「まぁいいや、放っておけばそのうち来るだろうしね」 ネルはそう結論を出して、アルベルの部屋を後にしようとした。 …が、さすがにあんな所で眠っていたら風邪をひくだろうと思い、また部屋の中に戻った。 何かかけるものはないかとあたりを見回す。 と、ベッドの上に無造作にかけてある薄い掛け布団が目に止まった。 ネルは掛け布団を取って、アルベルの背中にかけておいた。 「まったく、居眠りもほどほどにしなよ。じゃあね」 答えが返ってこないことを承知でネルはつぶやく。 すると。 「……ん…」 さっきまで反応がなかったアルベルから微かな声が聞こえた。 「え?」 ネルは驚いて振り返る。 アルベルのさっき見たままの姿勢で眠っている。 ネルはもう一度アルベルに近づいた。顔を覗き込んでみても、やはり起きた気配はない。 「寝言?まったく、まぎらわしい」 ネルはそうぼやく。ふと、アルベルの寝顔が妙に幼く見えるのに気づいた。 訝ってもう一度じっと見る。 普段は切れ長の目が閉じられていて、腕に突っ伏しているため顔の下半分が隠れていたせいだった。 「お、睫長い」 意外に、眠っている人の観察は面白いものだったりする。 ネルはしばらくそのままアルベルの寝顔を眺めていた。 …こーやって黙ってれば、可愛げもあるだろうに。 あの毒舌のせいで、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのをわかっているのだろうか。 でも、自分はもう慣れたのか、近寄りがたいとは思わない。 不思議なものだ、前はあんなに毛嫌いしていたというのに。 「…さて、そろそろ戻らないと」 アルベルが起きてこないとなると、ここにいても意味がない。 マリアに言わせれば、"こんなの時間の浪費"だろう。 ネルは眠ったままのアルベルをもう一度見てから、部屋を出てダイニングへと向かった。 「あら、遅かったじゃない。今呼びに行こうと思ってたのよ。アルベルは?」 ダイニングの扉の前へ着くと、ちょうど中から出てきたマリアが声をかけてきた。 「居眠りしててね。起こしても起きなかったから放ってきた」 「あら。じゃあアルベルの分は保管しておきましょうか。じゃあネルも席について」 ネルは頷いて空いている席に座った。 すると、向かいに座っていたクリフが声をかけてきた。 「遅かったじゃねぇか、待ちくたびれたぜ」 「しょうがないじゃないか、アルベルが居眠りしてて起こしても起きなかったんだ」 「はぁ!?」 機嫌悪そうにネルが言うと、クリフは驚いた顔で聞き返してきた。 ソフィアを挟んでクリフの二つ隣に座っていたフェイトもぎょっとする。 「アルベルのヤツが居眠りしてただぁ?で、お前起こしたのか?」 「ああ、そうだけど…何かあるのかい?」 「え、ネルさん、なんともなかったんですか?」 フェイトも訝しげに訊いてくる。ネルは首をかしげながら答えた。 「? なんともなかったけど」 それを聞いたクリフとフェイトが顔を見合わせた。 「どうしたの、二人とも?」 ソフィアがフェイトとクリフを交互に見て言った。 自分をすっ飛ばして会話されては、ソフィアも気になるだろう。 「いや、大した事じゃないんだけど…。前、僕も居眠りしてたアルベルを起こそうとしたことがあったんだよ」 「え、いつのことだい?」 「前、アーリグリフの宿屋に泊まった時です。宿屋の部屋のソファでうとうとしてたからそろそろ出発するぞって起こそうとして。そしたら急にぱっと起きて一瞬で刀抜いて僕の喉元に当ててきたんですよ」 「そうそう。あいつ、ひどい低血圧で寝たら起きねぇと思ってたからあん時は驚いたぜ。夢見が悪いのか知らねぇが、俺も何度か同じような目にあったことあるぜ」 「僕も二、三回同じようなことがあってさ、それ以来あいつを起こすときは少し離れて警戒しながらやることにしてるんだよね」 「え?でも、私が起こした時はなんとも…」 「だろ?だから驚いたんだよ」 ネルはまた首をかしげた。 「んっと、もしかして今日はたまたま熟睡してたとか…」 「ああ、そうかもしれないわね。でも、居眠りで熟睡なんてするかしら?器用なものね」 「うーん、じゃあそろそろ仲間の皆さんに対しての警戒心が薄れてきたとか?」 ソフィアとマリアが言った。 「いーや、違うだろうな。きっと別の理由があるんだろうよ」 「どうしてそう思うのよ?」 にやにやしながら、だがきっととか言いつつ自信満々に言うクリフに、マリアが問い返した。 「多分、ネルが特別なのさ」 「はぁっ?」 思いもよらないことを言われて、ネルは素っ頓狂な声を出す。 「…どういうことだい?」 「そのまんまさ。アルベルのヤツ、よくお前に意味もなくつっかかるし、気になってんだよ、お前のこと」 「ああ、それは私も思ったわね。実験台にされた竜の所でもそうだったじゃない」 「それは、元は敵同士だったから嫌ってるんじゃないかい?」 「そんな風には見えなかったぜ。まったく、若い奴らはいいねぇ」 ネルは身に覚えがあるようなないようなことを言われ、少し困った。 ので、早々に話題を変えることにする。 「…まぁ、その話はもういいさ。さ、私達が腕によりをこめて作った夕食だ、残さず食べてよ」 そのネルの一言で、皆は思い出したように食事に手をつけ始めた。 ネルも不思議に思いながらも、夕食を食べ始める。 そこでそのことについての話題は皆忘れたようだったが、ネルは少しひっかかっていた。 結局、食事が終わってもアルベルは姿を現さなかった。 次の日の朝。 「ふぁ…」 ネルはいつもの癖で、日の出とともに目を覚ました。 顔を洗って髪を梳き、皆が起きるまですることがないのでそのあたりを散歩していた。 すると、廊下の向こうから誰かが歩いてくることに気付いた。 こんなに朝早くから誰だ?と思ってよく見ると、その誰かはアルベルだった。 「おはよう。珍しいね、いつも寝坊ばっかりしてるあんたがこんなに早く起きるなんて」 「あぁ…昨日変な時間に眠っちまって、変な時間に目が覚めた」 「そういえば夕食前に居眠りしてたっけね。ってことは、あのまま朝までずっと眠ってたのかい?」 「まぁな…」 アルベルは寝起きのせいか、いつもよりもほんの少し態度や喋り方が柔らかくなっていた。 口癖と化している「阿呆」も、今日はまだ言っていない。 「ふぅん…。ならお腹減ってるんじゃないかい?昨日の夕食の残りが保管してあるはずだけど、食べてきたら?」 「いや、いい」 アルベルはそうそっけなく言い残して、ネルが来たほうへ歩いていこうとする。 「そう」 ネルもそう短く答えて、アルベルが来たほうへ歩いていこうとした。すると、 ぽん。 すれ違いざまに、アルベルの右手がネルの頭に乗せられた。 「…ご苦労」 そうつぶやいて、アルベルは手を放して何事もないかのように歩いていった。 「…は?」 ネルは自分の身に何が起こったか理解できず、一瞬唖然とする。 いったい何が"ご苦労"なんだ?自分があいつに対して何かしただろうか。 …もしかして、昨日肩にかけておいた布団の礼だったのか? いや、でもあの時アルベルは熟睡していたはずだから、自分が布団をかけたことなんて知らないはずだ。 まさか、熟睡していなかったのか?それともあとから誰かに聞いたのだろうか。 「………あ」 そこまで考えて、ふとネルは思い出す。 そういえば、昨日フェイト達が言っていたことを訊くのを忘れていた。 "何で、私が布団かけた時には何もしなかったんだい?" そう訊こうとしていたが、もうアルベルの姿は見えなかった。 …警戒もしないほど深く寝ていたのか、それとも他に何か理由があるのか。 でも、少なくともさっきの反応から見ると、元敵同士という間柄から嫌っているというわけではなさそうだった。 …なら? 多分、ネルが特別なのさ。 昨日、クリフに言われたことを思い出す。 「まさか、ね…」 あの毒舌朴念仁が自分を特別視しているなんて、考えられない。 きっとさっきのは気まぐれだろう。 …きっと、そうだろう。 彼女がその答えを知るのは、もう少し後の事。 |