それはごく普通の、戦闘後の出来事だった。





「いいかげんにしな!さっきの戦闘でもがむしゃらに突っ込んでいって!回復役のこっちの身にもなってみなよ!」
「お前が勝手にしてるだけだろうが!」
「勝手に!?あんたに倒れられたら、蘇生役のソフィアに負担がかかるから仕方なく回復してやってるんじゃないか!」
「俺だって本当にヤバくなれば自力で回復できるだろうが!お前は心配性すぎなんだよ!」
「イエローゾーン入ってるのに心配して何が悪いのさ!?」
いつもいつもの事で巻き起こる口喧嘩。
その発端は彼からだったり、彼女からだったりで。
言い争っている内容はどーでもいいこととか、あるいは相手を心配して言われたこととか。
よくもまぁネタがつきないもんだと周りが感心するほど毎回繰り広げられるその光景は、いつもならどちらか(圧倒的に彼の割合が高いが)が折れて急にアッサリ終わってしまう。
だから周りにいる仲間達にとってはそれほど気にするような事ではなくて。
傍観するか、面白そうに見ているか、どちらが折れるか賭けているか今は様々な方法でそっと見守られている。
今回の口喧嘩も例に倣ってきっと彼が折れて(というか、言い合いに半ば面倒になって)終わるんだろうな、と思われた。
だが。
「うるっせぇよっ!」
雷でも落ちたかと思われるような彼の怒鳴り声が聞こえて、傍観していたあるいは気にせずにいた周りの仲間達は一瞬固まった。
その中の誰かが恐る恐る喧嘩中の二人を見ると、怒鳴った彼はかなり険しい顔つきで彼女を睨んでいて、怒鳴られた彼女はそんな彼の剣幕に驚いたのか目を見開いていた。
「あんたに…そんなこと言われる筋合いないよっ!」
目を見開いていた彼女は眉を吊り上げて、先ほどの彼と同じくらいの大声で言い返す。
「あぁ!?テメェの怪我も管理できねぇような奴に言われたかねぇよ!」
「それはあんたも同じじゃないか!」
お互い聞いた事のないような大声で。
ここまで酷い喧嘩になるのは初めてで、周りの仲間達はびくびくしながら内緒話をするように会話した。
「…なんかヤバくない?」
「お二人がこんなに怒ってるの初めて見た…こ、怖いよー…」
「ったく、あいつらも懲りねぇなぁ…言い合ってる内容は惚気としか聞こえねぇっつーのに」
「お互いがお互いを心配してるからなんでしょうけど…今回は大嵐になりそうね」
そんな会話を交わしている間も、かなりの大声での言い合いは止まっていなくて。
周りの四人はどうしようほっとこうかでも納まりそうにねぇよとりあえず止めてみる?とまたひそひそ言い合った。
そんな時に四人の耳に飛び込んできた、彼女の台詞。



「うるさいのはあんただろうっ!あんたの、…あんたの声なんかもう聞きたくないっ!」





辺りが一瞬しんとなって。
言われた彼も、何も言い返さなくて。
怒鳴った彼女は、それきり彼と目を合わせようとしなくなった。





「これは…思ったより大事になっちゃったね…」
呟いた台詞は誰のものだったのだろう。
恐らく、ここにい合わせた皆の心を代弁したかのような台詞。



「…冗談は程々にしないと、取り返しつかなくなるのになぁ…」
呟いたフェイトに、異論を唱える者は誰もいなかった。





冗談は.....





その後すぐに敵が現れて戦闘に入って、険悪だった二人も切り替えたかのように敵に向かって行って。
そんな二人を見て、あぁいつも通りだと仲間達も安心して、戦闘に参加していった。
そこで、あの大喧嘩は終焉を見たかと思われたのだが。



ところがやっぱりというかなんというか、このくらいでは終わりはしなかった。





また事が起こったのは、それから何回か戦闘を重ねた後。





「ふぅ、終わったねー」
「あー疲れた。さっきの敵はサイレンス使ってくるヤツだったから、紋章術使えなくて大変だったよ」
「…大変だったって言う割には、持ってる杖が血まみれでちょっと変形してる上、ソフィア自身は無傷じゃねぇか」
「怖い子ね…」
そんな会話が交わされるのもいつもの事。
「えっと、怪我した人はいませんかー?」
ようやくサイレンスが解けて、呪文が使えるようになった回復役のソフィアが辺りを見回す。
少し離れた場所にいたアルベルを見やる。彼は軽症こそ負っているものの、酷い怪我は見当たらなかった。
そんな彼の方から聞こえてくるのは、
「…一応言っておくけどね、あんたが倒れられたら"ソフィア"に迷惑がかかるから"仕方なく"やったんだからね」
先ほどの大喧嘩の主催者の片割れの、ぶっきらぼうな声。
もう片方の主催者は、何も答える事はない。
本当素直じゃないなぁお二人とも、とソフィアがそれを見ていると。
「……。………、…?」
アルベルの様子がおかしかった。
不自然に口をぱくぱく動かし、喉を押さえて不思議そうな顔をしている。
「? …あんたどうしたんだい」
さすがにネルも不自然に思ったのか、アルベルを覗き込む。
アルベルは口を動かすだけで、何も答えない。
「もしかして、サイレンス…?」
ソフィアがつぶやき、その声が聞こえたのかネルがソフィアの方を向いた。
「あぁ、そうか…だったら放っておけば勝手に治るね」
そう素っ気無く言って、早々にアルベルの傍から離れていく。
まだ怒ってるんだなぁ、と他の仲間達は遠巻きにそんな光景を眺めていた。
放置されたアルベルは眉をしかめて喉を押さえていた。
そんなに声が出ないのが嫌なのかとソフィアが杖を構えて、伺うように問いかける。
「アルベルさん、キュアコンディションしましょうか?」
ソフィアがそう言うと、アルベルはソフィアの方を見て首を横に振る。
声での意思疎通は出来ないが、肯定と否定と表すくらいなら首の動きだけで事足りる。
ソフィアはそれを見て、そうですか…とつぶやき他の皆に怪我がないか確かめている。
「まぁ、放っておけば治るよね」
フェイトが気楽にそう言って。
そこでその場は収まった。



だが。
アルベルの声は次の戦闘が終わっても、聞こえることはなかった。





「なんだか静かだとは思ってたけど…まだサイレンスの効果切れてないの?」
「ちょっと、おかしいんじゃないかなぁ…。サイレンスの効果って、一分くらいでしょ?」
さすがに不自然な事に気づいたのか、心配そうにアルベルの顔を覗き込んでくる二人。
当のアルベルは気にした様子もなく、いつも通りの顔をしている。
「こいつ普段から口数多くなかったし、戦闘中に呪文詠唱できないくらいの弊害で済んでるけどなぁ」
「でも意思伝達ができないとなると、日常生活に支障を来たすじゃない。これが続くようだったら、ディプロに連れて行ってちゃんと診てもらわないと…」
マリアが気遣わしげにアルベルの顔を見遣る。
アルベルはマリアの申し出に、緩く首を振って答えた。
「そう…」
「アルベル元からおしゃべりな方じゃないし、今も会話なんとか滞りなく成り立ってるし。まぁ、そこまで気にすることでもないんじゃないかな?」
フォローを入れるようにフェイトが言った。
その会話の間、ネルは一言も口を開かないままだった。
それに気づいたソフィアが、表情を険しくしながら僅かに声を潜める。
「…ネルさん、まだ怒ってるみたいだなぁ…いつもなら真っ先に心配ない素振り精一杯見せながらさりげに容態聞いてるのに」
「心配ない素振り精一杯、て…。ソフィア、君もしかして人間観察のプロ?」
「普通だよ〜。それはともかくとして、やっぱりネルさんもさっきの喧嘩が、……」
話の途中で急に黙り込み、はっとしたような顔つきでゆっくり瞬きを繰り返すソフィアに、フェイトが首を傾ぐ。
「どした?」
「…あのさ。もしかして、アルベルさんが声出なくなった原因…」
「え?…あ」



"…あんたの声なんかもう聞きたくないっ!"



「…まさかね。アルベルさんそんなに繊細そうに見えないし」
「うん、まさかな」
「そんな冗談みたいな漫画みたいな話、ないよね」
そんな会話が交わされた事は知らず、アルベルもネルも無言のまま、何事もなかったかのように普通の表情でいた。





しばらく移動を続けて、街について。
宿屋への道を歩いている最中、フェイトとソフィアがアルベルに近づいていって。
「アルベル〜声出るようになった?」
「アルベルさん、声の調子どうですか?」
先ほどから十分おきくらいの頻度で繰り返されているその質問に、アルベルはやはり緩く首を横に振る。
どこかうんざりした顔つきをしていたが、変化に乏しい彼の表情はそれほど変わっていない。
「やっぱりかぁ…うーん、さっきの敵に原因追及したいけど、もう倒しちゃったしなぁ」
「こんなことになるなんて思わなかったもんね…キュアコンディションも効かなかったし…」
困ったように会話を交わす二人を気にした風もなく、アルベルは至って普通の表情でただその場に立っている。
「とりあえず…はいこれ」
マリアがどこからか取り出した小さなメモ帳と鉛筆を見せる。
「筆談が一番手っ取り早いでしょ。あなたが普段口数少ないとはいえ、最低限意思の伝達手段は必要よ」
「そだな。こいつ字下手だけど」
「アルベルは丁寧に書けば上手だよ、クリフ。いつも殴り書きみたいに書くからそうは見えないけど」
「アルベルさん執筆苦手ですもんねー。殴り書きしてるのその所為ですか?」
からかうように言われ、アルベルはマリアからメモ帳と鉛筆を受け取りざかざか書きなぐるように何かを書く。
「"うるせぇよ"だってさ」
「やっぱり図星ですねふふふv」
にこにこするソフィアに言い返す(文字だが)気がなくなったか、アルベルはメモ帳と鉛筆を仕舞う。
マリアはさらに小型の機械を取り出す。
アルベルが疑問の視線を向けると、マリアは噛み砕くように説明を始めた。
「これ、メール機能もついてる通信機よ。まぁ、文字で離れた人と会話できる機械と思ってくれればいいわ。ほら、ここの小さいボタンで文字が入力できるの。もし、大声を出さなきゃならない状況とかになって困ったら使ってくれて構わないわ」
そう言って渡された小さな機械を、アルベルは渋々受け取る。
「ま、早く治ってその機械を扱う必要がなくなれば、一番いいんだがな」
よくわかんねぇがとっとと治せよ、と肩を叩いてくるクリフを、余計な世話だ、と言わんばかりに軽く睨んで。
アルベルはすたすたと宿屋へ向かって歩いていく。
「…素直じゃないんだから」
呆れたようにつぶやくマリアに、クリフがいつもの事だろ、と気にした風もなく返す。
そんな光景を、ネルは無言で眺めていた。
心なしか、イライラした表情で。





「…あんたさ。人の好意も素直に受け取れないの?」
宿屋に着いて、別行動になって。
割り当てられた部屋にすぐ向かったアルベルに、ネルがトーンの低い声でそう告げた。
アルベルの部屋のすぐ傍の廊下で、距離の開いた状態でネルの声が続く。
「素直じゃないのを通り越して頑なで苛つくんだよ、あんた見てると。他の皆はあんたの事心配していろいろ声をかけてくれてるのに、それを突っぱねる様な気配を隠そうともしてないだろう」
アルベルはネルの言葉を聞いて苛立ったようで、半眼でネルを睨む。
「ほら、その表情だよ。…別に私はあんたを心配して言ってるわけじゃないからどうとも思わないけど。他の皆は違うだろう。人が心配してくれるのを素直に受け取る事もできないくらい、あんたの心は狭量なのかい」
アルベルはネルの言葉に何も反応を見せずに、数歩歩いてドアに手を掛け、開けて中に入った。
ネルはますます苛立って、それを追ってアルベルの部屋に入る。
「聞いてるの?」
「……」
アルベルはどこからかメモ帳を取り出し、手早く書いた文章をネルに突き出した。
"聞いてる"
簡潔な一言だけが、白い紙に映し出される。
「なら。これからあんな態度見せるんじゃないよ。まったく、何でこんな面倒なことになったんだか…」
何気なく呟いたネルは、アルベルの表情が変わったのを見て目を見開く。
心なしか、怒っている表情だった。
苛々しているのとは、また違った表情。
アルベルは無言のまま、またメモ帳に何か書いている。
見せられた紙面に書かれた文字は、



"お前は俺の声を聞きたかないんだろう?俺にだって原因は解らねぇが、だったら好都合じゃねぇか"



見て、ネルの脳裏に先ほどの大喧嘩の時の光景が蘇る。



あんたの声なんかもう聞きたくない



自分は確かにそう言い放った。





「―――…っ」
思わずネルは言葉に詰まって。
またアルベルは鉛筆を進めて何かを書きネルに見せる。
"まぁ、別にお前を気遣う気なんてこれっぽっちもねぇけどな。別に声が出なくとも会話はできるし、お前が好都合ならこのままでもいいのかもな"
紙に書かれた文章だけでは。
アルベルが軽い冗談めいた口調で言っているのか、それとも本気で怒ってそう言っているのか。
ネルには解らなかった。





歯がゆくて、ネルが目を伏せる。
「…気遣う?私にそんな事する必要なんてないだろう?あんたが気遣うとかって言うと気色悪いよ」
意に反した、言いたい事と違う言葉が口から出る。





そんな事を言いたいんじゃないのに。
さっきの言葉は売り言葉に買い言葉で、必要以上に過剰な表現をしてしまっただけなのに。





余計な意地が邪魔をして。
そんな簡単な言葉が言えなかった。





「まぁ、あんたに気遣うなんて言葉似合わないしね」
そうネルがぽつりと告げて、アルベルがまた何かを書く。
"うるせぇよ"
ぴくりとネルが反応して。
「…。そう」
軽く俯いて言葉を続ける。
「そうだよね。私の声、うるさいんだったよね。さっきも凄い剣幕でそう言ってたしね」
アルベルの動きが止まる。
彼としては、いつもの軽い言葉の応酬の流れに沿って答えたつもりだったようで。



そんなつもりで言ったんじゃねぇよ!



そう答えようとしても。
声は出ない。





「あんたも私の声なんか、聞きたくないだろう?だったら出てくよ」
そう呟き、ネルはすぐ傍のドアをがちゃりと開ける。
アルベルは呼び止めようとして、声が出ないことに改めて気づく。
立ち上がり、近づいてネルの腕を掴む。
「…何?」
そう訊かれて。



うるさい、っつぅ言葉くらい、いつも言ってんじゃねぇか!
そんな事で落ち込んだ顔すんな、阿呆が!
お前の声が聞きたくないなんて、一言も俺は言ってねぇだろう!




「………」
沈黙するしかない自分に、無性に腹が立った。





「用がないなら私は行くよ」
そう一言残して、ネルは部屋を出て行く。
アルベルは無言で、それを見ていた。





ネルは自分の部屋へ向かって歩きながら、ひっきりなしにため息をついていた。
また喧嘩した。
あんな事が言いたいわけじゃないのに。
軽い自己嫌悪に苛まれながら、またネルはため息をつく。
と、廊下の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。
それはマリアで、耳元のディプロ直結の通信機で会話しながら歩いている。
「どうしたんだい?」
マリアが通信機を使用しながら歩いているなんて珍しい。
と思いながら、会話が途切れた頃合を見計らってネルが声をかける。
「あら、ネル。実は、さっき通信機でアルベルに呼ばれてね」
「…え?」
何で?と思ったのが顔に出ていたのだろう。
ネルが何か訊く前に、マリアが答えた。
「何かあったのかと思ったら、急に
"声が出ないと物凄く不便になった。星の船で解析、とやらは今すぐできんのか?"
とかメールしてきたのよ」
「………。それって、いつ?」
「たった今よ。変な話よね、さっきまで不便だなんて一言も言ってなかったのに」
そうぼやいているうちに、ディプロから通信が入る。
「あ、ちょっとごめんなさいね」
ネルに一言断りを入れて、マリアは耳元の通信機のスイッチを押した。
「お待たせしました、リーダー。今すぐにでも転送収容可能です」
「わかったわ、じゃあ五分後にお願い」
「了解しました」
通信が切れて、マリアがネルに向き直る。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ。すぐに帰ってくるから」
「あぁ…」
「じゃあね」
そう言ってアルベルの部屋に向かっていくマリアの背中を見つめながら。





…たった今?
まさか…さっきの…



「………」
気にしているのだろうか。



先に酷い事を言ったのは。
素直になれなくて意に反した言葉を言ったのは。
…謝らなきゃいけないのは。
私なのに。



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