またある日の事です。 グラオは増えてきた任務をこなし、いつものように報告にアーリグリフ城を訪れました。 このまま帰ろうとして、ふとグラオは先ほどの任務で見つけた珍しい薬草の事を思い出しました。 一緒に任務についた兵士がとても珍しいもので高く売れると言っていたので、皆してちょっとだけ拝借してきたものです。 道具袋―――いつもは簡単な救急道具や、食料を入れておく袋にグラオは手を突っ込みました。 見つけた薬草はちゃんとそこにありました。 「………」 ―――…あたしが…お父さんの役に立てることなんて、これくらいしかないですから… 数週間前。 極寒の地にしか生えない薬草を握り締めながらそう呟いた、リウナの声がグラオの脳裏に浮かびます。 ―――もう、あたしに近づかない方が良いです 同時に、数日前に言われた拒絶の言葉も思い浮かんできて。 「…お節介、かね」 そうは言いつつも、グラオの足は自然とリウナの住んでいる屋敷の方へ向いていました。 「街中じゃなくて、家に訪ねて渡すくらいいいよな」 グラオは独り言をつぶやきました。 任務報告のためにアーリグリフに来て、もう数ヶ月。さすがに、グラオはこの街の何処に何があるかくらいは把握していました。 まっすぐにリウナの家―――アーリグリフで一番にして唯一のお医者さんの家へと向かって、グラオは雪をさくさく踏みしめながら歩みを進めます。 「おっ、グラオじゃん」 「今日も任務なの?」 途中、この街に来てから友達になった同年代の少年少女に会って、グラオは立ち止まります。 「いんや、今日は任務報告の帰り」 「ふーん。お疲れさん」 「頑張ってねー」 「おー、またな」 ひらひらと手を振って歩いていく二人に手を振り返して、グラオはまた歩き出します。 しばらくしてミリオンベル医院に辿り着きました。 リウナの家は、この建物の二階です。 医院へ続くドアとは別の、リウナの住んでいる家の中に続いているドアの前にグラオは立ち、ごんごんとノッカーを鳴らしました。 「はい。どちら様でしょうか」 しばらくしてから、ドアの向こうから女の人の声が聞こえます。 グラオは多分メイドさんか誰かなんだろうな、お金持ちそうだし。と、考えて、答えます。 「グラオ・ノックスといいます。リウナ・ミリオンベルさんはいらっしゃいますか」 「…。あの子にどういったご用件でしょうか」 あれ、とグラオは思います。 あの子?ってことは、リウナのお母さんかお姉さんだったのか? そうは思うものの声には出さずに、グラオは答えました。 「届け物です。前、リウナ…さんが欲しがっていたものを見つけましたので、是非に、と思いまして」 グラオも実はカルサアではそこそこ有名な貴族出身だったので、丁寧な言葉遣いは得意です。 その言葉遣いが功を奏したか、ドアの向こうの女の人は少し間を置いてから、こう言いました。 「…そうですか。では中へお入りください」 ぎぎぎ、と扉が開きます。 ドアの向こうにいたのは、グラオやリウナより年上に見える、綺麗な女の人でした。 漆黒の長い髪に、澄んだ金色の瞳と優しそうな顔立ちのお姉さんでした。 よく見ると、髪の色や瞳の色はともかく、顔立ちはどことなくリウナに似ています。 女の人はグラオを見て、どうぞ、と中に促します。 「お邪魔します」 ぺこり、とお辞儀をして、グラオは中に入りました。 グラオがドアを閉めたのを確認して、女の人はふわりと優雅に礼をします。 「初めまして、グラオ・ノックス君。私はリウナの姉のスティア・ミリオンベルよ」 あぁ、やっぱお姉さんか。グラオは納得しながらお辞儀を返します。 「リウナは今しばらく手が離せないでしょうから、応接間でしばらく待っていてもらえるかしら?」 「はい」 「ではこちらへ」 優しげな笑みを浮かべて、スティアはグラオを促すように歩き出しました。グラオも一歩後ろでそれに続きます。 通された応接間は、大きなソファと豪華なテーブルが部屋の真ん中に置かれており、周りには調度品や観葉植物が多すぎない程度に置かれた居心地の良さそうな、豪華ですが温かみのある部屋でした。 グラオは促されるままに、ソファの片方に座ります。 「お茶を出すわね」 「あ、いえ!おかまいなく!」 慌ててそう言ったグラオに、 「いいのよ、座っていて」 相変わらずにこにこと笑いながら、スティアは廊下へと歩いていきました。 一人になってやることがなくなったので、グラオは手荷物を探って渡すはずの薬草を確かめたり、今更ですが服を整えたりして待っていました。 やがてトレイに紅茶のカップとお茶菓子を乗せたスティアがやってきました。 「さぁ、どうぞ。紅茶はお好きかしら?」 「あ、ありがとうございます。大丈夫です」 「そう。…あの、」 スティアは今までにこにこしていた表情を、少し曇らせながら口ごもりました。 「?」 「リウナを呼んで来る前に…少し、お話しない?」 おずおずとしているスティアが言ったのがそれほど大層な内容でもなかったので、グラオはきょとんとしながら答えました。 「はい、構いませんよ」 そう笑顔で言うと、スティアも再び笑顔を見せました。 「話っていうのは…あの子、リウナのことなの」 紅茶のカップが置かれたテーブルを挟んでグラオの向かい側に座ったスティアが、そう切り出しました。 「グラオ君、はリウナの瞳や力、噂の事も、知っているのよね」 「え…」 そんな事話したっけ、とうろたえるグラオに、スティアがくすりと笑います。 スティアが微笑んで小首を傾げると、長い黒髪がさらりと揺れました。 「リウナにね、聞いたの。あの子がお友達の事を話してくれるのは、滅多にないのよ」 「…そうなんですか」 「…ええ」 スティアは少し悲しそうに小さく微笑みます。 「それでね…リウナの瞳の事を知っているグラオ君に訊きたいの。君はリウナのあの瞳の事をどう思う?」 真剣な顔をして訊かれ、グラオは心持ち緊張しながら、でも正直に答えました。 「綺麗だなって…思いますよ」 「綺麗?」 「はい。別に、街の奴らが言ってるみたいに、不吉とか、怖いとか…そんなこと全然思わないです」 「………」 スティアはそれを聞いて、僅かに俯きました。髪と同じ色の長い睫が揺れて、彼女が何度か瞬きをしたのがわかります。 「そう…」 小さな、囁くような声でスティアがそう一言だけ言いました。 「それなら、良かったわ」 「………」 そう言うスティアの笑顔が、とても悲しそうで。 グラオは思わず無言になります。 「あのね…リウナは、あの瞳と力の事を、とても気にしてるの」 「…はい、なんとなく、それはわかります」 「あの力が、いつか人を傷つけるんじゃないかって…いつも怯えながら暮らしてるの」 「それも、なんとなくわかります」 グラオは少し俯いて、呟くように言いました。 「俺が前、あいつの瞳や力を偶然見た時…とても悲しそうでしたから」 「………」 スティアは再び沈黙しました。 俯いてしまったスティアに声をかけづらく、グラオもつられるようにして黙り込んでしまいます。 その沈黙を破ったのはスティアでした。 「君になら、話してもいいかもしれないわね」 「…何、を」 「あの子の兄と、母親の話よ」 「…リウナはね、実は双子だったのよ」 「え?」 意外そうにグラオが目を見開きます。 「でも、双子の片割れの兄…ソラは、死産だったの。無事に生まれてきたのはリウナだけだったのよ」 「………」 「さらに…あの子と私の母さんも、リウナを出産した後すぐに亡くなった。…もともと母さんは体が弱かったから、覚悟の上の出産だった」 「………」 「しかも、リウナは普通とは違う容姿で生まれてきたから、いろいろな噂がたったわ。目の色が血みたいだからって死女神だとか、悪魔だとか。母と兄の命を吸い取って生まれてきたとか…」 「………」 「それを…母親と兄の死を、リウナはすべて自分の所為だって思い込んでる。それが余計に、あの子が自分のこと死女神だ、悪魔だって思い込ませてるの」 「………」 「悲しい子なのよ…」 「………」 「なんで、…そんな話を、俺なんかに」 俯いて、悲痛な面持ちをしているグラオを見て。スティアは口を開きます。 「ごめんなさい…まだリウナと出会って間もない君にこんな事を言うのはおこがましいでしょうけど…」 「あの子と一緒にいてあげて欲しいの」 「……俺、なんかが?」 「なんか、なんて言わないで。あの子が笑顔を見せながら楽しそうに話したのは、…リウナの親友だった子が亡くなってからは…君が初めてなのよ」 「え―――…」 「だからね、」 スティアは一旦そこで言葉を切って。 「リウナのこと、よろしくお願いします」 深々と頭を下げられて、グラオは驚いて言葉を無くします。 が、スティアが顔を上げると、グラオは微笑みながら彼女の瞳を見据えて。 「―――はい」 しっかりと頷きました。 それを見て、スティアも表情を綻ばせます。 「…ありがとう…」 「お礼なんていいですよ。…元々、俺もリウナの事興味あったし」 「あら?」 スティアがいたずらっぽく微笑みます。 「その発言は、どうとれば良いのかしら?」 「お好きなようにとっていただいて構いませんって」 スティアの口調が最初よりも幾分くだけてきたので、つられるようにグラオも口調を和らげました。 スティアはそれをとがめる事も無く、楽しそうに続けます。 「そう…なら、良い意味にとっておくわね」 くすりとスティアが笑って、グラオもにへへ、と笑いました。 「あの子素直じゃないうえに思い込みがすごく激しいから一人でいたがってる。…自分と必要以上に一緒にいたら死期が早まる、って、姉の私や、父さんにだって距離置いてるわ。けど、本当は寂しいと思うの」 スティアが悲しそうな顔でそう言いました。 「だから、たまにでいいから構ってあげてね」 「はい。もちろんっす」 再びグラオが笑います。 「お姉ちゃん、誰か来てるの?…って、あなたは、」 応接間の扉から部屋の中を覗いたのは家の中でも前髪で目を隠したままのリウナでした。 「リウナ!お久しぶりー」 グラオがひらひらと手を振ります。スティアはそれを見て、嬉しそうに笑いました。 リウナはグラオとスティアの顔を見比べて、そして少々気まずそうに口を開きました。 「どうしてあなたがここに?」 「っあ、忘れてた。これ渡すために来たんだった」 グラオはようやく本来の目的を思い出し、袋をごそごそ漁ります。 取り出した薬草を、はい、とリウナの目の前で差し出しました。 それを見たリウナの表情が、一瞬だけぱぁっと輝きました。 「…どこで、これを…」 「グラナ丘陵。ちょっくら任務で行ってきた時見つけたんだー。リウナ、前珍しい薬草欲しがってただろ?だからあげようと思って」 言いながら、はい、と再び薬草を差し出すグラオの手から、リウナはおずおずと薬草を受け取りました。 「ありがとう、ございます…」 相変わらず表情は前髪の所為でよくわかりませんが、でも感情のこもった嬉しそうな声で、リウナはそう言いました。 「どーいたしまして」 「良かったわね、リウナ」 スティアが横から微笑んで、リウナは僅かに頷きました。 しばらくその場で談笑が続いて。 グラオがふと時計を見て、残念そうに呟きました。 「あー…ごめん、もう俺帰んなきゃ」 「あら、そう。ごめんなさい、引き止めちゃったわね」 「イエイエ。おねーさんと話せて楽しかったっすよ」 そう言いながらグラオは座っていたソファから立ち上がりました。 「リウナ、そこまで送ってあげて」 スティアが行って、リウナは少し考えてからこくりと頷きました。 「言われなくても」 「…可愛くないわねぇ」 苦笑するスティアを気にせず、リウナはすっと立ち上がってグラオの半歩前に立ちました。 「行きましょうか」 言いながらリウナが部屋の外へ向かいます。 「うん。じゃあおねーさん、またね」 「ええ。またね」 スティアと手を振り合ってから、グラオはリウナに続いて部屋を出ました。 「なーなーリウナぁ」 やけに間延びした声でグラオが名前を呼んできて、だけどリウナは表情ひとつ変えずに答えました。 「なんですか」 「あのさ、さっきおねーさんとお前が話してるの聞いてて思ったんだけど。別にお前、丁寧語が地の言葉ってわけじゃないよな」 リウナは廊下を歩きながら僅かに目を見張りましたが、前髪に隠れてその表情はグラオにもわかりませんでした。 「…それが何か?」 「俺には地の言葉で話してくんないの?」 「…え?」 リウナが思わず立ち止まって、グラオを見ました。 「だって他人行儀な気がしてさ。せっかく親しくなれたんだからそーゆーのどうかと思って」 「………」 黙りこくってしまったリウナに、グラオは慌てて言い直します。 「あ!でもお前が丁寧語のほうが気が楽とかだったらそのままでいいし!本当に信頼してる人じゃなきゃ地の言葉で話さないとか、決めてんだったらそれでいいし…ってそもそも別に俺とそんなに親しくなってないじゃんバーカとか思った?」 最初は大慌てで、途中でおろおろうろたえて、最後には弱気になってそんなことを訊いてくるグラオの表情の変化に、リウナは一瞬あっけにとられて、 「…ふふっ」 口元に手を当てながら吹きだしました。 くすくす笑っているリウナの珍しい笑顔に、グラオは一瞬驚いて、そしてすぐにむっと口を尖らせます。 「そんな笑う事ないじゃん」 「す、すみません…ふふ、だってあなたの表情の変化があまりにも楽しくて」 「あーうるせー…。…ん、で?」 「え?」 ようやく笑いやんだリウナがきょとんと問い返します。 「…なんでもね」 「…あぁ、口調の事ですか」 「うん。ふつーに話してくれたら嬉しいなぁなんて」 「………」 リウナは暫く何事かを考えて、そして口を開きました。 「わかった」 「え?」 「今から、地の言葉で話すよ。…これでいいんだよね、グラオ」 リウナの口調がくだけたものに変わり、さらに初めて名前を呼ばれて。 グラオの顔がぱぁぁと晴れます。 「…へへ、なんかいいよな、こーいうの」 「こういうのってどういうのよ」 「なんつか、親密度上昇?みたいな」 「口調変えただけだよ。…何も変わってないよ」 そう言ってふい、と顔を逸らすリウナは、誰の眼から見ても照れていて。 目ざといグラオはすぐに気づいて、にへ、と笑います。 「、まっ、そういうことにしとく。…じゃ、俺帰るね」 歩いている間にもう目の前に玄関があって。グラオはノブを回してドアを開けました。 ぴゅう、と吹き込んでくる冷たい風に一瞬グラオは顔を顰めます。 「うん、気をつけて」 「おう。じゃ、また遊びに来るから」 「………うん」 「またな!」 そう言って手をぶんぶんと振りながら雪の道を歩いていくグラオの背を、リウナは前と同じように軽く手を振って見送りました。 |