それから。 グラオはアーリグリフに立ち寄ったときには、必ずリウナの家に遊びに来るようになりました。 遊びにくる、と言っても、外に遊びに出るのではなく、リウナの家の応接間でいろいろな事を話したり、たまにチェスをやったり、時には二人して無言で本を読んだり、他愛も無い事をして過ごしました。 リウナは時々ですが笑顔を見せてくれるようになりました。そしてそれを見てグラオも嬉しそうに笑いました。 まるで恋人同士のような、穏やかな時間を共有するようになりました。 二人が一緒にいることが自然になってきた、そんなある日の事です。 「リウナの夢って何?」 二人でチェスをしていた時、唐突にグラオが言いました。 「何?急に」 リウナはきょとんとしながらも、ポーンを動かしました。 「いや、なんか気になって」 「そう言うグラオは?」 「俺?俺の夢はねー、この大陸一の剣士!」 にかっと笑いながらグラオが言って、リウナがくすりと微笑みます。 「大きい夢だね。あなたらしいな」 「だろ?」 こん、と駒をひとつ動かしながらグラオが笑います。 「リウナは?俺言ったんだからお前も言えよー」 「………」 「やっぱ一流のお医者さん?それとも薬剤師?あ、看護婦とかもアリだよな」 次々と候補を言い並べていくグラオに、リウナは心持ち小さな声でつぶやきます。 「笑ったりしない?」 「笑わねーよ」 「………」 リウナはふぅ、とひとつため息をついて、そして口を開きました。 「あたしね、軍医さんになりたいんだ」 「軍医?」 反復して問いかけてきたグラオに、リウナがこくりと頷きます。 「この国の軍隊には今軍医さんが少ないんでしょ?」 「あぁ、そもそも医者だってお前んち入れてもほんの数軒しかねぇもんな。そんな状況だからか、軍医も一応募集してるけどぜーんぜん集まんないの」 「だったら、軍医さんはこの国にとって必要とされてるってことだよね」 リウナは少し表情を明るくさせました。 「軍医さんになれたら、あたしみたいな魔女って言われてる人間でも、必要としてくれるかなぁって…」 「おいおい…そんな悲観的なこと言うなよ」 「だってそうでしょ。もしあたしが普通のお医者さんになったところで、お客さん一人もこなくなって閑古鳥鳴くのが目に見えるよ」 リウナが言って、グラオが肩をすくめます。 「でも、戦場に女の子連れてくのも…」 「どうして?自分の身くらい、自分で守れる。この力があるんだから」 「それにな、戦場の血なまぐさい光景見たら普通の女の子だったら精神参るぞ」 「じゃあシーハーツはどうなのよ?兵士の半分は女の人じゃない。だったらあたしだって平気だよ、それに血なら見慣れてる」 淡々と言ったリウナの台詞に、グラオは苦笑して言い返します。 「血、って怪我した患者さんとかの血か?そんな程度じゃ…」 「頭蓋割れて脳みそ見えてる人とか内臓飛び出てる人とか片足吹き飛んで骨も肉も剥き出しの人とか手が有り得ない方向に曲がってる人とかも平気だよ」 「……ゴメンナサイ俺ガ間違ッテマシタ」 うぇぇ、と口元に手を当てながら、グラオがうめきます。 「…確かに、戦場に施術使える人間がいたら、すごく有利だけどさー…」 そこまで言って、グラオはあ、と声を上げました。 「そうだよな、施術で回復してもらえれば死者もぐっと減るだろうし、確かに向いてるかも」 「―――…」 グラオが何気なく言った一言で、リウナがびくりと肩を震わせました。 え、とグラオがチェス板からリウナに視線を向けると、リウナは悲しそうな顔をしながら口を開きました。 「あたし…攻撃系の魔法は使えるけど…回復系の、人の怪我を癒したりする魔法、使えないんだ…」 「え?」 グラオの眉が跳ね上がります。 「今まで何度もやってみたけど、全然だめ。…魔女って言われてもしょうがないのかもね。この力は人を傷つけたりする事しかできないんだから」 「………んなこと、ねぇよ」 「どうして?あたしの力は誰かを傷つけたり、燃やしたり、…殺したり、するしかできないんだよ?」 「そんなことないって。お前、前に地下水路で会ったとき、その力で俺を助けてくれたじゃん」 「………」 今度はリウナが沈黙する番でした。 言葉を無くしているリウナに、グラオは笑いながら続けます。 「それに、お前の使える力は火を燃やすだけじゃねぇんだろ?」 「…でも、火で何かを燃やしたり、せいぜい風の魔法でちょっとのあいだ飛んだりできるくらいだもん…」 「いや、それじゅーぶんすごいからさ」 グラオは笑顔を見せて、また口を開きます。 「誰かを傷つけるかもしれない力、ってのも、視点を変えれば他の役にも立つんだぜ」 「…そう、かな」 「そうそう、例えば」 言いながらグラオは立ち上がって、部屋の隅に立てかけておいたグラオ愛用の刀を手に取りました。 「これは、確かに人を傷つけるしかできない刃物で、凶器で、武器だ。だけどな、俺はこいつに何度も命を救われた。こいつがなきゃ、きっと今俺はここにいない」 手に取った刀を誇らしげにリウナに見せながら、グラオが続けます。 「それに刃物だって、人を傷つけたり、悪い事ばかりに使われるわけじゃないだろ?包丁がないと人間は食べ物を調理できないし、リウナんちだって、メスとかえーとその辺詳しくないからよくわかんないけど、刃物みたいな医療器具あんだろ。それで命救われた人だって何人もいるじゃねぇか」 「………」 「それにハサミは人の髪の毛を切る事のできるスバラシイ刃物だ!これのお陰で今の俺の髪型がある!」 急にキラリと目を輝かせたグラオに、リウナは呆れたようにかくんと頭を垂れました。 「…まともな事言ったかと思えば…やっぱグラオはグラオだね」 「何だよそれ。そーだお前も切ってやろっか髪?」 「遠慮しとく」 「えー。リウナのキレーな髪毎日構うのが俺の密かな夢なのにィ」 「何ばかなこと言ってんのさ」 リウナはグラオの台詞に込められた密かな意味に気づくことなくさらりと流しました。 グラオが苦笑いをして、刀を壁に戻します。 「だから、俺が言いたいのはさ。リウナの力は、誰かを傷つけたりする為のものじゃないんだって事」 「………」 「もちろん、誰かを呪ったり殺したりする為のものでも、ねぇと思う」 「………」 「きっと、さ。リウナの力は、人を助けるためにあるんだよ。…人の死期がわかるその目だってさ、もしかしてカミサマがお前に死期が近づいている人間を助けろって言ってるのかもしんないじゃん。すごい事だよ」 「そんな、事…」 「そんな事あるの!今俺が決めた!」 言いながら胸を張るグラオに、リウナがくすっと吹きだしました。 「相変わらず、強引なんだから」 「いーの。それが俺」 元いたソファに戻ってきて腰をおろしながら、グラオがにぱっと笑いました。 「じゃ、またな」 日も暮れてそろそろ帰らなければいけない時間になったので、グラオはリウナの家の玄関で手を振りました。 「うん、またね」 リウナも手を振り返します。 リウナにくるりと背を向けてグラオが歩き出します。 と、そのとき。 「グラオにーちゃん!」 と呼ぶ声が聞こえ、グラオが立ち止まりました。 声のした方を見ると、小さな男の子が息を切らせて走ってくるのが見えました。 「おー、どした?」 顔見知りなのでしょう、グラオが笑ってそう声をかけました。 小さな男の子はグラオのところまできて、息を整えてから口を開きました。 「うちのマオが木に登って下りれなくなっちゃったんだ!」 「マオ?…あぁ、お前が飼ってる猫か」 「それに、枝にひっかけてケガもしてて、血がぽたぽたって流れてて…グラオにーちゃんならなんとかできるかもって思って…」 泣きそうな男の子は、懇願するような目でグラオを見上げます。 グラオはふむ、と口元に手を当てました。 「あ、そだ」 何かを思いついたように、グラオはくるりと振り向きました。 後ろには、今しがた出てきたばかりのリウナの家。と、グラオが男の子と何を話しているか気になっていたのでしょう、玄関の前に立ったままのリウナがいました。 グラオはリウナに手招きします。リウナは一瞬嫌そうに顔を歪めましたが、しぶしぶと言った様子で歩いてきました。 「…何」 リウナの声を聞いた途端、泣きそうになっていた男の子がびくりと肩を竦ませました。 「あ…」 怯えた目でリウナを見上げる男の子から、リウナは悲しそうに顔を逸らします。 グラオはそれを見ながら苦笑して、口を開きます。 「この子の猫が木に登って下りれなくなっちまったんだと。お前の力でなんとかできないか?」 それを聞いた男の子が慌てたように口を開きます。 「やだよ!僕のマオに何する気だよ!」 「………」 「まーまー落ち着け。こいつは悪いやつじゃない。俺が言うんだから信用しろよ、な?」 優しげにそう言うグラオに、男の子は頷きませんでした。 それを見て僅かに苦笑しながら、グラオはリウナに向き直ります。 「リウナ、できるな?」 「………」 黙りこくった後、リウナはこくりと頷きました。 「よし!頼んだぜ」 「……うん」 意を決したように、リウナはもう一度頷きました。 「案内しろよ、その猫のとこ」 男の子はまだ怯えた目をしていましたが、グラオにそう言われて恐る恐る歩き出します。 そこから少しも歩かないうちに、その木はありました。結構な大きさを持つ木で、高さも相当のものでしょう。 そしてその木の、二階建ての家の窓くらいの高さの枝に、一匹の猫がうずくまっていました。 猫は前足をどこかにひっかけたのか、男の子の言ったとおり怪我をしていました。 「おー、確かにこりゃ高いな」 「…そうだね」 ぽつりとリウナが呟きます。 「…マオ…」 泣き出しそうに男の子が呟いて、リウナがぽつりと口を開きました。 「大丈夫。影は染まってない。絶対助かるよ」 「え…?」 男の子が、小さく声を漏らします。 リウナはその呟きには答えず、すぅ、と深呼吸をして、そして小さく呪文を詠唱します。 やがて詠唱は完成して、リウナは呪文を唱えました。 リウナの声と共に、ぶわっと風が巻き起こりました。そのまま上手く風を操作して、ふわりと浮き上がります。 「うわぁ…」 さっきまで怯えていた男の子が、あっけにとられて目を真ん丸くさせました。 リウナはあっという間に猫のいる枝について、そして猫を抱き上げてまたゆっくりと戻ってきます。 リウナがとん、と地に足をつけると、ぽかんとしている男の子と目が合いました。 「…はい、あの子のとこにいきなよ」 リウナがしゃがんで猫を放してやると、猫はとん、と地面に飛び降りて、男の子の元へとかけていきました。 「マオ!」 男の子が猫に駆け寄ります。 猫はなぁう、と一声鳴いて、男の子の腕の中にぴょんと飛び込みました。 「良かったな」 「うん!」 嬉しそうに頷く男の子は、あ、と声を上げてリウナを見上げました。 「お姉ちゃん、ありがとう!」 満面の笑顔でお礼を言われて、リウナが目を見開きます。 思わずリウナがグラオを見ると、グラオはにぃ、と笑いながらリウナに言いました。 「な?お前の力、誰かを傷つけるだけじゃないだろ?」 「…うん……」 言われて、それはそれは嬉しそうに、リウナが頷きました。 「ケガ、痛い?ごめんな、俺がちゃんと止めなかったせいで」 男の子は猫の前足の痛々しい切り傷を見て泣きそうな声を出します。 それを見ながら聞きながら、グラオがぼそりとリウナに耳打ちします。 「…なぁ、本当に回復魔法使えねぇの?」 「―――。う、ん」 「試してみたら?もしかして、今なら使えるかもよ」 「………」 リウナはグラオに促されて、ぽそぽそと呪文を詠唱し始めます。 やがて詠唱は完成して、 「…ヒーリング」 リウナが猫に手のひらを向けて呪文を唱えます。 が、何も起こりませんでした。 「…やっぱり、だめか…」 落ち込んだ様子でしゅんとなって呟くリウナに、グラオが慰めるようにぽんぽんと肩を叩きます。 「だーいじょぶだって、いつか絶対使えるようになる!俺が保障する!」 「どんな保障だよ、もう」 困ったように笑って、リウナは小さく微笑しました。 「…でも…。グラオに言われると、本当に使えるようになるかもって、思えちゃうんだから不思議だよね」 「え?」 「なんでもないよ」 リウナはそう答え、くるりとグラオに背を向けました。 「リウナ?」 「消毒液と血止めの薬、あと包帯持ってくる。…魔法だけが、人を癒せる手段じゃないでしょ」 ぱたぱたと家に走っていくリウナの後姿を見送って、グラオは感心したようにふぅん、とつぶやきます。 「あいつも、なかなかイイカンジの性格になってきたなぁ」 ぽつりと呟いたグラオの台詞は、誰の耳にも止まることなく白い息と共に消えました。 そうやって、出会ってから結構な時間が経ちました。 そんなある日、グラオはいつものようにリウナの家に訪れました。 ですがいつもと違ったのは、その時間帯でした。 いつもは昼か、昼前に来るグラオが来たのは、陽の落ちかけた夕暮れ時でした。 「珍しいね?グラオがこんな時間に家に来るなんて」 リウナが玄関を開けて出迎えると、グラオがよ、と声をかけます。 「…?」 ですが、その顔がどこか緊張しているような、真剣な顔だったのでリウナは少し驚きます。 「どうしたの?入っていいよ。夕食くらいなら食べていってもいいし」 「…あぁ」 いつもならお邪魔しまーす、と楽しそうにどかどかと家に入って来るはずのグラオは、そうぽつりと言ったもののそこを動こうとしません。 ますます不思議そうに、リウナがグラオを見ました。 グラオは唇を引き結んで、そして口を開きます。 「…あのさ。ちょっと、外出ない?」 「え?」 「………話があるんだ」 すごく真剣な表情でそう言われ、リウナは驚きつつも頷きました。 「…どうしたの、改まっちゃって」 しばらく歩いて、人気の無い小さな公園まで来て、リウナはぽつりと問い掛けます。 グラオはそこでようやく立ち止まり、誰もいない公園のベンチに腰掛けます。 ぽんぽんとベンチを叩いて、座れよ、とリウナに硬い声で言いました。 「………」 言われたとおりにリウナがベンチに腰を下ろします。 「…何?話って」 リウナがぽつりと呟きます。 「………」 グラオはリウナの方を見ずに、膝の上に置いた拳をぎゅっと握って口を開きました。 「…俺、もう少しで15歳の誕生日なんだ」 「そうなの?いつ?」 「一週間後」 「そうだったんだ。何か欲しいものある?お祝いするよ」 「………」 リウナの声に、グラオは沈黙を返しました。 そして、意を決したように口を開きます。 「…その日、焔の継承を受けようと思う」 「!」 静かに告げられたグラオの声に、リウナの表情が凍りつきました。 「焔、の、継承って…エアードラゴンを従えるための、あの儀式…?」 「あぁ」 「成功率は三割を切るって言われてるほど難しくて、下手したら死ぬかもしれないって…」 「…あぁ」 頷いて、グラオは紅く染まっている夕空を見上げます。 「話したろ?この大陸一の剣士になりたいって。…そのためには、この継承を受けて、成功させて、もっと強くなる必要がある。そう、思うんだ」 「………」 リウナは何も言いません。いえ、何も言えませんでした。 俯いたまま、唇をぎゅっとかみしめます。 「…でも、何で、あたしに…」 こんな時間に、わざわざ外にまで連れ出してそれを言いにきたのかと、リウナが問いかけようとすると、 「好きだ」 「…え………」 「リウナが、好きだ」 リウナが思わずグラオを見ました。 グラオも、リウナを見ていました。 冗談を言っているように見えない、真剣な目でした。 「…何、言って…」 リウナの顔が赤く染まります。 「本気だよ」 グラオが苦笑します。 「…焔の継承を受ける前に、これだけは、お前に言っておきたかったんだ」 グラオが言うと、リウナがぶんぶんと首を横に振りました。 「何よそれ、まるで遺言みたいなこと、言わないでよ!」 リウナは俯いたまま、うめく様に言いました。 グラオが苦笑し続けます。 「…遺言なんかじゃねぇよ。焔の継承受けて、ちゃんとエアードラゴン従えて、俺は絶対帰ってくるから」 グラオがふっと表情を崩して微笑みます。 「そんとき、返事くれな」 そう言って、グラオが立ち上がろうとした時、リウナが先に勢い良く立ち上がりました。 グラオが驚いてリウナの顔を見ます。 見上げたリウナの顔は、何かをこらえるような、耐えるような顔をして唇を噛み締めていました。 「あたしはあなたなんか嫌い!」 リウナの高い叫び声が、夕闇に呑まれ始めた公園に響きました。 グラオが目を見開きます。 リウナはきっ、と前髪に隠れた瞳でグラオを睨みます。 「嫌い嫌い、大嫌い!グラオなんて大ッ嫌い!!」 リウナはグラオを睨みつけたまま、叫び続けます。 「リウ…」 「もうあたしに近寄らないで。好きだなんて、もう絶対に言わないで!」 まくし立てるように言って、リウナは顔を逸らし夜闇に染まり始めた公園の出口に向かって走っていってしまいます。 「リウナ!」 グラオが立ち上がって大声でリウナを呼びます。 ですが、リウナは立ち止まる事なく、家へ戻る道を駆けていってしまいました。 「………」 グラオはぐしゃ、と前髪を掴みながら、勢い良くベンチに座りました。 「あーあ…。ちったぁ脈あると思ったのになぁ」 肩を落としてグラオがひとりごちます。 「今まで結構イイカンジで来てたのになぁ」 そして背もたれに背中を預けて空を見上げて、大きく息をつきました。 「…あ――――――…。なんか、涙出てきそー…」 その呟きは、誰の耳に届く事もなく夜闇に消えていきました。 |