会計を済ませた後に店員に呼び止められる事は、持ち帰るべき商品やおつりなどをうっかり受け取り忘れた時くらいのものだろう。
だがそのどちらの場合にもあてはまらない彼が呼び止められたのは、買い物をした店でたまたまやっていたちょっとしたサービスが原因だった。





加護と、魔除けと、厄除け、あともうひとつ





「あ、お客様。只今5000フォル以上お買い上げになった方にアクセサリをさし上げているんです」
声をかけられ振り向いた黒と金の髪を持つ彼は、声をかけた店員の溌剌とした声とは正反対の淡々とした声音であ?と声を漏らした。
店員は無愛想な客の態度の悪さを気に留めずに、今月はイリスの生誕月なんです、それにちなんだサービスなんですよ、と説明を続けながらカウンターの下からアクセサリのサンプルケースを取り出す。
興味がなさそうな彼がぼんやりとその動作を眺めていると、背後からあ、ラッキーじゃんと声がかかる。
「へーアクセサリのプレゼント? 今回この店で買い物してラッキーだったな」
「わぁ、綺麗ですね! でも武器屋さんにアクセサリって、ちょっと意外」
彼と同じく買出し当番で店に来ていたフェイトとソフィアが後ろから覗き込んできた。
彼はほんの少しだけ首を動かして横眼で二人を見やるが、何も反応を返さない。だがもう少し二人の反応が遅ければ彼は「要らん」と素気なく店員の申し出を突っぱねていただろう。
「ああ、ここの店はこういう細工物も取り扱ってるからね。アクセサリって言っても飾り立てる為のものだけじゃなくて、戦闘中や旅の中で役に立つ護符とかお守りとか、そういうものもあるし。あんた戦闘用アクセサリもあまりつけないし、ちょうどいい機会だから何か貰えばいいじゃないか」
反応を返さない彼の代わりに、と言うと本人は否定するだろうが、同じく買出し当番に来ていた赤毛の彼女がソフィアの質問に答えるかたちで会話に混じった。
「戦闘用でしたらこちらの指輪などはどうでしょうか? 加護の施術がかかっているものなんですよ」
待ってましたとばかりに喋り出す店員に、彼は加護より攻撃の強化の効能があるものはと尋ねようとしたのだが。
「あ、いいんじゃない? アルベルいっつも防御気にせず突っ込んでくしさー」
「そうだねー、確かに戦闘は早く終わるけど、いっつもアルベルさん怪我してるもん」
「イリスの加護を受けたと言われる伝統的な細工物ですから、旅に出られる方などにも人気なんですよ。よく怪我される方にもお勧めですね」
傍観者の位置にいたはずの二人が後ろから口を挟み、さらに店員も彼が指輪を貰うだろうと想定しながら説明を始めたものだから、彼はもう他のはないのかと尋ねるのも話題を訂正するのも面倒になってやれやれと口をつぐんだ。
エリクールの伝統に興味があるのか、いつもなら適当にセールストークを聞き流す二人がへーとかほえーとか相槌を打ちながらしっかりと聞いているので、もうこの二人にアクセサリを選ばせてしまえと彼は考えていたが。
「この地方の伝統で、左手の薬指にイリスの指輪をつけると厄除けや魔除けになると言われているんです。心臓の血管がつながっている指を護ることで命を護ることに繋がるとも言われています」
「わぁ、そうなんですか? びっくりしました、私達の出身地…あっ、ここから結構遠くて文化も習慣も違うところなんですけど、そこでもよく似た風習があるんです」
「うん、驚いたよ。こんなに離れた場所なのに同じような謂れがあるなんて本当偶然にしちゃすごいよね。やっぱり左手の薬指に指輪、ってちゃんと意味があるもんなんだな」
「でも似たような風習が他の場所でもあるんなら、この伝統もより信憑性が増すね。あ、ほら、あんたも早く選びなよ。これで無鉄砲なあんたの怪我や災難が少しでも減るかもしれないよ」
彼女を巻き込んだ三人で盛り上がっているかと思いきや、選択権はまだしっかりと彼に残っているらしく。
その直後にどれになさいますか、と店員が改めて声をかけてきたので、彼は適当にサンプルケースを眺める。
後ろでは彼女を含めた三人がフェイトとソフィアの出身地の風習の話に花を咲かせ始めたので、選択権を譲るのも面倒になって彼は目にとまったひとつの指輪を指差した。
「あっ、お客様、こちらは…」
彼は本当に適当に何も考えずに選んだのだが、指さした先を見て店員が一瞬慌てたように口を開く。
「?」
「ん? どうかしたのかい」
が、彼が怪訝そうな顔をして、さらに隣にいた彼女が店員の歯切れの悪い返事に気付いてそう彼に問いかけると、店員は何かに納得したようににこりと笑い。
「いえ、何でもございません。かしこまりました」
そう答えながら丁寧にサンプルケースから指輪を取り出した。
包装などはいかがされますかとの問いに彼がいらんと答えると、やはり店員はにこにこと営業スマイルだけではない笑みを浮かべながらかしこまりました、と答えそのまま指輪を小さな紙袋に入れる。
「ありがとうございました。頑張ってくださいませね」
店を出る際も相変わらずのにこにこ笑顔のまま見送られ、商品を購入しおまけの指輪をもらっただけの客にかけるにはどこか不適当な見送りの言葉に彼は不思議そうな顔をしたが、さして気に留めることもなかった。





「………」
買出しを済ませて宿屋に帰りさっそく購入した鉄爪を調整し終えた彼は、武器が入っていた紙袋の中にもう一つある小さな包みに気づいた。
そういえば先ほど武器屋で入手したのは武器だけでなかったとようやく思い出し、どうせつけることになるのなら戦闘前に忘れないよう今のうちにつけておいてしまえと彼は包みを開いて指輪を取り出した。のだが。
「…おい」
思わず彼はげんなりとしながら独り言をつぶやいた。
彼が適当に選んでしまった指輪は、戦闘時に得物を日々握っている骨ばった手の指にはどれにもすんなりとははまらなかった。
比較的細いであろう左手の小指でも第二関節で止まってしまう。少し力を込めれば入りそうだが一度はめたが最後抜けなくなりそうだったので、そこまで指輪に関心のなかった彼はすぐに諦めて指輪を適当にその辺に置いた。
そういえば昔から自分を飾り立てることなどにまったく興味はなかったから、儀礼的な場面や正装以外で装飾品などつけたことがなかった、と彼は今更ながらに思い出す。
昼間店で彼女に指摘されたように、戦闘用アクセサリもあまりつけたことはなかった。だからこそ今回この指輪をもらう羽目になったのだとも言えるのだが。
別にこんなものつけなくとも大して変わらん、と結論を出して彼はすぐにその存在を忘れてしまった。





指輪の存在を彼が再び思い出したのは、次の日の移動中の休憩時、彼女が指摘してきた時だった。
いつも無鉄砲な彼が怪我を隠していないか確かめにきた彼女は、戦闘時に敵の返り血に染まった鉄爪が錆びないうちに手入れしようと義手ごと装備を外していた彼の左手を見て、それから右手を見て。
「あれ、あの指輪つけてないのかい」
不思議そうな顔をする彼女に、彼はああ、と指輪の存在を思い出して、答える。
「つけてねぇが」
「どうしてさ。せっかく貰ったんだからつければいいじゃないか。加護の力があるんだろう? あんたにぴったりだと思ったのに」
指輪をつけていない原因は彼が面倒臭がったか単に忘れていたのだと考えたらしい彼女の口ぶりに、彼は義手の手入れを続けながら違ぇよ、と答える。
「俺の指には合わなかったんだ」
「え? それって似合う似合わないの合う、じゃなくて、大きさがってことかい」
「そうだ」
言葉が少ない彼の言わんとすることをきちんと汲み取った彼女に、彼が頷く。
視線を義手から外さない彼の耳に、それならしょうがないか、と苦笑した彼女がため息とは違う息を漏らす音が聞こえる。
「まぁ、確かにあんた装飾品とかに興味なさそうだし、自分の指のサイズなんか知らないだろうけど。選んだ時気付かなかったのかい? 店員も、あんたの指には合わないだろうって思わなかったのかね」
義手から顔を上げない彼を気にすることなく、隣に腰かけた彼女は会話を続ける。
彼女の何気ない一言で彼の脳裏に昨日の店員の意味深な笑顔や台詞が蘇って、手入れをしていた彼の手が一瞬だけ止まった。
「…さぁな」
不可解な出来事ではあったが、話題に出すほどのものではなかったようで。彼はそう一言だけ答え、彼女も彼の反応が一瞬遅れたことなど気にしなかった。
「ならあの指輪はどうしたのさ」
「一応言うが捨ててはねぇぞ。荷物の中だ」
「あぁ、ちゃんと持ってたんだ。まぁあんたが不要でもフェイトに言えば誰か他に装備したい人に渡してくれるかもしれないし、いないならいないできちんと売却してくれるだろうしね」
失くさないうちに渡しておいたら、と告げる彼女に、彼は適当に返事をしようとしたが。
「………」
ふと、会話している間ずっと止めずにいた手入れの手を止め、隣の彼女を見た。
「え?」
急に彼が、しかも会話しながらも集中していたはずの義手の手入れまで止めて顔を上げるものだから、彼女が不思議そうな顔をする。
不思議そうな顔のまま、癖なのかきちんと目を合わせてくる彼女を数秒ほど見て。
彼は義手を拭いていた布をあぐらをかいた膝の上に置き、軽く上体を傾けて傍にある荷物に手を伸ばした。
手荷物を手繰り寄せて片手でがさごそと何かを探し始めた彼に隣の彼女はきょとんとしていたが、やがて彼が探し当てたらしい小さな包みを見るとああ、と納得したような顔をした。
「それ、例の指輪だよね。珍しいね、あんたがそんなにすぐ行動に移るなんて」
先ほど勧めた通り、忘れないうちにフェイトに渡しに行くのだろうと解釈した彼女が、彼らしくない素早い行動に素直に驚いていると。
「手ぇ出せ」
突然彼が、まるで握手を求めるかのように右手を軽く差し出してきて、彼女はぱちりと瞬いた。
「え?」
「いいから、手ぇ貸せ」
もう一度同じような事を告げてきた彼に、不思議そうな顔のまま彼女が右手を差し出すと。
「そっちじゃねぇよ、左だ」
彼女が手を戻す間もなく、彼が彼女の左手を掴んで引っ張った。
「何だい、相手に右手出されたらこっちだって右手出すだろう」
むっとなった彼女がそう不満を漏らすが、彼は気にすることなく彼女の手を掴んでいる手とは逆の手で包みの中から指輪を摘みあげて。
「え、?」
彼女が何事かと尋ねる間もなく、彼女の左手の薬指に指輪をはめた。



「…え、ええ?」
「お、丁度良いな」
驚く彼女を気にせず、彼は言葉通りあつらえたかのようにぴったりはまった指輪を見て彼女から手を離した。
茫然と自分の指を見つめる彼女に、思い出したように彼が一言告げる。
「やる」
そう告げて彼はまた義手の手入れに戻ろうとしたのだが、彼女がまだぽかんとしたまま微動だにしないのに気付いて不思議そうに視線を戻す。
自分の指を凝視していた彼女も顔を上げて彼を見て、途端彼女の顔がほんのりと赤く染まった。
「?」
彼女の反応がまったく予想外で、さすがに彼が訝り始める頃、彼女が恐る恐るといったふうに口を開く。
「あの、あんたさ…。まさかと思うけど、昨日ソフィアが言ってた話、聞いてたんじゃないよね?」
「は? 何だそりゃ」
「いや、あの店を出て帰るまでにソフィアが教えてくれた、指輪についての話なんだけど。聞いてないんだね?」
「…指輪について? その指に指輪つけると厄除けになるっつぅ話じゃねぇのか」
返ってきた彼の反応に、彼女はほっとしたような、でも少し残念そうな複雑な顔をして。
「そうだよね、まさか聞いてないよね。うん、そうに決まってる」
「…何の話だ」
「何でもないよ」
やけにきっぱり言い切った彼女はどう見ても"何でもない"という顔をしていなかったのだが。
「気になるだろうが」
「だから何でもないんだってば」
数度訊き直しても彼女は口を割ろうとせず、さらに妙なタイミングで休憩終了の声が上がってしまったので彼は少し気になりつつも彼女の言う"何でもない"話を聞き出せずに終わった。
そして休憩を終えて移動を開始する直前まで彼女が左手の指輪をじっと見ていた事も、彼が気づく事はなかった。





「あっ! ネルさん、その指輪!」
次に例の指輪の話が出たのは、宿屋で割り当てられた部屋に移動した直後だった。
薬指にはめられたままの彼女の指輪に気がついたソフィアが笑顔でそう歓声に近い声を上げて。
「あ…。あぁ、これかい」
曖昧に笑う彼女に気付かず、ソフィアはニコニコ笑顔のままに彼女の近寄って口を開く。
「アルベルさんがお店で貰った指輪ですよね? あ、やっぱりそうだ! わぁ、ネルさん良かったですね!」
「あー…うん」
嬉しそうなソフィアとは対照的に彼女はぎこちなく苦笑する。
気づいたソフィアが不思議そうな顔をすると、彼女は苦笑したままに口を開いた。
「でも、あいつチキュウの風習知らないって言ってたから、別に特別な意味なんてないんだと思うよ」
「えー! あっ、でも確かにあの時アルベルさんには聞こえない位置で話してたかもしれないですけど…」
早とちりではしゃいでいた事を気にしたのか、途端にソフィアの語気が弱くなっていく。
ソフィアが気にすることじゃないよ、と彼女が苦笑しながら言うが、ソフィアはしゅんとなったままだ。



―――地球で左手の薬指にはめる指輪は、恋人からの贈り物の指輪で、多くは"婚約指輪"か"結婚指輪"なんですよ!



ソフィアが伝えた、指輪にまつわるエリクールとよく似た地球の風習を彼女はぼんやり思い出す。
別に彼がその事を知っているかどうかは気に留めてはいなかったけど、それでも彼がわざわざ左手の薬指に指輪をはめてきた時は心臓が跳ねた。
実は彼は知っているのではないかと期待してしまった自分が恥ずかしいような情けないような、そんな複雑な気分になりながらもやっぱり気分が落ちている事に気付いてしまって。
彼の行動に驚いて、それから嬉しくなって、でも彼がその事を知らなくて安堵したようでやっぱりがっかりしていたんだと再確認して、彼女はまた我知らず苦笑した。



「ごめんなさい、よく事情も知らないまま勝手に盛り上がっちゃって…」
「気にしないでいいよ。あいつが知らなくても無理はないし、ソフィアだって何も悪くないんだから」
「でも、ネルさんがもらった指輪を左手の薬指にはめてるってことは、ネルさんはその指輪を特別なものとして見てるんですよね? だったら余計申し訳なくて」
「あ、いや、この指にはめたのは私じゃなくて」
「えっ?」
落ち込んで視線が下降気味だったソフィアがぱっと顔を上げた。
「アルベルさんがその指輪はめてくれたんですか?」
「あ、うん、まぁ…。でもなんだか、試しに私の指にはめてみたらぴったりだったからそのままくれたって感じだったから、あいつは本当にチキュウの風習の事は知らないはずだけど」
彼女がそう答えると、ソフィアはほんの一瞬目を見開いて。
「じゃあネルさん! 全然落ち込む必要ないじゃないですか!」
途端にぱぁっと笑顔を見せたソフィアに、思わず彼女がえ、と声を漏らす。
「だってアルベルさん、地球の風習については知らなくても、エリクールの風習についてはさすがに知ってますよね?」
もし今まで知らなかったとしても昨日目の前で店員さんが説明してくれてたんですし!と念を押してくるソフィアの勢いに驚きながら、彼女は彼との会話を思い出してからうん、と肯定する。
「それはちゃんと聞いてたみたいだよ。厄除けになるっていう話題は自分から言ってたし」
「だったらやっぱり、ネルさんは喜んでいいんですよ!」
「えーと、…どうしてだい?」



「だってそれならアルベルさんは、ネルさんの厄除けや魔除けになるようにって思って、その指輪を薬指にはめてくれたんですから!」



ネルさんの事を大切に思ってなきゃ、そんなことはしないでしょう?
そう追いうちのように言われた彼女の顔は、彼に指輪をはめられた直後のように赤く染まった。
きゃあネルさんかわいい!とソフィアが笑顔で手を合わせるが、彼女は染まった頬をすぐに冷ますことができずにわずかに視線を逸らして。
「確かに、そういう風にもとれるかもしれないけど」
「かもしれないじゃないですよぉー、絶対そうですって!」
にこにこ笑顔を絶やさないソフィアに言葉を返せずに、そういう考えも浮かばなかったなんて自分はよほど落ち込んでいたのだろうか、と彼女が照れくさいやら気恥ずかしいやらでまだ頬を染めたままでいると。
「良かったですね、ネルさん」
まるで自分のことのように嬉しそうに、ソフィアが微笑んだ。
「…―――」
先ほど、同じ台詞を言われた時には、ぎこちなく曖昧に苦笑することしかできなかった彼女だったが。
「…うん。そうだね」
そう呟いた彼女の顔に浮かんだ笑みは、先ほどとはまったく違う嬉しそうな穏やかな微笑だった。





「…そういえば、まだお礼も言ってなかったっけ」
左手の指輪をちらりと見て彼女がぽつりと呟いて、ソフィアがやはり笑顔のまま相槌を打つ。
「そうだ! お礼と一緒に地球でのその指輪の意味を教えちゃったらどうですか?」
「えーと、それは別に言わないでいいと思うけど」
「ええー、そうですか?」
残念そうに呟いたソフィアは、でも、と付け足して。
「アルベルさんが地球での意味を知ってたとしても、これから知ったとしても。多分、その指輪はきっとずっと同じ指にあるんだと思いますよ」
「…そうかな? まぁ、左手の指なら短刀握るのに邪魔にならないし、厄除けになるっていうのもあるし。あいつが知ってようが知っていなかろうが、私は別にこのままでもいいけど」
「あーっ、ネルさん照れてますねー! よーし、ならいっその事今すぐにアルベルさんに指輪の意味教えに行っちゃいましょうよ!」
「ちょっ、…それは待ちな」



彼が指輪のもう一つの意味を知るのは、それほど遠くはないのかもしれない。