「…ん?」
彼が最初に疑問の声を上げたのは、ジェミティのいつものホテルにチェックインして、割り振られた部屋に入ってすぐの事だった。
「どうしたんだい?」
「何で室内で"土足厳禁"の張り紙があんだよ」
「え? …ああ、なんだかチキュウのどこかの国?には靴を脱いで入る部屋もあるらしいよ。和室、とか言ったっけ。お正月?とかに合わせて改装でもしたんじゃないかい」
さっきロビーでフェイト達が面白そうだからこの部屋にしよう、って話してるの聞いたんだと付け足した彼女の説明に、彼は納得はしたようだったが不満気に眉根を寄せた。
「…この街は毎回毎回様変わりしやがって…面倒だな」
「いいじゃないか、違う星や違う国の変わった風習に触れるのもさ。私は割と楽しんでるけどね。ほら、あんたも靴脱いで」
乗り気ではなさそうな彼だったが、彼女にそう促されて渋々靴を脱ぐ。
さらにそれから、"タタミ"なる不思議な床の感触や、"フスマ"なる変わった扉を見て終始怪訝そうな顔をしていた彼だったが。
ふと、部屋の真ん中に鎮座している物体を見て。
「…これは一応テーブルか? なんで布団がかぶせてあんだよ」
「ええと…これは"コタツ"っていって暖房器具の一種らしいよ。この"ザブトン"っていう平べったいクッションに座って入るんだって」
浮き上がった文字を見て彼女がそう説明するが、やはり彼は怪訝そうな顔をしたままだった。
「床に座るのか? 変わってるな」
「そういう所もあるんじゃないかい? よし、入ってみようっと」
すぐに環境の変化に適応した彼女と、怪訝そうな顔のままの彼。いつもとは逆の珍しい光景だったが、彼女はそんな事気にせずにさっそく座布団に座りこたつに入る。
「わ、温かい」
足を入れた瞬間ぱっと目を見張らせた彼女を見て、彼は怪訝そうな顔のままにこたつを見遣った。
「ほら、あんたも早くこっち来なよ。本当に温かいよこれ」
実は寒がりな彼女がご機嫌そうな表情をしているのを見て、彼が無言のままにこたつへ近づく。
あらかじめ置いてあった座布団に腰を下ろしてこたつに入った瞬間。
彼女と同じように彼の目もぱっと見開かれた。



魔法仕掛けのこたつとみかん



それから数十分程の時間が経ったが。
「温かいもんだねぇ」
「…」
「そういえば、ソフィアが"コタツにはみかんですよ!"って言ってたっけ」
「…あー」
「あんたも食べるかい? 確か、あっちの棚にご自由にお食べくださいって果物置いてあったから」
「食う」
あれほど怪訝そうな表情をしていた彼は、すっかり和風スタイルの部屋に馴染んでしまっていた。
足は温かいけど背中が寒いから、と部屋に用意してあった半纏もしっかり羽織り、こたつの上に茶菓子代わりにと置いてあった煎餅もぱくぱく口に運んでいる。
こたつの天板の上に顎を乗せてくつろぎきっている彼を見て、みかんを持ってきた彼女が思わずふっと笑う。
「さっきまで不思議そうな顔してた癖に。よっぽど気に入ったんだね、"コタツ"」
「んー」
返事のようなただの相槌のような声をあげる彼の前に、彼女はくすりと笑いながら持ってきたみかんを三つほど置く。
彼は目の前に現れた橙色の物体にちらりと視線を向けて、もそもそとこたつに突っ込んでいた手を出してみかんの皮を剥きはじめる。
「ふーん、あんたは半分に割ってから皮剥くタイプなんだね」
「ん? お前は違うのか」
「うん。そのまま中心から剥いてるよ。皮捨てる時に楽だしさ」
「あぁ、確かに」
彼が同意して、自分が剥いた分の皮をひょいっとごみ箱に放り投げた。
見事にごみ箱に入ったのを見て、残った皮も同じように放り投げて彼が口を開く。
「中心から剥けば一回で済むのか。確かに楽だな」
感心したように言う彼に、彼女はほんの少し肩を落として。
「…いや、別に放り投げる時に楽だっていう意味で言ったわけじゃないんだけどね」
面倒くさがりなんだから、と苦笑しながら彼女が皮を剥いたみかんを口に運んだ。



それから彼女は剥いたみかんの皮を捨てに行ったり、お茶を淹れに行ったりと何度かこたつから立ったが、彼はずっとこたつにすっぽり入ったまま動こうとしなかった。
天板に顔を横にしたまま突っ伏して、全身から力を抜いてくつろいでいる彼だったが、彼女の方から視線を感じて顔を上げる。
「…なんだよ」
「んー…」
彼女は彼の向かい側で同じくこたつに入りながら、何かを思い出そうとしているようで。
「こたつ…」
「?」
「こたつ虫?」
「はぁ?」
彼を指差しながら不思議なことを言い出した彼女に、彼は当然ながら訳がわからず怪訝そうな顔をする。
「いや、あんたみたいにこたつが気に入って出られなくなる人の事を指した面白い呼称があるんだってフェイトから聞いたんだけど。…なんだっけ。こたつの虫じゃないし」
「…それを言うなら本の虫だろうが」
「そう、そんな感じだったんだよ。なんだっけ、何か生き物に例えてた事は覚えてるんだけど」
「…」
阿呆らし、と彼がため息をついてまた天板に頭を乗せる。が、彼女は一生懸命に思い出そうとあれこれ呟いていた。
「あっ! こたつむり?」
一分ほど経った頃、彼女が声を上げた。
「こたつむりだこたつむり。こたつとかたつむりをかけてたんだったっけ。あーようやく思い出せた」
彼が視線をやると、そうだようやく思い出した、と彼女がすっきりしたように微笑んでいた。
「…わざわざそんな面白おかしい呼称があるほど、こたつから出ねぇ奴は多いのかよ」
「ん? あぁ、それなりにいたみたいだよ。フェイト達の星も冬はある程度寒い方がいいって気温の調節?をしなかったらしいし、寒さで一度こたつに入ると出られなくなる人も多かったんだってさ」
「ほぉ」
「フェイトもそうだったみたいで、ソフィアが愚痴ってたよ。移動の時こたつを背負ってずるずる移動したり、ベッドまで移動するのが面倒でこたつでそのまま寝ちゃったりして大変だったって」
「ん」
彼の表情がぴくりと動いたのを見て、彼女が一瞬無言になった後。
「…今、"その手があったか"とか思っただろ」
「…別に」
「目泳いでるよ」
「………」
彼は答えず、無言のままに顔を上げて上体を後ろに倒して畳の上にごろりと寝そべった。
「あ、ちょっと」
あんたまで面倒くさがるんじゃないよ、と彼女が注意しようと声を上げるが、彼は肩までこたつ布団に入ろうともぞもぞこたつの中で足を伸ばす。
それなりの大きさがあるこたつだが、さすがに長身の彼が肩まで入ったら端っこからはみ出るわけで。
向かいに正座して座っていた彼女の足に、伸ばした彼の足がたまたま当たった。
「うぁぅ」
軽くぶつかっただけで痛いと思うはずも無いのだが、彼女が小さくうめき声を上げた。
「…?」
こたつに入り込んでいた彼が、気づいて怪訝そうな顔をする。
起き上がるのが億劫だった彼はもぞもぞと横へ動いてこたつの端から彼女の表情を見上げてみた。
「あ、いや、別に。何でもないよ」
慌ててそう返事をする彼女に、彼は怪訝そうな顔のままだったが。
ふと、一つの可能性を思いつき。
もう一度、今度は意図的に彼女の足を軽く蹴った。
「痛っ!」
やはり過剰に反応した彼女に、彼は合点が行ったとばかりに口を開く。
「足、痺れたんだろ」
「う…。そうだよ」
気まずそうに答える彼女に、彼は面白がるような表情をしてみせて。
「足伸ばして座ってりゃんな事にならねぇのに」
「…だって、さっき見た映像で座布団には正座して座るのがいいって」
「それにしたって限度があんだろ」
ごにょごにょとつぶやく彼女に彼が言い返す。
彼女は少しだけ悔しそうな顔をしながらも足を崩した。
「…ちょっと。このこたつはあんただけのものじゃないだろう、こっちまで足伸ばしてくるんじゃないよ」
足を崩す際に邪魔になった彼の足を膝で軽く蹴りながら彼女が文句を言った。
「気にするな」
「気になるよ。あんたが足伸ばした所為でこっちは狭いんだから」
「移動すりゃいいじゃねぇか」
「どこに移動しろってのさ」
「対面の位置にいなきゃぶつからねぇだろ」
「私が足伸ばしたくなったらどうするんだい。やっぱりぶつかるじゃないか」
「…」
「…」
ひとしきり言い合いが続いて、結論が出ずにお互い沈黙するが。
ややあってから、彼がむくりと起き上がってもぞもぞとこたつから這い出た。
「え」
あれだけこたつから出たがらなかったのに、と驚いた彼女だが、彼はこたつを出ようとしたわけではなかったらしい。
自分の分の座布団を持ったまま立ち上がってすぐにこたつの周りをぐるりと回り、彼女が座っている横に腰掛けて。
「は?」
そのままこたつに足を突っ込んでまたごろりと横になる。
「…狭いんだけど」
「お前もうちょっとそっち行けるだろ」
「…いや、そういう事だけじゃなくて」
言われた通りに横へ移動しながら、彼女が複雑そうな、よく見ると少し照れたような表情で。
「こたつ、まぁまぁ大きいんだからさ、別にわざわざ二人して同じ場所に入らなくてもいいんじゃないかい」
「お前が足がぶつかるっつって文句言ったんだろ」
「いや、まぁ、そうなんだけど」
ごにょごにょと彼女は小さく何かを言っていたが、隣の彼が至っていつも通りだった事で気が抜けたのか。
「…ま、いいか」
苦笑して、座布団を枕代わりにして寝る体勢に入った彼にこたつ布団をかけた。



それから、みかん一個よこせだの寝たまま食べるなんて行儀悪いよだの他愛も無いやりとりが続いた後。
「それにしても温かいね、コタツ」
「んー」
「エリクールでも作れないかな? テーブルの足短くして、使わない掛け布団かぶせてさ」
ふと彼女がこたつについて話題を出して。
彼が寝転がったままにこたつを見遣り、反応を返す。
「…それらしいものはできるだろうが、どうやって暖めんだ?」
「その辺は施術でなんとかできるよ。ほら、暖めたり冷やしたりして部屋の温度を調節できる水晶あるだろう? あれを応用すればいいんだ」
「作ったとしてどこに置くんだよ」
「ん…。そっか、そうなると床とかも張り替えなきゃいけないんだね」
「そこまで行くともはや改装だな」
「さすがに大掛かりになっちゃうね。簡単にはできないか」
残念そうに苦笑する彼女を彼が横目でちらりと見遣る。
「…俺が今、カルサアで使ってる屋敷なんだが」
「うん?」
「元々ジジィの持ち物だったモノを押し付けられたんだが、古くなってきたから建て替えか改築するかって話になってたんだがな」
「えっ」
彼女が寝転んだままの彼を見た。彼はやや眠たそうな顔をしたまま続ける。
「一部だけでも"和室"にしてみるか?」
「…いいの?」
ぽかんとしたままに尋ね返した彼女に、彼は半分閉じかかった目のままに答える。
「俺の屋敷だ、どんな内装にしようと誰も文句言わねぇよ」
「いや、そうじゃなくて。あんただってコタツを気に入ったんだろうけどさ、なんだか今の話の流れだと私の我侭であんたの屋敷を改装させるみたいでなんだか悪いなって…」
住むのはあんたなんだし、と口ごもる彼女に、彼はうとうとしつつも一言。
「問題ねぇだろ。お前も住む可能性あるし」
「え?」



思わず彼女が聞き返すが、彼から返事は返ってこなかった。
彼女が視線を向けてみると、先ほどからあくび混じりに会話していた彼はすやすやと規則正しい寝息をたてていた。
「…あのねぇ…」
少し脱力しながら彼女が苦笑する。
本当にどこでもすぐ寝られるヤツなんだから、と呟きながら、彼女はこたつから立ち、もう一つ半纏を持ってきて彼にかけてやる。
幸せそうにくーすか寝息をたてている彼を見てくすくすと笑って。
「まぁ…。こいつのこんな寝顔が見られるんなら、悪くない、かな」
何を、とは言わずに。
彼女が微笑混じりに呟いて、また彼の隣に座った。



「それにしても…。ベッドより大分硬いだろうに、寝心地悪くないのかねぇ」
彼が寝転んでいる畳を手で触って感触を確かめながら彼女がぽつりと呟く。
すでに眠りの世界へ旅立っている彼から返事か返るはずもないのだが、その寝顔はやっぱりくつろぎきった様子だったので。
彼女は試しに上体をゆっくりと倒し、同じように畳の上に寝そべってみた。
「あれ、意外と寝心地いい」
初めて寝転がる畳は、思いのほか彼女にとって心地よいものだったらしく。
畳特有の草の匂いも気に入ったのか、彼女は四肢を伸ばしてしばらく寝そべったまま力を抜いていた。
顔を隣へ向けると、彼の心地良さそうな寝顔があって。
なるほど、この寝心地なら彼のくつろぎきった表情も納得できる、と彼女が思った瞬間。
真上を向いて寝ていた彼が彼女の方へと寝返りを打ち、その拍子に彼の腕が彼女の肩に触れた。
瞬間。
「え、」
何故か肩に触れただけだったはずの彼の腕が彼女を抱き寄せていて、気づいたら彼女は彼の腕の中に引っ張り込まれていた。
「は? ちょ、ちょっと、あんた起きてたのかい?」
驚いた彼女がそう声を上げてみるも、彼からはいたって平和な寝息しか返ってこない。
「………」
どうやら完全に無意識の行動らしい、と気づいた彼女が思わずため息をついた。
「まぁ、…いいか」
寝心地悪くないし寒くないし。
それに、動くのもちょっと億劫だし。
彼女はそう自分に言い聞かせながらゆっくり目を閉じて、次第に訪れる眠気に逆らうことなく意識を手放した。





そして翌朝。
「…腕痛ぇ」
「…私だって背中痛いよ…ああもうやっぱりちゃんとベッドで寝るんだった」
結局あのまま朝まで眠りこけてしまった二人は、肩やら首やらをばきばき言わせながらロビーへと降りてきた。
「おはようございますー。…あれ、もしかして」
声をかけたソフィアが、二人の様子に気づいてふふ、と楽しそうに笑った。
「もしかしてこたつでそのまま寝ちゃいました?」
「はは、やっぱりわかるかい?」
彼女が苦笑混じりに答えた。彼はいつも通り無言のまま。
「わかりますよー、フェイトもいつもそうでしたもん。ちゃんとベッドで寝ればって言ってもちょっとだけーって言って」
「おいおいソフィア、お前だってたまにうとうとしてただろ? その度にベッドまで運んであげたの忘れたのかよ」
隣からフェイトが会話に入ってきて、ソフィアがうっと口ごもった。
「で、でも、たまにしかうたた寝しなかったもん。フェイトはしょっちゅうじゃない」
「いいじゃないか、だってこたつで寝るのってすーごい気持ちいいしさ。一度入るとあーもーベッドまで移動するのも面倒だーって思っちゃうもん。ネルさんもそう思いますよね?」
いきなり同意を求められ、彼女が少し考えてからまた苦笑する。
「うーん、まぁ確かに。こたつから離れられない人…えーと、こたつむりだっけ? とにかくそう思う人の気持ちがよくわかったよ。あれは一度入るとなかなか離れられないよね」
「ですよねですよねー」
うんうんと同意するフェイトに苦笑してから、彼女は隣の彼へ視線を向ける。
「こいつもさ、昨日部屋に入ってから寝付くまで、ほとんどずっとこたつに入ったままだったんだよ。みかんの皮捨てるのも面倒くさがって放り投げてたしさ」
「あー、それフェイトもやってました! しかもたまーに失敗して二度手間になったりとか」
「そういう時はちゃんとゴミ箱に入れなおしただろ。だってやっぱこたつって入ったら出られないよ、もうこれは魔法だよこたつマジック」
「もう、そんな変な言い訳しないの! …まぁ、ついつい眠たくなっちゃうのは確かに魔法でもかかってるんじゃないかって思うけどさ」
「体が温まるからついうとうとしちゃうんだよね。そのお陰で昨日はついぐっすり眠っちゃってさ、体が痛いよ」
肩を回しながら困ったように呟く彼女に、今まで黙っていた彼がぽつりと口を挟んだ。
「…お前がいつの間にかひっついてたから俺は夜中目覚めても動けなかったんだぞ」
「何言ってるのさ、あんたが先に抱きついてきたんじゃないか」
「は? んな覚えねぇぞ」
「あのね、私はそのお陰で身動きとれなかったんだよ? まったく、自分に都合の悪い事はすぐ忘れるんだから」
「…いや、それが本当なら別に俺にとって都合は悪くないんだがな。動けなかったとは言え」
「…は?」



目の前で繰り広げられる言い合いを眺めていたフェイトが、ふと口を開いた。
「それって…」
「え?」
言い合いをしている二人の耳には入っていなかったようだが、フェイトの隣にいたソフィアが気づいて反応する。
フェイトはソフィアの方を見た後、に、と笑って。
「んー、ちょっとね。ネルさん、っていうか二人に訊いてみたい事があったんだけど」
やっぱりいいや、と珍しく口を閉ざしたフェイトに、ソフィアがきょとんとする。
「珍しいね、フェイトが一度言おうとしたこと言わないでおくなんて」
「んー、まぁね。なんていうか、愚問って言うか訊いても無駄かなーって」
「何を?」
ちょん、と首をかしげたソフィアに、フェイトはにっこりと笑って。
「いや、さっきこたつの話題で盛り上がっただろ? 一度入ったら離れられないとか魔法がかかってるとか」
「うん」
「ネルさんも同意してたし、聞いたところによるとアルベルもこたつから離れられなかったみたいだけどさ」
そこでフェイトは口に浮かんだ笑みをにっこりからにやり、に変えて。
「その後、二人の口喧嘩、って言うか言い合い聞いてたら、野暮だと思いつつもついつい訊いてみたくなったんだよねー」





「"離れられなかったのは本当にこたつ?"ってね」