ネルが目覚めると、ここ数日の間通信機に毎日毎日表示されていた文字はなかった。
「あ、あれ…?」
ネルは驚いてベッドから起き上がり、サイドボードの上にある通信機をもう一度見てみる。
やはり、新着メールを知らせる文字はなかった。
念のため、メールボックスを開くが何も届いてはいなかった。
「…なんだ、もうないんだ…」
ネルは何故か落胆したようにため息をつく。
それからはっと気付いた。自分がいつの間にか写真を心待ちにしていたことに。
でも、やっぱりもう写真は届いていない。
ネルはまたため息をついて、通信機を机に置いた。
それから軽く伸びをしてカーテンを開ける。朝の白い光が部屋に差し込んだ。
「…うん。今日はいい天気になりそうだね」
誰にともなくそう言って、踵を返してクローゼットに向かう。
服を着替えて、朝食をとるために食堂へ向かおうとした。
廊下に出るためにドアを開ける。すると。



目の前に、大きな花束があった。
この季節では珍しい花だった。おそらくはチューリップだろう。



「………えっ!?」
ネルが思わず叫ぶ。
「…久しぶりだな阿呆」
驚いているネルに、ぶっきらぼうで投げやり気味な、聞き覚えのある声が届く。
朝っぱらから大きな花束を抱えてネルの部屋の前に立っていたのは、隣国にいるはずのプリン頭。
「え。…あ、あんた、なんでここにいるんだい」
かなり驚きながらネルが言う。
その問いに、アルベルはどこか気まずそうに視線を泳がせて、口を開く。
「あー…。まぁいいから何も言わずに受け取りやがれ」
そう言ってずい、と花束を押し付けられる。
「あ、うん」
反射的にネルは受け取った。
「…えっと…、急にどうしたんだい、あんた」
もう一度問いかけると、アルベルは相変わらず泳いだ視線のまま言った。
「…今日は、クリスマスとかいうやつがあるんじゃなかったか?」



「…え」
「フェイトが言ってたが」
「…あ、確かにそうだったと思うけど…」
「…んで、それは男が女に贈り物をする習慣とかいうのがあるとか言ってやがって」
「へ?」
そうなのかい?とネルは首をかしげる。
アルベルは一瞬無言になり、本当かどうかは知らねぇけどな、と答える。
「…ってことは、まさかあのメールって…あんたが?」
ぽかんと呆けながらネルが訊く。
「…あぁ」
アルベルは小さく答えた。
「…どうしてグリーティングカードのサービス?だっけ、そんなの知ってたんだい」
「フェイトの野郎が薦めてきた」
「じゃあなんで毎日一枚ずつだったんだい?」
「"贈り物するなんて滅多にないんだから、たまには工夫してみなよ"だとよ」
「…ふぅん…」
ネルはとりあえず理解したようで、納得したように抱えている花束を見やった。
そしてくすりと笑う。
「何だ」
気づいたアルベルがぶっきらぼうに言う。
ネルはくすくすと笑いながら、
「いや…まさかあんたがこんな手の込んだことしてくれるとは思わなかったから」
「…実際に写真を選んだのは俺じゃなくてソフィアだぞ」
「…あぁやっぱりね、あんたセンスなさそうだもんね」
「うるせぇ」
「でも、実際に送ってくれたのはあんたなんだろう?しかも毎日日付が変わると同時に、さ」
「まぁな」
「…で。これも貰っていいのかい?」
ネルは自分の抱えている花束を見ながら訊く。
アルベルは無言で軽く頷いた。
「…ありがとう」
ネルは微笑んで、くるりと体の向きを変えて部屋に入る。
「これ、ありがたく飾らせてもらうね」
言いながら、棚に向かって花瓶を探す。
「好きにしろ」
それを横目で見ながら、アルベルがつぶやいた。
ネルは手ごろな大きさの花瓶を探し出し、花束の包装紙をゆっくりと丁寧にはがして花瓶に挿した。
「これだけ、本物の花束だよね?どうしてだい?」
「…最後くらい本物持ってけってあいつらが用意してやがったんだよ」
「ふぅん…そういえば、この部屋に花を飾るのは何年ぶりだろうね」
「…そんな年単位で考えるほど昔のことなのかよ」
開いたままの扉にもたれながらアルベルが呆れたように言う。
「まぁね。滅多に花なんか飾らなかったし。…あぁ、あんたも入りなよ。廊下寒いだろう」
そう言ってネルが手招きすると、アルベルは素直に部屋に入ってくる。
言われたとおり、少々寒かったのだろう。



「あ!そういえばさ」
ネルは花瓶を片手に、何か思いついたように口調を弾ませた。
「何だ」
「私も何かお返しをしないと」
「…? 男が女に何か贈るもんなんじゃねぇのか」
「え?私は親しい人とプレゼントを贈りあうって聞いたけど」
二人は顔を見合わせて一瞬沈黙する。
「…誰から聞いた」
「マリア」
「…なら信憑性あるよな。…あいつら、謀りやがったな」
アルベルははぁ、と深いため息をつく。
「いいじゃないか。…少なくとも、私はあんたから花束貰って嬉しかったよ」
照れたように微笑みながらネルがつぶやく。
最後のほうは少し聞き取りにくかったが、ばっちり聞こえたアルベルは苦笑する。
「あ。だからさ、私もあんたに何かお返ししたいんだけど、何がいい?」
「あー?」
「クリスマスだっけ?そのプレゼントだよ。欲しいものとかないのかい」
アルベルは一瞬何かを思案し、



「んじゃ、お前」



当然そうに、さらりと言い放つ。



「……どうしてそんなこと臆面もなく言えるんだい」
僅かに頬を赤くしながらネルが視線を逸らす。
「別に。本心だしな」
「…この確信犯」
ネルはつぶやく。
「で?」
返事を促すように、アルベルが訊いた。
ネルが視線を戻してアルベルを見ると、彼の顔に浮かんでいる表情は意地の悪そうないつもの笑み。
「………」
数十秒ほど、沈黙して。



「…。駄目だよ」
「なんで」
「だって今さらじゃないか」



今度は、アルベルが驚く番だった。
ネルのように赤くはならなかったが、目を見開いて意外そうな顔をしている。
「? なんだい」
その視線に気づいたのか、ネルが問いかける。
「…お前こそ、なんでんなこと臆面もなく言いやがるんだよ」
「あんたの影響かもね」
「…」





「あ。そういえばさ、あの花になんか共通点とかってあったのかい?」
「あ?」
部屋にある唯一の椅子に当然そうに腰掛けながら、アルベルは驚いた顔で振り向いた。
「だって、季節バラバラだったし、別に見た目とか色とかも似てなかったし。何かあるのかなって思ってさ。ソフィアだったら、暖色系の色でまとめる、とかしそうじゃないかい?」
「…さぁな」
アルベルは曖昧に答える。
「そう」
ネルはそんな彼の言葉で納得したらしく、そのまま花瓶に水を入れにいった。





部屋から出て行くネルの背を眺めながら。
アルベルは一週間ほど前の、フェイトとソフィアとの会話を思い出す。



「だから、絶対にバレないってば」
通信器から聞こえてくるフェイトの弾んだ声にアルベルは半分脱力しながら、そういう問題じゃねぇだろ、と答える。
「ネルさんだって喜ぶと思いますよ?バレなきゃいいじゃないですかぁ」
フェイトの隣にいるだろうソフィアに、余計な世話だ、と言い返す。
「…でも、そんなこと言われてももう選んじゃいましたし」
もう変えるのは無理ですよ、と続けるソフィアにはぁ!?と訊き返して。
「私の苦労を無碍にするんですかひどーい!」
と非難の声を浴びせられる。
「じゃあ、こうしようよ。順番をバラバラにして送ればいい。これでいいだろ?」
なら最初からややこしい事考えて選ぶんじゃねぇよ、と言うと。
「こういうのは気持ちが大事なんですよ!」
とやけに力のこもった口調で返されて、
「一年に!一回っきり!なんですよ!い っ か い っ き り ! !少しくらい、気持ちや想いや伝えたい言葉をこめたってバチはあたらないです!」
と矢継ぎ早に言い放たれる。
「というわけだから、まぁ、うまくやりなよ。…僕らがここまで協力したんだ、ちゃんと毎日送らないとイセリ…じゃなくて、怒るからね」
…今、絶対にイセリアルブラストって言おうとしやがったな。とか思っているうちに、
「じゃあアルベルさん、男気出して頑張ってくださいね!夕ご飯の仕度しなきゃなのでそろそろ切りますね!ちゃんとやってくださいねじゃなきゃ地球からアルベルさんの家目掛けてメテオスォーム打ちますよそれじゃ!」
早口でソフィアにそう言われ、何か言う前に通信を切られた。



お節介な彼らが、お節介にも選んでくれたプレゼントには。
彼女への"メッセージ"が隠れていたりした。
その内容を告げられたときは正直困ったが、今冷静になって考えてみれば彼女が地球の言葉を知るわけはないので、バレることはまずないだろう。
花の別名を知っているわけもない。



どうしようか、さんざん迷って。
結局は彼らの指定した順番通りに送ってしまった。
彼らの思惑通りに事が進んでいるような気がして癪だったが、彼らの用意した"メッセージ"が自分の本心に遠くはないことも、確かだ。



「だからって、そのまま送るなんてな…俺もとうとう末期か」



主がいなくなったネルの部屋で、アルベルはぽつりとつぶやいた。





ところで。
彼らが仕組んだメッセージの種明かしをしておくと。



Dandelion(たんぽぽ)
Evolvulus(アメリカンブルー)
Azalea(サツキ)
Rose(バラ)
Erica(エリカ)
Sunflower(向日葵)
Tulip(チューリップ)



すべての花の頭文字を繋げると…。





Dearest。



―――最愛の人。

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