「…収まったみてぇだな、あっちの口喧嘩」
工房の中、少し離れたテーブルで作業している二人から聞こえてきていた口喧嘩に聞き耳を立てていたクリフが、ぽつりとそう呟いた。
「…そうですね。何やら鈍器で殴ったような音はしましたけど」
カスタードクリームが入った鍋をかき混ぜながら、冷静にミラージュがそう答える。
「いつもの事じゃないの。…まぁ、たまにフェイトの度が過ぎて怒ったソフィアが魔法を乱打することもあるけど」
スコーンの焼け具合を観察しながらマリアがそう反応を返す。
「それを心配してたんだっつーの」
「ところでクリフ、手が止まってますよ」
苦笑するクリフに、隣にいたミラージュがぽつりと告げた。
慌ててしゃかしゃかと生クリームをかき混ぜ始めるクリフを見て、ミラージュも自分の作業を再開した。
カスタードクリームになる予定の薄力粉やら牛乳やらの入った鍋をゆっくりかき混ぜているミラージュに、オーブンの前で焼き加減を見ていたマリアが声をかける。
「スコーンの生地が焼けてきたけど、もういいかしら?」
「時間は…そろそろですね。膨らんで、キツネ色に焼けていますか?」
「えっと、薄い褐色のことよね? ええ、大体そんな色に焼けてるわよ」
「では取り出していいですよ。落とさないように気をつけてくださいね」
「わかったわ」
そう返事をしてオーブンを開けるマリアに、クリフが声をかける。
「火傷すんなよ、かなり熱くなってんだからよ」
「わかってるわよ、もう。いつまでも子ども扱いなんだから」
きちんとオーブン皿取っ手を使いながら、少し不機嫌そうにマリアが答える。
クリフが器用にボウルを持ったまま肩をすくめた。
「子供扱い云々は関係なしに、お前料理の事に関すると途端に危なっかしくなるんだからよ」
「…しょうがないでしょ、ディプロでは料理なんてほとんど専用の機械で楽に作れたし、味付けだけで良かったんだもの」
慎重にオーブン皿を取り出しながら、マリアが面白くなさそうに答える。
「ですがそれは貴方にも言える事ではありませんか、クリフ?」
鍋をお玉でかき混ぜながらミラージュがそう聞き返し、クリフはあさっての方向を見ながら答えた。
「あー、まぁ、そうだな」
「まぁ、私も人の事を言えた義理ではないですが」
「あら、そんなことないでしょ。十分にこっちの道具を使いこなしてるじゃない」
「そうですか?」
そんな風に他愛もない会話をしながら、着々とお菓子作りが進行していって。
話題が途切れた時、ぽつり、とマリアが口を開いた。
「…そういえば、昔もこうやって三人で…いえ、あの時は他のディプロのメンバーも何人かいたけれど、とにかく皆でお菓子作った事、あったわよね」
マリアの呟きに、クリフとミラージュが一瞬手を止めた。
そしてふ、と笑い合い、口を開く。
「そうだな。ありゃ、誰かの誕生会の時だったか?」
「確かランカーの誕生日ですね。まだマリアがクォークに入りたての時期でしたっけ」
「ええ。…あの時は…いろいろハプニングもあったけど、楽しかったわね」
くす、と笑ってマリアがそう呟いて。
「はは、そうだな。あの時はまーすごかったよなぁ、マリアが小麦粉ひっくり返して部屋中真っ白になったり」
「そうですね。クリフがオーブンを爆破させたり、本当に色々ありましたよね」
「…痛いところついてくるな」
「事実を述べたまでですよ」
にっこりと笑ってそう切り返すミラージュと、苦笑せざるを得ないクリフのやりとりを見て。
マリアがくすりと笑って、微笑ましげにぽつりと口を開く。
「ほんっと、変わってないわよね、二人とも」
小さく呟かれたその台詞は、微笑ましくも少しシビアなやりとりを続けている二人には、どうやら聞こえてはいなかったようだけど。
マリアはどこか満足げに笑みを浮かべて、オーブンから取り出したスコーンをバスケットへと移した。



そんなマリアの背後で、それぞれに作業を進めながらも二人は会話を続けていたようで。
マリアが密かに聞き耳を立てていると、若干発展した話題が耳に入ってくる。
「…でもよ、あの時俺が作ったケーキは俺にしちゃ上出来だったろ?」
聞こえてきた会話に、マリアがびくりと固まった。
「あぁ、あの時の…。確かに見た目はちょっと不思議な形でしたけど、味はまぁまぁだったみたいですね」
「おう、自分で言うのもなんだが珍しくまともなもん作れたんだぜ。俺の料理の腕も捨てたもんじゃねぇだろ?」
「ふふ、そうですね。…まぁ、お菓子作りは真剣に取り組めば美味しくできあがるものですし」
「…オイ、それは普段の俺がてきとーに料理してるってことか?」
「あら、違いました?」
「…まぁ否定はしねーがよ…」
さらに続けられる会話にも、マリアは微動だにせず固まっていた。
「? どうかしましたか、マリア」
気づいたミラージュが声をかけると、マリアは慌てて振り返って返事を返す。
「あ、いえなんでもないの。ちょっとぼーっとしててね、気にしないで」
「…そうですか? でも、様子がいつもと違うように見えますけど」
不思議そうな顔をするミラージュを、マリアが無言でちょいちょい、と手招きして。
少し前に火を止めていた鍋を鍋敷きの上に載せてから傍に歩いてきたミラージュに、マリアが声を潜めながら口を開く。
「…あのね、さっき話題に上がってた、クリフが作った珍しく味はまともなケーキのことなんだけど…」
「? はい」
「あれね、私見た目で引いちゃってどうしても食べられなくて…。でもさすがに捨てるのは忍びなかったから、せめてと思って肥料にって部屋の観葉植物の土に埋めたんだけど」
「あら、そうだったんですか。言ってくださればこっそり処分したんですよ?」
「いえ、それはいいんだけど…。…その後ね、一晩経って見てみたら…。土が蛍光グリーンに変色してたのよ…」
「………」
「その時は見間違いだと思って放置したんだけど、今なんとなく思い出してね…」
マリアがそう言って苦笑する。
ミラージュはほんの少し何かを考えた後、すっと顔を上げて視線をクリフに向ける。
「クリフ。ホイップクリームを作る作業は私が代わりますので、あなたはクロワッサンの生地をこねる作業をしてくださいますか?」
「お? どうしたんだよ急に」
「作業の進行上、力仕事を先に終えていたほうがいいかと思いまして。残りの作業は私がやりますから、パン生地作りの方、お願いできます?」
「あぁ、まぁいいけどよ。これを混ぜる作業だって結構な力仕事じゃねぇか?」
「いえ、パンをこねるよりはマシですから。ではお願いしますね」
「おぅ、りょーかい」
傍から見る限りは普通の会話を交わし、上手い具合に役割分担が変わる。
そのやりとりを眺めていたマリアに、ミラージュはくるりと振り向きにこりと笑って、一言。
「皆さんの胃をゲテモノ色に染めるわけには行きませんから」



「…賢明な判断ね」
苦笑しながら呟いて、マリアはスコーンをバスケットに並べ終え、ミラージュの作業を手伝うべく砂糖やその他の調味料を棚から出した。
…その後、パン焼き作業に入ったクリフがオーブンを爆破させてやはり天国を見るのは、数十分後。

BACK