洞窟を出て、陽の光を全身に浴びて、グラオは気持ちよさそうにううーんと伸びをしました。
リウナも久々に浴びる眩しい光に目を覆っています。
陽の光を照り返す綺麗な金髪を見て、グラオがほへーと間抜けな声を出しました。
「…どうかしましたか」
「お前の髪きれーだなって」
「…それはどうも」
そう言ってふぃ、と顔を逸らす仕草に、グラオはスナオじゃねぇなと小さく笑います。
「今度さ、髪伸びて切りたくなったら俺に言ってよ。切ってやるから」
「…そんなことできるんですか」
「おぅ、俺結構上手いんだぞ、髪切るの。機会あったら言えよー、お前髪きれーだから俺も構うの楽しみだし」
「…考えておきます」
素っ気無く言ったリウナにグラオは苦笑します。
「そいえば、さ」
グラオはくるりとリウナに背を向けて、頭の後ろで腕を組みながら、何気なく問い掛けました。
「前髪、なんで伸ばしっぱなしなの?」
「………っ」
リウナの顔が一瞬強張りました。
背を向けているグラオにはその表情の変化はわかりませんが、リウナが息を呑んだのはわかりました。
「…ごめん、訊かないほうがよかったよな。忘れて」
グラオはそう言いながら振り向きます。
リウナは俯いて、無言のまま突っ立っています。
「リウナ?」
無言のままのリウナを心配したのか、グラオがひょいと覗き込みます。
リウナはびくりと肩を震わせ、一歩後じさります。
「…あ、なたには、関係ないです。関係ないんですから放っておいてください」
急に素っ気無い態度に戻ってしまったリウナに、グラオはやっぱり訊くんじゃなかった、と後悔します。
リウナはふいっと顔を逸らし、グラオに背を向けて何も言わないままに歩き出しました。
「ま、待った!」
グラオは慌ててリウナを追いかけ、追いついた彼女の細い肩を掴みます。
「離して、ください」
そう言いながらリウナが振り向いた瞬間。
冷たい、雪交じりの風がその場を吹き抜けました。
風に煽られ、リウナの長い前髪がふわりと舞って、
「―――え」
グラオの瞳に、今まで前髪で隠れていたリウナの顔がはっきりと映りました。
まずはじめに目を引いたのは、リウナの大きな、―――血のように真っ赤な瞳でした。
グラオの目も紅い色をしていますが、温かみのある夕日の色に似た彼の瞳の色とは、リウナのそれはまったく違いました。
鮮血のような、本当に真っ赤な色です。見る人が見たら不吉に思うような、そんな色でした。
「…っ!」
リウナは可愛らしい顔立ちを強張らせ、慌てて前髪を手で抑えてくるりと顔を背けました。
「…リウナ?」
「…見、ました…?」
小さな声でそう問われ、グラオはなんと答えようか少し逡巡してから、
「…うん」
誤魔化すことなく答えました。
リウナが、息を飲む声が聞こえました。
「でも別に…確かにちょっと変わった色の目だけど、そこまで隠すことないんじゃねぇ?」
「何、言って…」
リウナが信じられないとでも言わんばかりに、振り向きます。
「だってそーじゃん、それ言うなら俺だって赤目じゃんほらほら。他の奴らも別に俺の目見て変とか言わないよ?」
自分の目を指差して、グラオはな?と同意を求めるように首をかしげます。
リウナはちら、とグラオに目だけ向けて、すぐに顔を逸らしました。
「あなたの瞳は綺麗な、穏やかな紅だからいいんです…あたしの目は血の色だから」
「なんでさ。ちょっと色が鮮やかってだけだろ?」
「それでも…あたしの瞳は不吉な瞳なんです。…呪われた、瞳、なんです」
淡々と、ですがきっぱりとした断定口調で言い切るリウナに、グラオは眉を顰めます。
「なんだそれ」
「………」
それ以上は言いたくないのか、リウナは唇を噛み締めて俯いてしまいました。
グラオは困ったように後ろ頭をがしがしと掻いて、言葉を選ぶようにして慎重に、でも自分の本心を素直に伝えようと口を開きます。
「お前がその瞳の色についてどう思ってるかとか、他の奴らがどうお前のこと見てるかなんて、俺にはわかんねぇけど…」
「………」
「俺は、」



「お前の瞳、キレイだと思うけどな」





「………」
本日三度目の。
リウナの、唖然とした顔がグラオを見ていました。
グラオは照れくさそうに僅かに視線を逸らし、また口を開きます。
「別に、血の色つっても、悪い色じゃないじゃん。そりゃ見る人が見たら不吉な色って思うかもしんないけど…あ、もしかしてこれが魔女とか言われてた本当の理由?」
「………」
リウナはまた俯いて無言になります。
ややあってからリウナがこくりと小さく頷いたのを見て、グラオが眉をしかめました。
「目の色と、施術が使えるってだけで魔女とか言うか普通?そんなん言ったらシーハーツの赤目の奴らみんな魔女じゃん。いくら冷戦状態が続いててちょいと険悪な雰囲気だからって、施術使える人間ってだけで魔女はないだろ」
「でも、あたしは…アーリグリフの人間だから」
「? じゃシーハーツ人とのハーフとかクォーターとか?」
てっきり、リウナが施術を使えるのは親か祖父母か誰かがシーハーツの人間だからかと思っていたグラオは、不思議そうに問い掛けます。
リウナは首を横に振って、口を開きます。
「あたしのお父さんは由緒正しいアーリグリフの人間ですし…お母さんも、生粋のアーリグリフ人です。本当なら…あたしみたいな力を使える娘が、生まれるはずないんです…」
「…え、」
「そもそも、この力が施術なのかすら疑わしいんです。施術だったら、施紋を体に刻まないと魔法が使えない。なのに…あたしには、体の何処にも紋章がない。もちろん刻んだ覚えもありません」
「………」
「お父さんは、先祖返りかもしれないって…アーリグリフの人間は古代シーフォート王国の人の子孫でもありますから、滅多にないことだけど、有り得ないことではないと。この、アーリグリフ人では有り得ない瞳の色も、そうじゃないかって、言われました」
「…そう、だったんだ」
「だから…あたしは、魔女って言われてもしょうがないんです…。だって本当に人間なのかすらもわからない。こんな、普通では有り得ない力を持ってるんだから、人間じゃないのかも…本当に、魔女や悪魔や死女神かもしれないって」
「何、言って…!」
「だって!それだけじゃない、人間じゃないかもしれない根拠はそれだけじゃない…!…あたしは、…あたしは…」
リウナの声を遮ろうとして荒げられたグラオの声を、またリウナの悲痛な声が遮ります。
リウナは何かを言おうとして口を開いて、そしてすぐにまた唇を噛み締めるように口を閉じました。
グラオもリウナに何かを言おうとして、でも言葉が出てこなくて口を閉じます。
しばらくその場に沈黙が流れました。



「あたしは…」





「生き物の、死期がわかるんです」





「…は…?」
グラオがあっけにとられます。
リウナはすぅ、と息を吸って深呼吸して、また口を開きました。
「昔、猫を飼ってた事がありました。まだ子猫で、元気で、生命力溢れる子でした。でも、ある日、その猫の影が、真っ赤に染まって見えたんです。まるで足元に血だまりができているみたいに」
「………」
「お父さんもお姉ちゃんも、そんな風に見えないって、気のせいだって、そう言いました。あたしもそうだと思いました。でも―――その猫は影が紅く染まった次の日、調合しないと猛毒となる薬草を誤って食べてしまって、死にました」
「………!」
グラオが目を見張りました。リウナはそれを気づいたようですが、構わずに続けます。
「それから、お父さんの所に来る患者さんの中にも、影が紅く染まって見える人がたまにいました。そして必ず、その人達は数日以内に亡くなりました」
「………」
「それにあたしに関わった人は、高確率で影が"染まる"んです。小さい頃親友だった子も影が染まって亡くなりました。きっとあの子も、飼っていた猫も、あたしの友達でなければ、あたしの飼い猫でなければ、あんなに早死にする事なんて、なかった」
「………」
「…これでわかったでしょう。あたしは人間じゃないかもしれない。魔女か悪魔か死女神、あるいはもっとおぞましい、忌むべき存在なのかもしれない」
「………」





「…ごめんな」
しばらくして、グラオが申し訳なさそうにそう言いました。
「言いたくないこと、無理に言わせるような形になっちまって」
リウナははっと顔を上げて、そして首を横に振ります。
「いえ!あたしこそ、こんな聞き苦しい事、殆ど面識も無い人に話しちゃって…ごめんなさい」
「いや、いいけどさ。誰かに聞いて欲しかったんだろ?」
リウナが驚いたようにグラオを見ます。
グラオは少し困ったように苦笑して口を開きました。
「なんかお前見てたら、今まで誰にも言えなかった、溜まってたものが吐き出せた、って感じだったからな。違ったらごめん」
「………」
リウナは暫く絶句して。
そしてふ、と短く息を吐いて、前髪に隠れた瞳で、グラオを見て。
「…不思議な人。今まで誰にも、話したことなんてなかったのに…どうして、出会ったばかりなのに、こんな事話せてしまえるんでしょうね?」
口元だけで僅かに微笑みました。
初めて見せたリウナの微笑に、グラオが僅かに目を見開きました。
気づいたリウナが、不思議そうにグラオの顔を覗き込みます。
「どうかしましたか?」
「…! あ、いや、なんでも!」
急に近づいたリウナの顔に、グラオは僅かに頬を赤らめて身を引きました。
不思議そうな顔をしているリウナにもう一度なんでもない、と言って、グラオは顔を背けます。
「…そういや俺もフシギー。今までは、どんだけ髪キレイでも、こんなに誰かに興味持つことなんてなかったのに」
「?」
ぽつりとつぶやいたグラオに、またリウナが首を傾げます。
「なんでもねっ」
「…それ多いですね」
「いーのなんでもないんだからなんでもないの!」
「はぁ…」
そんな風に談笑をしながら、二人はまた並んで歩き始めました。
地下水路からの出口がある坂を降りて、雪降る街まで来たとき、
「では、あたしはこれで」
リウナがぺこりと頭を下げました。
「うん。今日は楽しかったよー、また会えたら会おうな」
「…そうですね」
微笑を浮かべて、リウナが頷きました。
「じゃな!」
ぶんぶんと手を振りながらグラオがアーリグリフ城へと歩いていきました。
リウナは軽く手を振りながらその背中を見送って、そしてグラオの姿が見えなくなってから。
「………」
酷く、悲しそうな顔をして。
そしてすぐに無表情になって、家へと続く道に歩みを進めました。





グラオが雪降る街を再び訪れたのは、それから一週間後でした。
今度はグラナ丘陵のモンスター退治を任命されたグラオが、ちゃっちゃと済ませて報告に戻った時の事です。
アーリグリフに戻る途中、共に任務についていた同年代のアーリグリフ人の兵士数人と並んで歩きながら、グラオは何気なくリウナの事を訊きました。
「リウナ・ミリオンベル?あー、あの金髪の」
「うん。なんかさー前イジメっぽいことにあってたし、変な噂聞くし。どんな子なの?」
グラオはとても人懐っこく楽しい性格なので、すでにアーリグリフの兵士や住人ともかなり親しくなっていました。
それ故にとても親密そうな口調でグラオは問い掛けます。
問われた兵士は、少し考えてから答えました。
「よくわかんないヤツだぜ。無口だし、無表情だし。噂が本当かは知らないけどな」
「ふぅん」
グラオの脳裏に、数日前のリウナの様子が浮かびます。
淡々と話すけど礼儀正しくて、確かに表情の変化に乏しいけど、一度だけ見せた微笑。
「そーなんかな」
「でも確かに、あの子の近くにいるといろいろと物騒なこと起きるらしいぜ」
「へ?どんな」
「なんか呪われるとか死期が近くなるとか普通の人間にない恐ろしい力を持ってるとか云々。それに死女神とか魔女とか悪魔とか」
…どんだけ変な噂広まってんの。
グラオは内心おいおいと思いながら、会話を続けます。
「へぇ」
「…ま、確かに色白いしなんかユーレーみたいだし暗いし無口だし、噂だと何言われても表情ひとつ変えない人形みたいなヤツらしいし。近寄りがたい存在ってことは確かだな」
「………」
今まで適当に相槌をうっていたグラオは、その台詞にだけは答えませんでした。







任務の報告を終えて、グラオはアーリグリフ城を後にして雪降る街を歩いていました。
帰り道、切れてきた道具を買い足しに道具屋へ立ち寄ると、
「…あ」
道具屋の中に、見覚えのある長い金髪が見えました。
もちろんその金髪の持ち主はリウナで、彼女は道具屋の片隅で薬草を選んでいました。
ふと周りを見回すと、そこそこ混んでいる道具屋の中、リウナの周りだけ人がいませんでした。
苦笑してグラオはリウナに近づきます。声をかけようとした時、ちょうどリウナが彼の方を向きました。
「あら、」
相変わらず長いままの前髪の隙間から、紅い目が覗きました。
「よっ、久しぶり」
「………」
リウナは答えず、ぺこりと軽く頭を下げました。
そのままグラオの脇を通り過ぎて、手に持った薬草をカウンターに置きました。
店主は事務的にリウナに金額を告げました。
リウナがお金をカウンターに置くと、店主はやはり黙ったままに薬草を袋に詰めてカウンターに置きました。
リウナも無言のまま、それを受け取って軽く一礼して、踵を返します。
「…うはぁ」
一部始終を見ていたグラオは、少しぽかんとしながらそう一言漏らしました。
…同年代のあの女達だけじゃなくて、住民全体に避けられてる雰囲気だな…。
そんな事を思いながら、グラオは紙袋を持ったリウナに近づきます。
「いつも、こんななのか?」
グラオが小声でリウナにそう問いかけると、リウナは答えないままにすたすたと歩いていってしまいます。
「ちょ、おい!」
慌てて追いかけるグラオに構わず、リウナは道具屋の扉を開けて出て行ってしまいました。
グラオも続いて扉を開けます。
すたすたと道を歩いて行ってしまうリウナの後を、グラオは小走りになって追いかけます。





「ちょぉ、待てって!」
リウナに追いついて隣に並んで、グラオはむっとした顔で声をかけました。
「無視することないじゃん。あっ!もしかしてお前と一緒にいると死期が近づくーとかって思い込んでんのか?だいじょぶだって、別にお前に近づいた人間全員の影が染まったわけじゃねぇんだろ?」
「………それも、ありますが」
リウナはグラオを一瞥して。
「…あたしに、構わないほうが良いです。少なくとも、この街の中では。誰か、この街の住人が見ている前では」
淡々とそう言いました。グラオははぁ?と怪訝そうな顔をします。
「なんで」
「何で…って…あなたまで、変な目で見られますよ。あたしと一緒にいると」
「変な目?」
「そうです。…ほら、周り、見ればわかるでしょう」
リウナはやはり淡々と、でもどこか悲しそうにそう言いました。
グラオが少し視線をずらして、言われたとおりに周りを見回しました。
一番最初に目に入ったのは、買い物の途中らしいおばさん三人でした。時折グラオやリウナをちらちらと見ながら、何かをひそひそ話しています。
次に目に入ったのは、グラオ達より少し年上ののお姉さん二人です。そのうちの一人と目があって、相手のお姉さんは嫌そうに目をそらして逃げるように去っていきました。
「…カワイイ顔してると思ったのに、リウナ・ミリオンベルと一緒にいるなんて趣味悪ー」
「そうね、関わり合いにならない方が良いわ」
風に乗って、そんな会話が聞こえてきました。
「………なんなんだよあのバカども」
グラオは呆れたようにため息をつきました。
リウナはふ、と全然まったく楽しくなさそうに微笑んで、口を開きました。
「これでおわかりになったでしょう?もう、あたしに近づかない方が良いです」
そうきっぱり言い切って、リウナはさっと踵を返して歩いていってしまいました。
「あ、おい!」
グラオがその背中に声をかけますが、リウナは振り向きもせずに行ってしまいます。
取り残されたグラオは、複雑そうな顔をしながら後ろ頭を掻きました。
「…俺、そんなん気にしねぇのになぁ」
呟いた声がリウナの耳に届くはずも無く、雪降る街に小さく響きました。

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