グラオがリウナの家に遊びに来たのは、それから数日後でした。 "また遊びに来る"の、また、がこんなに早く来るとは思っていなかったのか、リウナが驚いたように目を見開きます。当然前髪に隠れて誰も気づかなかったのですが。 「久しぶりー」 「…久しぶり」 「今日はお土産持ってきたぞ」 言いながら、ほら、と言ってグラオを手に持った紙袋をリウナに見せます。 「俺の好きな店の超超うまいチョコ!」 「ありがと。…でもごめんねちょっと待ってて、今から買出し行かないといけないんだ」 リウナが言った"買出し"とは、リウナの家で使う薬の調合用の薬草の買出しのことです。 いつも一週間に一回薬草の残りを見つつ足りない分を買足しにいくのがリウナの仕事でした。 「あ、俺も行くよ」 「いい。お姉ちゃんいるから中入って待ってて、あなたが来たってわかったらきっと喜ぶし話し相手くらいにはなってくれるだろうから。あたしの医学書読んでてもつまんないでしょ?」 「まぁそうだけど…しっかし、お前ほんとすごいな、俺より一つ下だろ?なのに大人顔負けの医学書読んでるなんてな。天才?」 心底感心した様子でグラオが言って、リウナが照れたように苦笑いしました。 「ちっちゃい頃から絵本代わりで読んでたってだけだよ」 「…漢字とか専門用語は?」 「てきとー」 「…それで、理解できたん?」 「なんとなく。でもちょっと前まで壊死のことかいしって読んでてお姉ちゃんに笑われた。乾癬は読めたのになぁ」 「…かんせん?何それ?」 「乾癬。皮膚病の一種。死には至らないけど、根本的に完治する方法が解明されていない病気。だから積極的な治療を進めていても長期間体の見える部分に皮疹が」 「ゴメンナサイオレニハリカイフノウデス」 早々に降参したグラオのロボットのような声にくすりと笑いながら、リウナはがちゃりと玄関を開けました。 「じゃ、行ってくるね。今日はちょっと量が多めだから、遅くなるかもしんない」 「あ、やっぱ俺手伝うよ」 グラオが言うと、リウナは露骨に嫌そうな顔をしました。 「だめ」 「なんで!女の子に大荷物持たせて買い物行かせるなんて男として失格じゃねぇか」 「失格でも不合格でもダメなものはだめ」 「なーんでー」 「…いいから、おとなしくここでじっとしてるか、それが嫌なら先帰ってもいいから。ついてこないでね」 そうきっぱり言い切って、リウナは部屋を出て行きました。 グラオははふー、とため息をついて、首を二三度横に振りました。 「…なーんで、たまーに余所余所しくなんだろうな」 グラオはまた大きなため息をつきました。 リウナは行きつけの道具屋さんで、足りない分の薬草をすべて選んで代金を手渡しました。 道具屋の店主は相変わらず、何度も足を運んで顔見知りのはずのリウナと事務的な事以外一言も喋らず、目も会わせようとしませんでした。 「………」 リウナも一言も口を聞かず、ぺこりと軽く礼をして道具屋を出ました。 今回はいつもより多い量の買い物だったので、リウナの右手には紐の取っ手が付いた紙袋が二つ、左手には重くて大きな紙袋が一つ抱えられていました。 「…ふぅ…」 リウナは何度か左手の紙袋を持ち替えたり、右手の紙袋を肩にかけたりしてゆっくりと歩いていきました。 こんなことなら荷物を預けておいて二回に分けて運べばよかった、とリウナは思いますが、すぐにその考えを打ち消します。 ―――そんなことしたら、彼が何て言うかわかったもんじゃない。絶対に荷物持つって言ってついてくる。 リウナはそれだけは避けたかったのです。 明るくてお人よしで優しくて、自分なんかといてはいけないのに、だから何度も関わるなって言ってるのに全然聞かない変な人。 お節介で物好きで一直線で、バカで単純で変なのになぜか、 「…ないがしろに、できないんだよなぁ」 このままじゃ、いけないのに。 彼とあたしは一緒になんていてはいけないのに。 リウナはそう考えると少し寂しくなって、前髪で隠れた表情を少し寂しげに歪ませました。 同時に持っている荷物の重みまでのしかかってきたような感じがして、リウナはふぅ、とため息をつきました。 肩からずり下がりかけていた紙袋をぐい、とかけ直し、止まっていた足をまた動かしてリウナは家へと向かいました。 家に続く坂道の曲がり角を曲がった、その時。 「…あぁ、元気元気!」 「この頃アーリグリフに顔見せなかったから心配してたんだよ。風邪でもひいたかと思った」 「何言ってんだよ、バカは風邪ひかないって言うだろ?だからこいつが風邪なんかひかなぐべっ!」 「ひ・と・こ・と多いんだよこのバカ!」 「いってー!グラオテメッ結構本気で殴ったろ!」 「――――――」 「―――――…」 楽しそうな声が聞こえてきて、そしてその声の中にはグラオのものも混じっていました。 見ると、リウナの家へ向かう坂道の真ん中あたりの十字路に、グラオとアーリグリフの同年代の子達が立ち話をしていました。 リウナは無言になって、そしてこの道を通らずに回り道をしていこう、と踵を返そうとしました。 「あー!リウナ!」 タイミング悪くグラオに見つかってしまい、リウナがびくりと肩を震わせました。 そっとリウナが振り向くと、グラオがさっきまで一緒に笑い合っていた子達に手を振りながら坂を降りてくるところでした。 「んじゃ俺この辺で、じゃーな」 そう言い置いてさっさかと坂を駆け下りていくグラオを見て、さっきまで一緒に楽しく談笑していた子達は不機嫌そうな顔をしました。 「…あいつ、リウナ・ミリオンベルと仲良いって本当だったんだな」 「えー、やだー。グラオも呪われてるんじゃない?それにあんな明るいのに、あんなに暗い子に近づくなんて物好きよね。趣味悪いわ」 「あいつが前髪ウザイくらい伸ばしてる理由、知ってるか?あの目で睨まれると、メデューサみたいに命をとられるらしいぜ」 「あ、それあたしも聞いたわ。なんでも、今まで殺した人の血をずっと見てきた所為で、血みたいに真っ赤なんですって」 「俺は血の色の涙を流すって聞いた。本当に死女神なんだなー」 そうぼそぼそつぶやく声が坂の下にいるリウナに聞こえるはずがありませんでしたが、視線と雰囲気と表情でなんとなく言われている内容を理解して。 リウナは重い荷物をぎゅっと抱えて、グラオから逃げるようにその場から早足で歩き出しました。 「あっおいこらちょーっと待て!お前逃げるの多すぎ!」 グラオも早足になってリウナを追いかけます。 リウナは構わず人気の無い横道に入っていきました。そしてすたすた歩きながら、振り向きもせずに怒ったようにこう言います。 「先に帰ってもいいと言いましたよね、それについてこないでくださいとも言ったでしょう!」 「だからあそこで待ってたんじゃん!てかお前なんで丁寧語に戻ってんの!」 「いいからあたしの事は構わないで下さい放っておいて下さい!」 ぎゃんぎゃん言い合いながら早足で横道を歩いているうちに、リーチの違いや荷物もあってグラオは容易くリウナに追いつきます。 「待てって!」 「……っ」 肩を掴まれて、リウナはようやく立ち止まりました。 「ほら、持つから」 左手で抱えていた紙袋をひょいと取り上げられても、リウナは何も言いません。 うなだれたように肩を落として、俯いたまま黙りこくっています。 「…リウナ?怒った?」 グラオが恐る恐るリウナの顔を覗き込もうとします。 「…んで…」 「ん?」 「なんで、あたしなんかと一緒にいるの」 「はぁ?」 急に地の言葉に戻ったリウナに、グラオは怪訝そうに聞きかえします。 「あたしがこの街で嫌われ者ってのはわかってるでしょ。あたしなんかと一緒にいずに、さっきの子達といればいいじゃない。それにその方がグラオにとってもいいでしょ」 「…何、言ってんの」 怪訝そうな顔のまま首をかしげるグラオに、リウナはきっと顔を上げて言いました。 「だって!あたしと一緒にいるってだけで、グラオまで変な目で見られるんだよ!?前も言ったでしょ、この街中であたしに近づくなって!」 「別に俺そんなん気にしねーもん」 「あたしが気にするの!あたしのせいでグラオまで嫌われ者なんかになったら………!」 「リウナ」 急に強い口調で、でも静かにそう名前を呼ばれ。 リウナは少し驚いてグラオの顔を見上げました。 グラオは呆れたような少し怒っているような顔で、口を開きました。 「あのな。じゃあ訊くが、仮に俺がお前みたいに嫌われ者だったとして、お前が俺みたいな普通の人間だったとする。その状況で俺がシカトされたりハブられたりイジメられてたりしてたら、お前は俺から離れて別の奴らと仲良くすんのか」 「…なっ、…そんなわけないでしょ!?」 反射のように即答したリウナに、グラオはふっと笑みを見せました。 「だろ?俺も同じだ。大体、人を外見や根拠のない噂だけで判断してシカトする奴らなんかと一緒にいたって楽しかねぇし。そんだけだよバーカ」 グラオは笑って、そして言いました。 「だから大人しく俺と一緒にいろ」 「…っ、強引だなぁ…」 リウナは俯いて、苦笑交じりにそう呟きます。 「強引だよ」 グラオがけけ、と笑いながら答えました。 「さ、帰るぞ。こんなとこにずっと立ってたら風邪ひく」 そう言ってくるりと背を向けたグラオの背中に向けて、リウナが口を開きました。 「あたしといてもつまんないよ?」 「んなことねーよ。今まで一緒にいてお前がつまんなくないってことは理解済みだ」 「…死期が近くなるかもしれないよ」 「ないよ、そんなん」 背中越しにグラオが答えます。リウナは一瞬だけ唇を噛み締めて、また口を開きました。 「後悔するよ?あたしと一緒にいると」 「しねーよ。俺がそうしたいって思ってんだからな」 背中越しに返ってきた答えを聞いて。 リウナが俯きました。 「………あなた、本当にバカでしょ」 淡々と言われた辛辣な台詞に、グラオがむっとなってリウナを見ます。 「なんだとてめー…、…。…」 文句を言おうと振り返ったグラオは、リウナの顔を見てはっとなりました。 リウナの頬に、何かがぼろぼろと流れていました。 実は随分前からそうしていたのでしょう、俯いたリウナの頬に流れるものが雪道に落ちた跡が何個もありました。 「お前っ…!いつから泣いて…」 グラオが慌ててリウナに駆け寄りました。 グラオが驚くのも無理はありません。泣いたら聞こえてくるはずの嗚咽も涙声も、なにも聞こえなかったからです。 リウナは駆け寄ってきたグラオに、ぽつりと呟きました。 「…どうして…」 前髪で隠れていない部分から伺える表情は、いつものリウナのものでした。呟いた声もいつものリウナの声でした。 これではグラオが気づかなかったのも無理はありません。 「どうして…あたしは、あなたと一緒にいちゃいけないのに、だめなのに…」 ごし、と紙袋を持っていない方の手で目元を拭いながら、リウナは続けます。 「どうして…どうしよう…」 「…何が、だよ」 ただただ流れ続ける涙を拭い続けながら、リウナが呟きました。 「一緒にいちゃいけないのに、だめなのに…だめだって、わかってるはずなのに…、」 「一緒にいたいって…思っちゃう、なんて…」 ふわり。 リウナの体を、暖かいものが包みました。 はっとしたリウナの背中に、グラオの腕が回っています。 リウナの目にはグラオの服の色しか映りませんでした。 そこでようやく、リウナは自分がグラオに抱きしめられていると気づきます。 家族以外に抱きしめられた覚えがないリウナは、突然の事に驚いたのか硬直したように固まっています。 グラオもしばらく無言のまま、ただただリウナを抱きしめていました。 「…グラ、オ?」 「………」 恐る恐る出したリウナの声にも、グラオは答えません。 そして、 「…一緒に、いよう?」 グラオの声が小さく聞こえました。 リウナが前髪に隠れた瞳を、大きく見開きました。 「ほん、と…あなたって人は…」 「なんだよ?」 体勢はそのままに二人が会話を続けます。 「…後悔しない?」 「しない」 「言うだけ言っといて、離れていったりしない?」 「しない」 「………」 リウナが押し黙りました。 しばらく待っても何も言わないリウナに、グラオが訝って声をかけようとした時、 「…え」 グラオの背中にも、リウナの腕が回りました。 その白い小さな手がぎゅぅ、とグラオの服を掴んで、 リウナが顔を上げました。 ぐい、と涙を拭って、その拍子に前髪が避けられて紅い瞳が見えました。 驚いているグラオに、リウナが紅い相貌を細めて、笑いました。 「…ありがとう……」 「…ど、いたしまして」 照れたようにグラオが言って、そして嬉しそうに笑いました。 「帰ろうか」 「そだね」 言って、二人は歩き出しました。 並んで隣を歩くリウナに、グラオはふと思い出して問い掛けます。 「そーいや、お前なんで声出さずに泣くんだよ。全然気づかなかったぞ」 「ん。癖」 「癖?どんな癖だよ、普通大の大人だって泣くとき声抑えられねーもんなのに」 「あたしの泣き声聞こえたら、お姉ちゃんやお父さんまで気が重くなるでしょ」 「………」 思わずグラオが無言になります。リウナは構わず続けます。 「だって…ただでさえ変な噂でお姉ちゃん達にまで迷惑かけてるんだもん。これ以上気苦労かけたくないし。そう思って声出さないようにしてたら悲しいときは涙だけが出るようになったの」 「………」 グラオはやっぱり無言のまま、紙袋を抱えていない方の手でぽんぽん、とリウナの頭を撫でました。 「何?」 「…いや…別に」 気まずそうにグラオが口ごもります。 「変なの」 リウナがぽつりと呟きました。 「…。ねぇ、グラオ」 「え?」 歩きながら、珍しくリウナから口を開いたので、グラオは一瞬不意を付かれて驚きます。 リウナは歩きながら、少し照れくさそうに言いました。 「…いつか、あたし、グラオの隣に胸張っていれるように、人間だって…、魔女でも、死女神でもない、生きてる普通の人間なんだって、自信持って言えるように。…なりたいな」 リウナの言葉に、グラオが目を見開きます。 「今は、まだ、魔女とか悪魔とか言われると、身が竦んじゃうの。あぁ、本当にそうなのかも…って、思っちゃうの。人間じゃないかもって、たまに、思っちゃう。でも、いつか」 リウナが顔を上げました。 「いつか、生きてる人間だって。あたしはちゃんと生きてるんだって。そう思えるくらい、そう堂々と言えるくらい…自分を好きになりたい」 「………」 「…グラオ?」 目をぱちぱち瞬かせてリウナを見ているグラオに気づき、彼女は気まずそうに視線を逸らします。 「…変な事、言ったかな?あたし」 「あ!いやいやいやそんなことないない!」 グラオは慌てて否定してから、はぁ〜〜、と大きなため息をつきました。 「やべー…」 決まりが悪くなったときの癖なのか、がしがしと頭をかいてグラオが呟きます。 「さっきからどうしたの?」 リウナが見上げてきます。 「…なんでもねぇって」 「またそれ?」 「うるせ」 バツの悪そうにグラオがぼやきます。 「…惚れたかも」 本当に本当に小さなグラオの台詞は、リウナの耳には届きませんでした。 |