※連載物の第二話です。話がわからない方は先に25.風ふく街を読んでくださいマセ。 穏やかに流れてゆく川があった。 底が見えるほど透き通った水が川の中にある大きめの石や川べりに当たり、絶え間なく水音が聞こえる。 空の真ん中辺りまで昇った太陽が、水面に映って揺れていた。 涼しげな音を効果音に、緩やかに、たおやかに、水は流れる。 川岸に、一人の男の子がいた。 金色と黒の混じった不思議な色の髪はぼさぼさで、肩のあたりで不揃いに切られている。 その男の子は川岸にうつぶせになって、体の前で重ねた両腕に顎を乗せ、川が流れているのをぼぉっと眺めていた。 男の子の近くには、一人の女の子がいた。 夕陽のような色の髪と、菫色の瞳。年は男の子と同じくらい。 その女の子は川の近くに咲いている花を楽しそうに見ていた。 手には摘み取ったらしい花が数本。 その花は、薄紅色をした香りの良い、綺麗な花。 この星で信じられている女神と同じ名の、美しい花。 願い事 しばらく経って、女の子が立ち上がる。 男の子の方を見て、一言。 「ねぇ、この花知ってる?」 男の子が首だけ振り向く。 女の子は手に何本か摘んだ花を、男の子に見せるように差し出した。 女の子が手に持っているのは、薄紅色の小さな花だった。 「…ううん。知らない」 男の子は首を小さく振って答えた。 女の子は男の子の近くまで数歩歩いて、しゃがむ。 「この花はね、パルミラの花っていうの。綺麗でしょう?」 「へー。うん、綺麗だな」 男の子はそう答えて、また川へと視線を戻す。 女の子は少しつまらなさそうに、また花の咲き乱れる場所へと戻った。 またしばらく経って、女の子が男の子の寝そべっている方を振り向いた。 先ほど声をかけた時とまったく変わらない体勢で、男の子はそこにいる。 女の子は一人で花を眺めたり摘んだりしているのがつまらなくなったのか、また声をかけた。 「ねぇ、何か面白いものでもあるの?」 ここに来て、ずっと川を眺めている男の子に向かって女の子が尋ねた。 男の子は視線を川から動かさないまま、答える。 「うん。川」 「川見てて面白いの?つまらなくない?」 「んなことないよ。お前もこっち来て見てみ?」 その言葉に不思議そうに頷いて、女の子が摘み取った花を手に持ったまま川岸まで歩いた。 寝そべる男の子の隣に座り込む。 しばらく、同じ方を見たまま沈黙が流れた。 「…。面白い、かなぁ?」 女の子が言って、男の子が答える。 「うん。珍しくて面白い」 「珍しいの?あ、そういえば、カルサアでは近くに川がないんだったっけ」 「そうそう。谷の下のすっげー深いところにしかないからさ」 男の子はそう言った。視線は川に向けられたままだ。 「だから、こんなゆっくりゆっくり流れる川見るの面白いんだ」 「ふぅん…」 そんなものなのかな、と女の子が首を傾げた。 摘み取った花を眺めていた女の子が、ふと今までとは違う話題を出した。 「あ、そうだ。パルミラの千本花って知ってる?」 「…何それ」 聞きなれない単語に、男の子が眉根を寄せる。 「この花を切れないように千本結ぶと、願い事が叶うっていうおまじないなの」 「…あー、聞いたことあるかも。母さん、そういうの好きだから」 「そうなんだ。じゃあ、アルベルのお母さんは作ったことあるの?」 アルベルと呼ばれた男の子は首を振って答える。 「作ろうとして、でもすぐ諦めてた」 「あはは、そうだよね。千本なんてすっごく多いし、大変だもんね」 女の子は笑って、また花に視線を戻す。 「わたしも一回作ろうとしてみたけど、百本くらいで終わっちゃったんだ」 「あ、作ったことあるんだ」 相変わらずの寝そべった体勢のまま男の子が意外そうに言った。 「うん」 「何か叶えて欲しい願い事でもあったのか?」 その問いに、女の子は少し困ったように笑う。 「うーん。特にはなかったんだけどねぇ。大きくなって願い事ができたらその時までとっとこうと思って」 「…そーいうのアリ?」 「アリだよー、願い事の神様もそこまでせっかちさんじゃないと思うし」 女の子は、まぁ、けっきょく作れなかったんだけどね、と続ける。 「ネルってやっぱ面白い考え方するのなー」 男の子はそう言って笑う。 「別に千本じゃなくてもいいんじゃねぇ?」 男の子が言った台詞に、女の子は不思議そうに振り返る。 「え?」 「千本なんて普通に無理じゃん。俺ら子供だし百本でもいいと思うぜ」 「でもそれじゃ千本花にならないよ」 「"願い事の神サマ"とかいうのも、そこまでケチじゃねぇって」 女の子は先ほど自分が適当に作った単語を言われ、きょとんとなる。 「そうかな?」 「そうだろ。だってみんながみーんな一人千本も花摘んだら、この辺の草原ハゲちまうんじゃねーの」 辺りを見回しながら言った男の子の台詞に、女の子は思わず笑い出した。 「あははは!そうなったら大変だね」 「だろー?だから俺ら子供は百本でいいの」 「…そっか。そだね。じゃあわたしも作ってみようかな」 急に言い出した女の子に、男の子は一瞬変な顔をする。 「時間あるのか?」 「百本ならなんとかなるかなって思って」 張り切って花畑のほうへと足を向ける女の子の背中に、男の子の声がかけられる。 「手伝おっか?」 「あ、いいよいいよ。一人で全部やってみたいんだ」 そう言って花畑の真ん中に座り込み、女の子は一本一本丁寧に花を摘み取り始めた。 真剣な表情で花を摘んでいる女の子を見ながら、男の子は少し暇そうに川岸に腰掛けた。 また先ほどと同じように川をぼんやりと眺めながら、足をぶらぶらと揺らす。 男の子はふと、さっき自分が川を眺めるのに夢中だった時の事を思い出す。 「…ネル、退屈してたんかなー」 ぽつりとつぶやく。 女の子は口にこそ出さなかったが、確かに先ほど暇そうにしていた。 だからこそ、今千本花ならぬ百本花作りにあれだけ集中しているのだろう。 「………」 男の子は黙り込んで、そしてなんとなく女の子を見る。 やっぱり集中しているようで、真剣な顔をして花を一本一本結んでいた。 「………」 男の子はまた黙り込み、そして何かを思いついたように立ち上がった。 向かった先は、女の子が座り込んでいる所から、少し離れた場所。 それから、小一時間ほど経って。 「…できたぁー!」 百本花作りに入ってから一言も言葉を発さなかった女の子が、いきなり大きな声を上げた。 少し離れたところにいた男の子が、少し驚いて振り返る。 誇らしげに女の子が持っているのは、丁寧に結ばれた花。 女の子は嬉しそうに、花を手に持ったまま男の子の座っている方へと駆けていった。 「ほら、見て見て!できたよ」 「結構速かったな」 「うん、頑張ったもん」 にこにこ笑いながら女の子が言った。 「あれ?アルベルは何やってるの?」 男の子が手に何かを持っているのを見て、女の子が覗き込む。 男の子は何故か少しぶすくれた表情を作り、少し俯きながら手に持っていた物を女の子にずい、と差し出した。 「やる」 「え?…わぁっ!」 差し出された物を受け取りながら、女の子が楽しそうに感嘆の声を上げる。 男の子が差し出したのは、パルミラの花で作られた花冠だった。 「…あんま、こういうの得意じゃねぇから、下手だけど」 男の子が俯いたままぼそぼそと言った言葉を気にせず、女の子は表情を明るくさせる。 「そんなことないよ、すっごく可愛い!本当に貰っていいの?」 「俺が持っててもしょうがねぇだろ」 「じゃあ、どうして作ったの?」 「うっ」 男の子は一瞬口ごもり、そっぽを向いて、 「…えーと、確かこっちの地方のおまじないに、ナントカの花冠っていうのがあったような気がして。暇つぶしに作った、そんだけ!」 まくし立てるように早口で答える。 女の子はきょとんとなって、ナントカの花冠?と男の子の言った言葉を繰り返した。 「それって、エレノアの花冠のことじゃない?ユパの花で作るヤツ」 「…あ」 しまった、といった感じの表情をした男の子を見て、女の子がまた笑い出す。 笑われた所為か憮然とした表情になった男の子に、女の子は慌てて謝った。 「あ、ごめんごめん。でも、パルミラの花で作っても綺麗だよね」 「…別に無理して言うことねぇけど」 「無理してないよ。ほんとに綺麗だって思うもん。パルミラの花で作られてても全然綺麗だよ」 屈託なく笑う女の子を見て、男の子は気の抜けたように苦笑する。 「そっか」 「うん!ありがとね」 女の子はそう言ってまた笑った。 男の子もつられるように、笑う。 「えへへ。願い事、叶っちゃった」 「え?」 願い事?と聞き返す男の子に、女の子はこくりと頷いた。 「百本花作ってた時に、一応願い事考えてみたの」 「さっき願い事なんて特にないみたいなこと言ってたじゃん」 「まぁ気にしない気にしない」 軽い調子で答える女の子に、男の子はふぅんとつぶやく。 女の子は立ちっぱなしが疲れたのか、男の子の隣にちょこんと座った。 「で?何願い事したんだ」 「んーとね。わたしもアルベルも、みーんなが笑顔で幸せでいられますようにって」 「幸せ?」 「うん。今わたしアルベルにお花の冠もらってすっごく幸せだよ」 「ね?叶ったでしょ?」 「…そだな。叶ったみたいだな」 「百本でも、ちゃんと叶えてくれるんだね!」 楽しそうに幸せそうに女の子が言った。 「そうだ。アルベルも何か願い事してみたら?」 「は?」 素っ頓狂な声を上げる男の子に、女の子はさらに言った。 「"願い事の神サマ"も、きっとついでに叶えてくれるよ」 「…そうか?」 「うん。ほらほら早く考えないと効き目切れちゃうよ」 女の子は急き立てるように言う。 薬じゃねぇんだから…と少々呆れながらも、男の子は律儀に願い事を考える。 「…。考えたけど言わない」 悪戯っぽく笑う男の子に、女の子は少し不満げに頬を膨らませる。 「何で?」 「言ったら、花にお願いするみたいでなんかヤだろ」 「花に言わなくても、自分で叶える」 「ふーん…?」 「だってさ、花に頼ってるみたいで嫌じゃねぇ?」 そう訊く男の子に、そうかな?と女の子が訊き返す。 「願い事って自分で叶えるものだろ?頑張れば自分でできることなのに、花に頼むのもなんだかなぁって思うんだよな」 男の子はそこまで言って、何かを気づいたようにはっとなって付け足した。 「あ!でも、何か願い事するのがダメって言ってるんじゃないからな?花に頼んだって何も悪くないんだから」 慌てたように言う男の子を、女の子はどこか尊敬しているような眼差しで見た。 「…アルベルってオトナな考え方するねー」 「…そか?」 「うん。すごいなぁ」 そう言われても、本当にすごいのかいまいちわからなくて、男の子は少し照れたようにそっぽを向いた。 女の子は男の子の言ったことを聞いて少し考える。 「んー。じゃあ、つまりは、お願い事を花にしたとしても、それを叶える為に自分も頑張ればいいってこと?」 「まぁ、そんな感じ?」 微妙に違ったとらえ方をしている女の子に苦笑しながら、男の子が答えた。 「じゃあ、わたしはみんなを幸せにするために頑張ればいいんだね。よーし、頑張ろっと!」 「…んぁ?なんか違くないか…」 男の子が小さく漏らした突っ込みともとれる台詞は、都合の良いことに女の子には聞こえていなかった。 やがて、水面に映った太陽が山の向こうへと沈んでいき、紅い光を辺りに撒き散らし始めた。 ゆっくりと落ちていく夕陽に照らされ、すべてのものが染まってゆく。 昨日と同じように、草原も、夕方になったため閉じた花も、変わらず流れている川も。 そして、城門が閉められてしまうと焦りながら村へ走っていく二人の子供も例外なく。 「んで、けっきょくアルベルの願い事ってなんだったの?」 なんとか城門を閉められる前に村へ帰ることができた二人が、また並んで歩いていた。 「えー?秘密」 「気になるよー教えてよー」 「やーだね」 「いいじゃない!わたしもその願い事叶えるの手伝うから、ねっ?」 「ちょっと待て。それじゃ意味ないだろ」 「へ?」 「自分自身で叶えなきゃダメじゃないのかってさっき言ったじゃねーか」 「でも、アルベルの願い事が叶えばアルベル幸せでしょ?そうすればわたしの願い事も叶うじゃない。二人いっぺんに願い事を叶えられるんだよ?」 「………」 「…ずっと、"このまま"が続いてほしい」 「…え?何か…言った?」 声自体はほとんど聞こえなかったが、男の子の口が僅かに動いたように見えて、女の子が聞き返す。 「いいや?」 「…そう?で、願い事って?」 「だからひーみーつ」 「むー。教えてよー」 頬を膨らませながら女の子が拗ねたようにそっぽを向く。 男の子はそんな女の子の様子を面白そうに、かつ困ったように見て、口を開いた。 「…じゃあ、また明日な!」 そう言って、先に宿屋の方へ駆けていく。 置いてきぼりにされた女の子は少し慌てて、 「えっ、ちょっと待って!そんなのずるいよ〜!」 男の子の後を急いで追いかけた。 あの頃から、あんたは大人びた考え方をしてたね。 その時はいたく感心して、尊敬した覚えがあるよ。 …ううん、今も尊敬してるって言ったほうが正しいのかな。 そんな、ひどく大人びた考え方のあんたが、自分で叶えるって言った願い事。 あんたが小さな、本当に小さな声で呟いた台詞。 …ほんのちょっとだけど、聞こえてたんだ。 あの時は、どういう意味なのか、よくわからなかった。 でも…。 今なら、その気持ちが痛いほどわかるよ。 NEXT. |