「わぁ、なんだかいい匂いがしてきたねぇロジャーちゃん」
「あー、パンの焼ける匂いっぽいな」
「香ばしくていい匂いだよね。あたしこの匂い結構好きなんだー」
「オイラもこの匂い好きだぜ。でもちょっと腹減ってくるのが困りモノじゃんよ」
「あははは、言えてるー。でも今日の匂いはなんだか香ばしいっていうよりビミョーに焦げ臭いね?」
「そだな、誰か失敗したのか?」
隣の部屋でクリフがオーブンを爆発させたとは露知らず、のほほんとした雰囲気でスフレとロジャーが会話していた。
「あたしが焼いたマフィンは上手く焼けてるかなぁ? マリアちゃんがスコーン焼き終わった後にオーブン借りたんだけど」
「焼き時間とかはどんなもんなんじゃん?」
「えっとねー…」
スフレはいつでも見られるようにすぐ傍に置いておいた料理の本を見る。
折り目がつけられ、さらに赤丸で印のつけられた場所を読んで、次に同じく手元に置いてあったクォッドスキャナーの時刻表示を見て、顔を上げる。
「オーブンに入れてから十分くらい経ったから、あと五分くらいかな。上手く焼けてるといいんだけど」
「様子見てきたほうがいーんじゃん? もし焦げてたらヒサンだぞ」
アイスクリームの材料である卵黄をボウルでしゃかしゃかと混ぜながら言ったロジャーの台詞に、スフレはふむ、と考えて。
「うーん、まだ大丈夫だと思うよ」
「そっか? でも珍しいじゃん、スフレ姉ちゃんがケーキとか焼く時って、いつも焼けるのまだかなまだかな〜ってオーブンの前に張り付いてた気がするじゃんよ」
ボウルの中にグラニュー糖をざらざらと入れながらロジャーがそう尋ねると、スフレは苦笑しながら口を開く。
「うん、あたしも最初はそうしよっかな〜って思ってたんだけどさ。オーブンの近くにいたマリアちゃんと、それとクリフちゃんとミラージュちゃんのフンイキが家族団欒、っていうかほのぼの家族〜って感じでね。邪魔しちゃ悪いかなって思って退散してきたんだ」
「あー、なるほど」
幼いながらも周りの雰囲気や人の感情を読み取るのが上手いスフレらしい、とロジャーが感心しながら納得した。
「ロジャーちゃんだってそうじゃないの?」
「ほへ?」
きょとんとするロジャーに、スフレはちらりと部屋の奥、隣室に続くドアを見やって。
「だって、ロジャーちゃん最初はネルちゃんがいるあっちの部屋で作業してたじゃない。なのに途中からわざわざこっちに来て作業してるんだもん」
「………」
ロジャーはむ、と表情を硬くして、一瞬無言になる。
スフレはまた苦笑いをしながら、もう一言呟いた。
「ネルちゃんのとこにアルベルちゃんがいたからでしょ? だからわざわざ部屋移動して来たんだよね」
無言のままにしゃかしゃかとボウルの中身をかき混ぜていたロジャーだったが、やがてはー、と大きくため息をついて。
「…ちぇー。お見通しかよ」
「あはは、やっぱり図星だった?」
「そーだよ。あーもーまったくあのバカチンプリン頭め、羨ましいったらありゃしないじゃんよ」
ぶつぶつと文句を言いながらも邪魔することなく大人しく退散してきたらしいロジャーを見て、スフレがにこりと笑って口を開く。
「オトナになったねぇ、ロジャーちゃん」
「は?」
「前ならアルベルちゃんにつっかかってたじゃない。でも今日は大人しく身を引いてきたんでしょ?」
「…。しょーがないじゃんよ、アイツと一緒にいる時のおねいさま、すっごく楽しそうに笑ってるし」
むすっとしながらも、それでもやはり多少なりとも落ち込んでいるロジャーに。
「もー、ロジャーちゃん元気出してよ! ほら、もうそろそろあたしのマフィンも焼ける頃だし、ロジャーちゃんに一番に食べさせてあげるからさ」
スフレが元気にそう声をかける。
「へ? 別にそんなことしなくても…」
「遠慮しない遠慮しない。ちょっと待っててね、今すぐ様子見てくるから。上手に焼けてたら持ってくるね!」
言うが早いがぱたぱたと隣室へ走っていってしまったスフレの後姿をぼんやり眺めて。
ロジャーは微かに苦笑して、でもどこか嬉しそうに。
「…さんきゅ」
ぽつりと、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。



しばらくして、ドアの向こうからパタパタと足音が聞こえてきて。
混ぜ合わせた材料を鍋に入れて火にかけ、慎重にかき混ぜていたロジャーがドアの方へと視線を向けた。
が、足音が止まっても、ドアが開けられる様子はない。
不思議に思ってロジャーが首を傾げると、ドアの向こうから焦ったようなスフレの声が聞こえてきた。
「ロジャーちゃーん、ごめん、両手塞がってるんだ、ドア開けて〜」
「あー、なるほど」
恐らくお盆か何かを両手で持っているのだろう、とロジャーは鍋の火を消し、踏み台から降りてドアの方へ向かう。
ドアを開けると、予想通り大きなお盆に何個かマフィンを載せたスフレが立っていた。
「ありがとー、助かったよ」
「どーいたしまして。焼き具合はどうだったじゃん?」
「えへへ、見て見てっ!」
にっこりと得意顔のスフレがお盆をテーブルに置いて、載っていたものをロジャーに見せる。
そこには皿に載った、こんがりと焼けた茶色のマフィン。
「おー! うまそうじゃんよ!」
「でしょでしょ〜!これは会心の出来ばえだよっ!」
にこにこ笑うスフレにつられてロジャーも破顔しながら、アイスクリーム作りを一時中断して――もう後は冷ますだけの段階に入っていたので問題はない――、置かれた皿の前の席に座る。
「これ、ほんとにオイラが食べていいじゃん?」
「うんっ、みんなにはナイショだよ?」
少しだけ声を潜めてスフレが片目を瞑る。
ロジャーはにかりと笑ってマフィンの型を剥がし、用意されていたフォークでゆっくりと刺す。ふわりとした感触がフォーク越しに伝わってきた。
「ほへー、ちゃんとふわふわに出来てるじゃん」
「えっへっへー、だから言ったでしょ?会心の出来ばえって」
「だな」
ロジャーはフォークでマフィンを一口大に切り分ける。その様子を見ながら、スフレが少し困ったように口を開く。
「あ、でもね…。ちょーっと失敗しちゃったとこもあるんだよね」
「へ?」
マフィンを口に運ぶ寸前で、ロジャーがきょとんと目を見張る。
「見た目なんだけどさー、」
「ん? 別に変なとこないじゃん」
そう答えて、ロジャーがぱくりとマフィンを頬張るのと、スフレが次の台詞を言ったタイミングは、同じだった。
「何でかなぁ? チョコレートとか紅茶とか入れてない、普通のプレーンのマフィンなのに、焼きあがってみたら茶色なんだよねー」



ロジャーがそのちょっとした異常に気づかなかったのは、クリフのオーブン爆破が原因で辺りに充満していた焦げ臭さに慣れてしまった所為で鼻が麻痺してしまっていたからかもしれない。
あるいは、いたってまともで感触も見栄えも良くさらに色も紅茶か何かが混ざっていればまったく違和感のない色をしていた所為なのかもしれない。
直接的な原因は、恐らくスフレのクォッドスキャナの調子が悪く、時刻表示が乱れていた所為なのだろう。
ともあれ、まったく気づかずに無防備に口に運んでしまった原因は、ロジャーの不注意の所為だけではなかったのだけど。
「ええ!? ろ、ロジャーちゃん、ロジャーちゃーんっ!」
ロジャーが派手な音をたてながら椅子ごとぶっ倒れて例に洩れず天国を見るのは、数秒後。

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