夢を見た。 あいつが出てくる夢。 そこには彼と私、二人しかいなかった。 彼は私に背を向けて、立っていた。 私は彼に声をかけた。 今となっては、何を言ったか覚えていないけど。 その声に反応したのか、彼がこちらを振り向いた。 恐ろしいほどに冷え切った、冷涼な瞳をしていた。 思わず、ぞくりと背筋が冷える。 彼は口を開いた。 ―――寄るな こう、聞こえた。 Tricksters はっ、と赤毛の彼女は目を覚ます。 視界に入ってきたのは、部屋の天井。 そこは昨日泊まった宿屋の一室だった。 むくり、と起き上がる。 「夢…」 なんだ。 よかった。 無性にそう思ってしまう自分に、少し驚く。 「待ってー!!」 隣から甲高い声が聞こえて、思わずびくりと肩を震わせる。 「待ってフェイト、そっち行っちゃだめ!そっちには巨大人食いかぼちゃが―――!」 続いて聞こえてきた声に、思い切り脱力する。 横を見ると、ベッドで寝たままなにやら険しい顔つきで唸っているソフィアがいた。 …寝言? 「えっ、ちょっと、何する気!?そんなへっぽこなスリッパで戦う気!?せめて出刃包丁のほうが、えっフェイト、フェイトぉー!?」 とうとう寝言を言いながらぼろぼろと涙を流し始めたソフィアを、慌てて起こした。 肩を掴んで軽く揺すると、ソフィアははっとなってぱちりと目を開ける。 「イヤ――――出た――――人食いトマト――――!!!」 「誰がだいっ!」 思わず言い返すと、ソフィアはようやく我に返る。 「え、あ、ネルさん?」 「おはよう、ソフィア」 朝っぱらからよくわからない寝言を叫んでいたソフィアは、心底安心したようにへなへなと肩を落とす。 「うぅ、夢かぁ…はぁぁ〜良かったぁ」 「物騒な夢、見てたみたいだね。寝言言ってたよ?」 「あ、すみませんっ、うるさかったですか?」 「いや、大丈夫だよ。気にしないで」 そう答えると、ソフィアは涙に濡れた頬をごしごし擦って起き上がる。 まだ夢を引きずっているのか暗い顔の彼女を見ながら、背伸びをした。 「あんたこそ大丈夫かい?ずいぶんとうなされてたみたいだけど」 「うぅ、だいじょぶです。…フェイトが、巨大かぼちゃに食べられちゃう夢見て…」 巨大かぼちゃ?なんだそれ。 そう思ったが、言わずにおく。 「ほんとにフェイトが死んじゃったかと思って…。あぁ、夢で良かった…」 「ふぅん…。私も、ちょっと今日は夢見が悪かったよ」 「え?」 大きな瞳で見上げられる。 …言わないほうが良かったか。 そう思うが、もう遅い。 「どんな夢、だったんですか?」 伺うように問いかけられる。 …さて、なんと答えようか。 「…うーん、まぁ、とにかく悪い夢」 ソフィアはそれで納得したようで、そうだったんですかーお互い幸先悪いですねーとか言っている。 そうだね、と答えて、その会話は終わった。 「ネルさん、今日の朝ごはんはクリフの姿焼きですよ」 「はぁ?」 朝食の時、先に来ていたフェイトに爽やかにそう言われる。 怪訝そうな顔をしていると、一緒に来たソフィアがあはははと笑い出した。 「今日はエイプリルフールっていって、嘘をついてもいい日なんですよー」 「なんだいそれは?」 「うーんと、起源は知らないんですけど、とにかく罪のない嘘ならいくらでもついていい日なんです」 だからさっきのは本気にしないでくださいね、とフェイトが笑う。 さっきの…あぁ、クリフの姿焼きとかいうのか。 「…変な風習だね」 「風習、というか行事ですかね、これは」 一日限定ですし、と付け足すフェイトは、その一日をどうやって楽しもうか考えているようだった。 「まぁ、楽しむのも程々にしなよ」 苦笑して、そう釘を刺しておく。 フェイトははーい、と元気よく返事して、自分の席についた。 …一騒動起きそうな気がするな。 そんな事を思いながら、今日の料理当番は自分だったな、と思って厨房に向かう。 「あっクリフー、ミラージュさんが、またディプロからお酒くすねましたね、許しませんよって怒ってたよ?」 「な、なにィ!?何でバレたんだ!?」 「え、嘘、本当に?エイプリルフールだから嘘言ったのに」 「…クリフ?今のは本当ですか」 「あ、いや…!」 …そんな会話と、数秒後に聞こえてくる鈍い打撃音に、思わず笑う。 朝一番から夢見が悪かった割に、中々に楽しい一日になりそうだな、と思った。 それから。 「ネルちゃん大変、アルベルちゃんの尻尾が三本になっちゃってるの!」 「おねいさまー、実はオイラハタチなんですよー」 「ネルさん、本当に台所にかぼちゃのお化けが出たんですー!」 「ねぇ、クリフがボロ雑巾みたいになってゴミ箱に捨ててあったんだけど、どうすればいいと思う?」 愉快な仲間たちは面白おかしい嘘を何度も吐いてくれて。(一部、嘘では片付けられなさそうなリアルなことを言われたが) 一緒に笑ってまた嘘を言い合って、気分は上向いてきたのだけど。 …でも。 「…ネルさん、なんか元気ないですよ?」 そう言われて、はっとなる。 …やっぱり。 「そうかい?大丈夫、なんともないよ」 そう答えて、いつも通り笑う。 …あぁ、こういう時いつも、私は嘘つきだ。 まぁ、今日は罪のない嘘は許されるって日らしいし、丁度いいか。 「そうですか…なら、いいんですけど」 ソフィアはそう言って、でもまだ心配しているのか気遣わしげな表情でこちらを見た後、またマリアやスフレと談笑し始めた。 その様子に、とりあえず誤魔化せたかな、と安心する。 余計な心配はかけさせたくない。 個性の強い癖に、何かと心配性で鋭い人間が多いから。 こういう時、"嘘をついてもいい日"を作った誰かの気持ちが、なんとなくわかる気がする。 その日でなくても、嘘をついてばかりの人間だって沢山いるから。 一年のうち一日くらい、罪の意識も気にせずに嘘をついていい日があってもいいんじゃないかって。 …まぁ、もちろん、この日を作った誰かが、そう考えていたかどうかは知らないけど。 「そろそろ出発の時間ね、準備しましょ。…あ、一応言っておくけど、これは嘘じゃないからね」 マリアがそう言って、他の皆が思い思いの返事を返して準備を始める。 今日はスフィア社に修行に行くって言ってたから、確かに準備は万全でないといけない。 足を引っ張ってはいけないな、と私もすぐに準備を始めた。 「ふぅ、みんなお疲れー。でも、今日はお金がないから野宿ね!」 「「ええぇっ!!」」 「あははは、嘘だよ、嘘」 レベル上げを終えた後も、バレバレの嘘をつくフェイトとそれにいちいちひっかかって反応するスフレやロジャーのお陰で、皆の雰囲気は明るかった。 それに合わせるように軽く笑う。 「…なぁ」 そんな中、低い声が耳に届く。 振り返ると、冗談みたいだけど冗談じゃないような髪型と格好をした男がいる。 「なんだい」 「今日はまたなんかくだらん行事でもあんのか?朝っぱらからいろいろ言われたが」 「え、知らなかったのかい」 …こういうことを真っ先に教えそうなものなのに。 少し変に思いながら、答える。 「今日は地球の暦ではエイプリルフールっていう日で、嘘をついてもいい日らしいよ」 「はぁ?なんだその意味不明な行事」 「私に言わないでよ」 彼は憮然とした表情で、でも妙に納得したような素振りだった。 気になったので問いかける。 「なんて嘘つかれたんだい?」 「…言わん」 「…そう?言わないと今日の夕飯抜きにするよ」 「あぁ?」 思ったとおり、ちゃんと反応する彼が少し面白い。 「嘘だよ」 笑いながら答える。 …やっぱり、たまにはこんな日があっても面白いかもしれない。 「ネルさん大変、クリフが風呂場で滑って転んで水面ダイヴして溺れて虫の息であります!」 「…はいはい」 風呂から出た直後、息もつかずにそう言ってくるフェイトに苦笑して答える。 まったく、嘘ついてもいい日とはいえ、よくそれだけぽんぽんと嘘が出てくるな、と少し感心する。 そんな事を思いながら髪を拭きながら部屋に戻る。 がちゃり、とドアを開けると、何故か部屋の中ソファーの上でまったりしている黒尽くめの男がいた。 「…」 ぱたん。またドアを閉める。 おかしい、ここは私の部屋じゃなかったっけ、そう思っていると中から声がかかる。 「何一回開けてまたドア閉めてんだよ、入るなら入れ」 そう言われて、まぁこの際どっちでもいいや、と開き直ってまたドアを開ける。 彼が寝転がって図々しく占領しているソファーの空いている所に腰掛ける。 「ところでなんであんたがここにいるんだい」 「? ここは俺の部屋じゃねぇのか」 「えぇ?私の部屋じゃないのかい?」 互いに同じことを訊きあい、ある事に気づく。 「…フェイトの奴、図ったね」 「嘘だった、と」 苦笑してため息をつく。 まぁ、部屋を頼んでいた時ちゃんと人数分あったから、きっと個室は人数分とってあるんだろうけど。 「多分他に部屋があるんだろうね。フェイトに訊いてくるよ」 そう言って、また立ち上がろうとする。 「待てよ」 下から睨み付けるように見上げられ、言われる。 「なんだい」 立ったまま、見下ろして聞き返す。 …次に言われた言葉は、意外だった。 「なんかあったのか」 一瞬、ぎくりとする。 バレてたのか。 やっぱり、普段ぼんやりしているのに意外に鋭い彼には隠せなかったか。 逃げ通せる自信もなく、大人しくまた座った。 ふぅ、と一息ついて、口を開く。 「―――夢を、見たんだ」 信じられないくらい冷たい瞳のあんたが、寄るなと吐き捨てて。 え? 聞き返したら。 うぜぇな、話かけんじゃねぇよ 言われて思わず、目を見開いた。 彼ははん、と鼻で笑って、言った。 近寄るな、と言っただろう お前と同じ場所になんかいたかねぇんだ、阿呆 言われた言葉は冷たく無機質で感情がこもっていない。 どうしてだろう。 ひどく、悲しい。 彼は私を一瞥して、また笑った。 嘲るような、蔑むような。 冷たい笑みだった。 そのままくるりと踵を返し、彼はどこかへと歩いて行った。 追いかけようとして、体が動かなくて、どうしようもなくなる。 彼の背中が見えなくなりそうになって、それでも体は動かない。 「…声も出なくて、どうしようもなくて」 「…」 「体は動かないし、呼び止めることもできなくて」 「…」 「そこで、目は覚めたんだけど…あまりにもリアルすぎてさ」 「…」 「ちょっと、気にしてただけ」 「…そうか」 今まで黙っていた彼が、ここでようやく口を開いた。 「阿呆」 「…はっ?」 唐突に言われて、思わず聞き返した。 「何夢なんぞを気にしてんだよ、阿呆」 「…まぁ、そうなんだけどさ。言っただろう?あまりにもリアルだったって」 そう、反論するように答える。 彼はソファーから身を起こし、こちらを見て言う。 「お前は夢と現実、夢の方を信じるのかよ」 「いや、そういうわけじゃないけど」 「だったら夢なんぞ気にすんな」 言いながら、彼の手が私の頬に伸びた。 彼の骨ばった大きな手が、包み込むように頬に触れる。 彼は私の目を見たまま、いつものにやりとした意地悪い笑みを浮かべて、 「俺はお前を拒絶しない」 当然のように言い放つ。 あまりにもあっさりと言われて、拍子抜けした。 どうしよう。 嘘でもなんでもなく、無性に嬉しい。 「…それは、"嘘"?それとも"本当"?」 「阿呆か、自分で考えろ」 「自惚れるよ?」 「自惚れてろよ。自惚れじゃ、ねぇから」 そんな。 嘘で済ませたくないような台詞を、ぽんぽんと言うから。 …やっぱり、嘘をついてもいい日なんて、なくてもいいかな。 ややこしいから。 そんなことを思う。 カチリ、と時計の針が動く微かな音が聞こえて。 ふと、時計を見やる。 時計の針が指し示している時刻は、今日が終わる五分前。 いつの間にこんな時間になったんだろう、と少し驚く。 「…もうすぐ、嘘ついてもいい日が終わるねぇ」 「俺にとってはどうでもいいことだがな」 「それはそうだろうけど」 「お前、いつも嘘がつけねぇ馬鹿正直な性格してんだから、今日くらい何か嘘吐いたらどうだ」 「別に、無理して嘘をつく必要もないだろうに」 あと、今日が終わるまで三分。 「そういえばさっき言ったじゃないか、夕飯抜きって」 「あれはすぐに嘘だってバラしただろ。つまんねぇ」 「…妙にこだわるねぇ」 「別に」 あと、一分。 「ほら、あとちょっとだよ。あんたこそ何か嘘言ったら?」 「…実は俺のこの髪は付け毛だ」 「嘘!?」 「嘘だよ阿呆、何信じてんだ」 「…いや、なんかあまりにも信憑性があって…」 「なんだそれは」 あと、三十秒くらい。 「次、お前の番」 「なに、絶対に嘘つかなきゃいけないのかい?」 「別にそうとは言ってねぇだろ」 「そう聞こえたよ」 あと、十秒。 「ねぇ」 「あ?」 「…こういう行事に便乗するのって、悪いと思う?」 「はぁ?」 彼が、何か答える前に。 手を伸ばして。 彼の首にしがみつくように、耳元に顔を寄せて。 「大嫌い」 同時に時計の針が、カチリと動いた。 一年に一度の、"嘘をついてもいい日"が終わる。 「…おい」 低い声で彼が言う。 「何?」 笑って答えてやる。 「今の、どっちだ」 「何が?」 はぐらかすように、答える。 「嘘か?」 「さぁ、どうだろうね?」 「答えろよ阿呆」 「自分で考えたらどうだい?」 そんなこと。 聞かなくてもわかってるくせに。 「…自惚れるぞ」 「自惚れていいよ」 私はいつだって嘘つきだから。 直接的な言葉なんて言ってやらない。 あの、夢のように。 突き放されて拒絶されても。 嫌い、と言われても。 嘘つき、って。 自信持って言えるくらい素直になれるまで。 私はずっと嘘をつき続けるんだろう。 いいや。 相手も相手で嘘つきだし。 「私はあんたなんか大嫌いだからね」 「奇遇だな、俺もお前は嫌いだ」 「…嘘つき、って言っていいのかい?」 「お前もだろ」 嘘つきな彼が本当に私を拒絶するまで。 自惚れておこう。 おまけ兼次の日のお話。 「なぁソフィア、昨日夢見が悪かったって言ってたよな」 「うん」 「良かったじゃないか」 「何で!?嫌な夢見たのがなんで良いのよ!」 「うぁ、怒るなよ。何かの本で読んだんだけど、エイプリルフールに見た夢は逆夢で、逆のことが起こるんだってさ」 「え、そうだったの?」 「うん。だから夢見が悪かったんなら、喜んでいいと思うけど」 「そっかぁ…なーんだ、そうだったんだ」 「よかったですね、ネルさん。夢見、悪かったんでしょ?」 「…うん。本当に良かった」 「ならネルさーん、そろそろ教えてくださいよー夢の内容」 「…秘密だよ。それより、あんたも夢見悪かったんだろ?よかったじゃないか」 「そーなんですよ、フェイトがかぼちゃに食い殺される夢見ちゃってもーどうしようかと」 「…ちょっと待って。逆のことが起こるってことは、フェイトは死なないってことだよね」 「…。…ってことは、フェイトって…不死身!?」 「…うわ、有り得るだけに逆に怖いね」 |