「…何それ」 とある宿屋の廊下で。 いつもマイペースなフェイトが、珍しいことに不思議そうな顔をしている。 不思議そうなフェイトの視線は、ソフィアの抱えているあるモノに向けられていた。 それは、緑色で、トゲがたくさんついていて、丸っこい植物のようなものだった。 サボテン 「ん、これ?いいでしょ、ネルさんに貰ったんだv」 笑顔でそう返すソフィアは、抱えている二つの緑色のモノを大事そうにフェイトに見せる。 フェイトが見たことのないそれは、見たところ植木鉢の土の中にちょこんと座っている緑色をした妙な物。 何だか丸っこくてトゲが何本もついている。 フェイトの目にはそう映った。 「…植物なのか?それ」 「うん。エリクールにある花で"サボテン"っていうらしいよ」 屈託のない顔をしてソフィアは嬉しそうに笑う。 「…ちょっと待った。今、花って言わなかった?」 「うん、言ったよ」 「これ、もしかして巨大な蕾?」 「違うよ、これは茎みたいなものなんだって。一生懸命世話すると花が咲くんだよ、ってネルさん言ってたもん」 「ふーん…?」 まだ怪訝そうな顔をしているが、興味津々といった風にサボテンを見ているフェイトに、ソフィアははい、と言って持っていた二つのサボテンのうち一つを渡した。 「え?」 「二個あるから、フェイトに一個あげるよ」 「僕、植物の世話したりするのあんまり好きじゃないんだけどなー…」 「大丈夫だよ。これ元は砂漠の植物で、めったなことじゃ枯れないらしいから。だから、はい!」 ソフィアはにこにこしながらフェイトにサボテンを渡そうとしている。 フェイトはしぶしぶと言ったように受け取った。 密かに腹黒王子と称されているフェイトといえども、ソフィアにそう言われては従うしかないようだった。 「まぁ、一応受け取るけど。枯れたりしても怒るなよ。努力はするけど」 「うん。私も枯らさないようにがんばるから!」 ソフィアはそう言ってから、じゃあね!と言ってフェイトを追い越し、自分の部屋にパタパタと走っていった。 その楽しそうな後ろ姿を見送って、フェイトは手元の植木鉢を見やる。 「…さて、どうしようか、これ」 フェイトはそうぼやいて、思わず受け取ってしまった緑色の物体を置くために部屋に向かった。 部屋に戻ってみたものの、フェイトは花の、しかもこんなどこに花が咲くのかわからないような代物の育て方なんて知らない。 とりあえず窓際の日が当たるところに置いてみる。 「…やっぱり、ソフィアにもう少し詳しく聞いてこよう」 フェイトは素人考えで下手なことをするよりも、少しは育て方くらい知っているだろうソフィアに訊きに行くことにした。 廊下を歩いてソフィアに割り当てられている部屋まで行き、ノックをして中に入る。 「あれ、フェイト?どうしたの?」 そこには椅子に座っているソフィアがいた。 座っている椅子の前に先ほどのサボテンが置いてある。 「なぁソフィア、この…えーと、サボテンだったっけ?って、どうやって育てればいいんだい?」 「えっとね、水はあんまりいらないらしいよ。あまりやりすぎると腐っちゃうんだって」 「ふーん、結構楽なもんだな」 花を育てるには水や肥料をやったりして結構面倒だと思っていたフェイトは感心したように言った。 「それとね、話しかけるといいんだってさ」 「は?」 フェイトは思わず間の抜けた声を出す。 「だから、サボテンに名前つけて毎日話しかけるの。そうすればいつかちゃんと花が咲くんだって」 「何それ。植物に話しかけてもわからないんじゃないか?」 「だってサボテンには感情があるってネルさん言ってたよ。本当に人間の喜怒哀楽がわかったりするんだって。すごいよねー」 「えー…」 信じられない、といった表情をしているフェイトに、ソフィアは頬をふくらませてそっぽを向いた。 「あ、信じてないでしょ。ネルさんが言ったんだから、きっと本当に感情があるんだよ。ねー、ふぇいと?」 ソフィアはテーブルの上に置いてある自分のサボテンに向かってそう言った。 「…ちょっと待て。今それに向かって何て言った?」 フェイトがソフィアのサボテンを指して少々上ずった声で問いかけた。 「え?だから、"ふぇいと"だよ。ちゃんと花咲いてほしいから名前つけたの」 「だからって何で僕の名前つけるんだよ」 「えー?いいじゃない。そうすれば、ちゃんと花が咲いてくれる気がしたんだもん」 ソフィアはまた"ふぇいと"に向かって、咲いてくれるよねー?と可愛らしく話しかけている。 「…へぇー…」 フェイトは呆れたような顔でそんなソフィアを見ていた。 「…じゃあ、僕はこの辺で戻るから。またねソフィア」 取りあえず用は済んだと言わんばかりに、フェイトはそう言ってソフィアの部屋を出て行った。 いつもならこんなにすぐに帰ったりはしないのに、とソフィアは少し驚く。 「え、うん。またねー」 とりあえずそう言って見送ってから、ソフィアはまたサボテンに向かって話しかけた。 「…あーぁ、やっぱり乗り気じゃないみたいだね」 ソフィアはぼやきながら、サボテンの棘をちょんとつつく。 まぁ、サボテンを見たこともない様子だったから、しょうがないと言えばそれまでなんだけど。 「あなたの片割れ、すぐに枯れちゃわないといいんだけど」 ソフィアはテーブルに突っ伏してはぁ、とため息を漏らした。 その日。 フェイトは何故か機嫌が悪かった。 それを隠そうともせずに周りと接しているものだから、いつもはけ口になっているクリフは案の定八つ当たりを食らっていたりした。 たまたま廊下で会った、いつになく黒いオーラを発しているフェイトの様子にソフィアは首をかしげる。 「ねぇフェイト、何か怒ってる?」 「別に」 フェイトは内心本気で機嫌が悪かったが、やはりフェイトらしいというか爽やか黒仕様笑顔を変えないまま答えた。 「嘘、さっきからずーっとこっち向いてくれないじゃない!」 「なんでもないよ」 フェイトはやっぱりソフィアとは目を合わせずにそう言った。 「…なによ、そんなに私と一緒にいるのが嫌なの?それならもう行くよ、バイバイ!」 ソフィアはそう言い残してつかつかと廊下を歩き出した。そのまま自分の部屋に向かう。 「ふんだ、いいよいいよ!ふぇいとに慰めてもらうもん!」 はたから見れば、フェイトとケンカしたのに何故フェイトに慰めてもらうんだ?とツッコミが入りそうな独り言を言いながらソフィアは歩いていた。 幸い、近くに人はいなかったので何も言われなかったが。 まわりから見ればもうこれは日常茶飯事で、どんなにひどい大喧嘩をしても結局一日も経てば仲直りしているのだ。 機嫌の悪そうなソフィアを遠巻きに見た者もいたが、誰も気に止めなかった。 「フェイトってばいっつもそうなんだから!」 ソフィアは怒りながらも少し悲しく感じていた。 結局、いくら幼馴染で長い付き合いといっても所詮は人間なのだ。 言葉にしなければ、言わなければわからない事だって山ほどある。 子供のときからそうだった。 フェイトは変なところで頑固で、自分が何故怒っているのかを中々言わずに喧嘩になる事が多かった。 何か嫌なことをしたのなら言ってくれればいいのに。 それとも、自分は言いたくもないほどひどいことをフェイトにしてしまったのだろうか? ぴたり。 ソフィアはそう考えた途端足が止まった。 もし、もしそうだとしたら。 自分が気づかないうちにフェイトにひどい仕打ちをしてしまい、それをすごく怒っていたとしたら。 …もう、今の関係に戻れないくらい仲が悪くなったりするかも… 一度悪い方向に考えてしまうともう止まらない。考えはどんどんソフィアにとって悪い方に行ってしまう。 ソフィアは回れ右をして、今来た方向へ向かって走り出した。 ばたん! ソフィアはノックもなしにフェイトの部屋のドアを開けた。 「え、ソフィア?」 さすがのフェイトも驚いて、ソフィアの方を見る。 ソフィアは今にも泣きそうな顔をしていて、フェイトはぎょっとして座っていたベッドから立ち上がった。 「どうし…」 どうしたんだよ?ど訊こうとしたフェイトの声は遮られた。 ソフィアがフェイトに飛びついてきたからだ。 「ねぇフェイト!教えて、私何かした?何か、フェイトに悪いことした?気分悪くなるような嫌なこと言った?ねぇっ!!」 たたみかけるように言われて、フェイトは唖然としている。 「わかんないよ…何でフェイトが怒ってるのかわかんない…」 俯いてそう言うソフィアに、フェイトははぁ、とため息を漏らして彼女の頭をぽんと叩いた。 「…ったく、何をそんなに落ち込んでるんだよ」 「だって!だってフェイト、何かものすごく怒ってたじゃない!もし、気づかないうちに私が何かひどいことしちゃったんならどうしようって思って…」 「…それは…お前が悪いんだろ」 少し言いにくそうに口を開いたフェイトに、ソフィアは自分がやっぱり何かしてしまったんだ、と落ち込む。 「あぁもぅ、そうじゃないって!」 表情が暗くなったソフィアにフェイトはとりあえずそう言った。 「…お前が…サボテンなんかにあんな笑顔見せるからだろ!?」 「は?」 「お前が僕以外の奴、しかも植物なんかに満開の笑顔見せるからじゃないか!僕が独占欲強いの知ってるだろ!?」 フェイトは少し頬を赤くしながらそう言い切った。 ソフィアはぽかんとしている。 「…嫉妬、してくれたの?」 「……そうだよ」 そっぽを向きながらフェイトはつぶやいた。 ソフィアは頬が緩むのを感じる。 「フェイト」 ソフィアは不器用で鈍感な彼の首に抱きついた。 「ねぇ、教えてあげようか。なんで、私がサボテンに笑顔を見せてたか」 「…なんだよ」 「"ふぇいと"を見ると、誰かさんを思い出すから、なんだよ?」 ソフィアの言葉を聞いて、フェイトは本日何度目かのため息をついた。 もう嫉妬して怒っていた気分はどこかへ言ってしまった。 「…お前には敵わないな」 「え?」 「…なんでも」 「何よそれ。…でも、嫉妬ならそうって言ってよね!私、とっても不安だったんだから!」 「言えるわけないだろ!」 「言ってよ!」 「嫌だ」 「じゃあまた私は不安になっちゃうじゃないっ!」 フェイトの頭に、さっきの泣きそうなソフィアの顔が浮かんだ。 確かに、また泣きそうにというか泣かれたら困る。 「…それは…悪かったと思うけど…」 「でも、言う気ないんでしょ」 「………」 その通りだったので、何も言えずにフェイトは黙る。 気まずげに視線を逸らしているフェイトを、ソフィアが不機嫌そうに見上げていた。 が、すぐに何かを思いついたような表情で手をぽんと勢い良く鳴らす。 「…わかった!フェイトもサボテンに私の名前つければいいんだよ!」 「はぁっ?何だって?」 急に突飛な事を言われ、フェイトは思わず聞き返す。 「だーかーら、フェイトがサボテンに私の名前つければ、おあいこでしょ?うわー名案!」 「だから、何でそうなるんだよ!」 「いいじゃない!」 「よくないだろ!」 一難去ってまた一難。 二人は仲良く口ゲンカを始めた。 夫婦喧嘩は犬も食わぬというが、この二人はどこまでも仲が良くてどこまでも平行線だ。 この微笑ましい口ゲンカは、フェイトが折れてしぶしぶサボテンに"そふぃあ"と名前をつけるまで終わらなかった。 一ヶ月後。 "ふぇいと"と"そふぃあ"には、仲良く可愛い花が咲きました。 |