「…礼儀正しくて素っ気無くて小柄で金髪の、前髪の長い女の子?」
「うん。心当たりない?」
特徴を述べるだけ述べてそう問いかけてきた茶髪の彼に、問われた黒髪の少年がはぁ、とため息をつきました。
そこは雪降る街に聳え立つ城のすぐ近くにある、そこそこ大きなお屋敷の中の部屋でした。部屋には暖炉があってたくさん本棚があって、そしてソファにででんと座っている茶髪の彼と、読書をしていたのでしょう、本を開いたまま膝の上に置いて椅子に座っている黒髪の少年がいました。
「本来ならば、そんな断片的で曖昧な情報ではわからん、と答えるところだがな…。まぁ…心当たりあるぞ」
「ほんと!?」
「この国で金髪は珍しいからな」
そう呟いて、黒髪の少年は少し難しい顔をしました。
「リウナ・ミリオンベル。…この国で最高の腕を持つ、ミリオンベル医師の娘だろ」
「え、医者の娘!?道理で推定年齢に似合わず礼儀正しいと思った…」
「…お前、俺の事いつも年に似合わず固い口調だとなじるくせに」
「だってお前さー、まだ十三歳だろ?じゅーさん。俺と一つしか変わんねーのになんだよその大人ぶった喋りはよ」
「周りがこうだから自然とそうなったんだ。仕方ないだろう。…だが、確かミリオンベル嬢も俺と同い年だぞ」
「えっマジ?へー、俺の一つ下だったのか。それにしては礼儀正しかったな、さっすが医者のムスメってとこ?素直じゃなかったけど」
納得したような表情を見せた茶髪の彼は、しかしすぐに納得のいかないような表情になって再び問い返しました。
「あれ、でもなんで?その子イジメられてたぞ。医者の娘だからってやっかんでイジメるほど、この国の女の子達って妬みやなのか?」
「………」
黒髪の彼は、重苦しそうな表情になって黙り込みました。
「…アルゼイ?」
「…アーリグリフでは知らないものはいないほど、有名な話なんだがな…。まぁ、カルサア在住のお前の耳には入っていないか」
「は?何それこの国の女の子がダメダメだって話?」
「違うわ!」
呆れたように、アルゼイと呼ばれた黒髪の彼が言い直します。
「…ミリオンベル嬢のことだがな。少し、不吉というか…あまり良くない噂があってな」
「? あ、そーいえばイジメてたヤツら、魔女とか悪魔とかひっでぇ事言ってたような…」
「そう、それだ」
アルゼイはそう言って、口元に指を当てて何事かを考えた後、
「…これ以上は、俺は言えん。実際、俺もあまりにさまざまな噂を聞きすぎてどれが真実なのやら判断がつかんのでな」
「ふー…ん」
まだ納得のいかないような顔で、茶髪の彼がそう呟きます。
「そっか、それだけ知れりゃ十分だ。さんきゅ、アルゼイ。任務報告のついでに立ち寄って良かったぜ」
「ったく、城を出て行ってすぐにカルサアへ帰ったかと思えば速攻で引き返してきたから何事かと思ったんだぞ。…それで?ミリオンベル嬢がどうかしたのか」
少しの不安と、大部分を占める好奇心が混ざったような表情で、アルゼイが訊きました。
彼はその面白がっているようなアルゼイの表情にむっとしながらも、答えます。
「別にー。…さっき偶然、いじめられてんの見て気になっただけ」
「ほぉーぅ。まぁ、そういうことにしておいてやるよ」
「ひっかかる言い方だなこのやろ」
そんな風にしばらく軽い口調で言い合って、やがて彼はアルゼイの部屋を出て行きました。
「…なにか、面倒な事になりそうだが…まぁ、あいつなら平気か。厄介ごとを全て強引にしかも自力でなんとかしてしまうヤツだからな」
アルゼイは閉まった扉を見ながらそうつぶやいて、また膝の上に置いていた本を読み始めました。



彼はその後、雪降る街の出口へ向かうまで、ゆっくりかつ怪しげな人に間違われない程度にきょろきょろとあたりを見回しながら歩いたのですが、さすがに金髪の女の子を見つけることはできませんでした。





それから、数日後。
彼はまた新たな任務を受けて、雪降る街に来ていました。
今回彼が仰せつかった任務は、雪降る街に聳え立つ城の下にある、地下水路についてのことでした。
「地下水路は、他国のスパイが城に進入する際最も狙われる場所でな。それ故定期的に調査が必要だ。さらにこの頃モンスターも棲みつき始めたと聞く。暴れられて城が地盤沈下なんてことになったら冗談ではすまないからな。腕試しも兼ねて、今回、お前行ってこい」
十数分前に言われた事を頭の中で反芻しながら、彼は地下水路に続いている洞窟の入り口へと向かいました。
「腕試し、ねぇ。ま、俺二ヶ月前に兵士になったばかりだから文句は言えねぇけど」
彼は鎧や兜など、重装備と呼ばれる物は一切見につけていません。かろうじて、腰に佩いている鞘に納まった刀だけが、彼を兵士に見せていました。
やがて彼の足が、目的地である地下水路に続く洞窟の前で止まりました。
「さーて、ちゃちゃっとこなしちゃいますか」
彼はそう言って、地下水路の中へと足を進めました。



洞窟の中は、氷と雪と霜しかない世界でした。
道と呼べるものはなく、かろうじて小さな山のような氷がない場所を歩くことができる程度です。
歩きづらく、そして少しでも気を抜くと足元の氷が割れて冷たい冷たい水脈の中にまっさかさま、な状態で、彼はそろそろと歩きながらため息をつきました。
「気ィ滅入る…」
そんな愚痴を漏らしながら彼が歩いていると、やっと硬い地面を踏みしめられる場所にたどり着きました。
彼がふぅ、と息を漏らして、足元の感触を確かめるようにざすざす、と足で地面を踏みしめます。
と同時に、足元を見やった彼の表情に緊張が走りました。
足元の、僅かに積もっている雪に。真新しい足跡がありました。
どう見てもモンスターのものではなく、人間のものです。
「(…こんなところにわざわざ立ち寄る物好きはいねぇよな)」
彼は先ほど言われた言葉を思い出します。
―――他国のスパイが城に侵入する際最も狙われる場所で―――
「グリーテンとシーハーツ、どっちかな。それともアーリグリフの裏切り者?まさか迷い込んだ一般人、なんてこたないよなァ」
彼は軽い口調で、でも顔は真剣な表情のままそうつぶやきます。
彼は気配を消し、息を殺し、足音を忍ばせて雪の道を歩きはじめました。
しばらく…と言っても十数分ほどそうして歩き、周りの音や気配を感じ取ろうと神経を研ぎ澄ましていた彼の耳に。
さく、さく、さく…
雪を踏みしめる、小さな音が聞こえました。
そしてその音は氷山のように連なっている巨大な氷の壁の向こうから、洞窟の壁に僅かに乱反射しながら聞こえてきます。
その音を聞いて、彼は少し不思議に思いました。
「(…スパイにしては、無防備すぎる…気配すら消してねぇ)」
まるで、町を普通に歩くような。そんな気配です。第一本当にスパイだとしたら、足音をたてている時点できっとクビになってしまうでしょう。
大したことはない相手かもしれない、と彼は少し思いましたが、しかし気を緩めずに、彼は歩き続けます。
感じる気配が氷の壁のすぐ裏まで近づいた時、彼は腰の刀を確かめ、付近の地形や足場の硬さなどを目で確認して、
「誰だ!?」
そう声を上げて氷の壁の裏へと飛び出しました。
氷の壁の裏にいたのは、
「!?」
驚いてばっと振り向いた、鮮やかな金髪の―――
「なっ……」
先日町で見かけてから彼が気になっていた、金髪の少女でした。
彼があっけに取られて目を丸くしていると、彼女が先に口を開きました。
「…何故…あなたが、ここに…」
前髪のせいで顔の上半分が見えないので表情はわかりませんが、彼女は驚いたような声でそうつぶやきました。
彼が答えようとした時、
がしゃあぁぁん!
「「!」」
二人が立っている場所のすぐ傍、彼女の横の氷の山の後ろから。
氷を砕く甲高い音が聞こえました。
二人が振り向くと、薄い透き通った氷の裏に、蠢く不気味な影が映ります。
「話は後だ!」
彼が腰の刀を抜き、彼女を背後に庇いながら蠢く影を見据えます。
影はがしゃん、がしゃあんと氷を砕きながら近づいてきます。
やがて彼らと影を隔てる最後の氷が粉々に打ち砕かれ、影の正体がはっきりと二人の前にさらされました。
棍棒のような鈍器を持ったモンスターがそこに立っていました。数は二、三匹。皆一様に不気味な色をした目で二人を見ています。
「下がってろ!」
彼はそう短く鋭く言い放って、地を蹴りました。
先ほど硬く締まっていることを確認した氷の床に踏み込み、モンスターに斬りかかります。
動きの鈍いモンスターは彼の素早い動きに反応すらできず、あっさりとその場にくずおれます。
一匹目の返り血を浴びる前に、彼は勢いを殺さず体を翻し、二匹目の喉元をなぎ払いました。血と共に二匹目の首が飛び、紅い軌跡を描いて地面にぼとりと落ちました。
彼が三匹目を仕留めようとした時、さすがにモンスターが反応しました。彼めがけて、持っている棍棒を横になぎ払います。
彼はバックステップで後ろに飛び、その一撃をかわします。目標を失った棍棒が、近くの氷の山に衝突しました。
モンスターの棍棒がぶち当たった氷の山は、瞬く間にヒビが入ってそしてそれは大きな亀裂へと変わり、
「危ない!」
彼女の声が高く響きます。
ごごごごご、と氷の山が崩れ始めました。
「!」
三匹目を仕留めようとしていた彼は急いでその場から離れます。
が、その隙を狙った三匹目が彼の背後に回りこみ―――
「ッ!?」
彼が気づいたときには、棍棒を振りかぶるモンスターの姿がもう目の前にありました。
「ちィッ!」
少しでも受けるダメージを減らそうと、身をよじった彼の耳に、
「―――ファイアボルト!」
短く叫んだ彼女の声が聞こえました。
次の瞬間、今まさに棍棒を振り下ろそうとしていたモンスターに炎の玉が三つぶつかります。
「なっ…」
驚いて思わず声を上げる彼の目の前で、モンスターがぶつかった炎に耳障りな声を上げました。
モンスターは燃え移った炎に断末魔の悲鳴をあげながら火達磨になって悶え周り、やがて黒くなって動かなくなりました。
「…お怪我は、ありませんか」
あっけに取られていた彼に、彼女が淡々とした声でそう問い掛けました。
彼が彼女に振り返り、とりあえずこくこくと頷きます。
「それは、何よりです」
淡々としているように聞こえて、でもどこか沈んだ声の彼女に、彼は表情を明るくさせて口を開きました。
「すっげー!今のもしかして施術じゃねぇ!?シーハーツの奴らが使うヤツ!」
急に大きな声を出した彼に、彼女は肩を小さく跳ね上げます。
彼はそんな彼女に気づかず、目をきらきらさせてまた口を開きます。
「すっげーすっげーかっこいー!なんで施術なんて使えんの?」
「………」
彼女は目を輝かせている彼を見て、どこか呆然としながら、
「…怖がらないんですか?」
そう呟きました。
「へ?なんで?」
彼はきょとんとしてそう答えます。
彼女は軽くうつむいて、彼から視線を外しながら、
「…今まで…あたしのこの力を見た人は…皆驚いて怖がって、あたしから逃げていったから…」
「そーなの?…あ、もしかして、魔女とか言われてたのって…さっきのアレの所為?」
ふと思い当たって彼が問い掛けると、彼女はうつむいて無言になります。
それを肯定と捕らえて、彼は口を開きます。
「ひでーもんだな、すっげーかっこいかったのに」
「かっこい…」
「うん、かっこいかったよ?呪文唱えたら炎がびゅびゅびゅーって飛んできて、モンスター丸焦げ!すごいと思うけどなぁ」
「………」
彼女は彼の台詞に僅かに顔を上げ、あっけに取られたようにぼぉっとしていました。
が、すぐにはっとなって、ふいっと顔を逸らします。
「…あなたが変わってるんですよ」
「えー、なにそれ」
「"魔女"なんて言われてる人間の近くになんていてもいいんですか?もしかしてあなたの事も燃やすかもしれませんよ」
彼女の台詞に一瞬その場の空気が固まりました。
「それはないね」
…ですが、彼のきっぱりとした声によりその空気は霧散します。
「燃やそうと思ってる人間を、同じ力で助けたりするもんか」
「―――…」
まっすぐな目でそう言われ、彼女が声を詰まらせました。
「…あぁ、そういえばさっきの御礼、まだ言ってなかったよな。―――危ないところを助けてくれて、ありがと」
そう、とても柔らかい人好きのする笑顔で彼が言って。
彼女が照れたように顔をそむけます。
「…どういたし、まして…」
ぼそぼそと聞こえたその声に、彼が笑いました。





「ところで、まだ自己紹介してなかったよな。俺はグラオ・ノックス。出身はカルサア。で、二ヶ月前に兵士になったばかりの新米」
モンスターがまだいる可能性があるのでとりあえずその場から離れようということになり。
二人は並んで氷の道を出口へと向かって歩いていました。
彼、グラオの用事は見回りで、そして彼女がいた場所はその洞窟の最深部だったので、任務はこれでおしまいです。
「…兵士さんだったんですね」
「うん。ここには定期的な見回りっつーへぼ任務でやって参ったの」
「そうだったんですか」
相変わらず前髪で瞳が見えない彼女は、納得したように呟きました。グラオのちょっと冗談を含めた台詞はあっさりと流されます。
「…。あ、うん。そんで、お前は?」
「………。申し遅れました。あたしは…リウナ。リウナ・ミリオンベル、です」
そう言うと彼女―――リウナは立ち止まり、スカートの裾を摘んでそれはそれは優雅にお辞儀をしました。
その完璧な礼に、グラオの足もつられてぴたりと立ち止まります。
「…何か?」
お辞儀をして顔を上げたらグラオにじぃぃっと見つめられていて、居心地の悪そうにリウナが訊きます。
グラオは呆けながらぽつりと答えます。
「あ、いや、めっちゃキレイな礼だったなぁって。さっすがお医者さんの娘さん」
「…ご存知だったんですか」
「あ、うん、まぁ。苗字でな、気づいたワケよ」
本当のことはあえて伏せてグラオが答えます。
リウナはその答えに納得したようで、そのまま歩き出しました。グラオも歩き出して、リウナの隣に再び並びます。
「そいえば、なんでこんなとこいたの?モンスターだって出るし、氷ばっかであぶねーのに」
「……これ、を」
リウナはそう呟いて、細い腰に付けていた小さなポーチから、何かを取り出しました。
グラオが覗き込んでみてみると、それは小さな赤い実のついた植物でした。
「何これ、薬草?」
リウナがこくりと頷きます。
「氷に包まれた、本当に寒い場所にしか生えてないんです」
「だからこんなとこにわざわざ採りにきたの?ひとりで?」
再びリウナが首肯します。
「そんなん、医者の娘さんがすることじゃねーだろ。こんな危険なとこに女の子一人で来て、何かあったらどうするつもりだ?」
「…あたしにはあの力がありますから。それに…」
そう言ってうつむいてしまったリウナを、彼が不思議そうに見遣りました。
「どしたの」
「…あたしが…お父さんの役に立てることなんて、これくらいしかないですから…」
手に持った薬草を、潰れない程度にきゅうと握り締めながら呟く消え入るようなリウナの声に、グラオがきょとんと首を傾げます。
「リウナって親孝行なのな。でも、そこまで気にするこたーねーと思うけど。お前になんかあったら親御さんも悲しむだろ?」
何気なく言ったグラオの台詞に、リウナは口元に苦笑を浮かべて、
「…そうかも、しれませんね」
苦々しく笑いました。

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