、私が泊まっている部屋へと戻った。 ココアを淹れる前も思ったけど、やっぱり今日は寒くて。 暖房の入ってない廊下は当然のように息が白い。外よりはマシだけど。 あぁ、私の部屋も寒いんだろうなぁ、あらかじめ暖炉つけておけばよかった、と少し後悔した。 部屋の暖炉がつくまでココアで暖まろうと思いなおして、ドアを開ける。 と。 「おかえり、ソフィア」 ソファに座って、コーヒーを飲んでいるフェイトがいた。 びっくりしながら目を丸くしていると、火の灯った暖炉が目に入った。 「あ、あれ? フェイトが私の部屋に来てくれるなんて、珍しいね」 「あぁ、それさっきコーヒー持ってきてくれたネルさんにも言われたよ。いつもは逆だからって」 「そうだね。でも珍しいけど、嬉しいなv」 「だってソフィアとネルさんが皆に少しでも暖を取ってもらおうとコーヒーとか淹れてくれてるのに、僕らが何もしないのはまずいなぁと思ってね。とりあえず、寒い中コーヒー配ってきてくれたソフィアの為に、暖炉つけて部屋暖めとこうと思って」 にっ、とフェイトが笑う。 …いつもこうやって普通に笑ってれば、腹黒とか言われないで済むのにね。 「そっかぁ…ありがとう」 「ちなみにネルさんの部屋はアルベルが行ってるからぬかりナシ、だよ」 「あはは、さすがだねぇ」 笑いながらフェイトの隣に座って、ココアに一口つける。 そこでふと、さっきネルさんと話してた事を思い出した。 「そういえばね、さっきキッチンでネルさんとちょっと話してたんだけど、ネルさんもアルベルさんが自分の部屋にいるってわかってるみたいだったよ?」 「うわ、すご。あれだね、ツーカーってやつ?」 「そうそう、まさに熟年夫婦! みたいな?」 「熟年ね…。でもたまにだけどさ、熟年夫婦というより新婚夫婦みたいな時あるよな、あの二人。本人達絶対自覚無いけど」 「そうそう! 私もそう思ったんだ」 フェイトが言った事が、さっきネルさんと話してたとき思った事と一緒で。 嬉しくなって、私はにこにこしながらまた口を開く。 「コーヒー淹れてるとき、ネルさんがアルベルさんの好みの分量知ってるみたいだったの見て、最初はやっぱり恋人なんだなーって思ったの」 「うんうん」 「その後ね、ネルさんがアルベルさん用のコーヒーに真っ先にお湯入れてたの思い出して、熟年夫婦みたいって思って」 「あぁ、なるほど」 「そしたら、ネルさんが"アルベルは猫舌だしこの方が早く冷めるから"って。そこで今度はお母さんとやんちゃな息子、みたいにも見えてね」 「あはは、それいいかも」 「でもね、次にネルさんアルベルさんはお父さんみたいなところもあるよ、って言ってて、お父さんと娘さんみたいなところもあるんだな〜って思ったんだ」 「へぇ。すごいな、バリエーション豊富。確かにあの二人ってそんな感じだよなぁ」 「だよね、フェイトもそう思うよね!」 同意してもらったのが嬉しくて。 私は少しはしゃぎながら、さらに続ける。 「ネルさんにとってのアルベルさんってさ、恋人でもあって長年連れ添った旦那さんみたいな人でもあって、子供でもお父さんでもあるんだね」 何気なく言った台詞だったけど、フェイトはきょとん、と目を見開いて。 ん? と私が思う間もなく、ふわりと笑って口を開いた。 「じゃあ僕はソフィアにとってどんな存在でいて欲しい?」 「えっ?」 「ソフィアが望むなら、僕は子供でもお父さんでも、爽やか好青年でも光の勇者サマでも白馬に乗った王子様でも冷酷無情極悪非道犯罪者にでもなってあげるよ?」 「………」 ぽかんとした顔とは、まさにこんな感じなんだろう。 中途半端に開いた口がふさがらず、無意識にお魚みたいにぱくぱくしてしまうのを感じながらそんなことを思う。 同時に物凄いことを言われたと気付いて、一瞬遅れで顔に血液が大集合した。 照れ隠しに何か言わなきゃと思って、なんとか口を開く。 「な、何恥ずかしい事言って…」 「本気だけど?」 さらりと言われて、また顔が熱くなる。 あぁそうだ。フェイトはこういう人だった。 長い付き合いなのにいつまで経っても慣れることができない。 「で?」 「な、なにが?」 「ソフィアにとって、僕はどんな存在でいて欲しいんだよ?」 「………」 私にとって。 私にとってのフェイトは。 私が望む、私にとってのフェイトは。 「…私だけのフェイトでいてください」 「………」 考えた末に出た、在り来りで面白みの無い、でも本音であることには間違いない私の答えに。 フェイトは一瞬目を丸くして。 そしてすぐにふっと笑った。 「ばーか」 「な、なによぅ」 一生懸命考えたのにその反応はひどいじゃない! と言おうとした私の口は。 「そんなの、もうとっくの昔になってるだろ?」 またお魚の真似っこをする羽目になりました。 とっくの昔になってるなら、ずーっと先までそうであってほしいと。 私だけに、私だけの。 あなたであってほしいと。 そんなことを思った、ある寒い日。 |