そう、叫んだ瞬間。 リウナの心の中で、何かが音をたてて吹っ切れました。 どくん、とリウナの心臓が鳴ります。 胸のうちからなにかが込み上げてくるような感覚がして、リウナは思いました。 今なら――― ―――今なら! リウナが急に、グラオの寝ているベッドに駆け寄りました。 驚いて身を引いた人達に構わず、リウナは寝ているグラオにすっと手を伸ばして、叫びました。 「ヒーリング!」 リウナの、手から。 ぽわ、と淡い、けれども強い光がグラオを包みました。 「…っっ」 リウナが自分の手を、たった今淡い癒しの光を発した手のひらを、見つめます。 「―――回復魔法!?」 気づいた誰かが声を上げました。 周りの、見ているだけだった人も、ざわめきながらリウナの為した魔法に目を見張っていました。 ですが光が消えても、グラオの傷はまだ癒え切っていません。 リウナは手のひらから視線を外して、また叫びます。 「ヒーリング!」 また、一段と強い光が現れました。 リウナはまた同じように叫ぶように呪文を唱えます。 何度も何度も、グラオの周りを淡い光が包み込みました。 それでも目を開けないグラオを泣きそうな目で見ながら、またリウナは呪文を唱えます。 「!? やめろ!あまり施術を使いすぎると、精神力を使い果たして命の危険も―――」 「そんなことどうでもいい!」 グラオから、リウナの力の事を聞いていたアルゼイが慌てて止めようとします。 が、リウナはアルゼイに振り向きもせずにそう答えて、また呪文を唱えました。 それから、リウナが何回呪文を唱えたのか、誰もわからなくなるくらいの時間が経った時。 ぴくり、とグラオの眉が動きました。 「!」 気づいた誰かが、表情を変えました。 生気のない顔で目を閉じていたグラオの瞼が、ゆっくりと持ち上がって――― 紅い、夕焼けのような穏やかな瞳が、泣きそうな顔のリウナを映しました。 「…リウナ………?」 静かだった部屋に。 グラオの声が、聞こえました。 「………あ……」 瞬きを繰り返すリウナに、グラオは最初寝起きのようなすっとぼけた顔をしていましたが、 「…何、泣きそうな顔してんだよ?」 やがてリウナの顔に手を伸ばして頬に触れて、いつものように笑いました。 「………っ」 リウナはグラオに笑いかけようとして、でもそれをする前にベッドに覆い被さるようにくずおれました。 「!? リウナ?リウナ!おい、どうしたんだよ!」 グラオが慌ててがばりと上半身を起こします。 ゆさゆさとリウナの肩を揺さぶりますが、リウナは深い眠りについたように微動だにしません。 「おい!?アルゼイ、どういうことだ?何でリウナが―――」 グラオはそこでようやく、そこが病室で、自分はベッドに寝ていて、周りに何人もの人がいて自分を注目している事に気づきます。 同時に、自分はエアードラゴンに腹部を食いちぎられて瀕死の怪我を負ってここに担ぎ込まれた事も、理解しました。 「俺―――なんで…」 グラオは自分の包帯でぐるぐるに巻かれた腹部をさするように触ります。 自然治癒力だけではどうしようもなかったはずの大怪我が、綺麗に治っていました。 意識を失う寸前に感じた骨の折れる感触や、その直前急激に襲ってきた息苦しさや、身を引き裂くような激痛も、何も感じませんでした。 「ミリオンベル嬢が…怪我を癒す、魔法を…」 アルゼイの声に、グラオは呆然としながらベッドに突っ伏して深い眠りに落ちているリウナを見ました。 「…こいつが?」 アルゼイが頷きます。 「………」 グラオが、驚いた表情のままリウナを見つめていました。 「………どういう、こと」 ぽつり、と声が聞こえました。 声を出したのは、さっきまで散々リウナを罵っていた、女の子でした。 「どういうことよ…死女神じゃなかったの…?」 魂が抜けたように呆然と呟く女の子を、グラオがぎろりと睨みました。 「あぁ?」 半眼で睨んでくるグラオの表情が思いのほか険しくて、女の子はびくりと身を竦ませます。 「今お前、なんつった」 「あ…え、えっと…」 「…死女神、っつったな?リウナに」 静かな、だけどそれ故に威圧感のある声でグラオが言いました。 「お前も、見てたんじゃねぇのか。こいつがぶっ倒れるまで俺に魔法かけてくれたの」 「………」 「精神力が尽きるかもしれねぇのに構わずに俺の命を助けてくれたのは、誰でもないリウナだろうが!テメェら、それでもリウナの事を死女神だの悪魔だの言うつもりか!?外見や特殊な出生ってだけで今まで散々に言っておいて、まだ飽き足らねぇのかよ!」 そう叫んでからグラオはきっと顔を上げ、その場にいる全員に聞かせるように声を響かせます。 「…次、リウナに魔女だの死女神だの言ってみろ。即座に俺がぶった斬る」 低い声でした。 静かな声を発したグラオは、鋭い目をしてその場にいる全員を睨みつけていました。 それに反論したりする人は誰一人、いませんでした。 「しっかし、派手に切ったもんだ」 涼しい空気と温かい朝陽の光が差しこむリウナの家の庭。 丁寧に手入れされている心地よいその場所に、グラオが立っていました。 その手には―――髪の毛を切るために作られた、小さく薄いはさみが握られています。 「…うるさいなぁ。あの時はもう無我夢中で、不揃いにならないように切る余裕なんてなかったんだもん」 グラオの声に答えたのは、庭の芝生の上にある椅子に座っているリウナです。 リウナは首から下を照る照る坊主のように大きな白い布で巻いていました。 「それほど俺の事心配してたって事?」 グラオが笑いながら、しゃきしゃきと音を立ててはさみを動かします。 リウナはうっと詰まりながら、紅い瞳でグラオを見上げました。 「…さぁね?三日も前のことなんて忘れちゃった」 グラオが奇跡的に目を覚ました、あの後。 倒れたリウナが目覚めたのは、それから丸二日後の夕方でした。 二日分のご飯を流し込むように食べて、寝汗を流すためにシャワーを浴びて、一息ついて、またゆっくりと眠って。 そして今に至ります。 「…しかし、丸二日寝込むって…ふつー腹減って起きるもんじゃない?」 「あたしだって驚いてるんだよ?今までこんなに眠った事なかったから」 「そりゃそうだ」 笑いながら、グラオは水が入った霧吹きを持ってきて、何回か虚空に向けてレバーを引いて水が出る事を確かめます。 次にリウナの髪を、適当に取ってピンで留めていきます。 「…でも、やっぱりそれってさ、自分の精神力が切れるかもしれないのに、構わず俺の事助けてくれた、んだよな」 ぽつり、とグラオがつぶやいて。 その声に、茶化しや揶揄はまったく込められていなくて。 リウナは少し気恥ずかしさを感じながら、そっぽを向きました。 「…うん」 「そ、っか」 グラオは呟き、そして笑います。 「助けてくれてありがと。俺が生きてられるのは、リウナのお陰だ」 「………」 リウナは僅かに顔を赤くして、そして答えます。 「どういたしまして…」 「―――なぁ、リウナ」 「うん?」 「俺さ、ちょっと無事じゃなかったけど、死なずに帰ってこれたよな」 「………」 「死なずに済んだのはリウナのお陰だけど、でも、―――影が染まったのに、生きてるよな」 「………」 グラオはにこりと笑います。 リウナは真正面至近距離にあるグラオの顔を、前髪に遮られない紅い瞳でまっすぐ見ています。 「これで、俺の事、好きになってくれる?」 「……ばか」 リウナがくしゃりと笑います。 「なんだよバカって」 「バカだからばかって言ったのよ」 「だからなんで…」 言いながら、リウナの顔を見たグラオの目には。 「―――もう、取り消しって言われてもできないくらい、好きになっちゃったに決まってるじゃない」 そう、言って。 照れたように微笑むリウナが映りました。 「あー…。俺、今手元にはさみがあって、お前はさらに散髪ルックで体に布巻いてんの、すっげぇ残念」 「は?」 「いやいやなんでも」 「―――さ、そろそろ始めるか」 グラオが持っているはさみをまたしゃきしゃきと鳴らし、リウナの正面に回ります。 「変な風に切らないでね」 「大丈夫だって、俺を信じろ!」 そう言って豪快に笑うグラオに、リウナは怪訝そうな目を向けます。 「本当に?」 「うん。ただしリウナの髪構えるのが嬉しくて手元狂ったりするかも」 「えぇ!?」 「嘘嘘、そんなことするわけないじゃん」 グラオがからからと笑って、リウナは面白くなさそうに頬を膨らませます。 「冗談キツイよ」 「あはは、ごめんごめん。じゃー前髪整えっから、目ぇ閉じて。目に切った髪入ると痛いから」 そう言われて、リウナは素直に目を閉じます。 グラオは顔動かすなよ、と一言言って、リウナに一歩近づきました。 リウナは誰かに髪を切ってもらうのは物心ついてから初めてなので、少し緊張しながら目を閉じていました。 が、いつまで経ってもグラオが髪を切り出す気配がありません。 「?」 訝って、リウナが目を開けようとした時――― リウナの唇に、やわらかいものがあたりました。 「!?」 驚いてリウナが目を開けると、目の前に、今までにないくらい目の前にグラオの顔がありました。 少ししてから、突然の事で硬直しているリウナからグラオが離れます。 「な、なっ…」 顔を真っ赤にしてうろたえるリウナを面白そうに見つめて、グラオが言いました。 「だいすき」 「………」 リウナの顔が、またさらに真っ赤に染まりました。 「リウナは?」 「へ?」 真っ赤になっていた所為で間抜けな声を出してしまったリウナに、グラオがにっこり笑って首をちょん、と傾げます。 「リウナは何も言ってくんないの?」 「え…さ、さっき言ったじゃない」 「直接的な言葉が欲しいナー?」 「なっ…。………」 わくわくしているグラオの見ている前で、リウナは少し考え込みました。 いえ、少し、ではなく、かなり考え込みました。 「…いや、あのさ。無理に言わんでもいいから。…思った事そのまま言ってくれりゃ嬉しかったんだけどな」 そんなに言うのがイヤか、とグラオがちょっと落ち込みます。 リウナはくす、と笑って、口を開きました。 「じゃあ、思った事そのまま言うよ」 「お?―――おぉ」 「あたしの事、好きになってくれて…好きだ、って言ってくれて、ありがとう」 「あたしね、グラオに逢うまで、こんなに人を愛したいって思った事なんて、なかったよ」 「不思議だね…一生、誰かに好かれるとか、誰かを好きになるとか、無理だって、不可能だって思ってたのに」 「好きだ、って言ってもらえて…。あたしもそう思うことができるのって、こんなにも嬉しいことなんだね。本当にほんとに、嬉しい」 「あたしも、…グラオの事、だいすきだよ」 「………カンドウで泣きそうって言ったらリウナ俺の事情けねぇ男って笑う?」 「は?何大げさな事言ってんの」 「いや、マジで。今のキた。マジでキた」 「???」 「えーと。こんなナサケナイヤツですが、これからもよろしくお願いします」 急にグラオがぺこりと頭を下げました。 リウナは少し驚いて、でも嬉しそうに微笑んで。 「―――こちらこそ、よろしく」 ぺこりと頭を下げて。 お互い顔を上げて、笑いました。 真っ赤な花の咲き乱れる草原。 そこにひとつだけぽつんと佇む墓標の前、しゃがんでいた金髪の女の人が立ち上がりました。 「―――さ、そろそろ行くね。次はグラオのお墓に行かなきゃ」 そう言って金髪の女の人は、スカートについた土を払います。 「じゃあね、―――ネーベル」 呟いて、金髪の女の人がくるりと踵を返します。 「…俺より、先に彼の墓参りをすべきじゃないか?」 金髪の女の人の後ろから。 穏やかな、男の人の声がしました。 金髪の女の人が足を止めます。 「いいんだよ」 「あいつ、いつもそのことで拗ねて俺大変なんだけどな」 「…一番後回しにすれば、どれだけでも長居できるでしょう?時間を気にしなくてもいいから」 振り向かないままに言われた台詞に、墓標に座っている透明の体の、赤毛の男の人が微笑みます。 「…なるほどね。伝えておくよ」 「よろしく」 そう言って金髪の女の人は微笑んで。 そして歩き出しました。 金髪の女の人が紅い草原を後にして、次なるお墓へと向かった頃。 墓参りを終えた赤毛の女の人は、その町にある大きく美しい城に戻って、自分の部屋へと向かっていました。 自室に戻ると、かけていったはずの鍵が開いています。 「…まったく」 赤毛の女の人はため息をつきながら、がちゃりとノブを回します。 「何処行ってたんだ」 部屋の中から声が聞こえました。 見ると、黒と金の髪の男の人が、ソファにでんと座って我が物顔でくつろいでいました。 「…合鍵渡すんじゃなかったよ」 ぽつりと呟いた赤毛の女の人は、ため息をつきながら後ろ手でドアを閉めます。 ソファに座る彼の隣に自然な動作で座った彼女は、ふと先ほど会った金髪の女の人を思い出しました。 そして、同じような色の瞳を持つ隣の彼に目を向け、彼の紅い紅い瞳に視線を遣りました。 どうして彼女は、不吉な、嫌な色と言っていたのだろう。 こんなに綺麗なのに。 彼の紅い瞳を見つめながら、ぼーっとそんな事を考えていた彼女の視界に。 「…なんだよ」 不機嫌そうに表情を歪める彼の顔を映ります。 「ん?いや、ちょっとね」 「は?」 「あんたの瞳、綺麗だなって思って」 ―――綺麗な色だと、思いますよ。私はその色が好きですから それに… 私の大切な人の、瞳の色によく似てるんです 「…なんだよ、急に」 「ううん、なんでもないよ。ただ、あんたの瞳好きだなって思って」 「………お前今日なんかあったのか」 「あんたに似た色の瞳の人に会ってね」 「珍しいな、俺の眼の色に似てるヤツなんて」 「うん、私も少し驚いたよ。このシーハーツでも赤目って結構珍しいからね。まぁ、その人はシーハーツの人ではなかったみたいだけど」 「…。……まさかと思うが…そいつ、金髪の小柄な女じゃねぇだろうな」 「え?そうだけど、知り合い?」 「………」 「そういえばあんたに目の色よく似てたけど…妹?それか従姉妹?」 「………言っても信じねぇとは思うが…」 「なんだい?」 「俺の母親だ」 「………は?」 それはそれは素っ頓狂な声が、彼女の口から飛び出しました。 「は、は、はァ―――――!?えぇっえっえっ、でも、どう見たって私より年下か多く見積もっても同い年…」 「あいつ昔っから童顔で小柄で、年相応に見られねぇからな…姉ならまだしも俺の妹と間違えられた事、今まで何度もあんぞ」 「あ、あ、あの、ものすごく失礼とは思うんだけど、…お幾つ?」 「41歳」 「………手早かったんだねグラオ・ノックス」 「つっこむのそこかよ」 「ねぇ」 ようやく落ち着きを取り戻した彼女が言いました。 「あ?」 彼女の慌てぶりを面白そうに眺めていた彼が答えます。 「今度、…あんたの母さんに、会いに行ってもいいかな?」 「は?」 唐突な彼女の申し出に、彼が眉を顰めます。 彼女は少し照れながら、言いました。 「…あんたに、こんな綺麗な色の瞳を与えてくれた人に…もう一度会ってみたいんだ」 彼女が、彼の顔を見て。 愛おしそうに彼の瞳を見つめて、言いました。 そんな彼女に、少し気恥ずかしそうに視線を逸らしながら、彼が呟きます。 「…変なヤツだな。こんな瞳の色、気に入るなんざ」 「なんだい変って。別に変じゃないじゃないか」 「そうか?」 「そうだよ。私、あんたの瞳の色、」 そこで言葉を止めて、彼女はゆっくりと彼の顔に手を伸ばして。 そっと彼の瞳に手をかざして、彼の瞼を撫でるように閉じさせて。 「何して、」 訝る彼の瞼の上に、そっと唇を落としました。 少ししてから彼から離れ、彼女は照れくさそうに微笑みながら先ほどの台詞を続けます。 「好きだよ?」 彼は呆気に取られながらも、くく、と笑います。 「…。瞳の色だけか?」 その問いかけに、彼女もくす、と笑いながら、答えました。 「…。さぁ?で、あんたの母さんに会いたいんだけどって話はどうなったんだい」 「…会うだけじゃ済まねぇぞ、多分」 「え?」 「…。…ま、機会があったらな」 「うん。いつか、必ずだよ」 その、"いつか"がやってくるのは、そう遠くはなさそうです。 |