コンコン。
宿屋の一室の扉が控えめにノックされて。
「アルベル?入るよ」
そんな声と共に、ガチャリと部屋の扉が開いた。
アルベルはその部屋のベッドで横になっていた。その声に反応してゆっくりと開いた扉の方を向く。
扉を開けたのはフェイトをはじめとする旅の仲間達。
「…なんだ」
アルベルは横になっていた体を起こし、扉を開けたフェイトに向かってそう言った。
「なんだとはご挨拶だな。心配してお見舞いに来てあげたのに」
「余計な世話だ」
体調が悪い所為か不機嫌そうな顔で言い返すアルベルに、仲間の何人かが呆れたように肩をすくめた。
「まったく、あなたは相変わらずね」
「だから言ったんだよ、見舞いになんか行く必要ねぇって」
「そうもいかないだろう。このまま放っておいて悪化でもされたらこっちも困るし」
ネルはお粥と瓶に入った薬を載せたお盆を片手で持ったまま、後ろ手で扉を閉めながら言った。
フェイト達は部屋の中に入ってアルベルのベッドの周りに立った。
ネルは部屋の真ん中あたりにある小さなテーブルにお盆を置く。





Weakness





「それにしても、あんたも本当に馬鹿だね。雨に降られて風邪ひくなんて、子供じゃないんだから」
ネルが呆れながら言ったように、アルベルは昨日の自由行動時に町の外でモンスター相手に一人修行していたのだが、戦闘の途中で雨に降られ、戦闘を終わらせて町にずぶ濡れのまま帰ってきた。
そのまま風邪をひいてしまったのだった。
おかげで今日の自由行動時はずっと寝ている羽目になるだろう。
「どうせ、雨が降っても構わず戦ってたんでしょう?まったく、馬鹿なんだから」
「なんとかは風邪ひかないっていうのになぁ」
からかうようにマリアとクリフが言い、アルベルは憮然とした表情をする。
「…うるせぇ、黙れ阿呆」
そう言ったアルベルの声は掠れていた。喉を痛めているようだった。
「ひどい声だね。今の具合はどう?」
「…だるい。それに暑い」
「熱が出てきたんだろうね。まったく、どうせ雨に降られたってのにロクに髪を乾かしもしなかったんだろう?」
アルベルは図星をつかれたのか無言になる。
ネルはため息をついて、やっぱりね、とつぶやいた。
「熱が出てきたんなら、話してても辛いだけじゃないですか?」
「そうだね。じゃ、僕達はこの辺で戻ろうか」
「あら、でも看病する人くらいは必要なんじゃない?」
「そうだな、とりあえず早く治してもらわねぇとな。で、誰にする?」
クリフがそう言うと、皆の視線がある一人に集中して向けられた。
「え。…なんで私を見るんだい」
視線を向けられたネルが当惑した顔で言った。
「…ネルさんに任せようか?」
「そうだね、そうしよっか?」
フェイトが言って、ソフィアが同意した。マリアとクリフも頷く。
当のネルは訝しげな顔で腕組みをする。
「なんで私が…」
「あら、だってこの中で一番アルベルと仲がいいの、ネルじゃない」
「そうそう、それに病人の扱い方にも手馴れてそうだしな」
「…おい、何勝手に…」
「病人は黙ってなよ」
今まで会話に置いて行かれていたアルベルが口を挟むが、フェイトの一言で一蹴される。
「それじゃあネルさん、頼みましたよ」
「じゃあ、またね」
そう言ってフェイトとマリアは部屋から出て行く。クリフとソフィアも続いた。
「えっ、ちょっと待ちなよ!」
ネルは引きとめようと声をあげるが、マイペースな仲間たちは気にせずいってしまった。
「………」
取り残されたネルは、はぁ、とため息をついた。
確かに仲が良いといえば良いのだが、なんだか押し付けられたようで少し癪だった。
まぁ、看病役は必要だし、たまにはこいつの面倒を見てやるのもいいか。
ネルは持ってきたお粥を冷めないうちに食べてもらうためにアルベルの近くに持ってきた。
「ほら、お粥。食べれるかい?」
「…今はいらねぇ」
「気持ち悪いのかい?」
「いや…食欲がない」
普段とはまったく違う弱々しい口調でアルベルは言った。
「ダメだよ、少しでも食べなきゃ逆に体がもたないだろう」
「いらねぇって言ってんだろ…」
うざったそうに言うアルベルに、ネルはしょうがないね…とつぶやいてベッドに腰掛けた。
アルベルは目を覆うように左手を顔に乗せて浅い息をついている。
「お粥すら食べれないなんて、そんなに具合悪いのかい?」
ネルは呆れを含んだ口調で言った。アルベルは答えない。
「…なんなら、私が食べさせてあげようか」
「…!?」
アルベルは普段言わないようなことを口にしたネルを驚いた顔で、怪訝そうに見た。
視界を覆っていた手をわずかにずらすと、意地悪い笑みを浮かべたネルの顔が見えた。
「本気にした?」
アルベルは憮然とした表情をして、また目を閉じた。
「…阿呆が」
すでにお馴染みとなった台詞を苦々しげに吐くアルベルに、ネルは面白そうに微笑んだ。
「まぁ、それは冗談だとして。…そんなに具合が悪いのなら、医者を呼んだほうがいいかもね。部下に医者がいるから手配でもしてくるよ」
ネルはそう言って立ち上がろうとする。
が、アルベルに腕を掴まれた。
その手は思いのほか熱く、思っていたよりも彼の熱が高いことが窺い知れた。
「なんだい?」
「………」
アルベルは何も答えない。だが、ネルの手首を掴んだ手は離さなかった。
「どうしたっていうんだい」
ネルは再び問いかけた。



「…行くな」



かろうじて聞き取れる声で、アルベルはつぶやいた。
「…え?」
ネルは思わず自分の耳を疑った。
ついでに、耳を疑うようなことを言ったアルベルの顔を凝視する。
アルベルもネルを見上げていた。
紫の瞳と紅い瞳が映し鏡のようにお互いを見る。
「聞こえなかったのか?…だったらもう一度言う、行くな。ここに居ろ」
相変わらず偉そうな口調だったが、アルベルはやはり耳を疑うようなことを言った。
今度は、聞き取れる声ではっきりと。
ネルは目を瞬かせ、そして苦笑しながら言った。
「…あんた、相当熱があるみたいだね。そんなこと言うなんて」
ネルはまだ信じられないような顔をしている。アルベルは相変わらず憮然とした表情だ。
「でも、いいのかい?私より、医者に見てもらったほうが確実に早く治るじゃないか」
「…阿呆」
アルベルは吐き捨てるように言った。ネルはむっとなって眉根を寄せる。
「なんだい、私は本当の事を言っただけだろう」
ネルは再びベッドに腰掛けながら言った。アルベルの手は離されないままだった。
アルベルは無言のまま、掴んでいたネルの手を思い切り自分のほうへ引っ張った。
「うわぁ!」
ネルはいきなりの事でバランスを崩し、アルベルのほうへ倒れこんだ。
ネルは、急に何するんだい、と文句を言おうとした。
が、アルベルはネルが何か言う前に、ネルの頭を自分の口元に引き寄せてこうつぶやいた。



「お前がいいんだよ」



喉元まで出掛かっていたネルの言葉は、アルベルの台詞によって遮られた。
耳元で囁くようにつぶやかれた、その言葉に。





「な…」
ネルはアルベルの上に倒れこんだ体勢のまま無意識につぶやいた。
「今度は聞こえただろう?」
アルベルはにやりと笑んで言う。
ネルはしばらくそのまま固まっていたが、やがて肩を震わせて小さく笑い出した。
「…ふふふっ…あんたも熱で相当頭がやられてるみたいだね」
「ふん。そう思うのならそういうことにしておけ」
ネルはアルベルの顔の脇に肘をついて体を少し起こした。
文字通り、目と鼻の先に相手の顔がある。
「…あんたには敵わないよ」
ネルはアルベルの瞳を見据えながら言った。
アルベルもネルの瞳を見据える。



どちらともなく、唇が重なった。





「それにしても、あんた無理してただろう?さっき皆がいたときはそんな弱々しくなかったのに」
唇を離したあと、ネルは再び起き上がってベッドに腰掛けながら言った。
「阿呆が、他人に弱みなんか見せられるか」
アルベルは目を閉じたまま言った。
「へぇ?なら、私にだけは弱い部分を曝け出してくれてる、と解釈していいのかい?」
「…さぁ、どうだかな」
「ふふっ。じゃあ、私もあんただけになら、弱いところを見せてもいいことにしようか」
アルベルは薄く目を開けた。ネルは気に留めずに続ける。
「変な感じだね。人に弱みなんか見せられないと思っていたのに。…あんたになら、いいんじゃないかって、今は思うよ」
「…へぇ」
「あぁでも、あんた不器用そうだからね。風邪引いたときとかに頼りにならないかもね」
「あぁ?」
アルベルはぎろりとネルを睨み付ける。
ネルはもう慣れたと言わんばかりにその鋭い視線をかわす。
「まぁ、あんたがもし頼りにならなくても…」
ネルはベッドに横たわっているアルベルの頬に手を伸ばしながら言った。



「私が弱みを見せてやるのは、あんただけだからね」





今度は、アルベルが驚く番だった。
先程のネルと同じように、相手の顔を凝視する。
が、急にふっと表情を和らげ、口元に笑みを浮かべた。
そしてゆっくりと口を開く。





「俺も、お前には敵わないと思うがな」