※先に03.憎しみを読んでいただくと話がわかりやすいかと。








…あの一件があるまで、俺はお前の考え方が大嫌いだった。
お前のその、甘い考えが。








「おや、ここにいたのかい」
カルサアにあるジジイの屋敷の一室。
俺用に割り当てられたその部屋の扉を開けて、赤毛の女がそう声をかけてきた。
「…ついさっきまで、隣でジジイと話してたんじゃなかったのか?お前は」
「ジジイ…って、ウォルター老の事かい」
「他に誰がいる?」
「…ったく、相変わらず口が悪いね。そんなんじゃいつか見放されるよ?」
「ふん」
「まぁ。あの人に限ってそんな事はしないだろうけどね…」
苦笑しながら、女は部屋を後にしようとした。





「…ジジイに間近で会ってきた割に、ずいぶんと平然としてんだな」
その台詞に。
女の動きが分かりやすいほど大げさに止まった。





「…あんたは、」
少々細まった目でこちらを睨み付けて。
女が口を開く。
「何を、どこまで知っている?」
感情の読めない表情をしていた。怒りを抑えているのか、それとも何とも思っていないのか。
「…昔、ジジイがとある隠密と戦ったそうだ。結果的に勝者はジジイだったそうだが…その死んだ隠密とやらが、」
一旦言葉を止めて、女の反応を見る。
女は微動だにせず、あくまで自然体のまま話を聞いている。
「…元クリムゾンブレイド、ネーベル・ゼルファー」
「あぁ、そうだよ。私の父親だ」
表情を変えないままに女が呟く。
「ジジイは父親の仇なんじゃねぇのか?」
くく、と笑って言ってやる。
「そうだね。そうなるだろうね」
微笑さえ浮かべて、淡々と。
まるで世間話でもしているかのような、普通の態度で女が答える。
「いいのか?ここで首を取っておかねぇと二度と好機は巡ってこないかもしれねぇぜ」
挑発するように、笑いながら言った。





女は笑って、
「…もし、私が今ウォルター老を殺めたとしたら、アーリグリフとシーハーツの休戦協定はどうなると思う?」
謎掛けをするように問いかけてきた。
特に深く考えず、思った事をそのまま答える。
「破棄されるだろうな、その場で」
「だろうね。そしてそれを私が望んでいると思うかい?」
「いいや」
「だろう?…そういうことさ」
理解したかい?と、女は笑って言った。
ほぅ、と少し感心する。
こいつはもう少し感情的な人間だと思っていた。
カルサア修練場に単独で進入した時の理由を聞いてから、時には国より自分の感情を優先する面がある女だと。
が、思っていたよりも女は大人かもしれない。





「それにね…まだ理由は在る」
「あ?」
思わず女に目を向ける。
穏やかな表情をしながら、女が開いた扉を閉める。
金具のたてる小さな音が響いた。
「"復讐なんてくだらない"んだろう?」
「…」
その台詞には憶えがあった。
確か、シランドの城下町で襲ってきた小さなガキを止めた時。
お節介にも手当てをしにきた女に、俺が言った台詞だ。
「それに、"復讐は何も生み出さないし、何も残さない"からね」
付け足すように女が呟く。
これも。
俺が言った台詞。
…まさか憶えていたとは。





「今の台詞、さっきウォルター老と話した時も言ったんだ」
「あ?」
「あんたと同じような事を訊いてきたからね」
同じような事。
つまりは、どうして父の仇に何もしないのか、と。
あのジジイも訊いたのか、本人に?
「まったく同じ台詞言ってから、どっかの馬鹿が言ってたって付け足したら、嬉しそうにしてたよ」
「は?」
「多分、誰かすぐに分かったんだろうね」
くすくすと笑って、女が壁にもたれながらこちらを見てくる。
その表情が少し癪に障る。
「…誰が馬鹿だ」
「さぁ。誰だろうね?」
面白がっている。
…ムカつく。








女がもたれていた壁から背を離し、俺の座っているソファの近くにある一人がけの小さな椅子をひいた。
向きを変えて腰掛けて、癖なのかゆっくりと足を組んでこちらを見てくる。
一応、手を伸ばさなければ届かない程度の距離を置いて。
…まだ何か言いたい事があんのかよ。
そう思うが、口に出す前に答えを言われた。
「もう少し話し込んでも良いかい?」
案の定だ。
こいつが部屋にとどまろうとする理由なんぞそれくらいしか思い当たらない。
「好きにしろ」
どうせ俺が駄目だと言っても変わらねぇんだろうに。
「ありがと」
女が笑って呟いた。
こいつは前より、というか仲間になった当初よりも、よく笑うようになった。
昔のように。








「まだあるんだ。ウォルター老を殺めなかった理由」
「…あ?」





「…止めてくれたから」
「はぁ?何を」
「父さんが…自分で自分自身を殺すこと」
「………」
「それと…」
女は言葉を止め、腰に吊っている鞘から短刀をすらりと抜いた。
前までこいつが戦闘で使っていたものとはまったく違う短剣。
女はそれを眺めながら、つぶやいた。
「この剣が、持ち主を殺すような使われ方をするのを。…止めてくれたんだ」
短剣の刃が窓からの日差しを受けてぎらりと鋭く光った。








ねぇ、父さんはこの剣をすごく大事にしてるね。
ん?あぁ、竜穿の事か。
うん。だっていつもキレイにしてるでしょ?
大切なものだからね。





「父さんはいつも、そうやって大事そうに手入れしてた」
「…ほう」
なるほどな。道理で、刀身に一点の曇りもなく切れ味が鋭そうだと思った。
女はさらに続ける。





私も、いつか父さんみたいな立派な隠密になりたいな。
…え?
それで、母さんや父さんや国の皆を護ってあげるの。
………。





ねぇ、ネル。
何?
隠密はそんなにキレイな仕事じゃないよ。
え?
敵を殺して情報を奪う。必要とあらば、何の罪もない民や子供だって手にかけることになる。不利を悟れば、自決する事も厭う事はできない。国のためや仲間のためなら、自分一人が犠牲になることも考えなければならない。一度捕虜になれば、死ぬ事すら許されない。…痛々しい、はたから見れば馬鹿な職業だよ。
………。





「…よくわかってんじゃねぇか、お前の父親」
自らの職業を馬鹿と形容したあいつに少し感心しながらそう呟く。
「…あんたもそう思ってるのかい?隠密は馬鹿げた職業だと」
「さぁ、どうだかな」
一応言葉を濁しておく。
女はしばらくこちらを見ていたが、俺に答える気がないと悟ったようで、話を続けた。





父さんも…いつも、そんな危険な状態の中で生きてるの…?
そうだよ。いつもそんな感じだ。
…。
それでもネルは、隠密になりたいと思うのかい?もしかして自分の大切な剣で、自分自身を殺さなければいけない日が来るかもしれないんだよ?





「その時の私はまだ幼かったから。本当に本当に悩んだよ」
「…」
「同時に、父さんが任務で命を落としたらどうしようって、不安でしょうがなかった。でも…何もできなかった」





それはそうだろう。
まだ小さい子供の頃の話ならば、隠密としての修行もしていないただのガキだ。
まさか自分が任務に着いて行くわけにもいかないし、何かしたくとも何もできない状況だっただろう。
…俺もガキの頃、自分の力量の無さが嫌だった事があった。
気持ちは分からないでもない。





女は話し始めた時と変わらない表情で話し続けている。








ねぇ、竜穿。
あなたはいつも父さんと一緒に任務をこなして来たんだよね?今まで何度も、父さんを助けてきたって聞いてる。
父さんの命を護ってくれたって。
だったら…お願い。








どうか父さんを殺さないで。





…護身刀と称されている身なら、平気でしょ?
身を護るための剣なら、これからも変わらずそう在り続けて。
そして父さんと共に任務を終わらせて、絶対私の所に帰ってきて。








「そうやって。この短刀…竜穿に祈ったりも、したな」



抜いたままの短刀を、女が感慨深げに眺める。








…もちろん、自分で自分を殺すような真似、俺だってしたくないけどね。
でも状況如何ではそうせざるを得なくなるかもしれないから。
竜穿にそんな真似させたくなんてないけど。





人間なんて脆い生き物だよ。
どれだけ強い意志があっても、絶対崩れないだなんて誰も言い切れない。
もし敵に捕まったとしたら、隠密がただの捕虜なんかになるわけがない。
引き出せるだけ情報を聞きだして、利用価値がなくなったと判断されれば殺される。
…それを回避するために他に手段が無ければ自決することになるだろうさ。
死人は口を割らないからね。





「だが、お前の父親はそうはならなかった、と?」
「あぁ。…ウォルター老が阻止してくれた、と言うべきなんだろうね」
女は竜穿を鞘に戻した。








「…きっと、アーリグリフにとってはクリムゾンブレイドを殺すより捕らえるほうが何倍も有益だったろうさ。単独行動をしていた父とは違って、ウォルター老の方には何人もの部下が傍に控えていたんだ。父さんを捕らえて捕虜にする事なんて、わけない事だったんだろうね」
「………」
「でも…ウォルター老はそうしなかった。殺すより捕らえるほうが有益な相手を、自分の最大の技で倒したって。…結果的とはいえ、父さんが竜穿で自分自身を手にかけることを止めてくれたんだ」








「感謝すべきなのかは分からないよ。でも、私は父さんの最期の相手が彼であって良かったと思う」








「確かに、ヴォックスのような奴に殺されるよりはずっとマシかもな」
「言うね、あんたも。まぁ確かに私もそう思うけど」
あいつに殺されたら浮かばれないだろうね、と、冗談めかして女が笑う。





自分の父親の最期の話を、そうやって前向きに受け止める女を。








強いと思った。








「どうかしたかい?」
言われて、はっとなる。
どうやらそんなことを考えながら、女を凝視していたようで。
視線を逸らす。








「…私の話なんて聞いてもつまらない、って顔してるね?」
この顔は元からだ阿呆。
言おうとする前に、また女が口を開いた。
「でも、なんだかんだ言って私を追い出す事もせずにじっと聞いててくれるんだよね…」
急に話題から外れた事を言い出した女を、じろりと見る。
先ほどの淡々とした表情はなく、穏やかに笑んでいる。
「…ただの、気まぐれだ」
「そう。でも、話を聞いてくれてありがとう」
礼を言われるような事をしたか?俺は。
そう思うが、女の表情が穏やかで嬉しそうだったから。
言わずにおいた。








女がもう一度、腰に吊った短刀を抜いた。
胸の前で水平にして、煌く刀身を見つめる。
「…お帰り。竜穿」
瞳を閉じて、安らいだ表情で。
女が短刀に向かってつぶやいた。








「…今から、お前がその剣の持ち主になる、と」
腰の鞘にしまっていた事から大体は想像がつくが。
「あぁ、そのつもりだよ」
女は頷く。
揺ぎ無い菫色の瞳が、射抜くようにこちらを見た。
「ほぉ…」
この女が甘い上に隠密に向いていないような性格だと言う事は、なんとなくわかっていたが。





ただ。
意志は強そうだ。





意志の強い人間は。
嫌いではない。








女が再び鞘に戻そうとしている短刀の柄を、女の手ごと握る。
女は驚いて思わず柄から手を離した。
滑り落ちそうになる短刀の柄を掴む。
「…何だい、いきなり」
「…お前やお前の父親、そしてジジイですら大切に扱っていた短刀だ。さぞ素晴らしい物なんだろうと思ってな」
言いながら、竜穿を目の前に持ってきて眺める。
小さい剣だ。
見た感じはどこにでもありそうな、普通の短刀。
だが、刀身から冷涼な空気が漂うのが見て取れた。
試しに手を近づけてみると、冷やりとした感触。
「ほぅ…」
少なくとも、施術を施されているだろうことは理解できた。
戦闘力にも大いに影響しているのがわかる。
使い込まれているようだが手入れがきちんと成されているようで、刀身は鋭く傷ひとつ無い。





「…良い剣だな」
思わず呟いた俺の台詞が意外だったのか。
女がぽかんとしている。
「あんたの口からそんな台詞が出るとはね…驚いたよ」
「うるせ」
「ふふ」
何がおかしいのか、くすくすと微笑している女を一瞥してから。
手にしている短刀を一度見据え、女に向かってずい、と出す。
さすがに刃物をいつも通り投げて寄越す真似はしない。
苦笑して受け取ろうとする女が、手を伸ばしてきた。
そして、





「…これから存分に手並みを拝見させて貰う。シーハーツの至宝、―――護身刀・竜穿」





小さく呟いた。








「…何で私じゃなく、この短剣に言うんだい?」
「さぁな。気分だ」
「…」



「話は終わった。次はお前の番だな」
「…そういえば、そんな事もあったね。今となっては良い思い出、ってヤツかな?」