たかがお菓子作りでここまで試行錯誤したのは、多分生まれて初めてなんじゃないか、と思う。



As for collateral of trial and error?



普段読まない物を読むというのは、意外に面白いものだ。
そんなことをふと思ったのは、青髪の彼女が渡してくれたカラフルな料理雑誌を半分ほど読んだ時だった。
表紙から何からカラフルで可愛らしいその雑誌は、お菓子の写真やら作り方やらが所狭しと書かれている。



「決まった?」



隣で同じように雑誌に目を通しながら、青髪の彼女が訊いてきた。
首を横に振って答えると、同じように彼女もまだ決まっていないという答えが返ってくる。



周りにいるのは、"ばれんたいん"というお祭り?に間に合わせる為に頑張っている女性陣。
説明を聞いたところによると、地球には女の子が大切な人にお菓子を贈ったりする風習があるそうで。
そのお祭りが、丁度今の季節今の時期にあるらしく。女性陣総出で作ることになった。
…ので、まずどれを作るのか決めているんだけど。
かれこれもう三十分近く悩んでいる。
…どこぞの誰かの髪の色と似たお菓子も見つけたが、これは嫌がらせになるかと思い直して却下する。



「悩むわよね、こういうのって」
「これだけ種類があると、目を通すのだって一苦労だね」
「選択の幅が広いのは喜ばしいんだけどね。広すぎて決まらないのも困りものよねぇ」



ふぅ、とため息をついて、彼女がページをめくる。
めくられた先に書いてあるのもやっぱり甘そうなお菓子のレシピ。
…まぁ、種類が多いのも、決まらない理由のひとつなんだけど。
悩んでいる理由はそれだけではなかった。



「…甘そうなのばっかりだねぇ…」
「え?」



ぽつりとつぶやいた言葉は隣の彼女に聞こえたらしい。
まぁ聞かれてまずいこともないから、そのまま会話を続けた。



「いや、どれもこれも甘いのばかりだろう? …甘さ控えめなのってないかなって思って」
「あら、アルベルって甘いもの嫌いなの?」
「どちらかというとそうらしいからさ。なんていうか、嫌いではないけど苦手なんだって」
「ふぅん…まぁ、チョコは大抵甘いからそればっかりは、ね。じゃあ、これとかどう?」



彼女が見せてきたのは、焦げ茶色のふわふわしたケーキ。
見てみると、チョコレートシフォンと書かれていた。



「甘さ控えめの優しい味、ですって。ビターチョコを使ってあるから甘くないみたいよ」
「ふぅん…そうか、チョコはチョコでも甘くないものを使えばいいんだね」



それなら、と彼女が雑誌の山から取り出したのは、ビターチョコやコーヒーなどを使ったものの特集号らしい雑誌。
ちなみにこの雑誌の山はすべてお菓子のレシピが載っているものだ。
これだけの量をどうやってかき集めたのかは知らないが、十分に役立っている。
彼女が差し出してきた雑誌をありがとうと言って受け取り、目を通してみる。



悩みに悩んで。
生チョコという、舌触りがよくてそんなに甘くないものに決まったのは、それからさらに三十分ほど経ってからだった。





あたりに立ち込めているのは、甘い匂いとほのかな果物の匂い。
聞こえてくるのは何か作業をする音。
卵を割る音、生地をかき混ぜる音、板チョコをざくざくと刻む音。
楽しそうな声や慌てる声、さまざまな音が聞こえてくる。
一部、爆発音やら何かが割れるような音も混じっていたが。



「ねぇネルちゃん、クレープの生地ってどうやって薄く伸ばすの?」



隣にいる、大きな瞳で見上げてくる彼女の質問に答え、時には手伝ったりしながら自分の作業を進める。
正直な話、自分の作業をする時間よりも他人の作業を手伝う時間のほうが多かったけど、気にはならない。
頼りにしてもらえるのは嬉しいし、自分の作業だってそう時間のかかるものではいし。
…時間のかかるものでは、ないんだけど。
ないはず、なんだけど。



「…? ネルちゃん、どうしたの? さっきからムズカシイ顔して」



言われてはっとなる。
どうやら考えていた事が顔に出ていたようだった。
なんでもないよ、と返して作業を進める。



「…ねぇねぇネルちゃん、やっぱあたしに教えるのってツマラナイ?」
「え?」
「だってさっきからなんだか上の空だし…あたし邪魔になってるかなぁって思ってさ」



子供ながらになかなかの洞察力を持った彼女が不安げにそう聞いてくる。
違うよ。
上の空だった自覚はあるけれど、それは決して嫌だったわけでも邪魔だったわけでもないから。



「そんなことはないよ」
「でも、さっきからなんかぼぉっとしてない?」
「…あー、うん」



まぁ、慣れないことをしてるってのもあるんだけどさ。
お菓子作って誰かに渡すなんて初めてで、ガラにもなく緊張しちゃって。
そのお陰でちょっと変な態度取っちゃったみたいだね、ごめん。



まな板の上に板チョコを載せ、包丁でざくざくと刻みながら。
そう、正直に答えたら。



「…ネルちゃんってかっわいー!」



黄色い声をあげて抱きつかれ、持った包丁で危うく動脈を切るところだった。





「うーん…」
「あら、どうかしましたか?」



あの後、凄い勢いで謝ってくる小さな彼女をなだめて、他の材料を取りに行った。
チョコに混ぜるお酒を選んでいたら、偶然金髪の彼女に鉢合わせした。



「ちょっとね。チョコに入れるお酒を選んでるんだけど、どれにしようか迷っちゃってね」
「そうでしたか。奇遇ですね、私も丁度それを取りに来たんです」
「あぁ、そうだったんだ。で、どれを使うんだい?」
「これですよ」



そう言って金髪の彼女が手に取ったのは、豪快で大柄の金髪の彼が飲んでいた酒と同じような種類の物だった。
なるほどな、と納得していると、彼女は楽しそうに口を開く。



「ネルさんは何をお作りになるんですか?」
「生チョコ、っていうやつだよ」
「そうですか…。私はブランデーケーキですよ」



あぁ、金髪の彼が好きそうなお菓子だな。
そう思っていると、彼女が手元を覗き込んできた。



「どれと、どれで悩んでらっしゃるんですか?」
「えーと、この…ラム酒ってのと、普通のブランデー」
「あぁ、なるほど。どちらも確かに生チョコに合いますね」
「そうらしいね。…で、どっちにしようかと」



二つの瓶を手にとって、何度も見比べながらまた迷う。
さっき少し味見してみたけど、どちらもそうは変わらないみたいで。
でも、お酒はチョコの風味に関わる大事な材料だから慎重に選べとあの雑誌にも書いてあった。
それなら一番適切なものを書いておいてくれたっていいじゃないかと思うが、そこまで贅沢は言えない。
でも、最初見た雑誌とさっき見た甘さ控えめ特集の雑誌で、入れるお酒の種類が違うってどうなんだろう。しかも両方風味が云々後味が云々とそれなりに納得できる理由が書いてあるのだから困る。
どちらを入れたほうが美味しくなるか、かれこれ十分ほど迷っていた。



「それだけ迷ったのなら、どちらを選んでもそれなりに美味しいものが出来上がると思いますよ」
「そうかねぇ…」
「ええ。どちらでも喜んでもらえますよ。きっと」


決まるといいですね、と言って彼女はまた作業に戻っていった。
それからまたしばらく迷って、結局ブランデーを選んだ。





生クリームと溶かしたチョコレートを混ぜたものに、ブランデーを加えて。
ラップをかけたバットに流し込む。
それを冷やして固めて、ちゃんと固まったら次は小さく切り分けなければならない。
…んだけど。



「…。なんで包丁にひっついちまうんだろう」



すぱすぱと切れるのかと思いきや、固めたチョコは包丁にくっついて切りにくい。
切れても、包丁にくっついたまま離れない。
無理にとれば形も崩れるし、かといってこのまま切るのも大変だし。
手で押さえようにも直接触るのは気が引けるし、ラップ越しに押さえても手の体温でせっかく固めたチョコが溶けるし。
そんなことを考えながら試行錯誤していると。



「包丁を温めると上手く切れますよ」



そんな声が聞こえ、振り向く。
チョコレート色の生地の入った、丸くて底の深い型を持った茶髪の彼女が立っていた。



「そうなのかい?」
「はい。この雑誌には書いてないみたいですけど、私はいつもそうしてますよ」



このメンバーの中で一番料理の上手い彼女の言うことなのだから、間違いはないだろう。
そう思って、包丁を軽く火の上にかざして温めてみる。
改めてもう一度切ってみると、熱を持ったお陰で先ほどまで引っ付いていたチョコが溶けて、すとん、とすんなり包丁が入った。



「あ、本当だね」
「でしょう?」
「ありがとう、お陰で助かったよ」



これでなんとかなりそうだ。
本当に助かったのでそうお礼を言うと、彼女はにこりと微笑んで答える。



「いえいえ。私もこれ知るまでは試行錯誤の連続でしたよ」
「だろうね。普通気づかないだろうし」
「ですよねー。でも、そうやって試行錯誤して頑張って作った物が美味しかったり上手くいったりすると、すごく嬉しいですよね」



そう言って微笑む彼女も、今まで失敗や間違いを繰り返してきたらしく。
そうでなければそれだけ料理上手にはなれないんだろうな、と思った。



「それにですね、そうやって頑張って作った物を美味しいって言ってもらえると、作って良かったなぁって思えますし」
「ふふ。そうだね」
「食べてくれた人が、美味しい、って言って笑ってくれるのがすごく嬉しいんです。だから頑張れるのかもしれませんね」



幸せそうに言う彼女の台詞に頷いて。
それぞれの作業に戻る。





固めたチョコを切って。
ココアをまぶして。
とりあえずは、完成。



問題は、中身。
自分で味見した分には、まぁまぁの味だったけど。



さて、あいつはなんて言うか。



…別にあいつだけにあげるわけじゃないのに、あいつがどう思うか、という事が一番に気になるあたりがまたなんとも。





他の皆も完成したようで、それぞれ好きなようにラッピングを始めている。
貰ったリボンと包装紙で、小さめに切った生チョコ達を包んでシンプルに包装する。
これは、他の皆用。
"あいつ"以外の、お世話になっている仲間たちにあげる物だ。
同じように、小さな包みを合計八つ作る。
最後に、少し大きめに切った生チョコを、これまた少し大きめの箱に多めに入れる。
崩れないように注意しながら、さっきよりも慎重に並べる。
ラッピングはどうしようかと考えて。あまり派手なのも趣味じゃないだろうし、やっぱり同じようにシンプルに包装した。
あいつのことだ、ごちゃごちゃと飾り付けても喜びはしないだろう。



お世話になっている仲間達に、一つ一つ手渡して。



彼の部屋へ行って。
ノックして中に入って。
ソファに座っている彼の隣に座って。



少し、緊張しながら。



「はい」



そう言って、黒と金の変な頭のあいつの眼前に、包みを押し付けるように出した。





「んあ?」



間の抜けた生返事が返ってきて、続いて不思議そうに表情が変わる。
数秒後、彼の不思議そうな表情が納得したような表情に変わった。



「あー…そういや今日だったな、バレンなんとかっつー行事」
「バレンタイン、だよ。それくらいちゃんと覚えなよ、前ソフィアとフェイトが事細かに説明してくれたってのに」
「んなこと覚えたってしょうがねぇだろ」



んなこと、だと?
こっちの苦労も知らないで、まったく。
そう思って少しむっとしたが、なんとか表情に出さずにもう一度包みを出した。



「まぁ、あんたにも不本意ながらも世話になってるしね。あげてもバチは当たらないだろうし。ほら」
「しょうがねぇから貰ってやるよ」
「何それ偉そうに」



態度は横柄だったが、とりあえず受け取ってくれたことに少し安心する。
さて。問題はこれからだ。



彼は受け取ってすぐ、包みをひょいひょいはがして箱を取り出している。
そんな彼を見ながら、少し俯き加減につぶやく。



「…あのさ」
「なんだよ」
「…味は保障しないからね」
「はぁ?」



味見は一応した。十分すぎるくらい、途中何度もした。
でも。こいつの口に合うかどうかは、また別問題だ。



「形はまともじゃねぇか」
「失礼だねあんた」
「味は保障しないとか言ってやがったから、どんなモンが出てくるかと思ったぜ」



そんな軽口を叩きながら。
彼はひとつ、生チョコを摘み上げる。
口を開けて、ひょいっと放り投げるように入れた。
そのままもぐもぐと口を動かしている。





「…。変な味とかしないかい?」



恐る恐る問いかける。
何故か、心臓の音がうるさい。
何と言われるか不安でしょうがない。
不味いって言われたらどうしよう。





「あぁ。美味い」



彼はそんな私の様子を気にした様子もなく、さらりと言った。
瞬間、肩の荷が下りたように力が抜けた。
同時に安堵感がこみ上げてきて。
私は思わず反射的に口を開いた。



「…本当!?」
「んな嘘ついてどうする」
「…っ、良かった…」
「…お前、味見してねぇのか?」
「したよ。したけど…あんたと私じゃ味の好みも違うし、口に合わなかったらどうしようかって思って…」
「相変わらず変なところで心配性だなお前は」



呆れたようにそう言われる。
ということは、口には合ってくれたらしい。



結構なペースで口にチョコを投げるように入れている彼を見ながら、我知らず微笑む。
心底安心してため息をついた。
苦労した甲斐は、あったようだ。





「ねぇ、本当に美味しい?」



すでに二つ目に手をつけている彼に、確認するようにもう一度問いかける。
彼は怪訝そうに、半眼になって言った。



「しつこいなお前も」
「…だって不安だったんだからしょうがないじゃないか。お菓子作って誰かにあげたことなんてなかったし」
「不安、ねぇ…」



彼はそう言って。
また口の中にチョコを放り入れる。



「それ生チョコっていうんだけど、結構繊細なお菓子で作る時も気を遣―――」



変なところで言葉が途切れたのは。
目の前に彼の顔があったから。
慣れた感触が唇に触れる。
と同時に、口内に押し込まれる甘いもの。
それは口の中に入ってすぐに、とろりと溶けた。





「変な味するか?」



顔が離れて開口一番、彼が言った。



「…。ううん」



完全な不意打ちを食らって、顔を赤くしながら答える。



「…不味くはねぇだろ?心配性」



彼は面白そうににやりと笑って、言う。





あ。





"食べてくれた人が、美味しい、って言って笑ってくれるのがすごく嬉しいんです。だから頑張れるのかもしれませんね"



少し前に、茶髪の少女が幸せそうに言った台詞が、頭をよぎった。





そうだね。





私が。



悩んで、
緊張して、
迷って、
試行錯誤したのは。



全部、
この、意地悪い、でも楽しそうで嬉しそうで、幸せそうな。





この笑顔を見たかったから、なのかもしれない。



例えそれが、意地悪い笑みでも。
それでも。





たかがお菓子作りでここまで試行錯誤したのは、多分生まれて初めてなんじゃないか、と思う。
もうこんな思いをするのは勘弁願いたい、と。
思ったけど。
でも、



「…もう余ってねぇのか?」
「え、うわ速っ!もう全部食べ終えたのかい!?」
「質問に答えろよ。もうねぇのか」
「…あるよ。あるにはある」
「じゃそれも寄越せ」
「…何で。あんた十分食べただろう」
「もっと食いたい」
「…まったく、しょうがないね」





…来年も、作ってみようかな。



ソファから立って、余っているチョコを取りに行きながら。
そんなことを、思った。