※先に41.誓いを読んでいただくと話がわかりやすいかと。 …あんなに怖ろしい思いをしたのは始めてだったよ。 間違いなく、生まれて初めてだった。 雪の舞い落ちる街アーリグリフに私はいた。 例外なくいつもと同じように舞い降りる白い綿のような雪を見つめながら、白い息を吐く。 白い街だ。 そう、感想を持った。 雪に覆われ真っ白に染まった街。 少し前までは戦争をしていた国だから、こんな風にのんびり眺めていられるのが不思議な気すらしてくる。 さくさくと雪を踏みしめながら、街を二つに分けるように伸びている幅の広い道を歩いた。 向かう先は、厳つい印象を受ける大きな要塞のような城。 戦争が終わったとしても、その時点で綺麗さっぱり元通りになるはずもなく。 相手方に確認しなければならない事、要求しなければならないことはまだまだ尽きない。 一応クリムゾンブレイドという重職に就いているからには、少しは事後処理をしなければならない。 クレアは気にしないでいいと言っていたが、他人に任せっきりにできるほど自分は淡白ではなかった。 …もしあいつが私の立場だったなら、きっと他人に任せて自分は旅に専念するんだろうな、と。 黒と、金色の色彩を持つ頭髪をした誰かを思い浮かべる。 そういえば、とふと思い出す。 昨日の事。 事後処理やらなんやらで用事があって、ちょうど近くに来たからこの街に立ち寄ってくれないかとフェイトに訊きに行った時。 「え、ネルさんもアーリグリフに用事が?」 フェイトは目を丸くしてこう聞き返してきた。 「え?他にも誰かこの街に立ち寄りたいって言ってきたのかい?」 「あ、はい。ついさっき、アルベルが」 あいつが自分から言ってくるのは珍しいからどうしたのかと思ったんですけど、とフェイトは首を傾いでいる。 「FD世界から帰ってきたばかりですし、忘れ物でも思い出したんでしょうかね?」 「さぁ…。私はただ、戦争の事後処理の関係で確認しなきゃいけない事があったからなんだけど…」 「あ、大丈夫です。もうすぐ日没ですし、ゆっくり体を休める為にもアーリグリフで一泊しますから。明日は買出しにあてる予定なんで、ゆっくり事後処理してきてください」 にこ、と笑って言われた台詞に、ありがとう、と返す。 「んーでも本当アルベルどうしたんだろう?なんかいつもと様子が違った気もしましたしー…」 フェイトの言い残した言葉が少し気にかかったが、たいした事はないだろうと思い直す。 様子が違った? 何かあっただろうか。 自分が昨日見た限り、普通だった気もするのだが。 あいつの感情の変化は結構見抜けると思っていたのにな、と苦笑して。 歩いているうちに城門まで着いて、門番の兵士が一礼してくる。 「戦争の事後処理の件で確認したい事がある。中に入っても構わないかい」 「はっ、何も問題はありません」 「そう、じゃ通らせてもらうよ」 必要最低限の会話を交わし、中に入る。 多少緊張しているのか、自分でも動きが微妙に固いと分かる。 潜入以外でこの城に入ったのはまだ二度目だ。 こんなに堂々と門をくぐる日が来るとは思っていなかった。 直に慣れるだろうと、緊張しているのに気づかない振りをして、まず王の元へ行こうと階段を上がった。 アーリグリフ王は玉座に座りながら、兵士に何やら指示を出していた。 こちらの姿に気づくと、手早く話を済ませて兵士を下げさせ、視線を向けてくる。 「久しいな。何か用か、ネル・ゼルファー」 忙しい所為か、簡潔に用を訊いてくる。 一応片膝をつこうとすると、 「楽な姿勢で話してくれて構わない」 心持ち早口で告げられる。思ったよりも礼儀にうるさくないようだ。 まぁ、人員不足はお互い様だろうし、気にしてもしょうがない。 そう思ってこちらも簡潔に用件を話す。 「突然の訪問失礼する。ウォルター老より聞いておられるだろうが、不当に捕縛された捕虜について一応確認させてもらいたい。地下牢にまだこちらの捕虜がいないか、自分の目で確かめても構わないだろうか?」 そう告げると、玉座の脇に控えていた多分側近であろう兵士が、王が何か言う前に口を挟んできた。 「お前、国王陛下に向かってそのような要求をしていいと思っているのか!これだからシーハーツは…」 「よい。下がれ」 王が一瞥してそう言うと、兵士は王に向かって、 「はっ、申し訳ありません」 硬い動作で、"王に向かって"非礼を詫びた。 その兵士の行動を見て、小さくため息がこぼれた。 …まぁ、急に休戦協定を結んでそれで元の関係に戻れるだなんて、私も思っちゃいないけど。 「すまないな、話を元に戻そう。確認の件だが、了承する。地下牢の見張りの兵へも通達しておこう」 言うが早いが、王はさっき口を挟んできた兵に何事かを口頭で告げる。 兵士は硬い口調で応え、敬礼し地下牢へ向かって行った。 「早急な対応、感謝するよ。では、私はこれで」 「あぁ」 一礼して、私は踵を返した。 最初通ったほうとは逆の、地下牢への扉が近い階段を下りる。 階段を下りる途中、見覚えのある人間が目に留まる。 上から見下ろす体勢だったので、その奇妙な色彩の髪がすぐに視界に入った。 「…お前がこの城内にいるとは珍しいな」 こちらに気づいたのか相手は声をかけてくる。 「あんたこそ。いつもは重要会議でもない限りここへは立ち寄らないんじゃなかったのかい」 「………」 奇妙な色彩の髪の持ち主は、その問いには応えず私の横を通り抜け、階段を上がって行った。 「…?」 少し不思議に思い、その後姿を暫く見つめる。 階段を上り終えて玉座の間の方へ向かって行った彼を見て、まぁ多分国に帰らず旅をしていたことに関する説明でもしにいくのだろう、と考えて。 私も止めていた歩みを進めて、地下牢への扉を押し開けた。 地下牢は湿気がひどく、石で囲まれた地下故に地上よりさらに寒かった。 見張りの兵は通達を受け、気を遣って確認が終わるまで席を外してくれていた。 何個かある地下牢を、くまなく一箇所ずつ見て回る。 こんな所に、長くて数年短くとも一年は放り込まれていたであろう捕虜が心底気の毒だった。 中にいるのはヴォックスによる戦争犯罪が原因だろうか、アーリグリフの人間。 見覚えのある尋問官や、費用の横領でもしたのか貴族などが牢の中に入れられている。 ゆっくりと見落としがないように、牢の中を見て回る。 シーハーツの人間は一人もいなかった。 以前牢に入れられていたアペリス教の神父も、今はいない。 王、そしてウォルター老が要求をすんなりと受け入れてくれた事にほっとしながら、来た道をまた戻った。 ただでさえ寒い街のさらに地下は、吐く息が凍るほど温度が低い。 城の外にいた時と同じように白い息を吐きながら歩いていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「…ってるんだよ!………るのか、…………!」 狭い通路だからか、小さい声でも響いて少しだが聞こえてきた。 今見えている曲がり角を曲がった先に、誰かがいるらしい。 しかも断片的ながらも聞こえてきた声からすると、フェイト。 「……なのか、………だぞ、……」 そして、どうやら話している相手はアーリグリフ王らしい。 どうしてフェイトと王がこんなところに? そう思いながら、歩みを進める。 もう少しで曲がり角を曲がる時。 「うるせぇよ、第一何故お前まで着いて来る必要がある?」 もう一人、別の人間の声が聞こえた。 先ほど階段ですれ違った彼の声。 三人揃って何をしているのか?そう思って、曲がり角を曲がる。 「本当に分かってるのか、アルベル!?もし運が悪ければ、お前が命を落とすことになるんだぞ!」 ―――え? 足が、竦んだ。 「…む?お前は…」 その場で立ち止まっていた姿が見えたのか、王が私を見咎めて声を漏らす。 それに気づいて、フェイトが声を上げる。 「ネルさん!?どうしてここに…」 「昨日言っただろ?不当逮捕されていたシーハーツの人間がまだ残っていないか確認をとらせてもらってたんだ」 「そうですか…」 近づきながら説明する。 間近で見たフェイトの様子は、彼にしては珍しく動揺しているようだった。 「そ、れよりも、ネルさん!アルベルが…」 「え?そういえば、さっき何か言い争ってたようだけど…」 慌てた様子のフェイトから視線を外し、私がここに来てから無言で佇んでいる彼を見た。 どこか達観した、それでいて静かな表情をしていた。 「お前はクリムゾン・ヘイトという剣を知っているか?」 「クリムゾン、ヘイト…」 聞いた事はある。 古代シーフォート王国より伝わる、魔剣の名。 「知っているよ。確か、意思のある剣で、自ら使い手を選ぶ魔剣」 「そうだ。もしも剣に相応しくないと判断されれば、命を砕かれるという曰く憑きの剣だ」 それがどうかしたのか、と訊こうとした瞬間。 「その剣を、今から手に入れる、って…言ってるんです、アルベル…」 「!」 「もしかして、命を落とすかも、しれないのに」 あいつが? 命を、落とす? 一瞬、世界が止まったような気がした。 フェイトの顔色が悪かったのはその所為だったのか。 仲間がもしかして死ぬかもしれない、と。 いつもはそんな素振りを見せないが、実は誰よりも仲間を大切にしている彼の事だ。 動揺するのも仕方ないのかもしれない。 そんなフェイトをとりあえず宥めて、またアルベルに向き直る。 彼の紅い瞳は、真っ直ぐにこちらを見据えてくる。 迷いのない色をしていた。 「…覚悟はついてるんだね?」 「当然だろう」 まるで雑談でもしているかのように。 いつも通りの調子で会話を交わす。 「どうせ私が止めても聞かないだろうし、何言っても無駄だろうね」 聞いていたフェイトが驚いたように顔をこちらに向けてくる。 …多分、私が止める事を期待していたんだろうけど。 残念だね、フェイト。私が止めた所で、こいつは考えを変えたりしないよ。 それに…。 「よくわかってんじゃねぇか」 案の定。 アルベルはいつも通りの笑みを浮かべて答えてくる。 「まぁ、無駄だって分かってて一応言うけどさ。あんたはこんな所で死ぬべき人間じゃないよ。あんたが死んで、支障の出る人間が何人もいる。きっと、悲しむ人間だって、…何人もいる」 例えば、今大忙しの国王とか。 私の後ろで青ざめた顔をしてる、優しいリーダーとか。 「あんたは世界の為に必要な人間なんだ。だから、こんな所でくたばるなんて赦さないよ」 「世界、ねぇ…」 くく、と笑いながら、アルベルが目を細める。 「たかだか剣に殺されるようだったら、世界を救えるような器なぞないと思うが?」 言われて、彼らしい理論に思わず笑みが浮かぶ。 「そうだね。…剣にすら負けるようだったら、世界なんて相手になんてできないね」 笑って。 「こんな事で終わるような力量なら、今ここで終わってしまった方がいい」 言ってやる。 この台詞が彼にとって、どんなもので在るかは分からないけど。 「…そうだな」 彼も、笑って。 宝物庫の扉を開けて、中に入っていった。 「…ネルさん!」 扉が閉まる音がしてすぐ、後ろにいたフェイトが切羽詰った表情で声をかけてきた。 でも、私は振り向く事なんてできなかった。 自分が、今どんな顔をして立っているか、わからない。 「ネルさんは心配じゃないんですか!?どうしてアルベルをたきつけるような事…」 言われた言葉に心が軋んだ。 だって。 他に、何と言えば良かったの? どんな台詞を並べたって。 たとえ私が、泣いてすがって引きとめたって。 あいつはきっと扉を開けて行ってしまうのに。 「…私が止めても…あいつはきっと意見を変えないよ」 振り向かないままに、答える。 声が、震えていなかっただろうか。 「ネルさんはアルベルが、心配じゃないんですか」 次は少々怒りが混じった声が聞こえた。 「…あいつなら大丈夫だよ」 そう答えるのが精一杯だった。 「…ネルさん?」 声の調子が違うのに気づいたのか。 フェイトが。私の顔を覗き込んできた。 「…大丈夫に…決まってるじゃないか…」 「―――…」 もう一度、自分に言い聞かせるように呟く。 その時の私は一体どんな顔だったんだろう。 ただ、私の表情に、覗き込んできたフェイトが言葉を無くしたのはわかった。 「ネルさん…」 「…彼女は彼女なりの考えがあるのだろう。まずは貴公が落ち着かずにどうするのだ?」 王がフェイトを咎めて、フェイトが俯いたのがわかる。 「…あいつなら必ずやり遂げるだろう」 そう、言い残して。 王は元来た道を戻って、階段に向かう。 「ま、待ってください!具体的にどういう事なんですか、魂を砕かれるとかって…」 フェイトが王の後を追って、階段を上がって行く音が聞こえた。 ちら、と視線を遣ると、フェイトは一度だけこちらを振り向き、またすぐに王を追って階段を駆け上がって行った。 誰もいなくなったその場所で。 私はまだ動けずにいた。 時間が経つ速さが、異常に遅く感じた。 扉はまだ開かない。 …剣を手に入れる過程というものはよくわからないけど。 それにしても、少し遅いのではないだろうか? 嫌な考えが頭をよぎる。 それを振り払うように、首を振った。 本当なら。 無理を言ってでも、止めたかった。 でも――― あいつはきっと、それを望まない。 クリムゾン・ヘイトが今まで主と認めたのは、彼の父親のみだと聞いた。 でも…ううん、彼がクリムゾン・ヘイトを手に入れようとしている理由は、そんなんじゃなくて。 ―――"誓い"なんぞなくたって、俺はまだまだ強くなる。誰のためでもなく自分自身の為に。 以前に聞いた彼の台詞が頭をよぎる。 自分の為なんだと思う。 その為に、…危険を冒してでも手に入れようとしている。 彼の身を案じて止めるのと。 彼の意思を尊重して止めないのと。 どちらが正しい選択だったのかは、私には分からない。 もう。 私は。 選んでしまったんだ。 今更撤回しようもない選択をしてしまったから。 ただ、彼が扉を開けてなんでもないような顔をして出てくるのを待っているしかできない。 彼が死ぬはずない。 死ぬはずなんかない。 でも… どうして目の前の扉は、一向に開かないの? もしも…―――。 最悪の事態を想定して、背筋がぞっとなった。 待っている時間が、十倍にも二十倍にも感じられた。 扉は。 開かない。 どれくらいそうしていたんだろう。 私は、宝物庫の扉に近づいていた。 ゆっくりと手を伸ばし、取っ手を握る。 冷えた金属の冷たい感触にぴくりと手が竦んだ。 構わずにノブを捻って、扉を引く。 古い扉特有の、金具のたてる軋んだ音がやけに大きく響いた。 中は思ったよりも広かった。 扉を後ろ手で閉め、部屋の中を見回す。 彼は――― 「…―――!」 ずっと出てこなかった彼は。 宝物庫の壁に背を預けて、床に座り込んで頭を垂れていた。 気づいたら私は駆け出していた。 まさか。 まさか。 彼の傍に駆け寄ってしゃがみ込み、彼の頬を挟みこむようにして触れる。 冷たい感触が手のひらに伝わって、頭が真っ白になった。 嫌だ。 嫌だ。 嫌だ嫌だ嫌だ! 嫌だ…! 混乱した頭で、彼の肩を掴んで揺り動かす。 これで反応が返ってこなかったら、私は一体どうなるんだろう。 そんな事を考えながら、しばらくがくがくと揺さぶる。 「…ぁー?」 「!?」 声が。 聞こえた? 弾かれたように彼の顔を見る。 彼は眉をしかめながら、 ゆっくりと目を開けた。 「…何だ?何切羽詰った顔してやがる」 いつも通りの口調で。 彼の声が聞こえた。 「…馬鹿ぁっ!」 思わず、怒鳴っていた。 至近距離で怒鳴られた所為か、彼は驚いていたようだった。 「何で、何で無事ならもっと早く部屋から出てこなかったんだい!?どうして!」 自分でも驚くほどに、私は無我夢中で怒鳴っていた。 「この、馬鹿…どれだけ心配したと思って…、」 声が震えた。 「思っ、て…」 視界が滲んで、あっという間に彼の顔が見えなくなった。 同時に瞳から熱いものが溢れてきた。 誰かの見ている前で手放しで泣いたのは初めてだ。 しかも、思い切り至近距離で、相手の目の前で、なんて。 でももうそんなことどうでもよかった。 「何泣いてやがる…阿呆」 いつもは腹の立つ、彼の口癖が聞こえて。 今はそれが何よりも何よりも嬉しかった。 「生きてて、良かった…」 しゃくりあげながら呟くと。 彼は私の頭をぽんぽんと叩いて、それから抱きしめてきた。 いつも通りの暖かい心地よさが嬉しくて嬉しくて。 また涙が溢れてきた。 ひとしきり泣いてようやく私が落ち着いてきた頃。 彼は事の顛末を話し始めた。 結論から言うと、クリムゾン・ヘイトは無事手中に収めた。 が、その後魔剣の意識と会話しすぎた所為か、酷い頭痛がして。 少し休もうと壁に背を預けて座り込んでいたら、いつの間にか眠ってしまっていた。そうだ。 頬が氷のように冷たかったのは、この寒い宝物庫にずっといたからだったようだ。 「…今は平気なのかい、頭痛」 「たいした事ねぇよ」 「そう…」 ほっと安心して、ため息をつく。 ふと、彼の腰に結わえられている刀が目に付いた。 「それが古代シーフォート王国より伝わる魔剣かい?」 「あ?あぁ」 「………」 無言で、刀の柄に手を伸ばし、掴んで鞘から抜いた。 「…!?」 彼が目を見開いて驚く。 私は構わず、その鋭く光る刀身を見た。 「…へぇ、綺麗だね。切れ味良さそう」 「お前…なんともねぇのか」 「柄を握るくらいなら平気だよ」 実際なんともなかったので、私はそのまま鞘に戻した。 そして、 「…こいつを受け入れてくれてありがとう。アーリグリフの至宝、―――クリムゾン・ヘイト」 小さく呟いた。 「何故お前がこの刀に礼を言ってるんだ?」 「いいじゃないか。言いたかったんだよ」 「…」 「さて、私の話は終わったよ。そっちが言いかけた続き、言いなよ」 「…そういえば、そんな事もあったな。今となっては良い思い出、ってヤツか?」 |