放課後。 それは学校での生活が終わり、家へと帰ることの出来る解放された時間帯。 真っ直ぐに家へ帰る者もいれば、友達と談笑する者、部活後も自主的に練習する者もいる。 そんな中には、 「聞いてくださいよマリアさん!フェイトったらフェイトったら酷いんですよ!」 ―――そんな中には、相談事を誰かにしたり、愚痴を言ったりする者もいて。 そして相談事や愚痴を聞いたり、宥めたりする者も当然いるわけで。 窓から夕陽の光が差し込む夕暮れ、橙色に染まった静かな教室の中。 部活が終わって教室に戻ってきたマリアは、制服に着替える間もなく飛び込んできたソフィアに泣きつかれた。 エブリデイ・ラブリデイ 「…まず落ち着いて。ほら、ここ座って良いから」 マリアはとりあえずソフィアをなだめるように声をかけ、自分の席の前の椅子を指差す。 今は教室に誰もいないため、差し支えるものは誰一人とていない。 それを確認して、ソフィアは言われたとおり大人しく椅子を引く。 くるりと向きを変えてマリアの席と向かい合うように座り、ふぅ、とひとつため息をついた。 「それで、どうしたの?また何かあったのかしら」 制服に着替えるよりソフィアの話を先に聞いたほうが良いと判断したのか、部活のパーカーを着たままでマリアは自分の席に座った。 "また"と言うだけあって、ソフィアがマリアにこうやって突発的に押しかけて恋愛相談(?)をもちかけるのは、そう珍しいことではない。 今までもよく相談相手になっているので、慣れた口調でマリアは今日もソフィアに問いかけた。 「そうなんです、フェイトってば酷いんですよ!去年の誕生日に私があげたリストバンド、失くしたって!」 「…あぁ、去年あなたが散々迷って決めたプレゼント?」 「はい、お揃いのタオルと一緒になってた綺麗な色の…。ずっと大切にするって言ってくれたのに」 さっきまでの勢いはどこへいったのか、言っているうちに落ち込んできたようでソフィアが涙目になる。 マリアは苦笑しながら答えた。 「それはフェイトが悪いわね」 「…うぅ、フェイトにとっては、どうでもいいような物だったんですかね…」 机に突っ伏して黒い影を背負っているソフィアに、マリアは困ったように口を開く。 「そんなことないわ。…きっと気に入って毎日使ってたのよ。そうなれば失くす確率も増えてしまうわけだし」 「…そうでしょうか」 突っ伏していた顔をのろのろと上げ、ソフィアがマリアを見る。 マリアは微笑んで、また口を開く。 「ええ。だからそんなに落ち込むことないわ」 「………」 ソフィアはしばらく沈黙して、マリアの顔を見て。 「はい」 頷いて、笑う。 「ありがとうございました。…すっきりしました、マリアさんに話聴いてもらえて」 「どういたしまして。私は何もしてないけどね」 「そんなことないです、もしマリアさんに話聴いてもらってなかったら、ずっと一人でイライラしてましたから」 数分前教室に駆け込んできた時とは打って変わって、すっきりとした表情でソフィアが笑う。 「それは良かったわ」 「でも、すみません。いつも私、マリアさんに頼りっぱなしですね」 「もう、今更じゃない。誰にだって恋してれば悩みも出てくるし、誰かに相談したいような事だって出てくるわ。それで自然なのよ」 諭すように言うマリアを、ソフィアが感心したように見る。 「…マリアさんって、なんだかこういう恋の相談事に慣れてますね」 「それはあなたのお陰だと思うけど」 「でも、なんだかこう、いろんな場数を踏んでるような貫禄が」 「…何かしらそれ」 「もしかして、他の人にも相談されてるんですか?」 「いいえ?別にそんなことはないけど…」 「そうですか…。私は結構いろんな人に相談してるんですけどね、ネルさんとかミラージュさんとか…」 ソフィアがそこまで言って。ふと、思いついたようにつぶやく。 「…そういえば、ネルさんの恋愛沙汰の愚痴とか相談とかって、聞いたことありませんよね」 マリアも思い当たるふしがあったのか、すぐに頷く。 「そうね。…ネルとアルベルが付き合って、確か二年目?もっとかしら。とにかく、それだけ長い間付き合ってるのに、そういうのって聞いたことないわ」 「あ、マリアさんもですか?」 ソフィアがその答えに納得したようにマリアを見る。 今名前の出た二人、―――アルベルとネルは、校内でも有名な美男美女カップルで。 ケンカは絶えないし、見た目付き合っているようには見えないが、でもやっぱりお似合いで。 並んで歩けば誰もが無言で道をあけるような二人なのだけど。 「ていうか、二年以上ってことは私とフェイトよりも付き合ってる期間長いですよ」 「そう言われればそうね」 「でも、…普段あんまり、付き合ってるって感じ、しませんよね?」 「…そうよね」 言われて見れば、とマリアは思い返す。 本人達からそうだと言われているので、別に内密にするようなことでもないはずなのに。 「お二人とも家の方向同じなのに登校も下校も別々ですし」 「あ、でも去年までは一緒に帰ってたわよ?今は二人とも部活で忙しいからって別々が多いみたいだけど」 「でも、私だったらフェイトの部活が終わるまで待ってますよ」 「…そうよねぇ」 しかしあの二人の性格からして、相手を待たせるくらいなら先に帰れと言うかもしれない。 それはそれで相手の事を思ってのことだから、良いのかもしれないが。 「そういえば、お昼食べる時も別々だわ。ネルは大抵私達か、三個隣のクラスのクレアと食べてるもの」 「それは去年からずっと、ですか?」 「ええ。…ネルは照れ屋だからそうしたい気持ちも分からないでもないけど」 真面目ではきはきしていて頼りがいがあるが、照れ屋で周りに遠慮するネルの性格を思い出してマリアが言った。 それを聞いて、ソフィアもそういえば、と口を開く。 「……前廊下でお二人がすれ違うの見たんですけど、二人ともまったく無反応でした」 「……ネルが辞書忘れた時、アルベルのクラスには見向きもしないで素通りして、わざわざ少し離れたクラスのクレアに借りに行ってたわ」 思い返せば、恋人らしい振る舞いをしている彼らの記憶はカケラもなく。 「…本当にあのお二人、付き合ってるんですか?」 「…そのはずなんだけど…」 「そんなに素っ気無い付き合いで、寂しくないんでしょうかね?」 微妙に半信半疑になってきた二人は、揃って押し黙る。 しばらく沈黙が流れて。 「それとなーくさりげに確かめる方法とか、ないですかねぇ…」 「難しいわね…ネルのことだから、照れて話したがらないでしょうし」 ガラガラッ 「何を?」 座って話をしていた二人はびくぅと肩を跳ね上げた。 恐る恐る声のした方を見やる。 先程までまったく人気の無かったそこには、たったいま話題に上っていたネル本人が立っていた。 「ね、ネルさん!いつの間に…」 「今来たばかりだけど…」 「ど、こから聞いてた?私達の話」 「"話したがらない云々"しか聞こえなかったけど…。もしかして聞いちゃいけない話だったのかい?」 ネルが申し訳無さそうな顔をしたのを見て、二人は慌てて首を横に振る。 「い、いえそんなことないです。ちょっとびっくりしちゃって、ごめんなさい」 「いや、こちらこそ驚かしちゃったみたいで悪かったね」 ネルが扉を後ろ手で閉めながら教室に入ってくる。 「(これって…)」 「(もしかしてチャンスですかね?)」 マリアとソフィアは小声で呟く。 二人が先程まで話していた疑問を解決する良いチャンスかもしれない。 そう思ったマリアは、ロッカーから荷物を出しているネルに向かって口を開いた。 ねぇ、と問いかけようとしたところで開きかけたマリアの口は、ネルの制服のポケットの中から聞こえた小さな振動音で閉じられた。 「あ、ごめん」 ネルが制服の中から携帯を取り出す。 携帯を操作しているネルの動きを、マリアとソフィアは思わずじっと見たまま黙っていた。 ボタンを押す僅かな音だけが、放課後の教室に響く。 やがて音が止み、ネルは携帯をパチンと二つ折りに戻して机に置いた。 「あの、ネルさん。今のメールですよね?もしかしてアルベルさんからですか?」 探るようにソフィアが問いかけて、ネルが首を横に振る。 「いいや、クレアからだよ。…というか、どうしてアルベルの名前が出てきたんだい?」 「え、だってあなた達付き合ってるんでしょう?だったらそうかなって思っただけよ」 「…まぁ、そうだけど…。でも、あいつマメな性格じゃないからメールなんてほとんど来ないよ?こっちが三通書いて一通返事が来ればマシなほうだし」 「…へぇ、そうなの」 「ま、返事が来ないのはもう慣れちゃったんだけど」 「…」 ぼやくネルに、ソフィアは少し困ったように口を開いた。 「あの。ネルさんってアルベルさんと付き合ってるんですよね?」 伺うように、だが直球にソフィアが訊いた。 「? うん、一応。さっきマリアも言ってたじゃないか」 問われたネルはきょとんとしながら答える。 「でも、あんまり一緒にいるところ、見ない気がするんだけど」 「そう?まぁ、あいつもあんな性格だし、お互い人前でべたべたするの好きじゃないからね」 「………」 「…。寂しく、ありませんか?」 「え?」 ネルが思わず、ロッカーの荷物を取り出す手を止めた。 「さっき、マリアさんとも話してたんです。ネルさん、アルベルさんと付き合ってるのに結構素っ気無い間柄に見えるなって…」 「そうかな?」 「そう見えるわよ?例えばフェイトとソフィアの関係と比べたら一目瞭然じゃない」 「うーん…、まぁ、確かにね」 ネルが苦笑して、ソフィアとマリアに向き直る。 「寂しくないですか?」 ソフィアが尋ねた。 ネルは笑って、 「一般的に見たら、恋人には見えないかもしれないけど。でも私は、この関係が気に入ってるよ」 穏やかに、だがきっぱりと言い切ったネルを見て。 ソフィアがぽつんとつぶやいた。 「ネルさんってかっこいいですね…」 「…そ、そうかい?」 「そういう事って、中々言い切れないものよね…」 マリアも感慨深げに呟く。 「…でも、そんなに素っ気無い関係に見えたかい?私達」 不思議そうに問いかけたネルに、マリアとソフィアは同時に頷いた。 「見えたわよ。…というか、校内で一緒にいることなんて滅多にないじゃない」 「例えそれが学校内だけのことだとしても、やっぱりそれって寂しくないですか?」 「………」 ネルは困ったように笑って口を開く。 「そうだね。…まぁ、寂しくないって言ったら嘘になるけど」 言いながら、荷物を取り出し終えて。 教室を歩いて机の前に立って、次は教科書等を鞄に仕舞い始める。 「でもね、今日は珍しいことが起きたから、そうでもないかな」 「え?」 何ですか、とソフィアが問いかけようとした時、 ガラガラガラッ!! また教室の扉が開く音がして。 そしてまたマリアとソフィアの肩が跳ねた。 一人動じていなかったネルは、 「教室の扉くらい静かに開けな」 開いた扉に背を向けたままの状態でつぶやく。 「お前が遅ぇから迎えにきてやったんだ、感謝しろ」 扉を開けた張本人は、何食わぬ顔をしてそこに立っていた。 「…なんだか登場の仕方までそっくりですね」 「ある意味似たもの同士なのかもしれないわね」 マリアとソフィアはどこか論点のずれた会話を交わす。 「って、あれ?なんでアルベルさんがここに?」 「そうよ、部活は?」 事情の飲み込めない二人が首を傾げる。 答えたのはたった今教室の扉を開け放ったアルベルではなく、 「顧問のウォルター先生が腰痛めたらしくて、部活今日は珍しく早めに終わるんだってさ。…顧問の許可と監督無いと部活できないからね」 いつの間にかすべての荷物を纏め終えたネルだった。 「え、あ、もしかしてネルさん知ってました?」 目をぱちくりとさせながらソフィアが問う。 「うん。…じゃあね、私は帰るよ」 そう言ってネルは片手を振る。 「あ、はい、さようなら」 「また明日ね」 「うん、また明日」 ネルはまた手を軽く振って、マリアとソフィアにくるりと背を向けて教室の扉へ向かう。 扉にもたれて待っていたアルベルの隣に並んで、 「じゃ、行こうか」 ―――そう言って笑ったネルの笑顔が、あまりにも綺麗で。 事の成り行きをぼぉっと見ていたマリアとソフィアは、一瞬目を見開いた。 「………」 「………」 「…見ましたかマリアさん?」 「…ええ、見たわ」 「恋する乙女の笑顔でしたね…」 「恋する乙女の笑顔だったわね…」 なんだかんだ言って。 「素っ気無い関係だって思ってたけど…そうでもないみたいね」 「です、ね」 「アルベルもやるわね、あのタイミングで教室入ってくるなんて」 「ですよね。…それに、待ちきれなくて迎えに来た、ってことは、一刻も早く"ネルさんと一緒に"帰りたかったってことですよね」 「…意外に…私達の知らないところで、イチャついてるんじゃないかしら?あの二人」 「有り得ますねうんうんうん」 その夜。 リストバンド見つけたから許してくださいごめんなさいと電話してきたフェイトに。 「もういいよ、私もちょっと怒りすぎちゃったね。あ、でも、その代わりって言っちゃヘンだけどさ、クラスでのアルベルさんの様子教えてくれない?」 ソフィアはそう尋ねた。 「は?アルベル?なんで?」 「んー、ネルさんとどんな感じなのかなぁって思って。今日マリアさんとその事について話したんだ」 「ふーん…。んじゃ、ネルさんと一緒にいる時のアルベルの様子でいいの?」 「うん…って、え?学校でネルさんとアルベルさんが一緒にいる時なんてあるの?」 「結構あるぞ。朝とか。登校時間は別だけど、部活の朝練が終わったあといつも二人で来るし」 「…ふ、ふーん…他には?」 「え、うーん、これは一緒にいた出来事じゃないんだけど、弁当の中身おんなじだった、とか」 「えぇ?なんでフェイトが知ってるの」 「前、昼休みにマリアのとこ言った時ネルさんと弁当食べてたんだけど、そん時入ってたおかずと教室に戻ってから見たアルベルの弁当のおかず一緒だったから」 「……」 「あとはそーだなー、これ教室での話じゃないけど、帰りにスーパーの袋持って一緒に帰ってるの見た」 「…いつ見たの」 「おやつ買いにコンビニ行ったとき。だから時間的に多分夕飯の買出しじゃないかな」 「……」 「他にもいろいろあるぞー、クラスの連絡網でアルベルの家に電話したらネルさんが出たり」 「………」 「宿題一緒にやろうと思って家に行ったらやっぱりネルさんが、アルベルなら今風呂に入ってるよ、とか言いながら何事も無く出てきたり」 「ふぅん…」 「ところでソフィア、そんなこと訊くってことはネルさんとアルベルになんかあったのか?」 「ううん、ぜーんぜんまったくそんなことないから。教えてくれてありがと、じゃあまた明日ね」 素っ気無い、どころか。 「…めちゃくちゃらぶらぶじゃない」 ひとは、見かけに寄らない。 そんなことを思いながら、ソフィアはマリア宛に「発覚!衝撃の新事実!」と大げさな件名でメールの作成を始め。 たった今仕入れた、彼女曰くめちゃくちゃらぶらぶな二人の話を少しの曲解と多少の誇張を含めて嬉々として打ち込んだ。 次の日から、ソフィアとマリアが彼らを見る目が変わったのは言うまでもない。 |