「あら、珍しいですね。先ほども、その花を花束にしてほしいと仰られたお客様がいらっしゃったんですよ」
シランドの街中、とある花屋さんで。
真っ赤な真っ赤な花を持った、花に負けないくらい真っ赤な真っ赤な髪の女の人は、そう言われてきょとんとしました。
確かに赤毛の女の人の持っている花は、お世辞にも花束にするのには向いていない色をしています。店員さんが珍しがったのも当然でしょう。
まるで血のように真っ赤で、誰かに贈り物にしたりすると嫌がられそうなちょっと怖い色です。
もちろん、お見舞いに持って行ったりするのにも向いていません。
だけど赤毛の女の人がそれを買ったのは、この色が好きだった人のお墓に供えるためでした。





赤毛の女の人は花束にしてもらった真っ赤な花を抱えて、森の中を歩いていました。
そこはシランドの街中から少し離れたところにある小さな森です。
あまり人に知られていないので、森を歩いても誰かと会うことはありませんでした。
重なるように集まっている木の葉の間から、太陽の光がきらきらと差し込んでいます。
今日は初夏の一日で気温はちょっと暑いくらいでしたが、涼しい風がそよそよと吹いていて暑さを弱めていてくれました。
女の人は滅多に人が通らない道を、ゆっくりと歩いていきました。
やがて、緑色と茶色しかない森に、違う色が混じり始めました。
女の人が目指す場所にある、紅い色でした。
そこにはやっぱりあまり人に知られてはいませんが、真っ赤な花が咲き乱れる真っ赤な草原がありました。
赤毛の女の人はその草原を目指して森の中を歩きます。
やがて森が開けて、女の人は真っ赤な草原に辿り着きました。
草原にぽつんとたたずむ、ひとつの墓標に向かって女の人は歩きます。
墓標の前に来て、しゃがみこんで、花束を置いて。
女の人は、目を閉じてしばらくそのまましゃがみこんで黙祷をしました。
しばらく経って、女の人は目を開きます。
「…次に来る時も、ちゃんと無事で元気な姿を見せるから。…心配しないでね、父さん」
優しい笑顔でそうつぶやいて。女の人は立ち上がりました。
お墓参りと呼ぶにはとても短い時間でしたが、女の人はくるりと踵を返して、また来た道を戻ろうとしました。



と、同時に。
女の人の、菫色の綺麗な瞳に、紅い草原以外のものが映りました。





それは人間で、金色の綺麗な髪をしていました。
女の人がさっきまで通ってきた、森の道の出口、つまりこの紅い草原の入り口に立っていました。
白いシャツの上に、黒い長いワンピースを着た女の人です。
その両腕には真っ赤な花束がありました。赤毛の女の人がたった今お墓に備えたきれいな花束と、まったく同じ花でした。
ここに、女の人のお父さんのお墓のあるこの場所に、他に人がいるのを見るのはとても珍しかったので、赤毛の女の人は相当に驚きました。
何せ、ここにお墓があるということを知っているのは、赤毛の女の人を含めてごく僅かの限られた人たちだったからです。
どうやってここの場所を知ったのか、そして彼女はいったい誰なのか。
赤毛の女の人にはさっぱりわかりませんでした。
金髪の女の人も、ここに先客がいたのを驚いたようで。きょとんとしています。
不思議そうな顔の赤毛の女の人と目が合いました。
金髪の女の人は、とても小柄でした。赤毛の女の人は普通の女の人よりも背は高めですが、それを差し引いても金髪の女の人は小柄に見えます。
それより赤毛の女の人の目を引いたのは、金髪の女の人の真っ赤な真っ赤な瞳でした。
まるで血のように鮮やかな紅い瞳です。
もし血を嫌う人が見たら、嫌がりそうなくらい血の色と似ています。
赤毛の女の人が仕えているこの国の女王様も赤目ですが、それよりもはるかに鮮やかで本物の血の色に近い紅です。
そして赤毛の女の人のよく知っている誰かさんの瞳の色と、よく似ていました。





「こんにちは」
赤毛の女の人と目が合った金髪の女の人は、そう言ってにっこりと笑いました。
まるで子供のような、とても無邪気な笑顔でした。
それにつられるようにして、赤毛の女の人も微笑みます。
「こんにちは」
そう挨拶を返すと、金髪の女の人は赤毛の女の人の傍にてくてくと歩いてきました。
「あなたも、ネーベルのお墓参りに来たの?」
そう問いかけてきた金髪の女の人に、赤毛の女の人は頷きました。
「ええ。貴女も?」
「うん。そうだよ」
言って、また金髪の女の人はにっこりと笑います。
その笑顔はとても無邪気で、まるで幼い少女のようでした。
血の色をした瞳の、こう言うとちょっと酷いですが不吉な雰囲気も、その笑顔でふっと消え去ってしまいました。
それに少しだけ安心して、赤毛の女の人は改めて金髪の女の人を眺めました。
金髪の女の人は、小柄で可愛らしい顔立ちをしていました。
十代の少女にも見えますが、落ち着き払った雰囲気や振る舞いからすると、もう少し大人な年齢かもしれません。
年齢がよくわからない女の人でした。
赤毛の女の人が無意識のうちに丁寧語を使ったのも、金髪の女の人の年齢がよくわからない不思議な雰囲気のせいかもしれません。
まぁとりあえず見たところ自分より下か、同じくらいの年であろう彼女が、自分の知る限り城の関係者でもないのにこの場所を知っていた事が気がかりで。
それと、自分のよく知っている彼によく似た瞳の色も気になって。
赤毛の女の人は失礼にならない程度に、金髪の女の人を見つめました。
紅い、血のような怖ろしくも美しい色の瞳が、視線を感じてゆるりと瞬きます。
金髪の女の人の赤い瞳と、赤毛の女の人の視線が合って、
「…どうしたの?」
金髪の女の人がにこりと微笑みました。
さきほどのような無邪気な笑みでしたが、どこか悲しそうな顔でした。
赤毛の女の人はそれを不思議に思いながらも、訊かれた事に答えるために口を開きました。
「…いえ、何も」
そう濁すと。
金髪の女の人の笑顔が、不自然に歪みました。
一瞬変わったその表情に気づいて、赤毛の女の人は何かまずいことをしてしまったかと少し焦ります。
「あの…」
何か言おうと口を開いた赤毛の彼女に、
「…やっぱり、瞳の色に驚いた?」
金髪の女の人が、遮るように呟きました。
「え?」
全然全く気にしていなかった事を言われて、赤毛の女の人がきょとんと目を見開きます。
「ごめんね…。変だし、不吉な色だもんね。嫌な思いしたのなら謝るよ」
赤毛の女の人は全然気にしていませんでしたが、金髪の女の人は血のような色の、真っ赤な瞳の事を気にしていたようで。
悲しそうに微笑んでそう言う姿に、赤毛の女の人は慌てて否定します。
「あ、いえ…違います」
「え?」
驚いたように金髪の女の人が顔を上げます。
「貴女の瞳の色が、嫌だったわけでありませんよ」
「…そう?だって、血の色だよ?嫌な色じゃない?」
「そうですか?私は素敵な色だと思いますよ」
赤毛の女の人が微笑みます。金髪の女の人は驚いて、赤毛の女の人の顔を見ました。
「………」
「素敵な、綺麗な色だと、思いますよ。確かに一般的に血の色はあまり好かれない色かもしれませんけれど。私は、その色が好きですよ」
赤毛の女の人は、驚いて固まった表情のままの金髪の女の人の瞳を真っ直ぐに見て。
「それに…」
また、ふわりと笑いました。
「私の大切な人の、瞳の色によく似てるんです」





「…ありがとう」
くしゃりと微笑んで、金髪の女の人が幸せそうに笑いました。
見た人がつられて幸せな気分になるような、そんな素敵な笑顔でした。
「?」
何故お礼を言われたのかがよくわからなくて、赤毛の女の人が首を傾げます。
金髪の女の人はそんな赤毛の女の人を見ながら、言いました。
「あたしの瞳の色、好きって言ってくれて。―――ありがとう」







それから、二言三言交わして。
赤毛の女の人は軽く頭を下げて、紅い草原に背を向けて帰路を歩いていきました。
その背中を手を軽く振って見送った金髪の女の人は、森に背を向けて紅い草原へ歩いていきました。
紅く咲き乱れている花達の間を通って、金髪の女の人がたったひとつそこにある墓標の前に来ました。
手に抱えていた花束を置いて、しゃがみこみます。
墓標に刻まれた、遠い昔にこの世を去ってしまった人の名前を見ながら、口を開きました。
「ネーベル。…あなたの娘さん、素敵な人に育ってくれたんだね?」
その草原にいるのは金髪の女の人ひとりですから、答えはもちろん返ってきません。
「あたしの瞳、綺麗だって、素敵な色だって言ってくれたよ」
金髪の女の人はまったく構わず、また口を開きました。
「…あなた達夫婦や、―――彼みたいにね」





それは、遠い遠い記憶。
金髪の女の人が、まだ少女と呼ばれるような幼い時の、辛くも優しい昔の事。





紅天女の癒し歌





むかしむかし。
ある、雪の舞い散るとても寒い町。
「…嫌です。放っておいてください」
「え?いいじゃん、ちょっとだけでいいから顔見せてよ」
「その長ーい前髪、ほんの少しどけてくれるだけでいいのよー」
「別に笑ったりしないよ。ねぇ?」
決して穏やかとは言い切れない雰囲気の女の子達が、一人の女の子を取り囲んで立っています。
囲まれているのは長い長い金髪を持つ女の子です。腰まである金髪がさらさら揺れてとても綺麗なのですが、何故かその子の顔の上半分は、長い前髪に覆われていました。
年はきっと十歳を過ぎたくらいで、白くて長いワンピースの上に黒のジャケットを着ている、とても小柄な女の子です。
その所為か、同年代のはずの周りの女の子と比べてとても小さく見えました。
そして肌の色がとても白く、小さな女の子をさらに線の細くか弱い風に見せていました。
「見たとしてもあなた達に得があるとは思えません」
金髪の女の子は淡々とした抑揚のない声で周りの女の子達に答えています。
それでもやめようとすることなく、周りの女の子達はくすくす笑いながらさらに言いました。
「そんなこといいんだって。あたし達、あなたが酷いこと言われてんの嫌でさー」
「そうそう、みんなあんたの事悪魔だとか魔女だとか、ひっどい事ばっか言ってるじゃない?だから違うって証明してあげようとしてんのよ」
「目の色がちょっと変わってるだけなんでしょ?だったら見せれるじゃない。ほら、魔女だの言われたくないんだったら見せなよ。隠してるから余計に言われるんだよ」
そう言って、一人の女の子が金髪の女の子の顔にすっと手を伸ばしました。
「―――…っ!」
その途端、金髪の女の子はびくりと肩を震わせ、過剰なほどに反応して身を引きました。
「…い、嫌と言ったら嫌です。あたし、もう行きますからっ」
そう早口で言い放って、金髪の女の子はくるりと背を向けてぱたぱた走っていきました。
白い雪の積もる地面に、彼女が走っていった足跡だけが残ります。
「…あーあ、逃がしちゃった。つまんないな」
「しかしあれだけ嫌がるなんてねー。実はすごいブスなんじゃないの?」
「だよね、目の色が変なんじゃなくて顔立ちからしてダメなんじゃない」
「ねー」



「…でも、あれだけ嫌がられると、余計見たくなるよね、素顔」



その場に残された女の子達は、笑いながらそんな話をひとしきりしてその場を立ち去りました。





「………かるーいイジメ?」
一部始終を何気なく見ていた誰かの声が、ぽつりと響きました。
その誰かは、外はね気味の茶髪を持った男の子でした。毛先だけ色素が抜けて薄い色になっている、珍しい髪の毛です。
髪の色だけではなく、瞳の色も珍しい色でした。夕日のような真っ赤な、でも温かみのある瞳の色をしていました。
茶髪の男の子は紅い目で訝しげに周りを見回します。
道を歩く大人も、近くで遊んでいる子供も、今の出来事に驚いた様子もありません。むしろ黙認しているような、見て見ぬフリをしているような、そんな雰囲気です。
それを見てますます不可解な顔をしながら、男の子はまた呟きます。
「…アーリグリフじゃあれが日常茶飯事なのか?」
物騒なもんだ。そんな事を思いながら、彼はくるりと踵を返して、その街の真ん中を通る道を歩いていきました。
向かう先には、厳つい印象を受ける大きなお城。
彼は雪をさくさく踏みしめながら、白い道を後にしました。





それからしばらく、正確にはずっと降り続いていた雪が数センチ積もるくらいの時間が経って。
さきほど城に入っていった茶髪の彼がお城の入り口から出てきました。
また元来た道を歩いていると、彼の視界に鮮やかな金色が一瞬だけ映りました。
この雪降る街では珍しい、でも見覚えのある色彩に、彼は足を止めました。金色が見えた方を、何気なく振り返ります。
そこには、
「放っておいてくださいと言っているでしょう!」
「いいからいいから、そんなウザい前髪切っちゃえばいいじゃない」
「その前髪で目が見えないから、魔女とか言われんじゃん。だったらあたしらが切ってあげるよ」
「親切で言ってるのに、なんで拒むかな?あんまり素っ気無いと友達失くすよー」
と、先程となんら変わりの無い顔ぶれの女の子達が、人気の無い路地裏で変わりの無い口論をしている現場でした。
またか、と彼が肩をすくめたとき、金髪の女の子を取り囲んでいる女の子達の一人の手元が、ぎらりと鋭く光りました。
銀色に光るその光を見て、彼の動きが止まります。



「ほら、じっとしててよ。顔に傷ついちゃったら嫌でしょ?」
そう言いながら笑う女の子の手には、銀色に鋭く光る、切れ味の良さそうなハサミが握られていました。
しゃきしゃき、と何度か音をたてて動かされるそれは、どう見ても女の子が言うような髪を切る為のハサミではありません。
布を裁つ時に使う、大きくて切れ味の良いハサミでした。もしも振り回したりしたら、立派に凶器です。
それを見た瞬間、彼は無言のまま早足で歩き出しました。向かう先はもちろん、イジメのような光景が繰り広げられている路地裏です。
彼は見ようによっては一触即発な雰囲気のその場に、ざくざくとわざとらしく雪を踏む足音を立てながら歩いていきます。
「やめろよ」
その声に反応して、金髪の女の子を取り囲む女の子達の一人が振り向きます。
近づいてきた彼の、思いのほか整った顔立ちに驚いたようですが、訝りながら女の子が口を開きます。
「…あんた誰よ」
「俺が誰かって事は今どうでもいいことだろ。そんなことより、寄ってたかって一人の女の子の髪切ってイジメんのか?アーリグリフも腐ったもんだ」
「別にイジメてたわけじゃないもん。親切でやってるのよ、ねー?」
わざとらしく笑顔を作って首を傾いだ女の子に、
「あたしはそれを親切とは微塵も思いません。むしろ余計なお世話です」
きっぱりと金髪の女の子が言い返しました。
一瞬声を詰まらせる女の子達を一瞥して、
「…ほらな。この娘もそう言ってんじゃん。第一、嫌がる女の子の髪を切ろうとするなんて最低だぞ、お前ら」
「……。何よ、ムッカつくわね」
「ちょっとカッコいいと思ったあたしが馬鹿だったわ!あー、うざったい」
「もう行こ、こんな人の好意踏みにじる奴らと一緒にいたかないわ」
悪態をつきながら、お決まりな捨て台詞を残して、三人の女の子達はその場を去っていきました。
彼はそれを鼻を鳴らして見送った後、その場にぽつんと立っている金髪の女の子に視線を向けます。
「大丈夫?」
「…」
こくりと頷いた彼女に、彼が安心したように笑顔を向けました。
「よかった。しかし、ひどい奴らがいるもんだな。フツーあんなハサミで女の子の髪無理やり切ろうとするか?信じられん。あいつらいつもああなの?」
そう言って顔をゆがめる彼に向けて、彼女がぽつりと口を開きます。
「…あなたには関係ないです」
「は?」
「あなたには関係ないんですから、もうあたしに関わらないほうが、良いです。あなたのためにも」
そうきっぱりと言い切って、前髪のせいで口元しか見えない金髪の女の子は歩き出しました。
意外そうに目を開いている彼の横をつい、と通り抜け、
「…でも…、ありがとうございました」
そうぽつりと呟き、彼女はまた長い金髪を揺らしながら路地裏を出て行きました。
「…素直じゃねーヤツ」
彼は苦笑して、でもどこか楽しそうに彼女の後姿を見送っていました。





これが、彼と彼女の出会いでした。

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